004 これだけは信じて下さい
キーンコーン、カーンコーン。
放課後を告げるチャイムが鳴る。
「勇貴さーん!」
あの時と同じように夕刻の廊下を歩いてると、真弓さんが声を掛けてくる。
「……真弓さん?」
彼女の呼び掛けに返事をすると、彼女は嬉しそうに手を振る。
「そんなに手を振ってどうしたの? 何か良いことでもあった?」
「はい! 勇貴さんに会えて、何だか嬉しくて」
僕の問いかけに向日葵のような笑みを浮かべ、真弓さんはそう答える。
「そ、そうなんだぁ」
真弓さんの真っ直ぐな好意に頬が熱くなるのを感じ、思わず視線を逸らしてしまう。
「それに、やっと名前を呼んでくれたんです。……これを喜ばずに居られませんよ」
アハハと笑う少女。
実のところ、彼女とこうして会うのは怖かった。
また冷たい目で見られるんじゃないかと思ってしまった。
でも、それは杞憂で。
こうして彼女は、僕と話をしてくれる。
それが堪らなく、嬉しかった。
「そんなに名前で呼ばれたかったの?」
ふと、そんな彼女に以前から疑問だったことを聞いてみた。
そうしたら、真弓さんは僕の顔をじっと見つめながら、こう言った。
「ええ。……私の叶えたい夢の一つですから」
「──夢?」
おうむ返しにその言葉が口からこぼれる。
軽い口調で告げられたそれが、何故か重く感じたのは確かで。
僕を見ている筈の彼女の翠の瞳が、何処か遠くを見ているような気がした。
「そうです。こう見えても私、夢見る乙女ですから」
……というか、真弓さんは僕に名前で呼ばれることが夢だったってこと?
それって、僕のことが好きって言ってるようなものだよね? ──いや、違う。どうせ異性に名前で呼ばれるとかそんなところが関の山だ。
うん、でも、まあ、ちょっと気恥ずかしいのであの時と同じ質問をして紛らそう。そうだ、それが良い。そうしよう。
「そっかぁ。──ねえ、聞きたいんだけど、さ」
「はい、何でしょう?」
首をかしげる真弓さんに申し訳なさを感じつつも、あの時と同じ焼き回しをする。
「どうして僕みたいな奴に構うのさ?」
それは二番煎じだったかもしれない。
けれど、僕にとっては同じようでちょっと違う意味合いだと思う。
自分のことなのに自信をないけど、確かにそう思っているのだから、きっとそうなんだろう。
「さあ、どうしてでしょうね」
僕の問いに肯定も否定もしない曖昧な対応。
先を行く彼女の顔は見えない。
「──嗚呼、でも」
同じ言葉。変わらない僕と彼女。
「私、勇貴さんが思ってる程、そんないい人間じゃないです。誰からも愛される事もなく嫌われる。そんな私にとって勇貴さんは、希望みたいなものなんです」
希望。
もし彼女の時があの時と変わらないままであったのなら、その言葉はどういう意味だったんだろう。
普段の僕を見ても、彼女が希望だなんて思えるほど高尚なことをしていないし、そんなのは僕が一番知っている。
でも彼女は、欠点ばかりが出てくる優柔不断な僕を希望だと言っている。
「だからかも知れませんね」
そう言いながら、アハハと笑う姿は年相応な少女のモノで。
「そんな事ないよ」
何よりこんなにも可愛い彼女が、誰かに嫌われるような人間だと僕は思えなかった。
「君が笑う姿は可愛いし、君が拗ねるところも可愛い。どこから見ても普通の女の子だ。そんな君を僕はとてもじゃないが嫌えないよ」
あの時もそう思ったし、今もそれは変わらない。
「だから、もっと笑って欲しい。そんなに可愛い顔をしてるんだ、勿体無いよ」
何だか言っていて、恥ずかしくなって来た。
きっと僕の顔は真っ赤になっているに違いない。
今更だが、これじゃまるで僕が彼女のことを好きだって告白してるみたいだ。
「真っ赤ですね」
何がとは言わない。
けど、夕焼けが僕の真っ赤な顔に言い訳をくれて助かったのは確かだ。
まあ、でも。
それと同じように、彼女の微笑んでるだろう顔も逆光で見えなかったのは、残念だったけどね。
