愛しているから、離してなんかあげられない(パーシヴァル視点)
「……最近やたらと機嫌良くないか、パーシヴァル」
王城内における行政区画。そこに設けられた筆頭外交官専用の執務室にて。
愛しい妻の見送りに後ろ髪を引かれる思いで出仕し、来たからにはさっさと仕事を終えて帰宅すべく片っ端から業務を捌いていたパーシヴァルは、
「――暇つぶしなら構ってる余裕はないのでお引き取りください、殿下」
書類を片手に顔を上げると、前触れもなく直接己を訪ねてきた男に対してわざとらしい笑みを向けた。すると王家特有の銀糸の髪と赤い瞳を持つ美貌の男――エドガー王太子殿下は「おいおい不敬だぞ?」と肩を大げさに上げてみせる。しかし言葉とは裏腹にその表情は楽しげだった。
本来であれば敬うべき王太子殿下に対してこうした態度が赦されるのは、偏にパーシヴァルと彼が学生時代からの付き合いで、プライベートでは友人関係だからに他ならない。
無論、職務上の線引きはきちんとしている。だが、そもそも仕事に関係のない雑談を仕掛けてきたのは相手からだ。こういう口調でエドガーが話し掛けてくる時に畏まると逆に嫌がられることを知っているので、彼の護衛役を務める近衛が控える以外は二人きりということもあり、パーシヴァルもある程度は気安く構える。
そんな中、エドガーは特に断りもなく執務室の応接ソファーに腰を下ろすと、
「その上機嫌の理由について、話をしに来たのだが……お邪魔だったかな?」
と、どこか揶揄うような口調で言った。パーシヴァルはそれでスッと表情を引っ込めると、即座に椅子から立ち上がってエドガーの向かい側の席へと移動する。どこか並々ならぬ気配を感じたからか、近衛が微かに息を呑んだ。一方、エドガーは飄々とした態度を崩さず、トントンと指で応接テーブルを叩く。
「おいおい、お茶も用意してくれないのか? 久しぶりにお前が淹れた美味いのが飲みたいんだが……」
「内容をお伺いした後にならばいくらでもお出ししますよ」
だからさっさと用件を言えというこちらの言外の圧力に、エドガーは苦笑混じりに肩を竦めた。
「性急だな、お前らしくもない。……まぁそれだけ彼女が特別だということだろうが」
「その通りです。今の私の最優先事項は彼女をおいて他にないので」
「……お前、外交官としても主君を前にした臣下としても、その発言は色々と拙いんじゃないか?」
「取り繕っても仕方がありません。私が嘘を厭うことを一番知っているのは貴方でしょう、殿下」
パーシヴァルが己の能力について匂わせたのを機に、エドガーは近衛に「扉の外で待機を」と言って無理やり席を外させた。それで室内は完全に二人きりとなる。
「――単刀直入に言おう。お前からの報告書を読んだが……すべて事実なんだな?」
「ええ、裏取りも証拠集めも抜かりはありません。だからここまで時間が掛かってしまいましたが」
「それはそうだろう……俄かには信じがたい内容だからな。特に彼女の固有魔法については」
報告書の記載内容を頭で反芻したのだろう。エドガーは渋面のまま首を反らして天井を見上げた。
「まったく厄介な……で、お前は俺をこの件に巻き込んでどうしようと?」
遂に本題を切り出してきた友人に、パーシヴァルは真剣な面持ちで告げた。
「――頼む、力を貸して欲しい。彼女を完璧に守るためにはエドガーの力が必要だ」
ある程度は予想していたのだろう。エドガーは即座に問う。
「こちらへの見返りは?」
当然、パーシヴァルもこれに対する返答は用意済みだ。
「イクリス公爵と隣国との武器取引の実態調査。第二王子殿下派の内部に紛れ込んだ間者の炙り出し。他にも殿下が望むなら俺の固有魔法の私的利用に三度までなら無条件で協力する」
淡々と口にしたその言葉に、エドガーは驚愕から目を見開き、あんぐりと口を情けなく開けた。せっかくの美貌が形無しである。
「……それ、本気で言ってるんだよな?」
「ああ」
「つまりお前にとってそれだけの価値が彼女にはある、と」
「彼女の身が保証されるなら俺の固有魔法の行使など安いものだよ」
パーシヴァルは一片の迷いもなく断言した。
当然、この交渉を持ち掛けている相手がエドガーだからこそ、という側面もあるが。
