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8話 井の中の蛙

 リースの指導の下、魔法を身につけたライ。その魔法の力を磨くべく、ライは日課の修練に魔法の訓練も加えることとした。

 森の中、試し打ちとばかりに、ライはまず最も基本的な魔法を使用する。


「≪水生(クリエイトウォータ)≫」


 ライの口にした呪文とともに、水の精霊がライから受け取った魔力を用いてその力を行使する。

 ライの目の前に水の塊が生み出される。その塊はそのまま重力に引かれて地面に落ち、大きな水たまりを作る――ただそれだけだった。

 だがそれは決して失敗ではない。見ていたリースは満足気に頷いた。


「そう、それが水属性の基本魔法の≪水生(クリエイトウォータ)≫。ちゃんとうまく出来たわね」


 それはただ水を生み出すだけの呪文。基本魔法というだけあって単純な効果である。そして魔法の行使そのものも容易だった。


「呪文を唱えながら魔力を引き出して精霊に渡す。あとは精霊がやってくれるんだからうまくいくも何もない」


「まあそうなんだけどね。でもそれを完璧にこなせるようになるまでも結構かかるものなのよ。ライはその基本を随分早くマスターしたじゃない」


 そう褒めるリースにライは複雑な表情を浮かべる。


「おそらくあの夢のおかげだがな」


「夢?」


 首を傾げるリースをよそに、再度魔法を行使するべく集中した。自分の奥深くで存在を主張する核――魂へと意識を向ける。

 魂と魔力の関係は、例えるなら炎と熱の関係だ。炎が熱を放射するように、魂は魔力を放射する。だがそのままでは魔力は自分の中に留まるだけである。それを汲み上げ、精霊に渡すことで魔法は発言するのだ。

 この魔力を扱う感覚を掴むまでは魔法を使うことができない。それをライが身につけたのは、リースの指導の下で行われた荒行だけではなく、その最中に見た夢の影響も大きかった。

 夢の中の魔法使いが魔法を行使した際の感覚。夢の中で感じた朧気な感覚を元に魔力を扱ったところ、瞬く間に魔法のコツを掴んだのだ。

 もっともコツを掴んだと言えるのはまだ基本だけだが。


「≪水纏(ウォーターガード)≫」


 その呪文とともに水の精霊が再び水を生み出す。だが今度水が生み出されたのはライの周囲だ。

 水はライを身体を守るように、その周りに纏わり付いたのだ。さながらその身体が倍近くに膨れ上がったようにも見える。

 試しにその場で飛び跳ねてみるが、身体に纏わり付いた水もライの身体から離れることなく共に宙を舞う。

 魔法の力で自身の身体から離れないらしい、と考えていると、突如力を失ったように水は地面に落ち、水たまりを作った。


「それは防御魔法ね。まあ単に水を纏うだけだけど、ある程度身体を守ってくれるわ」


 リースが解説をしてくれる。だがライは微妙に腑に落ちないような様子を見せる。


「口にした呪文を変えただけなんだが、それだけで魔法の効果は変わるのか」


 魔力の扱い方などは先程と変えたわけではないのにも関わらず、効果が変わったことが納得いかないらしい。厳密に言うと精霊に持って行かれる魔力の量も多かったのだが、それも口にした呪文の違いによる影響だろうと判断する。


「そうよ。『呪文』っていうのは要は魔法の名称なんだけど、精霊はその呪文でどんな魔法を使って欲しいか判断してくれるの。≪水生(クリエイトウォータ)≫なら水を生み出して欲しい、≪水纏(ウォーターガード)≫なら身を守って欲しいっていう風にね。呪文なしで思い通りの魔法を使うのは出来なくもないけど上級者向けね」


 その説明に納得する。どうやら基本的には呪文の文言だけで効果が変わるらしい。

 呪文と魔力さえあればあとは精霊がやってくれる。もしかして魔法は魔力さえ扱えれば意外と簡単なのだろうか。


「さあさあ、休んでないで次の魔法よ」


 急かしてくるリースに溜息を吐き、三度魔法を使うべく魔力を汲み上げる。


「≪水弾(ウォーターバレット)≫」


 ライの唱えた呪文によって生み出された水が、一直線に打ち出され、目標へと激突する。

 水の弾ける音が響き、あたりを激しく濡らした。目標となった木の幹やその周囲がぐっしょりと濡れている。


「それが水の基本的な攻撃魔法の≪水弾(ウォーターバレット)≫、水を撃ち出す魔法よ」


 そう言って自慢気に胸を張るリース。今使用した三種類の魔法の呪文は全てリースから教わったものだ。彼女自身は水属性の魔法は使えないが、このくらいの基礎魔法はその知識にあったらしい。だからこその誇らしげな態度なのだろうか。


