その4(パーシヴァル視点)
本日3回目の更新となります。前話・前々話未読の方はそちらを先にお読みください。
休暇明けの忙しい日々を凌いで一週間。
それでも以前に比べて格段に帰宅しやすくはなっている仕事状況をよそに。
目下のパーシヴァルの関心は完全に別のところにあった。
「……夜分遅くにすまないな、二人とも」
ほどなく日付が変更されようという深夜帯。
自分の執務室に二人を呼び出したパーシヴァルは机に両肘を乗せながら、両手を口もとで組んだ。
そんな彼の眼前には執事服の男グレアムとメイド服の女ナタリーが姿勢も正しく立っている。
「早速に本題に入ろう。まずはグレアムからだな。嘘偽りなく答えて欲しいんだが……君から見て彼女は……妻は、どうだ?」
「率直に申し上げて――――非の打ち所がありません」
そう口にしたグレアムは、言葉とは裏腹にどこか不満げですらあった。
なんとなくそんな気はしていたパーシヴァルは苦笑しながら「ここには我々三人だけだし、楽に話していいぞ」と先を促す。
パーシヴァルにとって屋敷に長く務める二人は昔馴染みでもあり、気心知れた存在なのだ。普段こそ主従関係はきっちりと線引きしているが、今は本来であれば業務時間外。多少羽目を外しても構わないだろう。
すると「ではお言葉に甘えて」と前置きしてから、グレアムはクワッと目を見開いた。
「いや話には聞いていましたけど、奥様はいったい何者なんですか!? 一度教えたことは完璧に理解するしミスもないし細かい計算も早いし的確! おまけに勉強のためだと過去の屋敷の帳簿を求められたのでお貸ししたら、十数年前の業者の不正らしき形跡を即座に発見してましたよ……ッ!!」
一息に捲し立てた彼に、パーシヴァルは苦笑を返すほかない。何故ならパーシヴァル自身も、彼女のことをまるで分かっていないのだから。
まぁ自ら仕事をくれと申し出てきた辺り、ある程度は予想していたが――
「まさかそれほどとは……」
「私もそれなりに仕事は出来る方だと自負していたんですが……自信失くしそうですよホント」
「……では、割り振った仕事は既にあらかた習得しているのか?」
「はい、それはもう完璧に。……正直これ以上の仕事をお渡しするのは執事としての沽券にかかわるので、奥様にはぜひ別のところに目を向けていただきたいですね」
グレアムは隣で平然と佇むナタリーを見ながら言う。
何か含むところがあるような態度に、ちょうどいいかとパーシヴァルはナタリーへと水を向けた。
「グレアムの話は分かったから今度はナタリーに聞きたい。彼女の様子はどうだ? 使用人達とは上手くやれていると思うが、何か問題視する点は?」
「……大有りですよ、旦那様」
その声は確かな怒気を孕んでいた。
パーシヴァルは勿論、隣のグレアムも驚いた顔でナタリーへと視線を集中させる。こちらについては全く予想がつかないため、パーシヴァルは固唾を呑みながらナタリーに言った。
「遠慮しなくていい、何が問題なんだ? 教えてく――」
「可愛らしすぎるんです」
「「……は?」」
パーシヴァルとグレアムが異口同音で返した瞬間、ナタリーはこれ以上ないほど真剣な表情で拳を固く握りしめ、熱弁を始めた。
「奥様あれ何ですか天使ですか女神ですかめちゃくちゃ可愛いし謙虚だし優しいし照れ屋で気遣い屋だしとにかくめちゃくちゃ可愛いッ! あんなッ!! 妹か娘がッ!!! 欲しかったですッッッ!!!!」
興奮したナタリーの声が執務室に木霊する。寝室から離れた場所で報告させて本当に良かったと自分の判断を内心で褒め讃えながら、パーシヴァルはコホンと咳払いをした後でナタリーに問う。
「それで……いったいそれの何が問題なんだ?」
「時に旦那様、ここ一週間の奥様の収支をご存知でしょうか?」
「え? いや、把握してないけど」
「ゼロです」
「え」
「ゼロなんです。服も、靴も鞄も小物も化粧品その他嗜好品も含めて何一つお買い求めになりません」
それは高位の貴族令嬢としては非常に珍しいことであった。
