その5
王家主催の夜会から五日後。
王城内でも立ち入りが厳しく制限される区画に設けられた会議室にて。
「――皆、揃ったようだな。時間も惜しい、早速始めよう」
部屋の最奥に悠々と座すエドガー王太子殿下の立会いのもと、審議会の幕は開いた。
本審議の提起者であるパーシヴァルが王家に奏上した議題は二つ。
一つは、ストラウド侯爵家嫡男とワーズワース伯爵家次女の婚姻に対する重大な偽計について。
そしてもう一つは、ワーズワース伯爵家の固有魔法報告義務違反についてである。
マーガレットとパーシヴァルが会議室の中央に設置された長机を挟んで向かい合うのは勿論、ワーズワース伯爵家の三人。
しかし彼らの他に数名、列席者が居た。
その中の一人から熱烈な視線を浴びせられ、マーガレットは思わず視線を自分の膝の上へ落とす。
……そう、列席しているのは夜会の日にマーガレットを襲った青年とその両親。
「まずはムーア子爵家にも関連する議題から入ろうと思うが、いいか?」
全員が王太子殿下の言葉に頷きを返す中、一番最初に声を上げたのは例の青年――ムーア子爵家嫡男のトーマスだった。
「殿下、何故マーガレット嬢はストラウド侯爵令息の隣に席を並べているのですか!? 彼女は私の婚約者です! 今すぐに席の移動をお願いしたいのですが!」
「その点についても踏まえて、まずはパーシヴァルから説明を貰おうか」
「承知いたしました、殿下」
パーシヴァルは睨みつけてくるトーマスの視線を涼しい顔で受け止めながら、主にムーア子爵家に対して事の経緯を説明する。
ワーズワース伯爵家姉妹が固有魔法により長期に亘り入れ替わっていたこと。
ジュリアは侯爵家に嫁ぐ前からマーガレットに成り代わり不特定多数の男性と不適切な関係にあったこと。
ストラウド侯爵家に嫁いできたのは書類上は妹ジュリアだが、実際は姉マーガレットであったこと。
現在、パーシヴァルと本物のマーガレットは相思相愛の関係にあること。
「以上の理由から、私はジュリア・ワーズワース嬢との婚姻無効を請求いたします」
「こ、婚姻無効ですって!?」「馬鹿なッッ!!」「嫌ぁ!!!」
伯爵家側から悲鳴が聞こえる。一方、ムーア子爵夫妻は呆気に取られていた。それはそうだろう。息子の嫁になる筈の女性の中身が別人だったなど、質の悪い冗談としか思えない。
ましてや当事者であるトーマスの驚愕は計り知れず。
彼はワナワナと唇を震わせながら、半笑いのような表情でマーガレットを見る。今度はマーガレットも恐怖心を押し殺し、視線を逸らすことはしなかった。
「な、なにかの間違いだよな……? マーガレット、殿下まで巻き込んで僕たちを騙すなんて、君はどうしてしまったんだい……?」
「……ムーア子爵令息様。何度でも申し上げますが、私は貴方様が情を交わした相手ではありません」
「そんな馬鹿なことが……!!」
「では、目を閉じて声だけを聴いてください。貴方のマーガレットの声は、おそらく私のものではないはずです」
この五ヶ月間、ジュリアが常にマーガレットの声を保っていたとは考えにくい。おそらく逢瀬の際には変声の魔法は使っていなかったのではと、マーガレットは推測していた。それを裏付けるように、トーマスの顔がみるみるうちに青褪めていく。
「――ジュリア嬢、君も何か喋ると良い。比較には丁度いいだろう」
王太子殿下は実ににこやかにジュリアへと発言を促す。
ジュリアは少し迷う素振りを見せた後で、何故か声は出さず目を瞑り胸に手を当てた――瞬間、
「殿下、ジュリア・ワーズワースより固有魔法の使用を検知いたしました」
「ひっっ!? 痛っっ!!!?!?」
王太子殿下の傍に控える騎士が即座に声を上げ、ジュリアの腕を高く捻り上げた。
それでジュリアだけでなく伯爵家全員が顔面蒼白になる。
「事前に説明していたはずだが、忘れていたのか? この部屋での固有魔法の使用は全て検知される。怪しい動きをすれば即座に拘束させて貰うと伝えていたはずだが」
「もっ……申し訳ございません!! どうかお赦しを、殿下!!」
ワーズワース伯爵が椅子から転がり落ちんばかりの勢いで立ち上がり深く深く腰を折る。当のジュリアは拘束されたまま「痛い痛い」と涙を流し、謝罪する父親を縋るように見ていた。
