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その1


 本格的な社交シーズンの幕開けを告げる、王家主催の大規模な夜会。

 王城内の大ホールと中ホールを解放して催されるその夜会の参加者は多い。高位貴族は勿論、下位貴族もよほどの事情でなければ参加することから、まさに年に一度の貴族の大社交場と呼べた。


 ストラウド侯爵家の嫡男であるパーシヴァルにも当然ながら招待状が王室より届いており、必然的に彼の妻であるジュリア(マーガレット)も参加する運びとなった。

 そして当日――


「……ああ、やはりそのドレスにして正解だったね。とても可愛いよ……俺のリア」


 黒髪を後ろに流し黒地に白金色のアクセントが映える礼装に身を包んだパーシヴァルが破顔する。

 その視線の先には、ナタリーを筆頭に屋敷の侍女が総力を結集して磨き上げられたマーガレットの姿があった。


 纏うメインカラーは上品な青。パーシヴァルとお揃いの白金色で施された繊細な飾り刺繍が見る者の目を奪うそのドレスは実に華やかで、マーガレットは自分のような人間には分不相応だと恐縮する思いだった。

 ちなみにドレスだけではない。

 身に纏うアクセサリーも一級品ばかりで、イヤリングやネックレスには大ぶりのサファイアとダイヤモンドが贅沢に使用されている。

 いずれもパーシヴァルが自ら厳選して贈ってくれたものだ。


 青はパーシヴァルの瞳の色。その意味が分からない程、マーガレットは無知ではない。

 彼の妻を大切にするという姿勢が嬉しくもあり……同時に複雑でもあった。

 そんな気持ちを押し隠しながら、マーガレットは眼前のパーシヴァルを仰いでふわりと微笑んだ。


「ありがとうございます……でも、パーシヴァル様の方がずっと素敵です」

「そう? 男が着飾ったところで面白くもなんともないと思うけど」

「そんなことありませんよ。ですが、少し不安になってしまいますね……」

「どうして?」

「え? だってこんなに素敵なパーシヴァル様を前にしたら、誰もが恋に落ちて――ッ」


 途中で己の失言に気づき、慌てて口を噤む。

 いくらうっかりそう思ってしまったからといって既婚者に、ましてや自分の夫に向ける言葉ではない。

 機嫌を損ねなかっただろうかと、マーガレットはパーシヴァルの顔色をそっと窺う。

 すると予想に反して彼はむしろ機嫌良さそうに目を眇めると、唐突にマーガレットの首筋に右手を這わせた。


「っん……!」

「ああ、ごめん。指先が冷えていたみたいだ」


 口ではそう言いつつも、全然悪いとは思っていないことは明白だった。

 パーシヴァルはそのまま指先を上へと滑らせ、ほのかに赤く色づくマーガレットの耳朶に触れる。

 耳だけでなく何故か背筋にまでぞくりと刺激が奔って思わず目を細めれば、


「――んぅ……っ」


 そのまま奪うように唇を塞がれてしまい、マーガレットは咄嗟にぎゅっと目を瞑った。

 本当は逃げたくて後ろに下がりたいが、いつの間にか腰に回されたパーシヴァルの腕でそれも叶わない。呼吸が苦しくなるギリギリまでされるがままになったマーガレットは、解放された途端、膝の力が抜けてしまいパーシヴァルの腕に堪らず縋りついてしまった。

 それで反省したのか、パーシヴァルが多少申し訳なさそうな声で囁く。


「……ごめん。あんまり可愛いこと言うから我慢が利かなかった」

「っ……いえ、だいじょうぶ――」

「大丈夫じゃありませんよ奥様! もう! せっかく調えた口紅が乱れてしまいましたわ!」


 マーガレットの返答を遮ったナタリーは、控えていた侍女に目配せをしてメイク道具を持ってこさせる。そしてナタリー自身は主の腕から既に疲労困憊気味のマーガレットを奪い取ると、


「旦那様、馬車でも同じことをしたら本気で蹴り出しますからね?」


 実に冷ややかな笑みでもって今後予想される事態の牽制を図ったのだった。



 ナタリーの脅しが利いたのかはともかく、二人は馬車に乗り王城へと無事に辿り着いた。

 侯爵家の人間であるパーシヴァルは同じ高位貴族が集う大ホールへと案内を受ける。

 そんなパーシヴァルにエスコートされながら、マーガレットは粗相があってはいけないと改めて気を引き締め直した。特にジュリアのことが気がかりだ。せめて大きな問題は起こさなければいいけど――と、胸の中でそっと祈る。


 義父であるストラウド侯爵や義母、ヘイマー公爵や夫人、そして家族で来ていたギブニー伯爵令嬢などといった面々は既に会場入りしていたため、パーシヴァルと共に順に挨拶をしていく。

