第1章第22節
「もういいよ」
ルリがそう言うのを双畑は聞いた。
先程までの浮遊感はいつしか消え去っていて、足はしっかりと地面を掴んでいる。
強くつぶっていた目を開いた。
遠くには鋭角な頂きが目立つ山々の連なりが青空に浮かび上がっている。
眼下には市街が広がっていた。明度の低い低層住宅の合間に、高層ビルを建築中と思しき赤と白のタワークレーンが目立つ。
双畑の故郷、その光景だった。
彼の故郷--不来方市--は、本州北東の内陸部、東西を北神山地と尾羽々山脈に挟まれた盆地の過半を占めている。
市街に向けて北神山地から張り出した離れ小山。その頂上にある寂れた展望台にふたりは立っているのだった。
彼は何度かここに来たことがある。
「戻ってきた……んだな……」
感慨を込めて双畑は呟いた。
あれほど違和感を覚えていた筈の世界なのに、異世界から帰ってきた後だと何もかも正常に、懐かしく感じる。少し、面白くすらあった。
気持ちの良い風が吹き抜けた。
望台を囲む木々は青々と茂っていて、今が初夏であることを告げている。
盆地であるために夏も冬もそれなりの不快さを住人に与えずにはいられないこの街において、もっとも過ごしやすい季節と言っていい。
この地域は、古くは産金によって栄え、近世においては北上盆地を貫流する大河を利用した舟運によって発展してきた過去を持つ。
この島国の歴史的人口重心から離れいるにしては、それなりに歴史と伝統を持った街と言っていい。
そして、二つ目の大戦のあとで有力な企業を生み出せなかった地域のほとんどがそうであったように、この街も首都圏への人口流出により緩やかな衰退を続けていた。
その歴史の流れを〈超常現象〉が変えた。
〈シドニー消失現象〉から数年経ち、〈超常現象〉を現実のものとして受けれることにしたこの国の官僚たちは、首都機能分散政策を立案するにあたり頭を抱えた。
国家機能の分散は急務だった。大都市が一夜にして消滅するような世界において一極集中はありえない。
しかし、どこに。
関東では首都に近すぎる。関西には既に省庁移転を進める計画があった。もうひとつ必要だ。
国土交通省のある平課員が気がついた。
帝都とのアクセスが悪くない位置に、それなりに大きな平地があった筈だぞ。。
華巻空港の土地収用問題もかなり楽に--当然のように現地農民の反対はあったが、他の地方ほどではなかった--処理できたこともプラスに働いた。
あれこれいじるのに最適じゃないか。
かくして官僚達は高度経済成長を演出した諸先輩の手法を強引に再現し、第三の首都と言えるほどの都市をこの北神盆地に作り上げた。
双畑とルリが降り立ったこの時点において、不来方市を中心とした地域の人口は400万を超えている。30年前の10倍以だった。
そして、北神盆地はこの国のGDPの一割強を担うまでに成長している。
政府による首都機能分散政策と研究開発特区化がもたらした高所得層の大量流入、そして、〈超常現象〉頻発地域における生産を嫌った諸外国企業が投資を進めたことがこれほどの発展を実現させたのだった。
双畑が違和感を覚え続けてきた光景、そして今、郷愁を味わっている光景とはそのようなものだった。
「よーし!やるか!」
つい昨日まで暮らしていたはずの街並みを見て双畑は宣言した。
明るい熱を持った何かが体中に充満するような感覚を味わっている。
「なあ」
と、横にいるはずのルリの方を向き、言葉を続けようとした。
これからよろしくな。足手まといかもしれないけど精一杯頑張るからさ--
が、ヒロインの姿は影も形もない。
「あれ?」
背後、遠くから彼女が叫ぶ声が聞こえた。
「満足したー? わたしはやることがあるからー! 協力者からの情報収集よろしくねー!」
ルリは展望台の裏手にある広場に停められていた原付に跨っていた。
その二輪車は、この世界の乗り物が発しそうにない高周波を静かに発している。
彼女がグリップを手前にひねると一際大きな音が響き、原付が数メートル浮かび上がった。
見かけは普通の原付にしか見えないが、あれもスピナーとか言うやつか。双畑は思い出す。
体育館から逃げ出すときに乗り込んだ軽自動車をのことを。もちろん勢いよく墜落したことも。
「君はこれで移動してねー!」
ルリは足元を指さした。
原付が浮かび上がるまでは陰になっていた場所、彼女の指が示す先には、塗装の禿げた冴えない見かけの2輪の乗り物ががあった。
「自転車? いやいや、ちょっと! おれ一人!? 誰と会うのかも聞いてないぞ! それに転移する前のことを色々聞かせろ!!」
「じゃ! よろしくー!!」
我に返ってそう叫んだ双畑を置いてルリは飛び去って行った。
「お前の王冠…… あと未来人って何……?」
おれみたいな素人に一人で行動させていいのかよ。原付が飛び去った方角を眺めながら双畑は思った。
あの少女、随分変わったと思ったが、ひとの話を聞かないところはそのままらしい。
それに、何だこのママチャリは。錆びてんじゃねぇかよ。
「ま、墜落はもう勘弁……」
双畑はそう呟くと古びた自転車に跨り、きこきこ不快な音を立てるクランクを回転させて山を降り始めた。