「……まぁいい。話が進まなくなるのも困るしな」
王太子殿下は伯爵の謝罪になど意味はないと言わんばかりの態度で雑に手を振る。それで騎士はジュリアを解放した。すかさずジュリアの隣に座っていた義母が彼女を慰めるように抱きしめる。
そんな一連の流れが目の前で展開した結果、
「……では、本当に僕と愛し合ったマーガレットは……そこのジュリア嬢、なのですか……」
トーマスがポツリと零した。彼は真実を確かめようと恐る恐るジュリアへ目を向ける。
すると視線に気づいたジュリアが顔を真っ赤にしながら母の腕の中でぶんぶんと首を横に振り乱した。
「違う違う違う!!! ワタシじゃない!! アンタの相手はそこのマーガレットよ!!!」
「っ……だが、確かに君のその声は」
「違うったら!!! 嫌よ!! アンタなんか知らない!! そもそもアンタが夜会でしくじったからこんなことになってるんじゃない!! この役立たず!!! 嫌い嫌い嫌い!!!」
まるで子供の癇癪――いや、それ以下の振る舞いだった。
淑女の鑑と謳われたジュリア・ワーズワースの面影などひとかけらもない。
「……夜会でしくじった、とは?」
そんな中、パーシヴァルがジュリアの発言の一部を拾い上げてトーマスを冷ややかに見た。トーマスは蛇に睨まれた蛙が如く縮こまりながら、
「わ、分からない……夜会でのことは、婚約が成立したからマーガレットを屋敷に連れ帰って良いと言われていたんだ……だから、待ち合わせ場所に現れた彼女を――」
「待ち合わせというのは、事前に手紙か何かで?」
「っはい……マーガレットの名で、確かに貰いました」
家に戻れば手紙も残っています、とトーマスが真っ青な顔で告げれば、ジュリアから「嘘よ! 全部嘘!!」と絶叫が飛ぶ。その錯乱した様子こそが何よりの証拠だと、ジュリア以外は既に察していた。
「……手紙は後日提出してくれ。必要ないかもしれないが、場合によっては筆跡鑑定にでも出すとしよう」
「承知……いたしました」
すっかり意気消沈し、項垂れながらも返事をするトーマス。
それを目の当たりにした直後、
「……殿下、発言の許可をいただいても?」
今まで黙っていたムーア子爵が重い口を開いた。殿下はすぐに「赦す」と首を縦にする。
「我が息子とマーガレット嬢との婚約を王家の名のもとに破棄――いえ、無効とさせていただきたく存じます」
「ふむ……トーマスはそれでいいのか?」
「…………はい」
王太子殿下の確認にトーマスはゆっくりと首肯した。そんな息子の背中を子爵夫人が優しく撫でる。
ワーズワース伯爵は子爵に対して一瞬だけ怒りを露わにし口を開きかけたが、結局は何もしなかった。伯爵家と子爵家という立場以上に、現状での発言力は自分達が最底辺。それを自覚したのだろう。
「では、現在のマーガレット嬢の身柄については私が預かっていることから、伯爵ではなく本人に聞こう。マーガレット嬢も婚約無効で問題はないな?」
「はい、異存ありません」
即座に頷き返せば、王太子殿下が少し呆れたように笑った。その視線の先はマーガレットにではなくパーシヴァルへと向いている。しかし釣られるように仰ぎ見ても、パーシヴァルは普段通り穏やかな笑みを浮かべるだけだった。
「……では、双方合意のもと、ムーア子爵令息トーマスとマーガレット嬢との婚約は無効とする」
王太子殿下の声にストラウド側とムーア側が御意を示すべく軽く頭を下げた。伯爵家だけは未だにグズグズと泣き続けるジュリアを宥めるのに忙しくしている。
そしてこれ以降の審議には参加しないということで、ムーア子爵家の三人が先に退室する運びとなった。その去り際、ムーア子爵は格上であるワーズワース伯爵に対して侮蔑を隠さない表情で言い放つ。
「今回の件は後日改めて話し合いの席を設けさせていただく。無論、業務提携の話も白紙とさせていただくのであしからず」
「なんだとっ……!?」
「当然でしょう? こちらは相応の慰謝料も請求させていただくつもりですので」
最後に子爵は萎れる息子の背中を元気づけるように叩くと、ムーア子爵家は三人揃って部屋を出て行った。
 