 更にパーシヴァルの同僚だという外交官の男性や、結婚の祝辞を述べに来た貴族たちの相手をしていると、あっという間に開会の時刻となった。


「――皆、今日はよく集まってくれた。遠方からの者もご苦労であったな……今宵は月の女神にも微笑まれた素晴らしい夜だ。節度は守って貰いたいが、まぁ存分に楽しんでいって欲しい」


 本日の開会の挨拶を務めたのは、エドガー王太子殿下だった。

 彼の隣には王太子妃が並び、その少し後ろには第二王子と第一王女が控えている。王と王妃はさらに奥の貴賓席に座したままだった。


 噂によればあまり体調が思わしくない王の退位は秒読み段階とのこと。

 今日の挨拶からしても、その噂はおそらく的外れではないだろう。


 ちなみに今年で二十二歳となる王太子殿下に対して、第二王子は九歳、第一王女に至ってはまだ七歳だ。一部の過激派が第二王子擁立に動いているという噂もあるが、十中八九、次期国王はエドガー王太子殿下で間違いない。


「では、我が国を支える皆に王家より祝福を――――乾杯!」


 堂々たる宣言を合図に、会場内でワルツの旋律がどこからか聞こえ始める。

 するとパーシヴァルはマーガレットと向かい合い、優雅な動作でその右手を掬い上げると、


「――麗しき俺だけの女神、ダンスはお嫌いですか?」


 言って、誘うように薄いイブニンググローブ越しの指先へと口づけを落とした。

 さらに軽くウィンクまでしてくる。あまりにも大げさで気障な振る舞い。

 だが立っているだけで衆目を惹く美青年が行なえば自然と絵になってしまう。正面からパーシヴァルの強い眼差しを受けたマーガレットは、じわじわと全身を巡る熱に抗えない。

 みっともないほど高鳴る心音が悟られないことを願いつつも、なんとか淑女の笑みを返した。


「私の愛する旦那様――喜んでお受けいたしますわ」


 それは胸の奥に仕舞っていた本心。

 本当は、ずっと、煌びやかな夜会で踊ってみたかった。

 普通の貴族令嬢のように、素敵な男性と、たった一度でも良いから。

 その願いがまさかこんな形で叶うなんて……ジュリアの身代わり人形に徹していた頃の自分ならばきっと到底信じられなかっただろう。


(でも、夢じゃない)


 最初の曲ということもあり、踊りやすいよう配慮されたスローテンポのワルツ。

 その音と目の前の愛しい人に身を委ねながら、マーガレットはお手本通りのステップを踏む。


「……本当に初めて? 凄く上手だけど」

「はい。講師の先生以外と踊るのは初めてです。……上手く出来てるなら良かった」


 おそらくパーシヴァルのリードも相当上手いのだろう。周囲とぶつからないように配慮しながら、マーガレットが気持ちよく踊れるように誘導してくれているのが分かる。

 上手く踊れて、楽しくて。どこか夢心地になったマーガレットは自然と表情をほころばせる。

 しかし曲が終わりに近づくにつれて、パーシヴァルが不意にニヤリと意地の悪い笑みを浮かべた。

 嫌な予感がする、と思った瞬間には既に罠は仕掛けられていた。


「っ……!?」


 パーシヴァルがマーガレットの細腰を掴んで軽く持ち上げると、その場でクルリと回る。宙に浮いた恐怖で咄嗟に彼の手を強く握れば、相手も負けじとこちらの指先を絡め取ってきた。まるで絶対に離さないと伝えるかのように。

 時間にしたら僅かの間だったが、マーガレットからすれば心臓が飛び出そうなほどの驚きだった。

 ようやく地上へと下ろされ、思わずパーシヴァルへと抗議の目線を送ってみれば、


「――あー、ほんと、かわいいな」


 そんな風に、蕩けるように微笑むから。

 マーガレットは口をハクハクさせて顔を真っ赤にすることしか出来なくなってしまった。


 やがて曲が終わり、立て続けに二曲目へと入る。

 ここで止めるなら手を離すところだが――二人とも示し合わせたように続行を選んだ。

 結局三曲ほど続けて踊ったことで、マーガレットは流石にへとへとになってしまう。


「初心者に三曲は厳しかったな……ごめん」

「でも……私も踊りたかったので。それにとても楽しかったです」

「それなら良かった。俺も今までで一番楽しいダンスだった」


 そう言って笑うと、パーシヴァルはマーガレットを壁際の椅子へと座らせ自身は飲み物を取りに行ってしまった。彼を待つ間、心地よい疲労にふぅと息をついたマーガレットが改めて会場へと目を向けようとした――その時。


「っ……見つけた! おね――……ジュリアッ!」


 テラスのロングカーテンの陰から突如として飛び出してきたのは、何故か焦ったような表情を浮かべている、自分(マーガレット)の姿をした妹だった。


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