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その8


「ホリーの日記……だと!? 何故そんなものが……」

「……おそらくは、こういった事態を見越して、だったのだと思います」


 マーガレットはそう言って生前の母の姿を脳裏に思い浮かべる。

 母ホリーは元々病弱な性質だった。国を跨る大商家の生まれだった彼女は、儚くも美しい容姿をしており、ホリーの父はその美貌を活かし政略結婚の駒にすることを早々に決めていたようだ。

 そして当時資金繰りに苦慮していたワーズワース伯爵家の先代当主と、ホリーの父の利害が一致。


 わずか十五歳という若さで、ホリーは当時伯爵家の嫡男だった父のもとへ嫁いだ。

 亡くなったのはその十年後で、享年二十五歳。あまりにも早すぎる死だった。


「伯爵も母も、政略結婚だったことは語るまでもないと思います」

「……」

「それでも母は病弱な自分を受け入れてくれた婚家のために尽くすことを決めていました。そして伯爵にジェシカ様という愛する人がいることを知ってからは極力邪魔にならないよう離れで生活していた……そうですよね?」


 マーガレットの言葉に返ってくる声はない。事実だからこそ何も言えないのだろう。


「やがて私が生まれ、その一年後にはジュリア様が生まれました。母は自分のことはともかく、私の将来を酷く案じていました」


 記憶を辿れば、顔色を悪くしながらも常に笑みを絶やさなかった母の姿が蘇ってくる。母は幼いマーガレットに自分の持てるすべてを渡そうとした。

 読み書き、マナー、最低限の生活知識――特に母は病床に臥せることが多かった関係で読書量が人よりも多く、その知識はマーガレットに惜しみなく注がれた。

 ワーズワース伯爵家で七歳のマーガレットが生き延びられたのは、そんな母の教えが根底にあったからに他ならない。


「はっ……いきなり自分の母親の昔話など始めて、いったいそれに何の意味があるんだ……」


 伯爵が視線を日記帳へと注ぎながら嘲笑混じりの声を上げる。だがその表情はどこか苦痛に満ちていた。昔からだが伯爵へ母の話を持ち出すと、彼は途端に機嫌を損ねる。かと思えば、マーガレットを見るたびに「あの女」などと言って母を引き合いに出すことも多かった。そこには複雑な感情が見て取れた。


 しかしマーガレットに伯爵の心情など分かる筈もない。今はただ、ワーズワース伯爵家の真実を白日の下に晒す。その為にマーガレットはここに居るのだ。だから恐れずに口を開く。

 

「それは私の固有魔法について、この日記にもきちんと記されているからです」

「なっ……!? そんな、馬鹿な……!!」


 今日一番の驚愕を浮かべる伯爵に、マーガレットは引きずられて感情的にならないようにしながら言葉を続ける。


「日記には私の固有魔法が【変身】であったこと。その事実を知った伯爵自身が虚偽報告をすると言い出したこと。母はきちんと報告すべきだと口論になったこと……そして、その時に初めて貴方が母に暴力を振るったこと……その一連の流れがすべて記載されています」


 四歳にして発現したマーガレットの固有魔法【変身】は、歴代のワーズワースの中でも特筆すべき強力さと言えた。しかし国に正式に報告してしまえば、固有魔法に厳しい制限が付く。場合によっては管理が父親であるワーズワース伯爵から離れ、国や王家の預かりにもなりかねない。

 最悪、自分の替え玉にすら使えるというこの便利な力(マーガレット)が奪われることを、当時の伯爵は看過出来なかったのだ。


 当然、母は猛反発した。

 母の日記の内容が正しければ、それまで伯爵に対して一度も逆らったことのなかった母が唯一反抗したのはこの時だけのようだ。しかし身体の弱く屋敷での立場も低い母に逆らう術も、手を貸す者もいない。そして当主である伯爵のみが申告を行なえるという制度も手伝い、マーガレットの固有魔法は自分の身体の一部の色を変化させられる【変色】という、ほぼ使い道のない力として国へ虚偽申請された。