◇
「そういえば、昼休みにさ。リテイク先輩からこんなもの貰ったんだよね」
そういえばコイツの正体を真弓さんには聞いてなかったなと思いながら、懐から黒い箱を取り出す。
「うん? 何です、それ?」
歩きながらだと見辛かったのか、真弓さんが立ち止まる。
そんな彼女に習って僕も止まって、ゆっくりと持っていた箱を掲げて見せた。
「──そ、れは」
箱を見た真弓さんの顔が固まる。
何か言いたげに目を逸らし、遠いモノを掴もうと手をさ迷わせ始めた。
「みんな、分かんないって言うんだけどさ。真弓さん、これが何なのか知ってる?」
……何だか先ほどまでの団欒とした空気が一変し、緊迫としたものなったのを感じた。
「『ダーレスの黒箱』」
先ほどまで笑っていた顔が無表情に切り替わる。
「魔導魔術師、ダーレス・クラフトが疑似的仮想空間上での記憶維持を目的に構成したとされる魔道具。『外なる神』への交信の際に構築された術式であり、『静かなるディストピア』を打破する手段だった筈です。……勇貴さん、もしかして瑞希さんを倒されましたか?」
ドクン。
心臓が跳ねた。
「どう、して?」
思考回路が冷めていき、手が震え始める。
もしかしたら、真弓さんに見せちゃいけないものだったりするんだろうか。
「……勇貴さん。信じて貰えるかどうか分かりませんし、何を言ってるんだと思うかもしれません。──ですが、これだけは信じて下さい。私は、貴方の味方です」
真弓さんに手を握られる。
すると握られたところから彼女の温もりが伝わり、震える身体に熱が篭るのを感じた。
けどそんな気持ちと裏腹にその場から逃げ出したくなる衝動が僕を襲う。
頭の中で誰かが、此処に居たら駄目とか、話を聞いてはならないとか囁く気がしてならない。
「怖いですか、勇貴さん?」
ジジジ。
雑音が耳に響き、不安が胸に押し寄せる。
まるで、自分が底なしの闇に身体が浸かっているようで、とても恐ろしい。
「私も。私も、怖いです」
返事を待たず彼女が言う。
「怖くて怖くてたまらないです。貴方に知られることが何よりも恐ろしくて、このまま何も言わない方が良いのではないかと思ってしまいます」
真弓さんも怖くて仕方ないって言ってる。
僕を希望だと言った人が悲しそうな顔をして手を握り続けてくれている。
「でも、駄目なんです。それじゃあ、前に進めない。私が好きになった人が消えてしまう。そんなのは私には耐えられない」
鼓動が速くなる。
脈打つそれが速くなるにつれて、目の前の少女が怖くないのだと理解していく。
ザザザ。
「──ぅう、あ」
後ろに下がろうとする。
でも後ろに下がることは出来ない。
こんなにも真剣に自分を想ってくれる存在を前にそれは許せない。
吸って、吐いて。
大きく深呼吸して息を整えて。
逃げ出したくなる衝動を押さえつけて。
「信じ、る。信じるよ。……だか、ら。教えて欲しい」
握っていた手を握り返す。
それは小さなことで、何でもない行動の一つに過ぎない。
けれど、確かに自分の力で進んだ一歩だった。
「……はい!」
そして、逆光のない彼女の微笑みが尊いもののように見えた。
日が落ちて夕方から夜になる。
虫の鳴き声が響き、いつの間にか居た学生たちの気配が無くなった。
それと同時に夜風が僕と彼女を包み込む。
「……さて、教えると言ったものの何処から話したら良いものか解りませんねぇ」
栗鼠が首を傾げるような仕草で真弓さんが聞いてくる。
そんな彼女になんて答えたら良いのか解らずにいると、
「では、とある愚かな少女たちの話をすることにしましょうか」
数秒、考え込んだ彼女はおもむろに語りだした。
「あるところに、三人の少女と男がいました。少女たちは男と仲が良かったのですが、ある時、男が死んでしまいました。そのことに少女たちは深く悲しみ、死んでしまった男との再会を夢見ました」
