その2
突如現れた妹ジュリアによって強引に連れ込まれた先は、大ホールから少し離れた休憩個室だった。
グイグイと手を引かれるのに碌な抵抗も出来ず、突き飛ばされるように部屋へと入室したマーガレットを待っていたのは――
「っ!? ……お二人とも、何故……!?」
「なんだ、その言い草は。しばらく見ないうちに随分と横柄になったものだな」
「本当に。そのように躾けた覚えはないのだけれど、ねぇ?」
実父であるワーズワース伯爵と義母であるジェシカだった。
刷り込まれた恐怖心から反射的に身を竦ませてしまうマーガレット。先ほどまで胸を満たしていたパーシヴァルとの幸福な時間は、まるで蝋燭の火のように簡単に吹き消されてしまった。
同時に湧きあがるのは途方もない悪寒。
マーガレットは顔を青くしながら、何故自分がここに呼ばれたのかという理由を探ろうと頭を回転させ始める。だが、その思考も乱暴に扉を閉めた途端にこちらへと掴みかかってきたジュリアの暴挙によって中断を余儀なくされた。
「――お姉さま!! 今すぐ! 今すぐ魔法を解いてッッ!!!!」
こちらの両肩に爪を立てる勢いで、ジュリアが叫ぶ。その表情は見たことがないほどに切迫していた。常に余裕そうなジュリアにしては珍しいことである。
「っ……ですが、今は夜会の途中です。どうして魔法を解く必要が――」
「お前がそれを気にする必要はない」
ジュリアに問いかけたつもりだったが、苛立ちを声に滲ませた伯爵からの横槍が入る。
今までのマーガレットならば、この一言で完全に沈黙しただろう。だが、二度と伯爵家には戻らないと決意を固めるなど理不尽に抗う勇気が芽生え始めていたことが、マーガレットの背中を押した。
「……お言葉ですが、ご説明がなければ承服出来ません。今の私はジュリア様としてこの夜会に参加しております。何も言わずに席を離れたため、パーシヴァル様もすぐに私の行方を捜すはず」
「ハッ、本当に生意気な口を利くようになったな!」
「そう思われたとしても私の意思は変わりません。まずはご説明を――」
その時だった。
伯爵の隣に立っていた義母ジェシカが冷笑を浮かべながら足早にこちらへ近づいてくると――
「――言われた通りになさいな、この愚図」
「……ッ!?!!」
容赦なくその毒々しい爪紅で彩られた右手を振るい、マーガレットの左頬を思いきり張った。
バチン、という鈍い打擲音が室内に木霊する。
咄嗟に奥歯を噛みしめたことで舌を噛むことは免れたが、手加減せずに叩かれたので左頬全体がじわじわと熱を持ち始める。鏡を見なくても叩かれたのが一目瞭然の状態になっているだろうと察しはついた。
結婚してから暴力とは無縁の生活を送ってきたこともあり、その激しい殴打はマーガレットの思考と精神を鈍らせるのに十分な威力を発揮した。
――代わりに全身を支配するのは、伯爵家で過ごした十年にも及ぶ虐待の記憶。
特に折檻を好むジェシカから受けてきた数々の痛みが鮮明に蘇ってきて、マーガレットは堪らず膝から崩れ落ちた。全身がガクガクと震えて止まらない。
絨毯の敷かれた床に手をつき、震えを止めようと必死に呼吸を繰り返す。そんなこちらを睥睨しながら、ジェシカがいい気味とばかりに嗤った。
「ストラウド家での生活で勘違いしたのかしらねぇ? お前は所詮、伯爵家の駒に過ぎないのよ? 反論する駒なんて性質が悪いにもほどがあるわ」
「……そ、そうよね!? お母さまの仰る通りだわ! もう叩かれたくないなら早く魔法を解きなさい!!」
「マーガレット、早く魔法を解け」
浴びせられる三方からの圧力に、孤立無援のマーガレットは怯えながら屈するほかなかった。
ジュリアに掛けていた固有魔法を約五ヶ月ぶりに解除する。するとあからさまにホッとした様子のジュリアが、未だに怯えから立ち直れないマーガレットに気づき鼻で笑った。
「最初から従ってればよかったのに、馬鹿なお姉さま。……あ、お姉さまも元の姿に戻るのよ! 早く!」
無言のまま、今度は自分に掛けていた魔法も解除する。
白金色の前髪が視界に入り、マーガレットは逆らえない己の情けなさに強く唇を噛んだ。
そんなこちらの心を更に荒らしたいのか、今度は伯爵がマーガレットの背後に立つと強引に腕を引っ張って立たせてくる。
それと連携するかのように、ジェシカが当然の権利といわんばかりの態度でマーガレットの身を飾る装飾品を外し始めた。
「なっ!? や、止めて……っ!!」
これに驚いたマーガレットは咄嗟に身を捩って抵抗を示す。
今日のアクセサリーはパーシヴァルからの大切な贈り物だ。それを好き勝手にされることは、自分の肉体が傷つけられることよりも耐え難い仕打ちだった。
だがまたもや飛んできたジェシカの平手により、強制的に口を閉じさせられる。
結局、ネックレスやイヤリング、髪飾りに至るまでむしり取られ。
用は済んだとばかりに伯爵から突き飛ばされたマーガレットは再び床へと倒れ伏した。
その傍らでは、ジェシカが甲斐甲斐しく奪取したばかりのアクセサリーをジュリアへと付け替えていく。
「流石は侯爵家ね! こんなに大粒のサファイアなんて初めてだわ!!」
「ええ、とてもよく似合うわジュリア! そもそもこれは貴女の物なのよ?」
「そうね! これだけの物をポンポン買えるなら、侯爵家での生活も悪くなさそうだわ! そうだわ、お母さまの分も侯爵家のお金で色々と買いましょうよ!」
「あら嬉しいこと。親孝行な娘を持ってワタクシも幸せだわ」
宝飾品を前に盛り上がる二人と、それを微笑まし気に見守る実父。まさに仲睦まじい親子の姿。
以前なら羨ましいという感情も多少は湧いたが、今は何とも思わない。ただただ、この人たちにとって自分は利用価値しかない人間で、決して家族などではないのだと痛感させられるだけだ。
(私だって、こんな人たちはいらない。私の家族は、亡くなったお母様、だけ……)
一瞬、パーシヴァルの顔が浮かんだのを慌てて振り払う。
彼と自分が家族になる未来はない。想像するだけでも烏滸がましい。
しかしパーシヴァルの姿を思い描いたことで、マーガレットの思考は正常に戻りつつあった。
(……しっかり、しないと)
もう伯爵家のこと自体はどうでもいい。
今の自分にとって重要なことは別にある。
「……こんなことをして、いったい、何がしたいのですか……」
マーガレットは気力を振り絞って再度、三人へと問う。
身も心もボロボロだが、それでもこの後に降りかかるであろう災厄への対処をするために情報は必要だ。それは長年虐げられてきたが故の直感だった。
そんなこちらの意図などまるで分かっていないだろうが、宝石で随分と気分が良くなったジュリアが満面の笑みを浮かべながら口を開いた。
「――何って、今この時からワタシがジュリア・ワーズワースに戻るのよ! もうお姉さまは必要ないの。マーガレットに戻っていいの。嬉しいでしょう?」




