第7章 嚆矢
寒いですね。
遅くなりましたが、どうぞ。
勝手に学校を飛び出して、そして誘拐されるなんて、親や友人に合わせる顔は無かった。いつも俺は、勝手な事をやって逃げてきた。そうだ、いつもそう。……また、俺はやり投げの状態にするのか。
俺は、普段の生活を捨てるしか方法は無いと薄々感じていた。様々な事がまさに壊滅的であった。だから、自分の中に慣れと言うものがあるとすれば、あってほしかった。それは、良い事ではない事は十分に分っている。しかし、このゲームに勝つ、負けると言う前に俺の精神の方が負けそうだった。これから俺はどうすればいいのか、一切見当も付かない。しかし、俺はこの生活を捨てて、償いも含めた逃避行に出るしかないと思った。……やるしかない。
とりあえず家に戻った。親は相変わらず忙しいのか、家にも帰っていない。留守番電話の中には警察からの物が数件録音されていた。
俺は決心を再度確認し、自分の小遣いや貯金をかき集めてきた。服も着替えて提示されたところへ向かう為に駅へと急いだ。
不安という言葉が、俺の中で何度も現れたが、もがいて何とか振り切ろうとした。一時的にでもいいから別なことを考えて、その事を忘れようとした。そうでもしなければ、俺は一歩も前には踏み出せず、その場で止まって居るだけになりそうだったからだ。
夜明け前、俺は始発の電車に乗り込んだ。ラッシュ時の混雑がまるで嘘の様に、乗客がまばらにしか居ない車両には、沈黙があった。それは、何だか不思議な感覚だった。
電車は、いつもよりも軽やかに加速し始めた。俺は、MP3プレイヤーにイヤホンを差し込んで再生ボタンを押した。シャッフル機能になっていたのか、適当に最近は余り聴かなくなった楽曲が流れ始めた。その楽曲の歌詞を今までは別にただの音として聴いていたが、改めて今聴いてみると、一つ一つの詞が頭に残り、それが自分を鼓舞するように思えた。
電車が停車すると、一人ニット帽を被った人相の悪い男が、席が沢山空いているにも関わらず、俺の目の前に立ってきた。嫌な予感がしたが、目の前に立たれたので席を移ろうにも移れなかった。
男はポケットに手を入れて、もぞもぞと何かをいじる素振りをした。次に何かをするだろうとその男の手を掴もうとしたが、相手の方が早かった。男は、スプレー缶のような物を取り出し、それを俺に吹き付けた。すると、俺は不思議と強烈な眠気に襲われた。そして、前後不覚になり、意識は途切れた。
気が付くと、電車の中には多くの乗客が居た。前に立っていた男の姿も無かった。しかし、何か違和感を覚えた。胸ポケットにあるはずの‘ペン’が無くなっていた。俺は動揺を隠せず辺りを見た。よく見るとあの男はドアの近くに立っていた。電車は駅で停車し、男は俺が目を覚ました事に気が付いたのか、その駅に降りた。俺は、間違いなくあの男が盗んだのだと確信した。そして、俺も透かさず車内の人混みを掻き分けて電車を降りて、男を追った。溢れた人は階段の所で一気に混み合った。男は、他の人などお構いなく、押し退けていった。俺も申し訳ないが、流れを掻き分けて追いかけた。しかし、階段を上った改札の所で人混みに紛れ、男を見失った。俺は悪態を付いた。どうしたら良いかも分からず、ただ、人の流れを見ている事しか出来なかった。
すると、電話が掛かってきた。非通知拒否を恐れたのか、それは非通知でもなく公衆電話からでもなかったが、番号は明らかに存在する筈のないふざけた物だった。
"01234567890"
俺は一応電話を取った。そこから変声機を使ったと思われるような変な声がした。
「こんにちは…初めまして…君はこのペンを持っていた者かな?…今我々が依頼した男がそのペンを預かっている…」
威圧的に話す口調を聞きながら俺は憤りを覚えた。
「……お前らは何者だ?」
「…我々はこのゲームの参加者であるけれど、君たちに手を貸す事は出来ない。なぜなら、我々は‘君たちの敵だから’。」
予感がこんなにも早く現実になる事、それが恐怖へと変わっていった。喉をえぐい物が刺激しているような嫌な感じがした。ある人は、それを戦慄と言うのだろう。
「……早く、あのペンを返せ。」
「…………君は前に『なんで、俺が人を殺さなきゃいけないの!?』って言っていたじゃないか。我々は君の代わりに汚れてあげようという気持ちなのだから。我々はもうこれ以上汚れた所で何にも成らない。我々には失うものが無いのだから、失う恐怖も無い。」
なんで奴らはあの事を知っているのだろかという疑問が浮かんだ後、背中に冷たい物が走った。そして、途轍もなく大きな存在が目先に居座っている焦燥感のような物を感じ、俺の鼓動が激しくなった。
「…どこでその事を聴いた!?」
「‘偉大なる月と太陽は、いつもお前の事を見ている’。」
「……?…どういう意味だ。」
「フフ……そんな事、今はどうでも良い…君は我々の出す試練に勝てば良い。」
「…………じゃ、試練って何だ!」
