その3
言われた意味が即座には理解出来なかった。唖然とするマーガレットに、
「そういうことだ。お前の役目は終わった」
伯爵が侮蔑を孕んだ表情を向け、残酷な言葉を投げつけてくる。
「お前とストラウドの倅との仲が良好なのは知っている。もう初夜も本当は済ませたのだろう?」
「っ!? そんな……! 私たちはまだ――」
「さっきだってあれだけダンスで見せつけておいて、その言い訳は苦しいんじゃない? お姉さま?」
クスクスと笑い声を漏らすジュリアが、まだ床に座り込んだままのマーガレットの目の前に立つ。
反射的に見上げれば、ギラギラとしたルビーの瞳がこちらを見下していた。
「――身の程知らず。純潔を失ったお姉さまがパーシヴァルさまの隣に居て良いわけないでしょ?」
その一言は、マーガレットの心の奥底に沈めていた感情を大きく揺さぶった。
ジュリアの言うとおりだったからだ。
未だに身体の関係がないからと言い訳をして彼の厚意を受け続けてきた卑怯な自分。その自覚があったからこそ、マーガレットは何も言い返せない。そんな資格はない。
「ストラウド侯爵家はよほど居心地が良かったのよね? ああ、今日からその生活はワタシのもの! とっても楽しみだわ!」
間近にいるはずのジュリアの声が、どこか遠い。夢の終わりはこんなにも呆気ないものなのかと、そう考えてしまう自分にも嫌悪感が募った。もうどれだけ言い繕っても誤魔化せない。
(私は……パーシヴァル様の傍を離れたくない。一緒に居たい……あの人が、好きだから……)
だからこそ、マーガレットは震える足を叱咤して無理やりに立ち上がった。
自分には最初からパーシヴァルの傍に居る資格はない。けれど、このままジュリアと入れ替わって彼やストラウド家を不幸にする未来を許容することも出来ない。
――ならばすべてを明らかにして、ワーズワース家の罪を告白しよう。
その結果、軽蔑されても収監されても構わない。
むしろ酷い女だったと思って貰えれば、パーシヴァルの良心も痛まないだろう。
(それが私がパーシヴァル様に出来る、唯一の報いだ――)
マーガレットは自然と笑みを浮かべた。決めたら心はどこか軽くなった。
「……なぁに、その顔」
突然立ち上がったマーガレットに訝し気な視線を向けながら、ジュリアが不満げに鼻を鳴らす。
ここで自分がパーシヴァルにすべてを暴露しようとしていることを悟られるのは悪手だ。この部屋を出るまでは、伯爵家に従順なマーガレットだと思われた方がいい。
そこまで計算したマーガレットは顔を俯かせると、
「……失礼いたしました。その、仮に入れ替わったとしてもドレスが違うのですぐに気づかれてしまうかと……」
と、入れ替わりを了承した体で話を進める。実際このドレスはパーシヴァル自身が選んだもので、もし仮に今のジュリアが彼の前に姿を見せたとしても、容易に誤魔化せるものではないだろう。
ドレスを取り替えるには最低でも数十分の時間を要する。それだけの時間があれば、きっとパーシヴァルならば異変を察知して捜索するなりの行動を起こすに違いない。
時間を稼げば稼ぐほど、状況はマーガレットにとって有利に働く筈。
だが、
「ああ、それについては問題ない」
その考えは脆くも崩れ去った。短く返答した伯爵は、マーガレットとジュリアの間に立つと、両者のドレスに手を触れる。すると、数秒も経たないうちに二人のドレスが入れ替わった。
ジュリアは知っていたのだろう。言葉を失うマーガレットに、自慢げな口調で言う。
「お姉さまったら、お父さまの固有魔法もご存じなかったのね?」
「当然だろう。この魔法を知るのは王家を除けばお前とジェシカだけだ」
「うふふっ……旦那様の魔法、いつ見ても見事ですわねぇ」