 だがライは自身の魔法が生み出した結果を見て、とても微妙そうな表情を浮かべた。


「この魔法を一体何に使えばいいんだ……」


 たしかに魔法の効果通りに水弾を撃ち出し、目標に命中した。だがその威力はせいぜい直撃した木をわずかに揺らして周囲を水浸しにしただけだ。射程も速度もたいしたことはないし、到底戦闘向きには思えない。正直体当たりの方が強い。

 死ぬ程の思いをして手に入れた魔法の力だったが、その結果がこれでは溜息どころの話ではない。

 期待外れと言わんばかりのライに、リースは苦笑する。


「水属性って攻撃魔法にあまり向いてないからね。治癒魔法とかはこの水属性の管轄だから便利なんだけど。魔法を覚えたてで無詠唱ならまあこんなものかもしれないわね」


「いっそ戦闘に向いた別属性の魔法を使うことはできないのか? 属性も二種類までならばいいという話があったような気がするが」


 だがその考えにリースは渋い顔をする。


「確かに扱う属性も二種類までならって話はあるのよね。実際あたしもライに見せた火属性の他にも風属性も扱えるわ。でもそれは出来れば主属性をマスターしてからの話だし、そもそもライって水以外の属性と相性よくなさそうなのよね。あの修行の時も、水以外の精霊はまるで反応してなかったし」


 どうやらライは水属性以外の才能はないらしい。おそらくスライムという種族自体がそうなのだろう。


「あとは詠唱をすれば精霊が頑張って強めに魔法を使ってくれるけど」


「詠唱か……」


 魔法を習得するために行った荒行を思いだして、思わず渋い表情が浮かんでしまう。


 それはさておき、詠唱を使うことを考えてみるが、それで多少魔法の性能が上がったところで果たして実用的になるのだろうか。しばし考える。


 戦いの中で長々と詠唱をしている余裕など果たしてあるのだろうかという疑問がある。幾度か戦った経験から考えるが、滅多にそんな機会があるとは思えない。


 使うとすれば戦闘前に詠唱を始めて初撃を魔法攻撃にするというくらいだろうか。初撃は大事な奇襲の機会だ。魔法を使えば体当たりが奇襲にならない。

 そもそもリース曰く水属性魔法は戦闘に向かないとの話である。詠唱で性能を高めたところで、さして戦闘向きにはならないだろう。

 だったら下手に詠唱するよりも、呪文名一言で発動できる詠唱無しの魔法を戦いに組み込んだ方がいいかもしれない。


 悩むライにリースは苦笑を浮かべた。どことなく呆れているようにも見える。


「ま、最初なんてそんなものだよ。魔法って精霊がいろいろやってくれるから使うだけなら割と簡単だけど、使いこなすのは結構難しいのよね」


 その言葉に魔法が簡単だと甘く考えた自分の心を見透かされたようで、強い羞恥に襲われる。

 そんなライの様子を、リースは過去の自分を懐かしむかのように生暖かく見ていた。


「そういえば、どうしてライってそんなに強くなりたいの?」


 リースはふとそんなことを聞いてきた。


「なんというかライって、強くなることに……ううん、強くなって人を殺すことに執念めいたものが感じられるのだろうけど、その理由は一体何かと思って」


 思わずライは固まる。自身の裡にあるその感情。それをあえて誰かに語ったことなどない。すすんで誰かに口にすることでもないとも思っていたのもあるが、そもそも誰かに聞かれたことがなかった。だがそれなりに協力してもらっている彼女から聞かれた以上、やはり聞かせるべきだろうか。

 ライはしばらく逡巡すると、リースに背を向けた。


「ならばついてきてくれ」


 そう言ってどこかへと向かうライに、リースは慌ててついて行った。




 ライがリースを引き連れてやってきたのは、草原の外れの一角だった。

 同じ始まりの草原の外れとはいってもライの主な拠点としている森とは別方面にあるためそれなりに距離があった。ここもまた人間の使う道からは外れているため人間のあまり踏み入ることの少ない場所である。


