第2話 再会(二)
「なんとまあ黎さんじゃねえか、ひょんなところで会ったもんだ!」
「それはこっちの科白でさぁ。一体どうしたんで旦那」
この着物の男、名を我孫子の黎明といい、江戸の飾り職人であった男である。弘化三年(1846)の生まれ、歳は49歳。
「いや今日はね、気が向いたんで上野に出て、それからここまで歩いたんだ。昔を思い出してね。そんでもって丸の内まできて小腹が空いたもんだから、昔の仕事場の前で昼でも食べようと思ったのさ」
「へえ奇遇ですね。あっしらもさっき丸の内で会ったんでさぁ。なぁ慎の字」
「えへへ。お久しぶりですね旦那」
慎の字と呼ばれた洋装の男は、ここで初めて葡萄ノ進のほうをむいて、笑った。
「あれお前が慎の字か!太ったねぇ、それにしても。今の今まで誰だか気がつかなかったよ」
甲府の慎。通称慎の字。天保の末年うまれ、51歳。江戸の瓦版配りをしていた男である。
「それにしても久しぶりだ。柴又の帝釈天で別れて以来じゃないか」
葡萄ノ進は言った。
「間違いねぇ。どうです旦那、元気でしたか」
「まあ、ぼちぼちさ黎さん。あの後百姓を始めてね。その田畑も倅に譲っていまは隠居の身さ」
「へえ、旦那が百姓を。似合いませんねぇ」
甲府の慎が相槌を打つ。
「似合うも似合わねえもないさ。侍の時代は終わったんだ。自分で食っていくしかあんめえよ。ところで二人はどうなんだ」
「あっしは相変わらずでさぁ。江戸の飾り職人ですよ」
そういって、我孫子の黎明は自分の腕をたたいて見せた。
「もっとも、名前は変えましたがね。今は我孫子明って名前でさぁ。あっしらみたいな下の者も、苗字を名乗れるようになるとはねぇ」
「明。いい名前じゃないか。商売はどうなんだい」
「それがあがったりでね。もうそろそろ店も畳むかも知れねえんでさぁ。なんせ客が来ねえ。侍の時代と一緒に着物の時代も終わりってね」
「かも知れねえな」
葡萄ノ進は腕を組んで、嘆息した。一抹の寂しさが、胸の中を駆け抜ける。
「慎の字はどうなんだ」
「あっしももう慎の字じゃあありませんよ。山名慎太郎っていう立派な名前がありますからね。今は読売新聞に勤めてます」
「これは恐れ入った。山名といえば足利の大大名じゃねえか」
山名氏。清和源氏新田義重の子義範から出、室町時代を通じて巨大な勢力を保持し、かの有名な応仁の乱を引き起こした山名持豊を出した氏族でもある。
「へへ、そこは早い者勝ちみたいな感じで、へへへ」
山名は頭をかいた。
「身なりこそ西洋の服だが、中身は変わってねえな。相も変わらず調子のいい奴だ」
「旦那に言われちゃぐうの音も出ねえ。あっしは死ぬまで、中身は江戸の瓦版配りでしょうよ」
「いいじゃないか。江戸の気風が少しでも後の世に残っていけば」
葡萄ノ進はそう言って、すこし遠くを見るような目をした。
話は、1876年(明治9)にさかのぼる。