やがて、彼女は昔話を語るように話します。
「少女たちは考えました。どうしても一度、会いたいと願いました。その内、少女たちの一人が夢の中で死んだ魂を呼び寄せ再会する魔術を考えつきました。他の二人の少女もその考えに賛同しましたが、どうやっても死んだ人の魂を夢の中に呼び寄せることが叶いませんでした」
三人の少女。
その内の一人は、何となく解った。
彼女は頑なにそれを貫いていたのだから。
「試行錯誤してると、一人の少女は思いついたのです。死んだ人間の魂を呼び寄せることが出来ないのなら、生きた人間の魂をその人の魂に変えてしまえば良いのではないか。二人は名案だと喜びましたが、その考えに言い出しっぺの少女は反対しました。……ですが他の二人はそれを実行し、多くの生きた人間の魂を夢の世界へ招き入れたのです」
────「それでも、キミは一度失った大切な存在に会えるとしたら手を出してみたいと思わないのかい?」
二人の少女は人道よりも願いを優先した。
その先にある未来なんてものよりも、もしもの可能性が上がるのならばその代償は安いモノだと思ったのだ。
「それでも、少女たちの願いは叶えられませんでした。何故なら、その世界において生きる人間の魂は存在が固定されているというルールによって阻まれたのです」
ジジジ。
泣いてる少女の幻影が見えた。
だが、その朧げな幻影の表情は分からない。
「ですが、少女たちは諦めません。少女たちは考えました。考えて、考えて考えて。……やがて少女たちは自分たちの世界の人間の魂が弄れないのなら、他の世界から生きた人間の魂を弄れば良いのではないかと思ったのです」
夜風が冷たく、月明かりが僕と真弓さんの二人を照らす。
もう泣いてる幻影は見えない。
「この世界の人間の魂は二種類に分けられます。一つはこの世界から生まれた人間の魂。その魂は輪廻転生のルールに正しく則って存在している。だから世界からのルール、つまるところ概念によって魂の情報が守られてるのです。その一方でもう一つの魂には、その概念による魂の防衛は働かないのです」
上手く彼女の顔が見えなくなった。
また怯えているからか。
覚悟を決めて、腹をくくった筈なのにそれでも聞いてはいけないと本能が訴えているのか。
それは、僕にはわからない。
だが、この話は最後まで聞かなければ僕は次に進むことが叶わないとさえ思ってる。
「この世界には稀に、他の世界の輪廻転生から免れた人間の魂が迷い込むことがあります。それは何千何億といった確率で存在する稀少な人間であり、『転生者』と呼ばれる概念が働かない魂なのです」
────「精神より上の概念情報である魂がその存在を単一のものとして構成させている。この魂を構成する情報をアストラルコードと僕ら魔術師は呼んでいるのさ」
似ているようで、はぐらかされた言葉。
堅苦しい、難しい言葉で誤魔化した説明ではなかったそれに、僕は漸く理解した。
黒の魔導書、藤岡飛鳥をどうして名前で呼ばなかったのかも分かった。
説明してるようで説明していない、正しい思考をさせてるようでさせてないことを直感で気付いてたんだ。
パズルがハマっていく。
思考が少しずつ出来るようになっていく。
こうして一人で考えることが出来る現状を誰が支えていたのかが、何となく見えてきた。
「この学園で生活し始めた記憶がないのか。それ以前の記憶が思い出せないのはどうしてか。特別でない貴方がこの魔術学園に滞在し続けることが許されるのか。それは、他ならぬ貴方こそがその転生者であるが故なのです」
ジジジ。
酷い頭痛に襲われる。
それが思考を縛り付け、この真実から目を逸らさせようとする。
この世界は夢の世界。
誰かが見続ける、現実でない仮想世界。
思わず彼女から自分の手へ視線を外す。
別の世界の輪廻転生から外れた魂。
それが、どういう存在なのかは考えれば考えるほど、最悪な想像が出来た。
