第7話 駆け落ち(二)
「ああ。と言っても、直接面識があるわけじゃねぇがな」
「はあ」
松崎は、酔って呂律が怪しい我孫子の顔を、侮蔑と興味が入り混じった表情で見つめた。
「なに、あっしは我孫子といってね、文久の頃から飾り職人をやっているんだが」
「はい」
「お若いの。あのお屋敷は昔、なんだったか知っているかい」
「いえ、存じません」
無理もない。松崎はまだ齢25歳、一昨年入社したばかりの駆け出し記者である。
「あそこはね、今の遠山大将の親父であった、遠山信濃守の屋敷だったのさ。それで、奉公人も今の倍はいたんだ。その奉公人の中のミツという女がね、あっしの店の客だったのさ」
「ははあ、なるほど」
「うむ、もっとも、今じゃ老いぼれの婆だがね。しかしまだ両国の家から歩いて店に来るよ。昌子という名も、その時に聞いたのさ。しかし…」
「しかし」
「いや、ねえ。これは大変なことだね。そうじゃないかい慎さん」
ひとしきり話し終わって、我孫子は話を山名に振った。
「うむ…、ご苦労だったな松崎。本社に先に戻っていてくれ」
はっ、と松崎はかしこまって、それからデスクはどうされますかと山名に聞いた。
「俺はこの通り酔っている。酔っている、が…、すこし足で稼いでみるかな」
山名の言う、「足で稼ぐ」とは、歩き回ってネタを探してみるという意味である。
「わかりました。では、自分は社に戻ります」
「うん。あ、いや、待てよ。陸軍省の方に人はいたかな」
「いえ、不明です。しかし塚原にメモを渡しました。恐らく何かしらの行動を社でも起こしていると思いますが」
「わかった。最初の予定通り社に戻ってくれ」
「了解しました」
そういうと、入ってきた時と同じようにドタドタと階段を駆け下りて、松崎は店を出て行った。
「そういう訳だから、俺はちょっとその辺を周ってくるよ」
ややあって、山名は二人に声をかけた。
「ん…分かった」
「そういうことならば、仕方ないだろうな」
「じゃ、失礼するよ。またいずれ会おう」
その言葉に、葡萄ノ進と我孫子は片手を挙げて応えたのだった。
銀成の前を丁度通りかかった辻馬車を捕まえて、山名が三宅坂の陸軍省の前に来てみると、すでに多数の報道陣が詰めかけているのが見えた。他社の見知った顔もちらほらと見える。
「旦那、着きましたよ」
「ああ」
山名はすこし逡巡してから、舌打ちをして、御者に行先変更だと言った。
「すまないが、両国へやってくれ」
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