第1話 再会(一)
これは、大日本帝国が「眠れる獅子」と恐れられた大清帝国に勝利して間もないころの話である。
1895年(明治二十八年)春、帝都東京。前月に清との間で講和条約が結ばれ、戦争に勝利したことに、皐月の帝都は沸き立って、春の空もいつになく明るく見えた。
道には、馬車が行き交っている。この時代、まだ自動車は普及していない。この年、世界で初の自動車レースがフランスで行われているが、一般大衆に自動車が普及するには、1920年代を待たなければならなかった。
鶴瑞葡萄ノ進は、数寄屋橋の四つ辻にある軽食店の、窓際の席に腰かけて、少し遅めの昼食をとろうとしていた。歳は67歳。老いてもなお、若かりし嘉永の頃に鍛えた筋骨は隆々として、眼光鋭く背筋はピンと伸びている。
洋風の制服を着た女の給仕が、葡萄ノ進の頼んだランチを運んできて、テーブルに置いた。
「ありがとう」
一口食べて、食器をゆっくりと皿に置き、葡萄ノ進は辺りを眺めた。このあたりに来ると、彼は必ず昔を思い出す。
「もう50年になるか」
この数寄屋橋からすこし上がったところにある南町奉行所に、鶴瑞葡萄ノ進が新人同心として配属されたのは、弘化三年(1846年)の春のことだった。
「この街も、変わったものだ」
弘化という元号は、あまり知られていない元号であるが、天保の後、嘉永の前である。ペリー率いる黒船艦隊が浦賀に来航し、慶長以来230年余り続いた江戸の太平の夢を西洋の巨大な大砲の音とともに打ち砕いたのは、嘉永の六年、西暦に直せば1853年のことである。
葡萄ノ進は視線を店の中に移した。店の客層はといえば、老若男女問わず様々な人物が食事を楽しんでいる。時間帯のせいでもあるのだろうか、人の入れ替わりも激しい。こうして葡萄ノ進がゆったりと食事を口に運んでいる間にも、ひっきりなしに満腹の客が出て行っては、空腹の客が入ってくるという具合である。
葡萄ノ進が半分くらい食事を終えたころ、突如として彼の隣のテーブルに座っていた裕福そうな男が、唸りながら立ち上がって会計だと怒鳴った。給仕が飛んできて支払いはあちらですと言う。男はエヘンエヘンと随分偉そうな咳払いをして歩いて行った。
後がつかえているらしく給仕がすぐ次の客を案内する。次の客は二人連れのようである。片方はよれた着物、片方は洋装で、シルク・ハットまでかぶっている。どうも不釣り合いである。その不釣り合いさがおかしくて、葡萄ノ進は片目でちらちらと隣に座った二人を観察していたが、やがて着物の方と目が合った。
その瞬間、着物の男が弾かれたように立ち上がった。
「旦那…。 八丁堀の旦那じゃないですか」