その3
『――結婚式は二週間後だ。準備を怠るな』
そんな馬鹿な……と内心では思っていたが、どうやら事実だったらしい。
書斎から退出する際、伯爵から投げつけられた発言から二週間後の本日。
マーガレットは純白のウエディングドレスを身に纏い、王都中心部に聳え立つ荘厳な教会の控室で出番を待っていた。
「とてもお綺麗でございますよ――」
「……ありがとう、ございます」
ヘアメイクを担当してくれた伯爵家でも古株の侍女の世辞にぎこちない笑顔を返しながら、マーガレットは姿見に映った自分を改めて確認する。
鏡の中の自分はチョコレート色の髪を可憐に結い上げられ、花嫁に相応しい清楚な化粧を施されている。ツリ目がちなルビーの瞳にあまり力が宿らないのは、マーガレット本人の心の裡を反映しているからだろう。
コルセットでギチギチに締めあげられた脇腹にそっと手を触れながら、思わずため息を漏らした。
と、その時。控室の扉をノックする音が響いた。
こちらの返事も待たずに勢いよく扉を開いたのは予想通り妹のジュリアである。
だが見た目は白金の髪にペリドットの瞳――すなわちマーガレットの姿となっていた。
花嫁よりもよほど目立つ真っ赤なドレス姿のジュリアは、鋭い目線だけで侍女に退出を命じる。
慌てて部屋を出て行った侍女を見送れば、必然的に室内にはマーガレットとジュリアの二人きりとなった。
「ちょっと、なに辛気臭い顔してるの! ワタシの代わりを務めさせてあげてるんだから堂々としていなさいよ!」
ジュリアから飛び出す激しい叱責に、マーガレットはここに至るまでに何度となく確認してきたことを改めて問う。
「ジュリア様……本当によろしいのですか? ご自身の結婚式を代役で済ませるなんて」
「はぁ? いいに決まってるじゃない。結婚式なんて長ったらしい上に面倒ごとばかりでしょ? 花嫁衣装だって侯爵家のお古だし、全然テンション上がんないもの」
その言葉にマーガレットは自らを飾る衣装へと目を落とす。
一目で上質と分かるシルク地で仕立てられた美しいウェディングドレス。確かに型としては年季を感じさせる代物だが、シンプルなデザインのため決して古臭くはないとマーガレットは思う。
むしろ伝統ある侯爵家の花嫁衣装を事前にサイズ調整まで完璧にした上で貸して貰えること自体、大変に名誉なことなのだが……
「そんな黴臭い衣装、ワタシよりお姉さまが着るのがお似合いよね」
妹の価値観からすると、このドレスは着るに値しないらしい。
「それに結婚式が終わったら普通そのまま初夜って流れでしょう? もし入れ替わる隙がなかったら困るじゃない、ホントお姉さまはお馬鹿さんね」
「……思慮が足らず申し訳ございません」
「ま、これはワタシからの餞別だと思ってくれていいわよ? お姉さまなんてどうせ碌な結婚出来ないでしょうし。パーシヴァルさまっていう極上の男と一夜を共に出来るんだから、むしろ感謝して欲しいくらいだわ」
確かに、とマーガレットは心の中でうっかり同意した。
社交界での評判からして自分に真っ当な嫁ぎ先が用意されるなどあり得ない。
おそらくは純潔を重んじない金持ちの好色家か辺りを父が吟味し、最終的に伯爵家の利益になる相手へと売り渡されることだろう。
そう考えると、ご令嬢たちが憧れる美貌の青年が初めての相手というのは僥倖なのかもしれない。
(……まぁ、お相手のパーシヴァル様は災難でしかないでしょうけど。知らぬこととはいえ私みたいな女を花嫁と偽って抱かされるわけだから……)
せめて哀れな花婿の迷惑にならぬよう従順であろうと、ひっそり決意を固めるマーガレット。
だがその決意を嘲笑うかのように、ジュリアがこちらをジロジロと見ながら言う。
「あー、でもパーシヴァルさまって亡くなった婚約者にベタ惚れだったらしいのよねぇ。今日の結婚式だってかなり抵抗されたって話だし……そんな状態で初夜なんて考えるだけでも最悪だわぁ」
わざとらしく肩を竦めて嘆息する妹を見ても特に怒りは湧いてこない。ただ、この我が儘な妹に未来の侯爵夫人が務まるとは到底思えず、ストラウド侯爵家の方々への申し訳なさだけが積もった。
そもそも通常ではありえない速度での婚姻なのだ。
いくら両家の当主が決めたこととはいえ、人の心はそう簡単なものではない。
パーシヴァルに仕える者ならば、亡くなった婚約者と入れ替わるようにやって来る厚かましい花嫁に対して悪感情を抱いても不思議ではないだろう。
言わずもがな、パーシヴァル自身からも冷遇されることは想像に難くない。
「そんなわけだから、お姉さまはワタシと入れ替わるまでの間は完璧な淑女を演じるのよ? 流石に侯爵家のやつらだって馬鹿じゃないんだし、ひと月くらい大人しくしてればワタシのことも受け入れるはず」
「……承知いたしました。最善を尽くします」
「うふふっ……せっかくだし、ワタシも入れ替わり前に最後の遊び、満喫しちゃおーっと!」
その発言は裏を返せば、マーガレットの醜聞が増えるということに他ならない。
入れ替わり期間中は常時魔法を展開する予定なので、ジュリアの所業はすべてマーガレットの所業として人々に記憶されるのだ。
「差し出口かと存じますが……その、避妊だけは十分お気を付けくださいませ」
「分かってるわよ、そんなこと。まぁ仮に妊娠しても、その間お姉さまと入れ替わっちゃえばなんとかなるし?」
あまりにも笑えない言葉にマーガレットが口もとを引きつらせていると、
「――ご準備はよろしいでしょうか。まもなくお式が始まります」
扉の外から、案内役の声が聞こえてきた。