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その3


 伯爵家の絶対権力者である妹の命令を断れるわけもなく。

 マーガレットは「少し席を外します。すぐ戻りますので」とパーシヴァルに告げて席を立った。

 何か言いたげな顔を向けてくるパーシヴァルに後ろ髪を引かれるものの、今の優先は何はなくとも妹である。

 二人して部屋を出て真っ直ぐジュリアの私室までやって来ると、開口一番に妹が叫んだ。


「ちょっと何をそんなに仲良くなってるのよ! 見せつけてきちゃって感じ悪いったらないわっ!!」


 理不尽極まりない物言いだが、そんなことは最初から承知の上だ。

 それよりも更に彼女の機嫌を損ねる話をしなければならないことに胃を痛めながら、マーガレットはこっそりと手荷物に忍ばせていた物をジュリアへと差し出した。


「……何よこれ?」

「詳細はこちらをご覧いただければと思いますが、単刀直入に申し上げます……パーシヴァル様とは未だに初夜の契りを交わせておりません」


「…………はぁあああぁああ!?!?!?」


 ジュリアは差し出された日記帳には目もくれず、マーガレットに掴みかからんばかりの勢いで詰め寄る。

 瞬間、むわっとキツい薔薇の香りが鼻腔を劈いた。


「信じられない! だってさっきの様子じゃパーシヴァルさまってばジュリア(お姉さま)にメロメロだったじゃないっ!!」

「……ですが事実です。まだ亡くなられた婚約者様のことが忘れられず、今は時間が欲しいと」

「はあ!? お姉さまってばそれ受け入れちゃったわけ!?」

「受け入れるも何も、実際にその……殿方がその気にならなければ初夜は行えませんから」

「そんなの誘惑して一発ヤれば済むことでしょ!? そんなことも分かんないの!?」


 いや分かるわけがない――と、言えたらどんなにスッキリするだろうか。

 過激で品性のない発言を繰り返す自分の姿をした妹を前に大きなため息を吐きたい気持ちをなんとか堪えながら、マーガレットは改めて日記帳をジュリアの前にかざす。


「嫁いでからの詳細はすべてこちらに記してあります。パーシヴァル様からは気持ちの整理に半年ほど欲しいと言われておりますので、これからも定期的に報告をさせていただきつつ、今しばらくのお時間をいただければと……」

「半年!? そんなに時間が掛かるの!?」

「……喪に服すことを考えれば妥当な時間かと存じますが」

「チッ! なんて面倒なのかしら!! これだから遊び慣れてない男はダメなのよ!!」


 激高したジュリアはマーガレットの手から奪うように日記帳を取り上げる。

 そして苛立たしさをぶつけるかの如く投げつけた――マーガレットの右肩目掛けて。

 至近距離だったため避けようもなく鈍い痛みに思わず眉を顰める。それでも声は漏らさず、なんとか妹を宥める言葉を捻り出そうと知恵を絞った。


「――ジュリア様、しかしそれは裏を返せば一途で妻だけを愛する方とも言えるのでは?」

「はぁ!? ……まぁ、そう、かも……?」

「これから数十年を共にされるのですから、この半年は円満な夫婦生活を築くために必要な時間――そうお考えになってはいかがでしょうか?」

「そうね……確かに、さっきの態度を見ても簡単に女に靡くタイプではなさそうだし。結婚するならこういうタイプの方が安心出来るかも……顔も身体も極上なのは見れば分かるし……」


 ブツブツと呟く妹の表情には余裕が戻りつつあった。マーガレットは内心でホッとしながら、今の内に今後の連絡手段などについてすり合わせておこうと口を開きかけたが――


「でも、やっぱり半年間は長いわ!!!」


 その前にジュリアが淑女らしからぬ大声を上げた。そして戸惑うマーガレットの手首をガッチリ掴むと、有無を言わさず歩き出してしまう。

 引っ張られる形となったマーガレットは、しかし振り払うことも出来ず。

 転ばないように付いていくのがやっとの中、ジュリアは再び応接室へと戻ってくると、部屋の前に立つ護衛を目線だけで下がらせノックも無しに勢いよく扉を開けた。

 必然、室内にいたパーシヴァルと伯爵は突然の事態に瞠目する。そこへ、



「――パーシヴァルさま!! さっさとジュリアと初夜を済ませてくださいな!!!」



 ジュリアが高らかに言い放った。背後でそれを耳にしたマーガレットは頭が真っ白になる。

 妹が非常識なのは重々承知していたが、もはやここまで酷いことを平気で行なうとは思ってもみなかった。

 ……いや、正確には違う。今のジュリアは対外的にはマーガレットだ。

 どれほど好き放題やったところで、ジュリアに戻れば所詮は他人事。何の問題もないからこれほどまでに厚顔無恥を晒せるのだ。


(こんな醜態……人として軽蔑されても仕方がないわ……)