「この辺には初めて来るわね。それで、この場所がどうかしたの?」


「ここは、俺の生まれた場所だ」


 その言葉にリースは目を丸くし、改めて周囲を見回す。

 人間があまり来ないためか、草原の中心部よりも魔物の姿が多く見られる。

 外敵である人間が少ないということは、それだけ魔物にとっては安寧の場所ということだろう。

 もっとも――外敵の不在によってその数が増えれば、逆に人間の目につくこととなる。その時は経験値を稼ぐための狩場として襲撃される危機も孕んでいる。


 だが草原の他の場所よりも人間の立ち入りの少ない安全な場所で有るのは事実だった。


「この場所で同族(スライム)の群れの一匹として生まれて過ごしていた――人間が襲撃し、俺以外の群れの仲間を皆殺しにしたあの時まで」


 あの時のことはよく覚えている。笑いながら楽しそうに、まるで遊びのように同族を殺していく人間たち。立ち向かうもの、逃れようとするもの、その悉くが屠られていく光景。積み重なるように転がる同族の死体の中でそれを見ていた己。人間に対する恐怖と――それ以上の憤怒と憎悪。

 群れの中で暮らしていた時期のことはほとんど覚えていない。だがそれにもかかわらずあの時のことをこれほど克明に覚えているのは、あの時自分が真の意味で生まれたからだと思っている。


「あの時俺は決めた。やつら人間たちが俺たちを殺すように、今度は俺がやつらを殺す――人間たちを、一人残らず滅ぼしてやる」


 あの時以来滅多にこの場所にやってくることはなかった。だが生まれたこの場所にやってきてその意思を示したことで、ライの心の中でその気持ちが再び激しく燃え上がった。


「人間を殺して、経験値を手に入れて、世界の誰よりも強くなる! そうなればどんな人間も俺を止められない。そうなったとき、俺がやつらを一方的に狩り殺す。このまま強くなって、いずれ――」


「えっと、さすがにそれはちょっと無理じゃないかな」


 だがそんなライに水を差すようにリースが口を挟む。

 思わず睨むようになってしまった視線の先にいるリースはなんとも言えないような微妙な表情を浮かべていた。


「ライの事情は分かったわ。殺し殺されはよくある話ではあるけど、当事者がそういう想いを抱くのもわかる。ライが戦う理由も、人間が憎いのも理解したし、同情もする。ただ……」


 リースは何というべきか迷っているようでその視線をしきりに彷徨わせる。だがやっと覚悟をきめたのか、ライをまっすぐに見据えて告げた。


「ライが行動に移したのがあたしが経験値のことを教えたからなら、ライにはちゃんと言わなきゃいけない。……ライ、あなたは世界を知らなすぎる」


 その言葉にライの表情は険しくなる。まるでリースは、ライの復讐は無理だと言っているかのようだ。


「ライ、あなたは『ランク制』って知ってるかしら? 多分知らないだろうから説明するけど、これは人間たちが、人間や魔物、そして魔物の住むフィールドの強さや危険度なんかを評価する基準のことよ」


 突然何の説明を始めたのかと訝しむライを無視してリースはそのまま説明を続ける。


位階(ランク)の区分は最高のAから最下位のFまで。そしてそれをさらに二つずつに分けている。つまり最も高いのがAの上位であるA+ランク。そこからA、B+、B、C+という順番で全部で12段階のランクに分けているわ」


「なるほど、今まで強そうな人間や弱そうな人間などいろいろ見てきたが、人間の強さはそれだけ区分けされるくらい差が大きいわけだな」


 ライの言葉に頷く。彼にとっては完全に新しい概念だが頭がそれなりに回るライの理解は決して悪くない。だがそれでも彼はリースの真に言いたいことを未だ理解できてはいない。

 リースはそんなライを見て一つ溜息を吐いた後、はっきりとライへ告げる。


「この始まりの草原(ファーストステップ)とそこに住む魔物のランクは『F』……12段階の中でも最下位よ。そして同じく、ここに訪れる人間も同じくFランクの最下位なの」


 その言葉にライは目を見開く。ようやく彼女の言いたいことを理解したからだ。


「ライ、あなたは強い。スライムなんて人間に対してろくに傷も与えられないような最弱種族なのに、その力を鍛え上げて多くの人間を殺してきた。でも、その殺してきた相手は同じ最弱クラスの人間たち――もっと強い人間はこの大陸に無数にいるの」


 ライは強い人間、弱い人間多くを見てきたつもりだった。

 確かにそれは事実だろう。だがその優劣は人間の上位と下位の優劣ではない。Fランクという最下位の中での優劣でしかなかったのだ。


 つまりライの考える強者よりも、実際の人間の強者は遥かな高みにいるということだ。

 そんな想像もできないところまでたどり着けるというのか。


 ライは神妙な表情でリースの言葉を聞いていたが、やがて不敵な笑みを浮かべた。


「……ふん、見たことがないくらい強い人間たちがいるならそれよりも強くなればいい。そのA+ランクを軽く殺せるくらいにな。ただ単に先は長いというだけのことだ」


 以前リースは自分がライやライと戦った魔法使いよりもずっと強いと言っていた。それはつまり、彼女はこの草原にいる者たちよりも高いランクだからこその言葉だったのだろう。