ジェシカがうっとりとした表情で言うのに、伯爵は相好を崩す。一方のマーガレットは、与えられた情報から実父の固有魔法についての推論を立てた。
「――変換、でしょうか」
「……鋭いな。お前のそういうところは本当にあの女譲りのようだ」
あの女とは母のことだろう。そして返された言葉から自分の推測が当たっていたことを知る。
ワーズワースは【変化】の固有魔法系統が特徴の家だ。
マーガレットの【変身】、ジュリアの【変声】、そして父である伯爵は【変換】。
おそらく対象に触れることでその物自体を入れ替える魔法。まさに伯爵家の当主に相応しい、強力な固有魔法だ。
「……さて、これでお前たちは完璧に入れ替わったわけだ。ジュリア、念のためしばらくは魔法でマーガレットの声になっておきなさい。そしてタイミングを見計らって喉を患った振りをすればいい。そうしたらお前自身の声にも戻りやすいだろう」
「はーい! 分かっておりますわ、お父さま! ワタシだって自分の力の使いどころは分かっているのよ?」
「流石はワタクシの娘ねジュリア。これなら侯爵家も絶対に気づかないわ」
ジェシカの言葉でマーガレットは顔面蒼白になる。確かにここまですればパーシヴァルも入れ替わりに気づくのは難しい。外見は完全に入れ替わり、声も一緒。気づけるとしたらちょっとした言動や仕草といった、本人でも意識していない部分による違和感くらいだ。
焦るマーガレットに気づいたのか、伯爵が口もとを大きく歪める。
まるでその表情が見たかったと言わんばかりに。
「当てが外れたようだな、マーガレット」
「っ……そんな、ことは」
「なに、お前にはまだ仕事が残っている」
その言葉に引っ掛かりを覚え、マーガレットは不安からぎゅっと胸元を握り込む。そこで気づいた。ジュリアがもともと着ていた衣装は大胆にも胸元が大きく露出するタイプのドレスだ。
まさに社交界の毒婦に相応しい衣装。
男を手あたり次第誘うようなそれは――
「では、お前とはここでお別れだ。運が良ければ、まぁ数日後には我が伯爵家に戻れるだろう」
「どういう……意味ですか」
「ここで説明する義理はない。さぁ、さっさと会場に戻るがいい」
伯爵が大きく二度ほど手を叩けば、おそらく外で見張っていたのだろう伯爵家の使用人の男が二人、室内へと入ってくる。彼らは困惑するマーガレットを左右から拘束すると、そのまま部屋の外へと連れ出そうとした。
マーガレットは「離して!」と必死に抵抗し懇願するが、女性の力で振り解けるはずもない。
「……今ここで騒ぎを起こせば、ストラウド侯爵家にもご迷惑が掛かりますよ」
そこへ追い打つように耳元でぼそりと告げられた言葉で、マーガレットの抵抗が目に見えて弱まる。
今日は王家主催の夜会だ。参加者も多く、些細なことでも恐ろしい醜聞に繋がりかねない。
――パーシヴァルや侯爵家に迷惑を掛けたくない。
その呪縛が、マーガレットから抵抗する力を奪っていった。
予め人目につかないようなルートを選択したのだろう。マーガレットは会場とは反対方向の、満月が周囲を照らすだけで全体的には薄暗い庭園まで連れて来られた。そこでようやく拘束から解放される。
「っ……ここ、は……?」
マーガレットの問いに男たちは答えない。ただその視線が酷くこちらを憐れんでいるように見えて、マーガレットは心細い気持ちで胸がいっぱいになった。
男たちは足早に去って行く。マーガレットも当然のように、彼らを追いかけようと淑女らしくはないと知った上で駆けだそうとした。
だが、それは赦されなかった。
「――ああ、マーガレット! やっと来てくれたんだね、待ちわびたよ……!」
その言葉と同時に、手首を強く握られる。
マーガレットが悲鳴も出せずに背後を振り返れば――そこには見知らぬ男がいた。
 




