第1章第4節
〈超常現象〉
30年ほど前まで、超能力や霊能力、心霊現象など、科学では説明不可能ないかがわしい物事を表していたこの言葉は、シドニー消失を境に現実に存在する現象を指す言葉となった。
豪州最大の都市を中心として500万人が一晩で消えたこの事件の原因を解明すべく、他国に科学者を派遣可能な国力を持つすべての国家が調査に乗り出した。しかし30年が経過した今になってもなお、現在に至るまで原因は判明していない。
当時、シドニー消失事件を説明する現実的な仮説がいくつか提示されたが、それらは現実的な仮説であるがゆえに簡単な事実によって否定された。
隕石説。
シドニー湾は旧シドニーを中心に半径200㎞の半円を成している。このような地形を瞬時に生み出せるような現象は隕石の衝突しかありえない。
当然この説はすぐに否定された。
地球上のクレーター径は隕石の直径の約10倍となるから、この場合隕石の直径は40㎞ということになる。
こんな規模の隕石を世界各地の天文台が見逃すわけがなかったし、仮にこのサイズの隕石が地球に衝突していた場合、今日までに地球上の生物はほとんど絶滅しているはずだった。
恐竜絶滅の原因とされているチクシュルーブ隕石は直径10~15㎞という意見が主流であることを踏まえれば、この説の荒唐無稽さが分かる。
核ミサイル説。
この説は未だに世界中の陰謀論者から愛され続けているが、こちらも荒唐無稽という点では似たり寄ったりだった。当時地球上に存在する核ミサイルをすべてシドニーで爆発させたところで半径200㎞のクレーターは建設不能だった。
いや、一発ずつ海岸線を広げるように核ミサイルを落とせば可能なのかもしれない。しかし、この人類史上最悪の兵器は人や都市を破壊するため、あるいは他国を威すために利用されるものであって、意味不明な土木工事のために使われるべきものではなかった。
世界情勢を見ても核兵器の使用はありえなかった。
20世紀最後の10年間に突入した当時の国家指導者たちには、核ミサイルを使べき理由など存在しなかったのだ。当初はもちろん、世界の覇権を争ってきた2つの超大国のどちらかの陰謀だと騒がれた。
しかしながら、世界最大のクレーターが生まれた国家が所属する陣営に敵対する超大国は、崩壊しつつある帝国の維持に精一杯であることが世界中に知れ渡っていたし、維持にも失敗しつつある最中だった。これまで一度も帝国の支配領域に入ったことにない地域になど、手を出す余裕はどこにもなかった。
もう片方の超大国の場合はさらに簡単に説明できる。
世界中で好き放題暴れる性質を持つという点では崩壊しつつある超大国と大差はなかったものの、もう少し待つだけで世界のすべてが手に入るというのに、わざわざ同盟国相手に面倒ごとを起こす理由はなかった。
もちろん、存在しない裏まで読むことに長けた陰謀論者たちは2つの超大国の陰謀を疑い続けたが、核兵器の残り香たる放射能が観測できないことが、事件後すぐに明らかにった。
調査が進展しないうちに、第二第三の大規模災害が起きるようになった。大規模な地震、津波、台風。未知の疫病、突如発狂する人間の増加。都市に空く大穴、未確認生物の発生、原因不明の発光現象。
かくして〈超常現象〉は現実世界の仲間入りを果たした。
他の仮説は、隕石説・核ミサイル説以上に荒唐無稽なものしかなかったからだ。これまでの科学では説明できないこれらの現象を総称して、いつしか〈超常現象〉と呼ぶようになった。
シドニー消失事件以降、全世界で年間100万人以上が超常現象を原因とする災害で死亡しているとされている。
人類は新世紀を前にして新しいルールで生きることを余儀なくされた。
そして30年が経った。
地球に住まう人々は、平和と破滅の間を綱渡りを続ける日常を当たり前のものとして受け止めるようになった。
双畑の暮らす世界の状況とはこのようなものである。
誰もが自然なものとして受け入れている現実すべてに対し、彼は違和感を覚えている。
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