第1章第3節
双畑が初めてこの未来視の力に出遭ったのは、高校合格祝いの家族旅行で訪れたこの国の首都でのことだ。正確には、首都にあるどこぞの病院、その個室でのことだった。
彼は、大抵の人が羨むであろう環境で育った。
裕福でこそないが両親からの愛が不足することだけはない、そういう類の家庭だった。また、両親は一人息子の教育への出費も惜しまなかった。
少々短気で調子に乗りがちという生まれつきの欠点はあったが、両親の期待に応えるように双畑は真っすぐに成長した。
3年前の春、進学校への合格を決めて得意の絶頂にあった中学生の双畑は、滅多に遠出をしない両親に家族旅行をせがんだ。
「せっかく良い高校に合格したんだから、でっかいご褒美があってもいいんじゃないか? このままいい大学に入って、いい会社に入って、おれが楽をさせてやるのは確定だ。家族みんなで祝うべきだろ。代金は出世払いで頼む。なぁ、いいだろ?」
結論から言えば、そのようなことを言い出すべきではなかった。
その旅行中だった。
双畑が目を覚ますとベッドに横たわっている自分に気が付いた。全身の感覚がぼんやりとしていた。記憶が途切れていた。
家族旅行の3日目、赤くて大きな提灯で有名な歴史ある寺院を両親と一緒に訪れた。そのはずだった。記憶と目の前の光景が繋がらずに、強い困惑を感じたことを彼は覚えている。
殺風景な個室だった。視線を大きな窓に向けると、彼の住まう国で最も高い建造物である赤い電波塔が小さく見えていた。飛行船がゆっくりと電波塔を横切っていくのを眺めていた。
突如、今まで感じたことがないほどの頭痛が双畑を襲った。
視界から青以外の色が失われた。スーツを着た男性が部屋に入ってきた。テレビに近寄って電源を入れた。ベッド脇の机に鞄から取り出した書類を並べた。頭痛に耐えきれなくなり叫びだす寸前、視界に色が戻ってきた。頭痛は徐々に収まっていった。
今起きたことを理解できずに呆然とした双畑がふと窓に視線を向けると、飛行船が電波塔を横切って行くのが視えた。時が巻き戻されたのかと、彼は思った。
そしてその直後、視たとおりにスーツの男が入ってきた。はじめまして双畑理一君。わたしは内務省から来た者だ。今回君が巻き込まれた事件について説明するから、覚えていることを教えて欲しい。そう言いながらその官僚はテレビの電源を入れ、机の上に書類を並べ始めた。入り口からテレビまでの歩数も、鞄から書類を取り出す途中で数枚を床に落とすところも、完全に視たとおりだった。
双畑は始終言葉を発さなかった。自分の置かれた状況、そして目の前の出来事を飲み込めずだただ混乱していた。何も考えることが出来なかったのだった。
沈黙する双畑に向かって官僚は淡々と説明した。双畑が〈超常現象〉に巻き込まれたこと。3日間寝たきりだったこと。彼と両親が訪れていた寺院を中心に半径1㎞が焦土と化したこと。最低でも10万人の死傷者が出たこと。
双畑は、混乱のあまり官僚の顔をぼんやりと見ることしか出来なかった。官僚は説明を打ち切ると、一切の反応を見せない双畑を見つめる。案じるような表情を浮かべて言った。生存者は双畑理一君、きみ一人だけなんだ。外傷がないのも不可解だ。超対法があるからね。申し訳ないとは思うが、色々聞かせて貰う必要があるんだよ。
あれこれと官僚が話すのを聞き流した後、双畑は言われるがままに目の前の書類に署名した。〈超常現象〉の被害届、遺族年金受給届、相続書類、孤児寮入居届エトセトラエトセトラ。
官僚から無数の質問を受けたが、答えられたのは一つだけだった。
「何か覚えていることはあるかな?」
「生きろ。両親はそう言っていました」
炎が支配する境内で、双畑を守るために覆いかぶさった両親は最期にそう言った。覚えていたのはこれだけだった。心因性の記憶障害だろうね。その日の午後、彼を診た医者はあっさりとそう言った。
なにひとつ現実を受け止めきれないまま彼の日常はすべて失われ、代わりに得体のしれない未来視の力を得た。
優しく厳しい両親のもと、真っすぐに育ってきたことだけが個性らしい個性だった凡庸な少年にとって、性格が歪むには十分すぎる出来事だった。