「……お前から‘ペン’を奪った者が我々の用意したバッグを取りにくる、そのバッグの中にあのペンを入れて持ってこさせるつもりだ。もし、君がこのゲームに勝てる程の者ならば、その男を警察より先に捕まえられるはずだろう。但し、条件を与えてあげよう。この電話を終えたら直ぐにその周辺の地図を転送する。そして、ゲームらしくするためにはフィールドが必要だ。君の降りた駅、3㎞四方は警察が検問や規制をすぐに張り始める…また、我々が君が乗っていた鉄道を使えないようにして、君も男も逃げられない一時的に陸の孤島のようにする。どうだ、面白い計らいだろ。
このゲームのルールは、単純にその男を捕まえれば君の勝ちだ。但し、警察に先を越されてはだめだ。何故なら、君はそいつからペンを回収する事が出来なくなるからだ。少なくとも、その男が上手く変装等をしなければの話だがな。つまり、男を見つけ出すか、男の通りそうなルートを予測して捕まえるというようなゲームだ。面白そうだろ?」
頬の筋肉に力が入った。
「お前たちには、卑劣というのが褒め言葉なのだろうか。こんな事をして、どれほど多くの人が迷惑を被るか分かっているのか。…俺は別にお前たちのゲームに遊ぶ気にはなれない。ただ、ペンを返して貰いたいだけだ。」
「……フフ…。我々があのペンを持っているという意味を君にはもう一度吟味して貰いたい。君にも分かってくれたかな。そう、つまり、我々の手にこれが渡ってしまうという事は、全世界の人間を人質にするのと同じなのだから。さぁ、君の汚れた手で我々から奪い返してみるがいい。」
あのホームレスの懸念が現実のものになろうとしているということを再認識した。
「……まさか、その言いようだと、お前らはあのペンの法則に気が付いているのか……ならば、この状況下では否応無く、挑まなくてはいけないようだな!」
「…期待通りの答えだ。我々がペンの法則について知っているかどうかは、まぁ、君のご想像に任せるが…。」
「その男の名前を教えろ!」
「フフ…良い着眼点だね…男の名は『タブチ ヨシハル』。…………まぁ、問答はこれくらいにしておこうか。一応君の健闘を祈ってあげるよ。」
これを最後にして電話は切れた。再度電話しようと着信履歴から発信したが「お掛けになった電話番号は、現在使われておりません…」と聞こえるだけだった。
俺は悪態を付き、今持っている携帯を仕舞おうとした時、メールが入ってきた。確かにそこには、周辺の地図が添付されていた。
しかし、そうは言ったものの、どうしたらいいか検討もつかない。警察よりも先に捕まえる?――そんな事は不可能に等しいじゃないか。もし、そんな記憶と地図を手掛かりに捕まえられるなら、警察なんか要らないだろ、と思った。
駅を出て右往左往していると、ロータリーでクラクションを鳴らす車が一台あった。その車は、そのまま俺の前で止まった。
「お前があいつからここへ来るように指示をされた奴か?」
「…多分そうだ。」
「なら、話は早い。早く車に乗れ。時間は俺らの事を待ってはくれねぇからな。」
俺は、一瞬訳が分からなかった。
「なにボヤっとしてやがる。電車が止まっているから迎えに来てやったのにヨ。」
俺は、果たしてこの人が本当にあの紙に書かれた協力者なのか半信半疑だった。奴らが、あの時の会話を盗聴していたのであれば、替え玉としてこいつを送り込んでくるかもしれない。だって、あのペンを強奪するような連中だ。何をしてくるか全く予測する事が出来ない。だが、かと言って俺は自分一人でそいつを捕まえることなど出来るだろうか……いや、出来やしないだろう……。
俺は無意識的に車に乗り込んでいた。
「…さっき、奴らから電話があった…。」
「…それはどういう内容だったか?」
「タブチヨシハルという男から例のペンを取り返すていう内容。」
「……タブチヨシハル……何?ペンを奪われたのか?それはうかうかしていらんねぇな…奴らに先を越されちまったか…チッ……屈辱だな…」
苛立ちを隠せていなかった。語勢がさっきより強くなった。
「全く、手の込んだ事をしてくれるじゃないか…」
「…奴らから地図しか手掛かりを貰っていない…どうすれば良いのか…」
「……ほう、地図が送られてきたのか。」
「……?それがどうかしたか?」
「……その地図は大きな手掛かりだ。」
「何故?ここにはそいつが通るルートなんて記されていないんじゃ……」
「いや、相手はどうしてもペンが欲しい筈なのに、どうして敵に手掛かりを与える?」
「それは…ゲームだから?」
「違う……もっと単純に考えると……」
隣に座る横顔は意外にも曇などはなく、目標をちゃんと見据えているように見えた。完全に信じるか信じないかという迷いがある。しかし、指針も無いままだった俺を引き上げて、糸口を手繰り寄せたのは、この人だ。
俺自身では、この大きな問題に対しどう対処した良いのか、全く分からなかった。だから、俺は『一人で抱え込まなくて良い』という事も心の支えに成りつつあった。
筆者は、なるべく1ヶ月に1章を目標に書いてきました。しかし、事情によりこれから更新が滞る事を、読者の皆様にお詫びをしたいと思います。
今まで読んで下さった方々に、しばらくの別れと感謝とお詫びでした。
座時点