第1章第5節
「この三年間にいろんな出来事があったことでしょう。授業で学んだこと。部活で苦しかったこと。修学旅行で楽しかったこと。この節目の日に、沢山のことが脳内を駆け巡っていることと思います。どうか何よりも、この三年間で出来た友人との思い出を……」
体育館の壇上から校長が抑揚のない調子で生徒に語り掛けている。
最後のホームルームに遅れて入りクラスメイトと担任教師の顰蹙を買い増しした後で、双畑は大人しく卒業式に参加していた。
三年生と二年生、保護者と先生と来賓が集められた体育館は、大昔のSF映画に出てくる宇宙船じみた形状のジェットヒーターに暖められている。その名にジェットを冠するだけあり、円筒形の暖房器具は熱気だけでなくごうごうと騒音をまき散らしていた。
マイクを使わない校長のこだわりのせいで、壇上から遠いとは言えない双畑の席でぎりぎり聞きとれるという有様だった。
よく聞こえるはずの壇上にいる来賓たち--市長、東北管区副司令官、PTA会長などなど--もつまらなさそうな顔を浮かべているように双畑は思えた。
「相変わらず若人向きの語り口じゃないな。良さそうなこと言ってるのに」
双畑は呟いた。この演説の退屈さを紛らわすために声に出したのだった。
「ね、どの立場なの? 自分事を面白いと思ってるの? カッコいいと思ってるの?」
案の定、隣の席に座る女子が双畑の言葉に反応した。
いたずらっぽい表情と話し方に最適化されたような、丸い目と少し突き出した唇が特徴的だった。隣のクラスの明通ハヤネ。五十音順で定められた座席により、体育館での集会の際に必ず隣になる女子だった。数少ない双畑の友人の一人でもある。
双畑は小声で返事をする。
「おれは悪くない。悪いのは若人の心に響かないスピーチをする校長だ」
「その偉そうなキャラ、大学ではやめた方がいいよ。永遠に友達ができない」
そう言って笑うと、ハヤネは制服のポケットから紙パック飲料を取り出してストローを指す。
「おい、おまえこそだ。卒業式くらいその型破りをやめろ」
「わたしは帰国子女だからいいのだ」
「いいのだ、じゃない。ただの転校生だろうが」
双畑に気安い口調で語りかけるハヤネは、去年の夏に転校してきた。
高校入学直後、無理からぬ理由により自暴自棄になっていた双畑は、誰彼構わず些細な理由で喧嘩を吹っ掛けていた。身体能力に特筆すべきところのない彼はその喧嘩ほぼすべてに負け、それでも喧嘩を続けた。
そして、当然の帰結として友人を作ることに失敗した。周囲から危ないやつだと思われて遠巻きに扱われるようになったのだった。
であるから、このように親しげな会話が成立する同級生は皆無に近かった。彼の友人と呼べる人間は、自分の世界に浸りきったオタクか、人付き合いに無頓着な天才か、稀にいる聖人と言っていいほど人当たりのよい善人に限られる。要は変人たちだった。
なお、その全員が彼の在籍する高校に通っていない。
いまでこそ、双畑は数少ない友人達との付き合いのおかげで理性と常識をすこしは取り戻している。しかし、高校生活のスタートダッシュで悪い印象を周囲に振りまきまくり、関わらない方がいい人間というレッテルが定着した彼に、閉鎖社会である高校で友達がいよう筈もない。
ハヤネは転校生だったので、偏見なしに双畑の友人になれる人間たり得た。
ふたりの出会いは、ハヤネの転校初日に全校集会でたまたま隣に座っていただけの双畑に、彼女から話掛ける、というものだった。
「それ美味しいの?」
ハヤネは言った。双畑は校長の話を無視していちご牛乳を飲んでいた。通常の神経の持ち主であれば、明らかに周囲から浮いている彼に声を掛ける筈はない。
そして、彼に平然と声を掛けたことにより、彼女もまったく友人が出来ないまま卒業の日を迎えている。やはり変人と言っていい。
双畑にとっては信じがたいことに、明通ハヤネは彼よりも学校で浮いているのだった。双畑と中が良いことばかりが理由ではない。大抵の人間が可愛いと評するであろう外見を裏切るような、常識全てを無視する自由な振る舞いを彼女は平然と行うのだった。
「堂々としていればかえってばれないんだよ」
そう言うと、背筋を伸ばしたままハヤネは飲み始めた。
「おい、ササセン来たぞ。ばれてんじゃねぇか」
双畑はハヤネに注意する。よく生徒を叱る世界史教師が近づいて来ていた。
「『恥を知れ!!』は卒業式でまで聞きたくないねぇ」
と、口うるさい教師の決め台詞を真似して、ハヤネはまた笑った。
ハヤネは慌てて飲みかけの紙パックを制服のポケットに収めるが、結局教師に頭をはたかれている。
双畑も同様に叩かれながら「おれは悪くないですよ」と小声で反論した。
小声で「恥を知れ」と言ってから立ち去った教師の背中に、ハヤネは舌を出して反感を表現する。
それを見た双畑は目を回してみせる。
「舌を出したのは可愛いつもりか? 卒業したらそのキャラはやめたほうがいい」
「キラッ☆」
右手の第1、2、5指だけを立てて顔のそばで振りかざした明通は笑顔でそう答える。
「嫌いじゃないが、そんなんじゃ永遠に女友達ができないぞ」
「えー、ほんとーですかー? 困るなー」
「語尾を伸ばすな。声を高くするな。最悪すぎる」
明通は小さくけらけらと笑ってから言った。
「ねぇ、今日こそアドレス交換しない? わたしはマジで友達がいないから」