────「初めから期待されちゃいない貴方は、漸く、その生きる人生に意味を持たせられるんです」
もしかしたら何処かで死んでたんじゃないかと思ったことがある。
でもその時は深く考えることがなかったけど、それを踏まえ誰かの言葉が脳裏をかすめてく。
思考がクリアになる。
自分が何者で、どうして此処にいるのかが漸く誰かの言葉としてそれを理解する。
普通ならば当たり前に出来るそれが、当たり前に出来てなかった。
「死者を蘇らせることよりも、死者を模範することにした少女たちは今も尚、諦めることが叶わない。この世界のあらましはそんなところです。そして、貴方が置かれた状況の説明でもあります。貴方は自分がしている行動で、何処か不自然なことがありませんでしたか?」
不自然なこと。
普通ではない、普通だと思って見過ごしていたこと。
「そう、例えば、今やろうとしていたことが実はもうやっていたなんてことになっていたとか。不自然なまでに時間が経過していたとか。あまりにも他人と自分の価値観が変わっていたとか。そういう類の違和感です」
ある。
授業中に何故か寝てしまっていて、気づいたら次の日の授業で終わっていたこと。
そしてやってもいないことがやっていたことになっていた。
ザー、ザー。
幻聴が酷くなる。
何となく見ていた手にモザイクが掛かる。
「うわっ!」
尻もちをついてしまう。
けれど構わず、モザイクが見えた手の平を見る。
「──っ!?」
しかし、そこにはモザイクのない手の平があるだけで何もない。
「勇貴さん。いいえ、■■さん」
真弓さんが呼び掛ける。
でも、それは途中から空白によって阻まれ、僕の耳には届かない。
「話はここまでにしましょう。どうやら、これ以上話してしまうと『外なる神』が貴方を壊してしまいます」
遠い目をする真弓さん。
きっと僕が知らない真実を彼女は知っているのだろう。
でも、それを知ることは今の僕には出来ないらしい。
ザー、ザー!
幻聴が強くなる。
見えているものに砂嵐のようなものが閉ざしていく。
「勇貴さん、ダーレスの黒箱を探しなさい」
誰かの声が遠くなる。
立っているのか、座っているのか曖昧になって気持ち悪い。
それでも何とか気を紛らせようと、空を見上げた。
「────」
絶句する。
次から次へと起こる現象に開いた口が塞がらない。
だって、そうだ。
クレパスで描かれたような落書きじみた月が浮かぶだけの子供騙しな空が広がってるんだから驚くに決まってる。
「──っつぅ」
忘れろ、忘れろ、忘れろ。
脳が必要な情報体を削除しようとして、意識が遠くなる。
「貴方が救われるにはそれしかない。先に進むには、それを破戒するしかないのです」
幻聴が遠くなるのを感じながら、ゆっくりと視界がフェードアウトしていく。
「大丈夫。貴方ならまたたどり着けます。だって貴方は、私の希望。──私のヒーローなんですから」
反転する。
ズブズブとなって地に埋まっていく自分を妄想しながらそこで意識が途絶えた。
◇
落書きと化した空を見上げる。
「諦めません。何度だって、諦めませんよ」
自らの手の平を見れば、削除対象だと言わんばかりにモザイクが掛かってる。
「■■さんは絶対に立ち上がるんです」
それでも、此処に名城真弓は居ます。
たとえ魂が別物となろうとも居続けるのだと彼女らに訴えるのだ。
ピー、ガガガ!
ピー、ガガガ!
警告音は鳴り止まない。
彼が覚えていることを願いながら、私は次の夢へと旅立つ支度をする。
「夢は覚めるものなんです」
自我が欠け、身体が透き通り、アストラルコードが融けていく。
リソースが欠けて震える身体をギュッと強く抱いて不安を抑える。
ああ、月が綺麗だ。
ひび割れた夜空を見上げながら、私はそんなことを場違いにも思った。
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