 母はいつかこの事実が露見し、その責がマーガレットに及ぶことを恐れた。

 だからこそなるべく詳細に記録を残したのだ。いずれ先立つ自分に出来ることとして、少しでも多くマーガレットへ遺すために。


 ――貴女の身に危険が迫った時に、必ずこの本を伯爵家ではない偉い人に渡すのよ


 母は常にそうマーガレットへ言い聞かせていた。その教えを忠実に守った結果、マーガレットは本の存在自体を誰にも語らず、伯爵家の人間から隠し通していたのである。


「っ!! よ、寄越せ!!!!」


 目を血走らせながら伯爵が手を突き出すのに、マーガレットは思わず椅子に身体をぶつけながら後ずさる。その背中をパーシヴァルが守るように抱き込むのと同時に、伯爵の身体が室内に居た護衛騎士によって押さえつけられた。机に組み伏せられた伯爵の姿に「きゃあああ!!」とジュリアの悲鳴が轟く。


「証拠隠滅をされては困るぞ、伯爵。これはマーガレット嬢にとっては母君の遺品でもある。扱いは慎重にしなければならない」


 王太子殿下の冷ややかな言葉も届いていないのか、伯爵は鬼気迫る形相のまま騎士の拘束から逃れようともがいている。あまりの必死さにマーガレットは思わず身を竦ませた。すると、伯爵がそんなマーガレットの顔を凝視しながら唾を吐きかけんばかりに叫ぶ。


「そんな顔で私を見るなッ!!! お前は……!! お前は私を最期まで受け入れなかったではないか!! なのに死してなお、私の邪魔をするというのか!!!」


 一種の錯乱状態とも思える彼の言葉はおそらくマーガレットにではなく、亡き母へと向けられたものだった。しかし意味がよく分からず、マーガレットは日記帳をぎゅっと胸に抱きながら恐る恐る尋ねる。


「それはどういう意味なのですか、伯爵……母が、貴方を受け入れなかったとは……」

「ハッ! 身体だけ明け渡し子を生せば受け入れたとでも言うつもりか!? お前は隠していたようだが、私の他に好いた男が居たことは知っているんだぞ!! マーガレットに固有魔法が発現しなければ、お前など不貞で追い出していたところだ!!」

「なっ……!?」


 マーガレットは驚きのあまり言葉を失った。

 その侮辱は日記に書かれていた内容とは()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 すると、マーガレットを優しく背中から抱きしめたまま、パーシヴァルが冷たい視線を伯爵へと浴びせた。


「いい加減、吼えるのは止めてくれないか伯爵」

「ッッ!?!? 貴様ァ!! 何も知らん若造の癖して偉そうなことを――!!!」

「若造だろうが何だろうがどうでもいいが……流石に哀れなので教えてやる」


 その言葉に反応した人物は()()()()

 一人は当然、伯爵。そしてもう一人は――


「だ、旦那様……っ! 殿下の御前ですからここはどうか冷静に――」

「――ああ、やはりすべては貴様の計略だったのだな」


 相手の声を遮るように、パーシヴァルが鋭い言葉の刃を向ける。


「ジェシカ・ワーズワース……伯爵家に巣食う諸悪の元凶」

「……」

「なにを……」


 沈黙する妻の顔とパーシヴァルの顔に視線を行き来させながら、伯爵が掠れた声で呟く。

 それに対し、パーシヴァルは王太子殿下に目配せをして了承を得てから、


「……伯爵、そもそもマーガレットの母君に好いた男などいない。誠実な彼女は最初から最期の時まで貴方を唯一の夫として尽くしていた」

「は? ……そんな、わけが……」

「貴方も、マーガレットの母君も騙されていたんだ。――他ならぬジェシカ・ワーズワースに」


 その言葉で、全員の視線が一箇所へと集中した。


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[良い点] 面白くて一気に読んでしまいました。 やっとスッキリして来ました。 最初から本当の姿がわかっていたのは良かったです。 [気になる点] 社交界での姉妹の逆な認識がこのままにならない事を切に願っ…
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