その日以来、双畑はこの力を持て余しながら生きてきた。単純に視るとか視たとかそのように呼んでいた。何故視えるのか分からない。どのような条件で発現するのかも分からない。
しかし、青に染まったその光景を視た直後に、その光景がそのまま現実になることだけは確かだった。
紙パックがずずっと音を立てて、中身がなくなったことを彼に教えた。
双畑は記憶の海から引き戻された。ちくしょう。しばらくぶりに視たものだから、嫌なことを思い出してしまった。いつの間に飲み干したんだ。全然味わった気がしないじゃないか。
「おーい」
少女が手を双畑の顔の前で振りながら声を掛けた。勢いよくまくし立てたかと思えば、いきなり黙り込んだ彼のことを不審がったのだった。
確かに、おれが視たのは少女が塀の上に立つところまでだった。双畑はもう一度視た内容を振り返った。
もちろん、ただ単に、個の美少女が高いところを好きなだけという説もあるな。自分でまったく信じられない仮説に薄ら笑いを浮かべながら視線を前に戻した。
少女を無視して、彼は自分の考えをまとめにかかる。
だが、おれが声を掛けなければ飛び降りていたような気がしてならない。この美少女、中学生ぐらいに見えるが受け答えがまったく子供らしくない。
それに、あの思いつめたような顔。覚えがある。3年前、〈超常現象〉に巻き込まれてからしばらくの間、鏡に映る自分がああいう顔をしていた。
「いいから話してみろよ。話さないでも、楽になれるかもしれないが」
塀を乗り越えるジェスチャーをする。
「その前にやれることはあるはずだぜ。それに」
双畑は続ける。許せないことが彼にはあった。どんな不幸が起きたとしても、世界に絶望を感じていたとしても。そして、その絶望に正当な理由があったとしても。死を前にした人間の願いより正しいことが存在してたまるか。ならば、おれがすべきことは決まっている。
「せっかく生きているのに、誰かから望まれた人生のはずなのに」
双畑は、真っすぐ少女の目を見て言った。
「何があったか知らないが、自ら人生を放棄するやつは許せない。きみの自殺は止めさせてもらう」
少女の目は大きく見開かれている。呆気にとられたという言葉を顔で表現するならこれ以上はないのではないか。双畑はそう思いつつ続けた。
「悪いのは世界だ。お前は悪くない。〈超常現象〉のせいで世界には不幸が溢れている!! そんな気分になるのもしょうがない!!」
「だが!! 人は変われる! 友達をつくれ! 日常に楽しみを見つけろ!! いいか、おれはこうやって立ち直った。これが先輩からの助言だ」
今度は少女が言葉を失う番だった。その顔からは攻撃的な表情が消え去っている。驚いた顔を浮かべている。
と、少女はいきなり腹を抱えて笑い始めた。
「これほど熱くてわけのわからない台詞を聞くのは初めてです。本当に驚きました」
数秒間笑い続けたあと、そう言って少女は微笑んだ。
「……笑うなよ」
双畑は顔をしかめながら答えた。自分が思い込みのままに恥ずかしいことを言ってしまったのではないか。印象ががらりと変わった少女を見てそう思ったのだった。先程までの冷たさは消えていてる。
「おい、ちゃんと話してもらうぞ」
だが、今更引き下がれない。そう思いながら双畑は尋ねた。
「わかりました先輩。理解を超えた先輩のお節介から早めに開放されたいので、話してあげましょう。わたしには用事がありますからね、先輩」
少女はため息をつくと、面倒臭そうな、それでいて面白がるような声で言った。
「先輩を何度も重ねるんじゃない。かえって敬意がないぜ、それは」
「偉そうな態度を取りますね……」
少女は一呼吸置いてから話し始める。
「課せられた義務と人生の釣り合いについて、大きな不満を覚えるようになったんです。わたしが死にたいと思うとしたら、終わりにしたいと思うとしたら、そういう感じでしょうかね」
「要約が過ぎるんじゃないか」
双畑は答えた。少女が何を言っているのかさっぱり分からなかった。
「職業病ですよ。あるいは、成長したということかも」
少女はからかうように笑った。
「職業病。中学生がいったい何を」
甲高い警報音が鳴り響いた。
少女は制服の内ポケットから携帯端末を取り出すと通知を見た。その顔からは笑顔が消え去っている。張り詰めたような、冷たい表情が完全に戻っている。