王族としてパーシヴァルの固有魔法の詳細を知りながらも変わらず友人として接するだけの胆力を持つ未来の国王陛下。彼は決して無駄な嘘を吐かない。それだけでもパーシヴァルにとっては信頼に値する。
己が仕えるべき主としても不足はない。
(……まぁ、もし万が一にでもエドガーがマーガレットを利用しようとするなら、その時には別のカードを交渉材料にするだけだが)
子供の頃は看たくもないものまで全て詳らかにするこの固有魔法が嫌で仕方がなかった。だが今は持って生まれた己が魔法に感謝するほかない。
この力のおかげで自分は最愛を見つけ、彼女を守るための策を立てられるのだから。
こちらの本気を見て取ったのだろう。エドガーは疲れたように大きく息をつくと、一転して今度は覚悟を決めた時の表情を作り、パーシヴァルへと向けた。
「……いいだろう、他ならぬお前の頼みだ。引き受けてやる」
「ありがとうございます」
「で? 実際にお前はこれからどう動くつもりだ?」
エドガーの疑問にパーシヴァルは淀みなく今後の計画を話していく。
途中から彼は呆れたような、感心したような、そんな複雑そうな表情を浮かべていた。
「――というわけで、再来週の夜会の後にでも殿下には立会人となり一席設けていただければと」
「分かった。父上にはあらかじめ私の方で上手く言っておこう」
「助かります」
「まぁ、ワーズワース伯爵家の処遇も考えるとお前の方針自体は妥当だからな……残りは後見人くらいのものだろうが、そちらは私が立てば問題ない」
話が一段落すると、エドガーは気持ちを切り替えるようにパーシヴァルへ要求した。
「じゃあ、約束通りに茶を淹れてくれ。あと今から一時間はこちらの愚痴に付き合って貰うぞ!」
それは明らかにパーシヴァルを友人として扱い、気遣った上の言動だった。
こういう振る舞いが自然と出来てしまうところがエドガーの求心力の所以なのだろう。
パーシヴァルも勿論、この友人に甘えてしまった自覚はある。正直なところ今回の件は大きすぎる借りだ。ならば友人としても臣下としても借りた以上のものを仕事の結果で残す。それが近い将来この国を統べる彼への一番の報いとなるだろう。
「……ええ、今回に限っては喜んでお付き合いしますよ」
パーシヴァルは感謝の意を込めて、今日はとっておきの茶葉で丁寧に紅茶を淹れることにした。
――その夜。
夕食の時間ギリギリに帰宅が間に合ったパーシヴァルはマーガレットと食事を共にし。
それから夫婦の寝室で二人、今日あった出来事について談笑するなど穏やかな時間を過ごしていた。大きなソファーに二人並んで腰かけながら、肩を寄せ合って互いの温度を近くで感じる。
本音を言えば、今すぐにでも愛しい彼女の素肌に触れてその柔らかな身体を暴きたいという欲求はある。しかも自分達は既に夫婦であり、パーシヴァルには妻を抱く正当な権利があるのだ。それにマーガレットは最初からそのつもりで嫁いできたのであり、初夜を待たせているのはパーシヴァルの方である。
最早、気持ちの整理自体は済んでいる。だが、パーシヴァルにも矜持がある。
誰よりも大切だからこそ、偽りの姿のままの愛しい人を抱くわけにはいかない。
この関係を壊して先へ進むためには、マーガレットに自分の意思で選んで貰わなければならないのだ――他ならぬパーシヴァルを。
それを為して初めて、パーシヴァルは本当の意味でマーガレットを手に入れることが出来る。
「……明日も早いしそろそろ眠ろうか。おやすみ、リア」
「はい……おやすみなさいませ。パーシヴァル様」
恥ずかしそうに目を閉じて、マーガレットがそっと、その桜色の唇を差し出す。
緊張から震える睫毛が可愛らしくて、パーシヴァルは彼女の髪をさらりと耳に掛けながら頬を己の掌で包み込む。温かで柔らかい。すっかり血色がよくなり健康的になった姿にも愛しさが募る。
(君の嘘も事情も全部受け止めるから……早く俺のところに堕ちておいで、愛しい俺の……俺だけのマーガレット)
柄にもなく祈るような気持ちを乗せて、パーシヴァルは一日の疲れを癒すかの如くマーガレットの甘い唇に耽溺した。




