第1章第10節
この世のものではあり得ない一騎打ちが、再び始まった。
少女は瞬きの間に炎の鎧との距離を詰め、裂帛の気合とともに刀を斬り上げる。素早い足捌きに乗って、斬撃が縦横無尽に襲いかかる。
少女の持つ刀は、その銘を『天羽々矢』といった。その名前自体は、少女がこの地球のこの国に派遣されることが決まった際、所属する組織が洒落でつけたものだった。
意志を世界に押し付けて物理法則を捻じ曲げる魔の力、それを否定する。
科学文明の意地が作り上げた対魔技術を、刀という小さい依代に纏め上げた。一から五次元までを束ねて断つことで魔法が存在する余地を失わせる。それが少女の持つ武器の正体だった。虹は、空気中に漂う魔素が砕ける際に発する光だった。
その斬撃はすべての魔法を切り裂く。その筈だった。
松館は静かに斬撃を受け続けている。先程まで避けていた斬撃をすべて無視し、ただ立っているだけだった。刀が炎の鎧に幾度も突き立つ。虹が幾度も輝いた。
少女は懸命に斬り続ける。しかし、全て弾き返されている。
攻撃は無駄だ。そう見せつけるかのように松館は身じろぎひとつしない。炎は斬撃で削られる度に回復している。この鎧は、〈瞬燃〉の残存魔力がすべて注ぎ込まれているのだった。
一秒、二秒、三秒。その間に無数の斬撃が彼に畳み込まれる。
四秒、五秒。松館は静かに攻撃を受け続けている。
九秒、十秒。
そして遂に、松館は動き始めた。
「通じないと言ッた!」
彼は吠え、拳を振るった。少女は刀で受けるがあっけなく吹き飛ぶ。双畑の目の前を少女が舞った。
まだ余力があるのだろう、見事な受け身をとった少女は刀を杖にして立ち上がり、裂帛の気合を上げる。再度松館に向けて駆ける。
しかし勝負の流れは松館にあった。彼は防御を一切考慮しない無造作な動きで淡々と歩み、燃え上がる拳を突き出すだけだった。
先程までの均衡は欠片もない。果敢に繰り出される少女の攻撃はすべて跳ね返されている。男の少ない攻撃はその度に少女を遠くに突き放した。
最早相手にはならない。そう教えるかのようだった。
蹂躙。ひたすらの蹂躙だった。
「なんだよ、これ……」
双畑は様相が一変した戦い眺めながら呟いた。
松館と名乗った男が炎の鎧を纏う前は、若干優勢なのではと思わせる戦いであった。しかし今はどうだ。少女は何も出来ていない。攻め寄せる度に吹き飛ばされる。その繰り返しだった。
この時代のこの国に生きるほとんどすべての人間がそうであるように、双畑も命を懸けた戦いを見るのは初めてだった。死ぬと分かっていて戦うことの意味を理解できなかった。
しかし、その凄みに圧倒されながらも彼は迷っていた。何か、自分にはすべきことがあるのではないか。ただ立っているだけではいけないのではないかと。
彼は、両親が死んでからずっとそう思って生きて来た。悩み、もがきなら、自分がすべき何かを探していたのだった。
自分なりに、未来視や〈超常現象〉について調べてみたのだ。高校生活三年間全てを掛けた。図書館の本を虱潰しにし、ネットの怪しげな噂を読み漁った。
努力は何の身も結ばなかった。調査の過程で勝手に身についた知識--数学、物理、語学、歴史等--のおかげで、そこそこいい大学に進学できたことだけがせめてもの救いだったが、何の達成感も覚えることは出来なかった。
彼の進学する大学も、〈超常現象〉に関する国内第一人者とされる教授がいるからという理由で選んでいたが、その教授はここ数年間、新規性のある論文を発表していない。もっとも、研究の停滞は全世界的に生じている。
彼が求める答えに迫る道は、高校生活三年間では見つからなかった。そもそも存在しないのかも知れなかった。
しかし今、その答えが、道が、何かが、目の前に転がっているような気がしていた。目の前で繰り広げられる戦いの中に、その何かを見つけた気がしたのだった。
双畑は選択を迫られている。
「選ぶのはあなたです」
と少女は言った。
逃げ出したいと思う。それともこの戦いに割って入るべきか。そうしたとして意味はあるのか。どの道を選んでも何も変わらいかもしれない。
迷う気持ちは強い。
