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その1


 ストラウド侯爵家に身代わりで嫁いで来てから三ヶ月が経とうとしていた。

 日課となったパーシヴァルの見送りを終えたマーガレットは私室に戻ると届いた手紙の整理をしながら、しばし物思いに耽る。

 今のところ実家からの初夜完遂催促は思ったよりも緩やかだ。

 おそらくジュリアが何だかんだと自由に過ごせるマーガレット生活を楽しんでいるからだろう。

 こちらからは数週間に一度は定期報告を挙げたり、情報共有用の日記帳なども同封しているが――


(読まれてないかもしれない……不安だなぁ)


 ここに来て、マーガレットの中に以前にはなかった迷いが生じ始めていた。

 このままジュリアと入れ替われば、ストラウド侯爵家の面々に被害が及ぶことは火を見るよりも明らか。三ヶ月の間ですっかり屋敷の人々のことが好きになっていたマーガレットとしては、ジュリアを押し付けるような形での入れ替わりはもはや許容しづらくなっている。


(私ならジュリア様の性格は理解しているし秘密裏にフォローも出来る……)


 そして実行出来るだけの力がある――そう、固有魔法を駆使すれば。

 皮肉にもメイドのメグとしての経験はマーガレットに新たな選択肢を芽生えさせた。


(姿を完全に変えてしまえば私が侯爵家の人間だと気づかれることはない。つまり別人として生きることが出来る。それならメイドとしてこの屋敷で雇って貰うことも可能かもしれない。すぐには難しくとも、例えば下位貴族の屋敷を経由して能力を認められれば――)


 そこまで思考を回して不意に気づく。マーガレットの中に植え付けられていた強迫観念。

 ワーズワース伯爵家の者達からの命令は絶対遵守であり、逆らうことは赦されないという思い込み。

 それが着実に薄れている。

 勿論、長年に亘って虐げられてきた経験から、相手を目の前にして拒絶出来るかはマーガレット自身にも分からない。けれどこうして離れている状況ならば――


(……別の人生を、私だけの人生を、歩んでもいいのかもしれない)


 自然とそう思えるようになった。

 それはきっと、ストラウドの屋敷の人々の温かさと……何よりもパーシヴァルのおかげだ。

 誰かに優しくされた経験が七歳で止まってしまっていたマーガレットにとって、彼という存在は依存性のある甘い毒のようですらあった。一度その味を覚えてしまったら、自分からは手放し難い。


(それもこれも、パーシヴァル様がむやみに甘すぎるのがいけないのだと思う)


 マーガレットは理不尽な不満を脳内で微笑むパーシヴァルへとぶつけた。

 相変わらず男女の触れ合いはエスコート程度の最小限だ。唇にキスもしたことがない清い間柄。

 代わりにその手が、表情が、こちらを気遣う姿勢が。マーガレットの渇いた心を潤していく。


 その度に胸の奥が温かくて――でも少し切ない。


 初恋も知らないマーガレットは、その気持ちに名前を付けることが未だに出来ずにいた。否、無意識のうちに自覚しないようにしているという方が正しい。

 そもそもパーシヴァルは妹の夫なのだ。そして自分は彼を騙している最低の人間だ。その事実は変わらないし決して赦されない。分かっている。けれど、どうしても心の奥底では願ってしまうのだ。


(このまま永遠に、時が止まってしまえばいいのに……)


 約束の半年も折り返しを過ぎた。

 だからこんなにも感傷的になっているのかもしれない。

 マーガレットは雑念を払うように大きく頭を横に振ると、改めて机の上に広げた手紙の中の一つを手に取った。


 それはお茶会の招待状であった。差出人はヘイマー公爵夫人。


 国内でも有数の資産を持つヘイマー公爵家と懇意になりたい貴族は後を絶たない。

 幸いにもマーガレットはジュリアとして参加した夜会でヘイマー公爵夫人とは面識があり、自惚れでなければ好意的に接して貰えていたと思う。


 招待状には是非ご夫婦での出席を、と記載されていた。

 開催日は二週間後。


「……奥様? 何かよからぬ手紙でも雑ざっておりましたか?」


 お茶を持ってきてくれたナタリーが心配そうな表情で尋ねてくるのに、マーガレットは笑顔で否定する。


「ううん、光栄なお誘いなのだけれど……参加するにはパーシヴァル様にご同伴を頼まなければならなくて。お忙しいのに申し訳ないわ」

「そんなことありませんわ! 旦那様は常に奥様のおねだりに飢えておりますから、きっと二つ返事で引き受けますわよきっと!」

「あはは……それは流石にないと思うけど……」


 その夜、夕食に合わせて帰宅したパーシヴァルに早速招待の件を話してみれば、


「うん、もちろん構わないよ」


 本当に二つ返事で快諾されてしまった。逆に不安になったマーガレットは「本当によろしいのですか? 無理してないですか?」と思わず確かめてしまう。

 そんなこちらに柔らかく目を細めたパーシヴァルは、


「妻の頼みを聞くのは夫の務めだよ? そもそも君は滅多にお願い事をしてくれないじゃないか。貴重な機会を逃す手はないよ」


 さらりと甘やかすようなことを口にする。


「お仕事は大丈夫なのですか?」

「問題ないよ。今は大きな案件も抱えてないし、新婚を理由にすれば大抵の休みはもぎ取れるから」


 茶化すように言う彼にマーガレットも思わず笑みが零れてしまう。

 誰かと過ごす穏やかな時間。かけがえのない時間。

 そういうものを、マーガレットは十年の時を経てようやく思い出した。思い出させて貰った。

 ならばその恩に報いるためにも自分に出来ることは一つ。


(ヘイマー公爵夫人のお茶会なら、参加される方々も貴族社会では一目置かれる方ばかりの筈……出来るだけ好印象を持たれるように頑張ろう……!)


 マーガレットは戻ったら早速手紙の返事を書こうと意気込むのだった。


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