風車小屋のおじいさん
自転車を押すクリスティーネが、小屋の前にたたずむ老人に大きく手を振った。
「……あの人が、クリスティーネの言っていた、やさしくて親切な『風車小屋のおじいさん』?」
あまりやさしそうな人には見えない──と、アンリはその「おじいさん」の容貌に気圧された。
六十過ぎだろうに、真っ直ぐな背筋を誇る老人の姿は、古代神話の雷神・オーディンを思わせるほど厳しい。
しかも左目には眼帯が当てられている──隻眼なのだ。その上、左の頬には引き攣れたような古傷が目立つ。
少なくとも、自分のような気弱な子供は、気安く声を掛けたりできない相手だ。古強者独特の雰囲気を全身にまとわせている。
(なんだか。今読んでいる娯楽小説に出てくる、敵役の荒くれ者みたいだ……)
風車小屋の管理者は、職務上、風を熟知していなければならず、そのほとんどは帆船乗りの過去を持つ。
そして、おのれの勘と運とを羅針盤の針に乗せて、七つの海を走破した帆船時代の生き残りは、大概、気難しくて頑固な年寄りばかりなのである。
クリスティーネが「おじいさん」と慕うこの老人も、どうやら例外ではなく、アンリの姿に気付いても、初対面の挨拶ひとつしようとしない。
さすがにクリスティーネが同行者を紹介したが、「そうかい」と、ひとこと答えただけで、老人はおのれの名前すら名乗らなかった。
(苦手だな、こういう偏屈そうなお年寄りは……)
たとえ自分が祖父に可愛がられて育った「おじいちゃんっ子」であっても、だ。
「そこの、勝手口の前に荷車を停めて」
クリスティーネに命じられるままに荷車を停めた。
小屋の軒下には、ワイン壜や林檎を詰めるような木箱が何十個と積み重ねられている。箱には金網が張られ、中には肉付きの良い丸々と肥えた白ウサギが、一羽ずつ詰め込まれていた。
「……どうして、ウサギまでこんなに大きいんだろう」
聖クラースのおまもり猫も、荷車引きの黒犬も目を見張るほどに巨大だが。木箱の中で青草を食んでいるのは、野ウサギの三倍はあろうかという、赤い目玉の白ウサギである。
なにか、この国の大地には生き物を巨大化させる、特別な魔法でも掛かっているのではなかろうか──アンリはウサギを入れた木箱の前で唖然とした。
「それは肉用の品種だからな。昔からローランドでは、家畜や植物の品種改良が盛んなんだ」
三十キロ入りのトウモロコシ袋を左腕一本で担ぎながら、この品種のオスは十ニ、三キロにまで成長するのだと、ぶっきら棒な口調で「風車小屋のおじいさん」は言う。
「こんなに大きくなるのに、木箱の中で窮屈じゃないのかな?」
狭苦しい集合住宅を俗に「ウサギ小屋」というが、その語源となった木箱が積み重ねられている様子を見て、アンリが心配した。
「ウサギには地面に穴を掘る習性があるから、この辺りでは木箱に入れて飼育するしかないのよ。考えてもごらんなさい。そんな大ウサギに自由に巣穴を掘らせておいたなら、すぐに堤防が決壊して、アウステンダムの街が水没してしまうわ」
笑い話のようだが、話しているクリスティーネ本人は真面目な表情だ。ローランドでは水害ほど恐ろしい災害はないと、子供の頃から刷り込まれているためである。
「それじゃ、わたしはおじいさんにトウモロコシを粉に挽いてもらうから。その間、あなたは自転車の練習をするといいわ」
そういいながら、クリスティーネが荷車牽きの黒犬と、自転車のハンドルとを縄で結びつけた。どうやらエドマンドが練習につきあってくれるのらしい。
「よ、よろしくね、エドマンド」
おっかなびっくりしながら挨拶すると、意外なことにエドマンドは友好的にしっぽを振ってくれた。熊のような巨体のわりに性格はおとなしそうだ。
ためしに頭を撫でてみると、ぺろりと舌を出して、人懐っこく、アンリの手を舐めてくれる。
「この半分でいいから、ゾティも愛想よくなってくれたらな……」
ついでに──エドマンドに見せる半分でいいから、クリスティーネが自分に笑いかけてくれればいいのにと、アンリは、風車小屋の扉を潜る少女の後ろ姿を見送った。




