第3話 再会(三)
「もう、仕事はやめだ」
1876年(明治9)になってまもなく、二月のある日のことだったと、葡萄ノ進は記憶している。
「いったいどうなすったんで…旦那」
我孫子の黎明―つまり、現在我孫子明と名乗っている男―は、心配そうに葡萄ノ進の顔を覗き込んだ。
「言ったとおりだよ。仕事はやめ。おしまいだよ」
「どういうことです」
「もう人を斬ったりする世の中じゃないってことさ。黎さんあんたお触れを知らないのかい」
「お触れ?」
「ああ。三月から例え元武士であろうとも帯刀が禁止になるんだとよ」
「はぁー。それじゃいよいよ四民平等ってことですかい、旦那」
この年、明治政府はいわゆる「廃刀令」を発布し、天正以来の身分制度の最終的な解体に着手した。これに対する武士の反感は大きく、この年におこった神風連の乱、萩の乱、秋月の乱をはじめとする士族の反乱は、翌1877年に勃発する西南戦争への序章となっていく。
「そういうことだから、俺は津軽に帰る。もうここにいる用もないわけだしな」
「ええっ、そんなぁ旦那」
「やめると言ったらやめだ。それでどうするんだ? ここに残るのか」
「それしか思いつかねえ。ナニ武士は滅んでも、着物や飾りは残りまさぁ。しかしね旦那」
我孫子は急に声をひそめる。
「なんだ」
「今まであっしらが葬ってきた、非道の輩は一体どうするんです。捨て置くつもりですか」
「ああ捨て置く。非道の輩を取り締まるのは、今や仕事人の仕事じゃなくなったんだ」
「そんなぁ」
恨めしそうな顔をする我孫子をよそに、葡萄ノ進は続けた。
「そういうのを取り締まるのは、これからは警察の仕事だ。それに…」
「それに、何ですか」
「そろそろ、足がつく。捕まったら首が飛ぶ。俺もこの歳になって命が惜しくなったよ」
「…はぁ」
もうお気づきかもしれない。この二人の言っている「仕事」とは、世間に隠れて悪事を働く極悪非道の人物を、闇から闇に葬る裏稼業のことである。
「旦那がそこまで言うなら、仕方がねえ」
我孫子は、いままで指でくるくると弄んでいた簪を懐に入れ、やおら立ち上がった。
「それで、いつ立つんです」
「明後日、卯の刻」
「ようがす。明日、慎の字も呼んで、どこかで別れの宴でもしましょうや」
「うむ、酒は俺が出そう」
「さすが旦那。そいじゃ、あっしは慎の字にちょっと伝えてきますよ。じゃ」
そう言うと、我孫子は葡萄ノ進の肩をポンと叩いて、往来に飛び出していった。
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