屋上で出会った自殺志願の少女と体育館で出会った燃え上がる男。ワケの分からないことを一方的に言い、自分を選べと無理やり押し付けてきたのは同じだったから。どちらを選ぶべきか。逃げるべきか。他の何かがあるのか。
再度、双畑の目の前で少女が吹き飛ばされる。
松館は、少女の方へ余裕すら感じさせる調子で歩み進める。
双畑は見た。受け身を取れないほど消耗してもなお、刀を杖にして立ち上がり的に他向かおうとする少女を。何度目か分からないほど宙を舞っても、決して諦めずに立ち向かおうとする少女を。
思い出す。屋上で口論した冷たい表情を浮かべた少女を。彼を屍鬼から守りながら舞うように戦った少女を。雪に降られながら生きたいと泣き叫んだ少女を。
寂しそうに笑い、強がっているのが透けて見える声で逃げる選択肢をくれた彼女を。
その泣きそうな、昔の自分を思わせるような表情をした少女に絆されたのかもしれない。もしくは、炎の男が発する陽気な調子に耐え難いものを感じたのかもしれない。
理由は彼自身にも分からない。
しかし、彼は選択した。
「煙幕だ!」
双畑は叫び、走って少女に近寄り抱きしめた。
「は、え?」
少女は困惑して上ずった声を上げた。
女子と手をつないだこともない彼にとり本来ならば実行できない行動だったが、双畑は気付いていない。こうすればこの炎男は攻撃できないんだろう。そう思っている。
そして彼の考えたとおり、双畑のいきなりの行動に驚いた松館は足を止めた。
「いいから早く!」
「え、はい!」
少女は戸惑ったままが故に素直に答え、双畑の言うとおり神社から逃げ出す際に発動させた煙幕を刀から発動させた。
石垣に囲まれた公園全体が虹混じりの煙に覆われる。光と音が、この場から一挙に失われた。
「こんなもの時間稼ぎにしかなりません。説明してください。私はあなただけでも救おうと!」
我に返った少女は怒るように言った。
二人の周囲には、軽自動車が墜落した境内で双畑の周囲に張られたのと同じ円形のバリアが張られていて、感覚減衰場を遠ざけている。
「時間がない。黙って聞け」
説明不足をこの少女に説かれたくはない。そう思いながら双畑は返事をする。
「それより、戦い続けているからには勝つ算段があるんだろうな。あってくれ」
「全力を出せば一度だけ。ですが〈瞬燃〉がどこに居るか……」
失敗すれば戦い続けることはできない。言外に少女はそう言っていた。
しかし双畑は無視して続ける。
「一度で十分だ。おれが合図したら、そのとおりの方向に全力で刀を振れ。いいな」
少女は双畑の指示を聞き、刀を左腰に佩いた鞘に収め腰を低くした。
居合斬りの準備姿勢だった。双畑に知る術はないが苦虫を噛み潰すような表情を浮かべている。
少女は双畑の言うとおりにすることにした。諦めたのかもしれないし、双畑を信じることにしたのかもしれなかった。これまで間抜けな声ばかり上げてきた双畑の真剣な声に感化されたのかもしれない。
いずれにせよ、煙幕の効果が切れれば嬲り殺しになることだけは確かだと少女は分かっている。ならば、突如として自信ありげに吠えた双畑を信じるほかに道はなかった。合理性と祈りの融合した判断だった。
少女は覚悟を決めた。
「背中にいてください。邪魔になります。攻撃の後あなたは吹き飛びますが、よろしいですね」
「……よろしいですとも」
顔が引きつりそうになるのを堪えながら双畑は答える。
偉そうに指示したものの、双畑のプランは曖昧だった。
もちろん少女を助けるためのアイデアはあった。しかし自信はまったくなかった。
煙幕で敵の五感を封じた後、未来視の力を使って彼女を勝利させる。
もしかしたら発動するかもしれない。その瞬間は煙幕の効果が切れる前かもしれない。〈瞬燃〉がこちらを見つけるより先に奴の居場所が分かるかもしれない。
それだけが彼の作戦だった。それでも、少女を助けることを決意して闘争に飛び込んだのだった。しかし、助けなければならないと思ってしまったのだった。
時間が過ぎていく。何も起きない。
頭痛はやってこない。視界の色に変化はない。双畑は焦る。時間は容赦なく過ぎ去っていく。煙幕が徐々に薄くなっていくように感じる。少女は動かない。彼の合図を待っている。
心の中で叫んだ。
視えろよ! 何のための力なんだよ!! 視えろ視えろ視えろ視えろ! ここで視えないとしたらいつなんだよ!