貴族という生き物はとにかく金が掛かる。特に女性は顕著で、身に纏うものから流行のもの、かと思えば入手困難なアンティークや他国からの輸入品など、お金を使う場には困らない。
「……俺、リアにちゃんと説明したよな。個人予算の事」
不安になってグレアムを仰げば、即座に頷き返される。
「ストラウド侯爵家は領地運営も好調ですし、若自身も筆頭外交官ですので貴族の中でも裕福な部類……奥様は次期侯爵夫人なのですからドレスや貴金属など一流のものを仕立てるのが当然ですし、その為にと奥様に割り当てた個人予算についてもきちんとご説明いたしました」
「私はもとより他のメイドからも再三、侯爵家御用達の商会をお呼びするか、街でショッピングを楽しまれてはどうかと進言したのですが……今は必要ないと仰って」
「今は……か」
パーシヴァルは二人の言葉を咀嚼しながら、妻の姿を思い描く。
現在彼女が身に付けている品などは実家から持ち込んだ物で質もそれなりに高く、数もそれなりに豊富だ。
だからドレスなどを仕立てるのも相応に好きなのかとばかり考えていたが――
(……いや、彼女の性格から考えると、持ち込まれた衣装がそもそも彼女自身の物とは限らない……か)
「せっかく美しいチョコレート色の髪なんですもの! ヘアアレンジするだけでも楽しいですが、やはり新しく侯爵家の次期女主人らしい装いも準備するべきですわ。お手持ちの物は、やはり未婚の令嬢がお召しになるような可愛らしいものばかりですし」
ナタリーが頬に手を当てながら悩ましく零す。やはり、ナタリー達には彼女の姿がパーシヴァルが見ている姿とは別に映っているらしい。彼女がここに来て既に二週間近くが経っている。それだけ長い間、姿を偽れるということの異常性。もはや高位貴族の固有魔法でないと説明が付かないと、パーシヴァルは妻の秘密に凡その見当を付け始めていた。
とそこでグレアムが何かを思い出したらしく、おもむろに口を開いた。
「そう言えば屋敷の内装を調えるのを奥様にお願いしたら、そちらにも難色を示されましたね」
「それは本当か?」
「はい。女主人の最初の仕事と言えば、屋敷の内装を奥様好みに変更されることですので。しかし奥様はしばし考えられた後で確か――」
――今すぐに替えたとしても、もしかしたら半年後には気分が変わってしまうかもしれないから。
グレアムの言葉に、パーシヴァルは無意識のうちに眉根を寄せた。
(半年後というのは果たして偶然だろうか? ……いや、おそらく根拠がある筈だ)
無言になってしまったパーシヴァルに、従者二人は揃って顔を見合わせる。
そのことに気づき、パーシヴァルは思考の海から自らを引き上げた。
そしてグレアムに顔を向けると、別件について切り出す。
「ところで、例の調査の報告書はまだ出来上がらないか?」
「それでしたら本日ちょうど出来上がったところです。お持ちしましょうか?」
「ああ、頼むよ」
「旦那様、調査とは?」
部屋を出るグレアムを見送る傍らで投げ掛けられたナタリーの問いに、パーシヴァルは「大したものではないよ」と笑う。
「リアの家族について少しね。俺はこの婚姻が決まるまでワーズワース伯爵家とはほとんど関りがなかったから」
「なるほど。確か、ご両親の他に一つ年上のお姉様がいらっしゃるとか」
「そうみたいだね。結婚式では体調不良を理由に途中退席していたようだけど」
「あら? では旦那様は直接お会いしたことがないのですか?」
「うん。だから近いうちに改めて挨拶に行こうとも思ってるんだけど――」
ほどなくグレアムが戻ってきて、調査報告書をパーシヴァルに手渡す。
二人の目の前でパラパラと書類をめくって確認したパーシヴァルは、珍しくサファイアの瞳に不快感を宿らせながら呟いた。
「……これは、やはり直接確かめるのが一番早そうだな」
「若?」
「今度の休みにでも少し出掛けてこようと思う」
主人の突然の物言いに首を傾げながらも、グレアムが「どちらに?」と尋ねる。
パーシヴァルは報告書を机に置くと普段よりも低い声で言った。
「――勿論、妻の実家にだよ」
 




