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その4


「――ああ、マーガレット! やっと来てくれたんだね、待ちわびたよ……!」


 そう言ってこちらの手首を掴むのは二十代前半と思しき青年だった。

 その柔和で整った顔立ちは本来であれば相手に親近感を抱かせるだろうが、マーガレットには恐怖心しかもたらさない。月明かりだけが頼りの視界不良の中でも、蕩けるように微笑む彼の瞳は煌々と燃えるようだった。その色の正体が並々ならぬ執着からくるものだと気づき、マーガレットは戦慄する。


「はっ……離してくださいっ!!」

「どうして? あんなにも愛し合った仲じゃないか、今更になって僕を拒絶するの?」


 彼の言動から想像はしていたが、やはり妹と肉体関係を持った男性の一人のようだ。

 マーガレットは必死で青年の腕から逃れようと画策するが、強く握り締められた手首はびくともしない。それどころか少しずつ距離を詰められていき、いつの間にか彼の腕の中に収まりかけていた。


「あれ? 香水を変えたのかい? それに頬が赤く――」

「やめてください! 私は貴方の探している人ではありません!!」

「何を言ってるんだい? 僕がマーガレットを見間違えるわけないだろう?」


 心底不思議そうな顔でこちらを見てくる青年にマーガレットは臍を噛む。

 別人だと証明しようにも、彼が実際に関係を持った女性は自分(マーガレット)の姿をしていたジュリアなのだ。この姿のままでは納得させることは困難だ。

 ならばマーガレットの固有魔法を見せるのが一番手っ取り早いが――今は無理だった。

 何故なら青年がこちらと接触しているから。


 マーガレットの固有魔法は他者と接触している状態では掛けることが出来ない。

 だから何としても、一旦は離れてもらう必要がある。


「お願いですから一度離してください! 私は貴方に説明を――」

「嫌だよ。そう言って君はすぐに僕の腕からすり抜けていくだろう? この前の夜会だって、別の男と見せつけるようにして……僕の嫉妬を煽って楽しんでいるんだよね?」

「そんな……っ!?」


 妹のあまりの所業に眩暈を覚える。ギブニー伯爵令嬢の件からも分かっていたが、本当に好き勝手に遊び回っていたのだろう。ある意味ではこの青年だって妹の被害者だ。申し訳ないという気持ちも湧く。

 だからと言って、このまま彼の望む通りに身を任せることなど出来る筈もない。


 マーガレットはなんとか拘束を逃れようと必死で身じろぎをする。だがその様子すらも青年からすれば戯れに見えるのだろう。


「はぁ……今日の君は一段と美しいね……まるで月の女神のようだ」

「ひっ!? やだ……っ!」


 耳元に生温かい吐息が触れ、嫌悪感からマーガレットの目に自然と涙が浮かぶ。

 足が震えて鳥肌も止まらない。全身が青年を拒絶していた。だが、青年の蛮行は止まらない。


「ふふっ、どうしたんだい? いつもなら君からキスしてくれるだろう? それとも今日は、僕を焦らして楽しんでいるのかな?」

「違う……もう、やめて、お願い……!」

「大丈夫だよ、マーガレット。ちゃんと君のお父上にも了承いただいたんだ。これからは僕の家でずっと飼ってあげられるよ……僕の子猫ちゃん」

「っ!?」


 青年の甘ったるい声で、ここに連れて来られる直前に伯爵が告げられた言葉の意味を理解する。

 つまりはこの青年が――マーガレットの売約(嫁ぎ)先。

 しかも今日にもそのまま連れ帰るつもりだと分かり、マーガレットの顔から完全に血の気が引いた。


 青年は恐怖で硬直するマーガレットの腰をするりと撫でながら、大胆なドレスの所為で無防備になっている首筋へと顔を埋めようとする。それで我に返ったマーガレットは髪が乱れるのも厭わず大きく首を振って拒絶を示しながら、なんとか助けを求めようと息を大きく吸った。


「――だれ、か――ッ……!?」

「……マーガレット、本当に今日はどうしたんだい? 聞き分けのない僕の子猫……どうやらお仕置きが必要かな?」

「んぅ~~~っ……っ!!」


 助けを呼ぶ寸前で口に青年の指を突っ込まれ、マーガレットは苦しさと悲しさでボロボロと涙を零す。その間にも空いた方の手は容赦なくこちらをまさぐり、その度に情けなさで死んでしまいたい気分になった。無力な自分に絶望感が足元から這い上がってくる。


「ああ、マーガレット……」


 久しく呼ばれていなかった自分の本当の名前を青年がうっとりと紡ぐ。

 何度も、何度も。

 その度にマーガレットの瞼の裏には、たった一人が焼き付くように映し出される。


(――違う)


 本当に名前を呼んで欲しかったのは、この人ではない。


(――――違う、私は)


 きっと以前までの自分ならば、とっくにすべてを諦めていた。

 人形として生きることに疑問も抱かず、誰かの指示に従って一生を終えていた。それこそ使い潰されるまで。

 でも、もうマーガレットは人形には戻れない。戻りたくない。

 ここで感情を殺すぐらいなら、最後まで。どれだけみっともなくても――


「ッッ痛!!!」


 ガリッ、という不愉快な音を立てながら、マーガレットは口内に侵入していた青年の指を思いきり噛んだ。流石に驚いたのか青年は咄嗟に拘束の手を緩める。

 その隙を見逃さず、マーガレットは青年の懐から逃れようと大きく身を捩った。反動で地面に倒れ込んでしまうが、そんなことは気にならなかった。ただただ、べっとりと纏わりついていた相手の体温から解放されたことへの安堵感が勝った。


「っ……マーガレット! お前なにを!!」

「私は貴方のマーガレットではありません! お願いだから話を聞いてください!!」

「ふざけたことを言うな!! クソッ、もういい……さっさと行くぞ! 来い!!」

「やめて!! 触らないで!!」


 マーガレットは再び伸びてくる腕から必死で逃れようと、ドレスが土塗れになるのも構わずに地面を転がってでも抵抗を続ける。その尋常じゃない様子に業を煮やしたのか、憤怒の表情を浮かべた青年は大きく舌打ちをすると強く拳を握った。


「このっ……いい加減、僕の言うことを聞け!!」


 言葉と共に振り上げられた拳にマーガレットは目を見開く。

 殴られる、と理解した瞬間には反射的に頭の前で腕を交差させていた。ぎゅっと目を瞑って衝撃に耐えようと歯を食いしばる。

 だが、痛みが襲い来るよりも先に、


「カハッ…………!?!?」


 眼前の男が呻き声を上げた。

 状況が掴めないマーガレットは恐る恐る腕を下げ、目を開く。


 すると目の前には、満月を背に黒い獣のような男性が立っていた。


 髪も服も呼吸も、そのすべてを大きく乱しながらも瞳だけは真っ直ぐにこちらを捕らえるその人は。

 目が合ったマーガレットに怒っているような、泣いているような、そんな表情のまま。


「――マーガレット」


 地面に膝をつくと、震える手でマーガレットの身体を掻き抱いた。

 刹那、マーガレットはもはや何も考えられず、ただただ目の前の人に縋りつく。


「パーシヴァル様……ッ!!!」


 名前を呼べば、それに応えるように腕の力が強くなった。


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