 今のマーガレットにパーシヴァルを見る勇気はなかった。

 ただただ俯き、ジュリアという嵐が過ぎ去るのを唇を噛んで耐えるしかない。

 そうして室内が混沌とした空気に包まれる中、動いたのは父であるワーズワース伯爵だった。


「……パーシヴァル殿、マーガレットが大変失礼なことを申しました。……ですが、その、今の娘の発言は事実なのですか?」


 伯爵としては未だに初夜が完遂されていないという話は聞き捨てならなかっただろう。

 事の真偽を確かめようとパーシヴァルに窺うような視線を投げかけた。

 するとパーシヴァルは短く溜息を吐いてから肯定する。


「ええ、その通りです伯爵。私と妻はまだ清い関係のままです」

「そんな……!? 何か娘に問題があると言うのですか!?」

「とんでもない。彼女には何の落ち度もありませんよ。ただ、私の気持ちの整理がつかないだけで」

「……ああ、なるほど。そういうことですか……」


 パーシヴァルの言葉に納得した様子を見せる伯爵だが、そこへ空気を読まないジュリアが口を挟む。


「もうっ! 気持ちの整理なんて身体を交わしてからでも良いでしょう? 半年も待たせるつもりなんて長すぎるわ!」

「……貴女が言うことにも一理あるとは思います。ですが、夫婦のことは私たち二人で決めます」


 きっぱりと言って、パーシヴァルは席を立つと扉の方へと真っ直ぐに向かった。

 その気配を感じて思わず顔を上げれば、困ったように微笑む彼と視線が合う。


「……パーシヴァル様、私は――」

「心配しなくても大丈夫だよ。俺はもう君の味方だから」


 そして妹をやんわりと押しのけながら、彼はマーガレットの手を取った。

 当然、この状況が面白くないのはジュリアである。


「パーシヴァルさまがそんなんじゃ、おね……ジュリアも侯爵家で肩身が狭くなるのではなくて!?」

「ご心配なく。我が屋敷に妻を軽んじるような人間は存在しませんから――伯爵」


 自分の思い通りにならない怒りで顔を赤くするジュリアから視線を外したパーシヴァルは、軽く頭を下げた後で今の場にそぐわないほど柔らかな笑みを浮かべた。


「午後にも予定がありますので、本日はこれで失礼させていただきます」

「……あ、ああ。そうか……それは残念だが仕方がないな」


 穏やかなのに決して反論を赦さないその言葉に気圧されたのか、伯爵はぎこちなく返す。


「ああ、見送りは結構ですので。……さぁ、行こう?」


 最後だけあからさまに優しい声音になったパーシヴァルは、マーガレットの腰に手を回してさっさと歩き出す。後ろから「ちょっと! パーシヴァルさまってば!!」と妹が声を張り上げているが、彼が振り向く気配は一切ない。というか、完全に無視を決め込んでいる。


 流石に伯爵に止められたのか、幸いにも妹は追いかけてはこなかった。

 マーガレットは改めて隣を堂々と歩くパーシヴァルを仰ぎ見る。するとその視線に気づいたのか、パーシヴァルが「何かな?」と目線を合わせながら尋ねてきた。


「……怒らないのですか?」

「怒る? いったい何に?」

「その……夫婦の夜のことを身内とはいえ他人に話したばかりか、それで大変に不快な思いをさせてしまったので……」


 申し訳ございませんでした、とマーガレットは心から謝罪した。そんなこちらに対して、パーシヴァルは非常にバツの悪そうな笑みを向けてくる。


「君が謝る必要はないよ。無礼を働いたのは君じゃなくて彼女の方だから」

「……幻滅、されましたよね」

「うーん……幻滅とまでは言わないけど、正直あまり関わり合いにはなりたくないかなぁ」

「そう、ですよね……」


 温和で寛容なパーシヴァルにしては珍しい明確な拒絶の言葉にマーガレットは泣きたくなる気持ちをグッと堪えながら同意を示す。


(さっきのことでマーガレット(わたし)はパーシヴァル様に嫌われてしまった……けど、むしろ良かったのかもしれない)


 半年後、マーガレットの立場に戻ってパーシヴァルとジュリアを近くで見続けるのはきっと辛い。

 それならば疎遠になった方が心の安寧は保たれる気がする。


「それでも一緒に来たのは正解だったかな。ということで今後はリア一人で実家に戻るの禁止にするから」

「……え?」

「どうしても必要なら俺も一緒に行くから。これは決定事項ってことで――まぁ出来れば二度と来たくないけどね?」

「っ!?」


 パーシヴァルらしからぬ辛らつな発言に思わず目を剥くと、


「君も本当はあまり来たくはないんじゃない?」


 彼は貴族らしからぬ意地の悪い笑みをわざと浮かべて見せる。

 マーガレットは模範的淑女として返すべき言葉を口にしようとして、しかし――


「……うん。本当は私もここが好きじゃないから」


 まるで子供のような口調で、偽らざる本音を音に乗せた。

 パーシヴァルは一瞬だけ驚いたように目を見開いた後、すぐにマーガレットの頭を「よく出来ました」と褒めるような手つきで優しく撫で始める。とても満足気に。


「――さて、嫌なことはさっさと忘れるに限る。ここからは二人だけで思いっきり楽しもう!」

「はい……っ!」


 温かなその手の感触に酔いしれながら、マーガレットは与えられた熱をじんわり噛みしめていた。


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