 そんな強者からの忠告を笑い飛ばすライを、呆れたような痛ましいようななんとも言えない表情でリースは見つめる。


「まあライがそれでいいなら別にいいけど……」


「さて、話はそんなところだ。それじゃあ俺は先に戻る」


 リースに背を向け、ライはその場を去る。

 置いて行かれる形となったリースはしばらく草原の片隅で平和に暮らす魔物たちを眺めていたが、やがて彼女もその場を去ろうとする。


「ねえ、リース」


 そんな時、背中からかけられた声に動きを止め、声の方へと振り向く。


「あら、ミミネじゃない。どうしたの?」


 そこには彼女にとっても知り合いであるミミネズミの姿があった。


「さっきのライとリースの話をちょっと聞いちゃって。それでちょっと聞きたいことがあるんだけど」


「聞きたいこと?」


 リースは首をかしげる。どうやらこの場所に向かうライたちを見かけて彼がついてきていたのだろう。話も盗み聞き同然だが聞いていたようだ。しかし一体何を知りたいというのだろうか。


「さっきのライが人間を襲う理由とか、ボクにはちょっと難しくてよくわからなかったんだけど、その辺教えてくれないかな」


 ミミネはリースより付き合いが長いはずだが、どうやらそのあたりの事情を知らなかったらしい。


「うーん、あたしの口から言っていいのか分からないけど……まあ、あなたたちもライを手伝ってるんだし、いいかな」


 リースは僅かに悩んだが、彼の頼みを承諾することとした。

 それからリースは真剣な様子のミミネへ、ライの事情を語って聞かせた。話を聞くたびにミミネの様子が変わっていき、どこか覚悟のような気配が感じられた。


(あれ、たしか前にもこんなことがあったような……)


 もしかしてまずいことやっちゃったかな、と僅かに頬を引きつらせる。だがそんな彼女を尻目に、ミミネはリースへ礼を述べると、住処の森へ向かって駆け出して行った。



      ※      ※      ※



 ライは苛立っていた。その苛立ちは先程のリースとの会話によるものだ。

 リースに対して何でもないように言ったが、実際の所は決してそんなことはなかった。あんなものはただの強がりである。その内心では大きな波紋が起こっていた。


 ライは強い。だがそれはあくまでこの始まりの草原の中でのことだ。これまでの戦いで圧倒的な勝利だったこともあるが、紙一重といっていい一歩間違えれば自分が死んでいた戦いも多かった。

 そんな強敵だった人間たちが、人間の中ではただの雑魚でしかなかった。その事実がライに与えた動揺は非常に大きかった。

 ランクにして最下級の人間があれだけの強さを有している。ならばそれより上はどれほど強いのだろうか。そこまで到達するのにどれほどの時間と努力が必要なのだろうか。いや、そもそもそこまで到達できる可能性はあるのだろうか。


 復讐への道が見つかったと思った。それがどれほど長く険しい道でも貫く覚悟があった。いや、あると思っていた。だがそんな彼をあざ笑うかのように、その道は彼の想像よりも遥かに長く、険しい道だった。

 この草原という小さな世界しか知らなかったライにとって、その世界の広さは彼を打ちのめすには十分だったのだ。


 ライは走る。苛立ちも弱気もすべて吹き飛ばすように。

 どれだけ走っただろうか、その視界の端に捉えたものに、ライは動きを止めた。


 ――人間だ。


 即座に近くの草に身を潜めて様子を伺う。

 相手の数は四人。弱い人間特有の浮ついた気配はない。落ち着いた様子で進むその様子に、強い人間だと判断する。

 強い人間が四人ともなればはっきり言って手に余る。これまで二人相手なら勝ったことは何度もある。その手応えから三人もいけるだろう。しかし四人ははっきりいって厳しい。


 ライはしばらく悩む。本来ならば迷わず見送っていた。人間なんていくらでもやってくる。勝てる相手を選んで殺せばいい。

 しかしつい先程のリースとの話を思い出す。草原の外にいるという強い人間たちの存在を。そしてそこにたどり着くための道のりの長さを。


 ――この程度に勝てないようならば、いつまでも先に進めない。


 ライは決意する。これは試練だ。たとえ強い相手が多かろうと、自分は勝たなければいけない。その先にこそ復讐の道はあるのだ。



 かくしてライはこれまで戦ってきた中でもっとも多く、そして強い相手を襲うことを決意した。その決意が焦りから生まれたということにも気付かずに。


 そしてその焦りによって、自身にとっての大きな武器である慎重さを欠いてしまっていることにもまたやはり気付いていなかった。



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