彼は吠え、祈った。視えてくれ。煙幕の向こうにいるはずの敵を、答えを、真実を--
【何一つ視界には映っていない。煙幕は青く染まっている。その青だけが未来視の最中であることを双畑に教えている。何が起きているのか分からない。煙幕のせいで外の動きがまったくわからない。時間の流れもはっきりしない。無限にも一瞬にも思える時間が流れていく。突如、青一色の世界が切り裂かれる。光の柱が地から天に向かって、真っ直ぐ伸びていく。煙幕が裂けてていく。そして、その先には炎の鎧が浮かんでいる】
頭をかち割らんばかりの頭痛を覚え双畑は我に返った。
いままで一番酷い痛みに蹲りそうになる。叫びながら地面を転げてもおかしくはなかった。しかし苦悶の表情の端には歓喜が滲んでいる。
たまには気が利くじゃないか。双畑は思った。視た、おれは視たぞ!! この力はこの時、この瞬間のためにあったんだ!!
そして、彼は叫んだ。
「真っ直ぐに斬り上げろ!!」
「どうなっても知らないですよ!!」
少女は応じた。
間髪入れず刀を鞘から抜き、言われたとおりに刀を振った。虹の斬撃が天に向かって伸びていく。〈天羽々矢〉がその機能を十全に発揮し、次元断縮の力を投射したのだった。体育館で見た時の何倍も大きく太い光の柱だった。
「いっけぇぇぇ!!!」
斬撃の反動で双畑は吹き飛ばされながら双畑は叫んだ。
地面と空、石垣が目まぐるしく入れ替わる視界の中に、虹の光が煙幕を切り裂いていくのを見た。その先に炎鎧が浮かんでいるのを見た。隣りにいた筈の少女が小さく映った。刀を振り抜いた姿勢で天を睨んでいる。
双畑は地面を転げ回ることになり、自分の肉体を襲う衝撃以外を認識できなくなった。。
「あげっ」
双畑は石垣に叩きつけられた。
その衝撃で肺の中の空気がすべて押し出される。未だ残っている頭痛と新たな背中の痛みを我慢しながら、彼は顔を上げた。決着が彼の望んだとおりのものになったかどうか、確認する必要があった。
煙幕は完全に吹き飛ばされている。公園の石垣がよく見えた。虹の柱が徐々に細くなり消えた。少女は刀を杖にするようにして立ち、相変わらず空の一点を見つめていた。
あたりの炎はすべて掻き消えている。視界の上端がぼんやりと明るいことに双畑は気がついた。視線を更に上へと動かす。
〈瞬燃〉は微動だにせず浮かんでいた。
炎の鎧は全く変わらない輝きを放射している。
失敗したのか。双畑は絶望に襲われながら思った。
くそっ。外したのか? それともあの炎の鎧を貫けなかったのか? もうどうしようもない。せめて少女をなんとか助けられないか--
「まいッたな……」
空から声が届いた。
炎の鎧が急速に消え去り、腰から右肩にかけて走る大きな傷が顕になった。突如、今まで我慢していたかのように傷口から鮮血が大量に飛び散る。
数秒間ふらふらと空を漂った後、力を使い果たしたのか〈瞬燃〉は公園の隅に落下した。柔らかいものが潰れる鈍い音が微かに聞こえてきたような気がした。
勝ったのか。勝ったってことでいいんだよな。そう思いながら、双畑は立ち上がり少女に歩み寄る。
