第5話 再会(五)
「確かに、色々なことが起こりましたな」
山名が言った。我孫子も、両腕を組んで無言で頷いている。
「どうだい。積もる話もあるだろう。今夜、飲まねえか、おい」
葡萄ノ進は手で、お猪口を飲むしぐさをする。
「二人とも、予定はどうなんだい」
「あっしはどうせ暇でさぁ。慎の字はどうなんでぇ」
「明日は会社もないし、大丈夫ですよ」
懐から手帳を取り出し、予定を確認してから山名は言った。
「よし、そうと決まれば話は早い。どこに行こうか黎さん、慎さん」
うーむと二人は少し考えこんだが、ややあって我孫子が口を開いた。
「思いつきましたよ、旦那」
「なんだ」
「19年前にも飲んだ、『銀成』なんかはどうですかね」
その夜、日本橋、人形町。
葡萄ノ進、我孫子、山名の三人は、19年ぶりに割烹「銀成」の暖簾をくぐった。周りの景色こそ変われど、一歩敷地の中に踏み込めば、古びた建物、庭の草木など19年前の面影を色濃くとどめている。
「変わりませんねぇ旦那。ここは」
「うむ」
店の中は、かなり賑わっていた。一階は椅子の席、二階が座敷になっているのだが、一階はすでに空いている席が無いようである。葡萄ノ進たちが玄関で逡巡していると、年老いた女中が出てきて、二階へどうぞと手招きをした。
二階へ通じる階段は古く、ミシミシと音を立てる。女中が言うには、幕末の頃この二階で夷人が酒を飲んでいたところ、過激な水戸藩士数名に踏み込まれ、ピストルを取る暇もなくずたずたに斬られたという。その時の刀の傷が梁に残っているというので、最近は帝国大学の学生などにも人気があるらしい。
「へえ初耳だね」
と我孫子が言うと、昔はそのような話をしても誰も面白がらなかったのですがねと女中は言った。
「清国に勝ったのも関係しているのかねぇ」
「かも知れませんねぇ。去年から急に学生が増えたんですよ。どうぞ」
女中が座敷のふすまを開けた。
「では、ただいまお酒をお持ちしますので、どうぞごゆるりと」
夜が更けるにつれて、酒も進み、やがて下の階の置時計が十時を打つ音が聞こえた。
「む…、もう十時か」
三人とも、かなり酔っている。
「大分、飲みましたねぇ旦那」
我孫子は顔を真っ赤にして、今にも倒れ伏しそうである。
「おいおい、大丈夫かい黎さん」
「ナニ、あっしは大丈夫、大丈夫」
「こういう奴に限って、危ない」
山名がやおら立ち上がり、我孫子を指さして言った。
「池田屋で斬られた連中も、こやつのごとく酔っていて命を落としたのだ。男児たるもの、酔っても正気を…」
「なに貴様に言われる筋合いはない」
我孫子も負けじと立ち上がる。
「日清談判だ、戦争だ」
そのまま日本男児の 村田銃 剣の切っ先 味わえと…とやり始めたからたまらない。もうめちゃくちゃである。
その時であった。
下で、「すみません、すみません」と怒鳴る声が聞こえ、続いてドタドタと階段を駆け上がる音がしたかと思うと、三人がいる座敷のふすまがバタンと乱暴に開け放たれた。
「な…」
瞬間、葡萄ノ進は左手を伸ばして、差料を探っている自分に気が付いて苦笑した。考えてみれば、明治も28年になって、座敷に斬りこんでくる者などいるはずも無かった。
若い男が立っていた。洋装である。
「デスク…ここでしたか」
男は、息を切らしながら、山名の方を向いて、言った。
「事件です。一大事です」
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