「どうした」
「仕事です」
携帯端末を操作しながら少女は答える。
「久々に人とまともに話しました。結構楽しかったですよ。あんな恥ずかしいセリフなかなか聞けるものではありませんからね」
そう続けてから少女は双畑に視線を戻す。一瞬表情がなくなったことが嘘だったかのように笑顔が戻っていた。
「ともかく、自殺する気はありませんから。心配無用です。ああ、地表には階段で降りることにします。それでいいんでしょう?」
双畑の脇を通り過ぎて鉄扉に向かう。
「なあ」
歩み去る少女に双畑は声を掛ける。ずっと左手に持っていたもう一つの紙パックを少女に投げ渡す。
「話を聞いてくれた礼だ」
「いらないですよ。甘い飲み物は苦手なんです」
少女は危うげなく紙パックを片手で受け取って答えた。
「パッケージに反して結構渋い味がするぜ」
「……ありがとうございます」
少女は鉄扉の向こうに姿を消した。
「なんだあいつ」
鉄扉の向こうに消えていく少女のポニーテールを無言で見送りながら双畑は呟いた。
彼の上に再び影が落ちる。
この街の上空には複数の飛行船が飛び回っているのだった。気嚢には、大きな湾に面して立てられた記念碑に向かって花を手向ける年配の男女が何人も映っている。アナウンサーの落ち着いた声が空から降り注ぐ。シドニー消失から30年の節目でしたが、〈超常現象〉の多発のため豪州東部に戒厳令が敷かれる中、小規模な式典となりました。近年、大規模な〈超常現象〉が世界中で頻発しており、この不来方市でも先週小規模な--
いつでもどこでも〈超常現象〉だ。飛行船を睨みながら双畑は思った。
飛行船が高校から遠ざかっていく。気嚢に映る報道内容はこの街の警備状況に変わっていた。街角に配備された戦車と強化服を着こんだ機動隊が検問にあたる姿が映っている。
「だから、〈超常現象〉ってなんなんだよ……」
飛行船の遥か上空を華巻基地所属のF-23の大編隊が飛ぶ姿が小さく見える。F-23はステルス性能を追い求めた最新機であったが、肉眼で見えにくいというわけではないことを双畑はワイドショーで知っていた。
三角の翼が目立つあの最新鋭戦闘機達は北に向かう。
この街の北に位置する三澤と新千歳の第2航空団、豊原の第13航空団との合同洋上演習に向かうことは誰もが知っていた。近年シベリアの資源輸出により経済力を急回復させつつある極東ソ連に対する示威行動として、2ヶ月に1回実施されている恒例行事なのだった。
「この世界はおかしい」
空を睨み続けていた双畑は吐き捨てるようそうに言うと、卒業式に参加すべく歩き出す。
もちろん、自分自身の未来視が一番おかしくて理解できないと思っている。しかし、何がおかしいのかは分からない。彼は未来視の力を誰にも話していない。ただでさえ周囲から浮いているのに、更に浮きたくはないのだった。
それに、こんな不自然な力を得ていることが公になれば、自分の身に何が起こるか知れたものではない。
双畑にはやるべきことがあった。両親にもらったこの命をまっとうしなければならないと信じている。
しかし当然、何をすべきかは分かっていない。
彼は不幸な過去を持っていることだけが特徴の、平凡な高校生に過ぎないのだった。
少女は階段を勢いよく駆け降りる。生徒の姿はない。すでにホームルームの時間になっているのだった。
「ああいう人もいるんだ」
少女は呟いた。屋上で出遭った少年との会話を思い出す。本当に不思議な人。心から笑ったのは生まれて初めてかもしれない。どう生きてきたらあんなに恥ずかしいことを言えるんだろう。後で調べてみようかな。
走りながら紙パックにストローを指す。
「プレゼントを貰ったのも初めてかもしれない」
そう呟いてからいちご牛乳を飲んだ。双畑の説明とは真逆だった。
「めちゃくちゃ甘いじゃん」
少女は思わず声をあげて笑った。
駆け下りながら飲み干して紙パックを握りつぶす。
ぐしゃぐしゃになったそれを廊下のゴミ箱を投げ込むと、少女は昇降口から外に飛び出した。
その顔に笑顔はない。任務遂行に感情は不純物となる。彼女はそう信じている。
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