「いいぜ。おれも友だちを作る才能がないからな、浪人生を励ますメールを送るくらいの暇はあるだろうさ」
「世界おかしいマンが普通に進学するの納得できないんだけど。あと、浪人という言葉を使わないで。これは何かの間違いだから」
「その呼び方が一番嫌だ」
「えー? なんのことですかー?」
「メールが欲しいなら世界おかしいマンをやめろ。最近はそんなこと言ってねぇ」
ついさっき言ったばかりのような気もするが。そう思いながら双畑は続けた。
「なあ、明通……」
「ん?」
「集会だけの付き合いとは言え、寂しくなるな」
ある種のハレの日である卒業式においてもいつもどおり表情をころころと変えぺらぺら喋るハヤネを見て、双畑は普段言わない心の内を表現したくなってしまったのだった。
これほど気安く会話しているというのに。双畑は思った。月1回の全校集会と不定期の学年集会以外でこいつと話したことはなかったな。意外だ。しかし、だからこそ明通ハヤネは友人と分類していいのかも知れない。
それに、こいつほどふざけた女でも、今日なら真面目な反応が返ってくるかも。
「もしかして口説いてる? 卒業式で? センス悪すぎ。そういう真っ直ぐな台詞を衒いもなく言うところは好きだけどね。もう少しイケメンだったら惚れてた可能性は否定しないけど」
明通はあっさりと受け流した。
「……これまでの友情に免じてその放言を許してやる」
自分の気の迷いを恨みながら双畑は返事をした。
明通は再びけらけらと笑うと紙パックを再び取り出す。
双畑はいちご牛乳を美味しそうに飲む彼女を横目で見ながら、ついさっき得体の知れない少女に同じものを譲ったことをふと思い出した。
屋上で会ったあの少女を。年相応に怒ったり笑ったりする合間に、不自然に冷たい目をした少女のことを。
少女が飛び降り自殺を目論んだ、そう感じたのは勘違いだったのかも知れない。その証拠に、話している間は普通の中学生女子という印象を受けた。
しかし、彼との会話を終えて脇を通り過ぎる少女の顔には、人生に希望を持てないもの特有の表情が戻っていた。双畑は他人の感情に無頓着な性質ではあったが、その顔だけは見逃すことは出来なかった。彼が自暴自棄になっていた頃に浮かべていたのと同じ表情だけは。
「課せられた義務と人生の釣り合いについて、大きな不満を覚えるようになったんです」
少女がそういったことを双畑は思い出す。何と何の釣り合いだと?
「ねぇ」いったいどんな経験をすれば、中学生があんな言葉を言うようになるのだろうか。「ちょっと」 あんな思いつめた表情をするのだろうか。
「おいコラ」
物思いにふけっている双畑をハヤネが肘で小突く。
「おん?」
「双畑理一!」
担任が名前を呼ぶ声がした。これは苛ついているときの声だ。双畑は気づく。卒業証書を貰う番が来たらしい。いいだろう、最後くらいはしっかりやってもいい。逆に面白いかも知れない。
「はい!」と大声で答えて立ち上がろうとして--
頭痛が双畑を襲う。彼は視る。
【すべてが青に染まっている。大きく振られている自分の手。照明が落ちてくる。参列者が走って逃げる姿。屋根が崩れる。同時に何かが一直線に、目にも留まらぬ速さで飛び込んでくる。大きな穴が天井に空いている。その穴からは直視できない程が明るい光が差し込んでいる。落ちてくる何かは人の姿をしている。白いセーラー服を着た少女。見覚えがある制服。落ちてきた少女が体育館の床にめり込んでヒビが入り、屋根を構成していた建材が後を追うように落ちてくる】
未来が双畑の脳に一瞬で流れ込んで来た。痛みが彼の脳を襲い、急速に消えていく。
彼は我に返った。今の光景はなんだ。それに、落ちてきた少女は。いや、それどころじゃない。今のが正しいのならば。
いや、必ずそのとおりになる。
「上を見ろ!!」
考えがまとまらないまま、双畑は叫んだ。思わず手を振りかざした。
「逃げるんだ!!」
周囲の視線が双畑に集まった。怪訝そうな顔をしたものが大半だが、叫んでいるのが誰か気が付いた者は呆れた顔をしている。あの問題児か、そういう表情だった。
「誰あいつ」「正気かよ」「世界おかしいマンじゃん」「知ってる?」「やらかしそうなやつではある」「超ウケる」周囲がざわめくのが分かった。壁際に座って控えている教師たちが立ち上がるのが双畑の目の端に映る。
先ほど双畑とハヤネの頭を叩いた教師が走り出している。
「おい双畑!恥を……」
世界史教師が叱りかかる途中で、ゴォオンと天井から大きな物音が響く。
頭上からの衝撃が体育館全体に走った。
参列者が天井を見上げた。天井には一目で分かる程の大きなひびが入っている。
轟音が立て続けに数回鳴る。その度に天井が内側にひしゃげる。体育館中から悲鳴が上がった。異音の発生源の真下に座っている生徒たちが、椅子を蹴とばすようにして逃げ出した。
双畑は天井を見続けている。
「もっとだ!もっと距離を取れ!!」
一日に二度これを視たのは初めてじゃないか。叫び続けながら彼は思った。屋上を出てから1時間しか経っていない。いつもより頭痛が酷かった気がした。立て続けに視るとこうなるのか。いったい何だってんだよ。
もう一度轟音が響く。悲鳴が一層大きくあがった。照明がぐらつく。
「落ちてくるぞ!!」
くそっ。朝からワケが分からないことばかり起きやがる。天井が崩れて人の様に見える何かが体育館の床目掛けて突っ込んでくるのを視界に収めながら、双畑は心中で罵った。