未だ頭痛がする。おかしいな。いつもならしばらくすれば引くんだが。頭に手を当てながら彼は思った。
戦いのうちにすっかり夜になっていた。頬に冷たさを感じ、鼻先の感覚が鈍い事に気がつく。
〈瞬燃〉が倒れたことにより、その魔法で作り上げられた炎がすべて消えている。冷え込んだ大気が公園に滑り込んできていた。 雪が本格的に振り始めている。照明はほとんど割れていて、彼が記憶している普段の公園よりも随分と暗い。
「なあ、これで終わったんだよな。世界を救ったことになるのか……?」
少女の直ぐ側までたどり着いた双畑は声を掛けた。
「……」
「なあ、おい……」
ぴくりと肩が跳ねて少女が双畑を向くが、返事は返ってこない。
責めるようでも喜んでいるような表情だった。単に、理解できない出来事を前にして放心しているだけかも知れなかった。
「……いやいや。失敗したら、おれを差し出すことで君を助けようと思っていたんだ。本当さ。今どき珍しい自己犠牲精神の発露だと思わないか? 次代を担うべき人材とはこうあるべきだよな。いや、違うんだ。実を言うとそれがが本命だった。手堅い作戦だろ? だから、どうなっても君が損することはなかったというワケなんだよ……」
双畑は頭痛を堪えながらも言い訳をした。何を言っていいのか分からない時、無駄に長々と語ってしまう癖が彼にはあった。
「……なあ、何か言ってくれよ」
双畑の弱りきった顔を見た少女はやっと表情を動かした。くすりと小さく頬が緩んでいる。
「ありがとうございます」
少女は向き直って頭を下げる。
「どういたし……」
まして、と返そうとした双畑は途中で言葉を失った。
頭を上げた少女の顔に驚きを感じている。屋上で見た強く冷たい美しさではなく、死を覚悟した儚げな表情でもなく、無邪気な笑顔だけが周囲に与えられる純粋な喜びがその顔に浮かんでいる。
なんだよ。双畑は思った。こうして笑ってれば、やっぱり普通の女の子じゃないか。笑っているのが一番似合う。
助けて良かった。未だに何が正しいのかサッパリ分からないが、大きなものを抱えて苦しんでいる女の子を助けることが間違いの筈はないもんな。多分。
何故か酷くなっていく一方の頭痛に疑問を抱きながらも、次にどうするべきか少女に尋ねようとして--
視た。
【少女の肩越し、十数m先に光る王冠が二つ浮かび上がる。光冠の片割れの周囲に闇より黒い何かが幾つも現れる。自分の体が少女に近づく。少女の驚いた顔。自分の手が少女を突き飛ばしている。位置が入れ替わる。黒い何かが急速に飛来する。腹から吹き出る血。雪で湿った地面が顔に向かって飛び込んできて】
「そうかよ」
頭痛が急速に治まっていくことに気が付きながら、双畑は呟いた。
顔はこわばっている。脳裏を駆け巡った光景を思い出す。
そうかそうか。さっき視たあと痛みが引かなかったのはこれが理由か。なんにも終わっちゃいなかったんだ。素晴らしい。一日の未来視回数の新記録更新だな。
「どうしたんですか?」
表情を消した双畑を不審がり、少女は尋ねた。
「説明はなしだ」
双畑は断ち切るように答える。引きつった笑みを浮かべ走り出した。
彼はすでに選択していたから。




