5話 魔法との遭遇
始まりの草原にある泉。そこはこの草原を探索する冒険者たちにとって休憩地点として重宝されている。
草原をぐるりとめぐるように敷かれた道は泉を横切るような通りにあり、冒険者たちの拠点であるイオの街から出発して休憩をとるのにちょうどいい距離にある。
そしてこの時も二人の少年が泉のほとりでその身を休めていた。
「いやー、楽勝楽勝。この草原の魔物なんて俺らの相手にならないって。なあヘイズ」
剣の刀身の汚れ――草原の魔物を屠って付着した血肉を拭い簡単な手入れをしながら、少年が自らの相棒へと上機嫌に語り掛ける。
そんな彼の様子にヘイズと呼ばれたもう一人の少年は呆れたような溜息をついた。
「ディルク、あまり調子に乗るんじゃない。そもそもこの始まりの草原に住む魔物は弱いんだ。それに勝ったところで自慢にもならない」
ヘイズのたしなめる言葉にディルクは気分を害したように口をとがらせる。
もっともディルクもその指摘は理解できる。この始まりの草原はそういうフィールドなのだ。とはいえ気分がいいところに水を差されたようでいい気分はしない。相手の言葉の正しさはさておきヘイズへと反駁することにする。
「そうだとしてもこれまでこうも楽勝続きなんだぜ。いっそもう草原を卒業して『静寂の滝』あたりに行ってもいいんじゃないか」
イオの街の冒険者が始まりの草原の次に目指すフィールドを挙げる。口にしてから、始まりの草原の手応えのなさを考えるとそれもいいんじゃないかと改めて思う。
だがヘイズはそんな彼の楽観的な意見に顔をしかめる。
「まだこの草原に入ったのは二回目だ、いくらなんでもまだ早い」
「そうか?」
「そうだ。まあたしかに魔物が弱いのは否定しないが、それでここをもう卒業するのは惜しい」
そう言ってヘイズは顔の横で人差し指をぴんと立てる。
ディルクはそれを見てわずかに苦笑する。ヘイズの癖だ。長い付き合いのディルクはその癖の意味を察する。
「『始まりの草原でどう過ごすかで冒険者としての将来が変わる』――確かにこの草原は安全なフィールドだがだからといって、いやだからこそ漫然と過ごしちゃいけない」
そんなことを言うヘイズにディルクはからかいを含んだ視線を向ける。
「それもお前の叔父さんの受け売りか」
「っ、別にいいだろ」
図星だったヘイズは顔を赤らめ顔を背ける。彼の癖が出るのは総じて父親からの受け売りを語って聞かせるときなのだ。
「まっ、一流冒険者だったヘイズの叔父さんの言葉だ。真剣にやるよ」
もともとヘイズの忠告をそこまでないがしろにするつもりはない。
頭の固いヘイズの正論を、ややお調子者なディルクが混ぜっ返す。いつものやり取りだ。ヘイズの方もそれはわかっている。口ではどうあれ、二人は互いのことを十分理解し、尊重していた。
「ああ、それともしかしたら必ずしも安全とはいえないかもしれないぞ」
ふとヘイズは思い出したように口にする。一体何かとディルクは訝しむ。
「ここ一、二週間くらいの噂だが、ここ最近始まりの草原に行ったはずの冒険者たちで、そのまま戻ってこないってことがそこそこあるらしい」
「はぁ?」
ディルクはその言葉に目を丸くする。どうやら初耳だったらしい。
「草原で野営して帰ってこないってことじゃないよな」
「一日や二日ならともかく長期間帰ってこないらしいし、そもそもそれなら噂にもならない。だからもしかしたら……」
「この草原で死んだって? バカバカしい」
鼻で笑う。一体この草原にどんな危機があるというのか。
「魔物に殺されたでもいうのか。正直ここの魔物たちよりも転んで頭打つ方が危ないってくらいだろ」
ずいぶんな言い様だが、その認識は決して間違っていない。それほどまでにこの草原に生息する魔物は危険度が低いのだ。
「というか『死んだ』っていうんならともかく、『帰ってこない』っていう噂はなんなんだよ。誰も死んだところも、死体も見てないのかよ」
「その辺は俺にもわからないが……」
ヘイズの方も困ったような笑顔を浮かべる。彼としてもそこまで信じているわけではないのだ。
「まあ所詮こんなのは小耳に挟んだ噂だ。だがとにかく安全だと決めつけないで真剣にやろうって話だ」
「……確かにな。わかったよ」
なんとなく嫌な雰囲気のまま、彼らは休憩を終え、泉を出立することとした。
先程の噂を聞いてディルクも若干警戒しながら進む。
だが、初心者冒険者である彼らの警戒にどれほどの効果があるのだろうか。
経験の浅い彼らは、周囲への警戒の仕方も非常に拙いものだった。
いや、それを身に付けるという意味で、始まりの草原という安全なフィールドはうってつけなのだ。しかしながら逆に危険なフィールドに於いては、未熟な警戒などさしたる役に立たない。
現に――離れた場所から彼らのことを噂の元凶が観察していることに、まるで気づいていなかった。
少年たちに危機がすぐそこに迫っていた。
※ ※ ※
ライは泉で休憩をとっていた二人組の人間を遠目に観察していた。草に身を隠しながら、這うようにして後を追う。万が一あの二人組に集中しすぎて他の人間に襲撃されたら致命的なので、周囲への警戒は怠らない。
「あの人間が今回のターゲット?」
傍らを舞うリースの問いにで頷きを返す。
敵が一人ではないというのは厄介だが、勝算は十分にある。
その自信はここしばらくの戦いとその結果より生まれたものだ。
「だがここではまだ襲わない。まだ人間の住処から近いし、一人と戦っている間にもう一人に逃げられたら困る」
万が一取り逃してしまった時のことを考えると、もっと草原の奥で襲いたい。
取り逃して自分のことを知られれば再び人間達による報復があるだろう。ならば拠点に逃げ込むまでに始末する必要がある。彼らの拠点から離れていれば、その分猶予が増える。
「それにあの人間たち、なんだか妙に周囲を警戒しているように見える。できれば警戒が緩んだところに仕掛けたい」
「あー、確かになんか下手っぴな警戒をしてるわね。あんなやり方じゃそんな長く持たないでしょうに」
やけにきょろきょろと周囲を見回す男を見て呆れた様子のリース。
あれほど分かりやすいと襲撃のタイミングを計る側としては逆に助かる。
「じゃああたしは戦いになる前に離れてるわね。決着がついたら埋葬役のミミネたちを呼んであげる」
そう言って彼女はライの元を離れていった。
リースはどういうつもりか一日中といっていいほどライの元にいるが、戦いの場には決して居ようとはしなかった。
戦いには参加しないという意思表示だろう。
もっともライも別にそれを気にしてしない。別についてきているからと言って戦力として当てにしたことなどないのだから。
「さて、どちらから狙うか……」
遠目に見る限り一人はやや体格がよく、もう一人はやや細い。
身体能力的にも差があるだろう。
――体格のいい強そうな方が先か、細くて弱そうな方が先か。
最初の一撃は奇襲ができる。
一人を迅速に始末することができれば、もう一人とは一対一でやりあえる。
だが一人目に手子摺ってしまえば同時に二人を相手取る必要がある。
要するに強そうな人間に対し、倒しきれないのを覚悟で奇襲で先に始末するか、他を始末してから戦闘態勢に入った状態で一対一で戦うかだ。
しばし悩んだ末に、ライは決意した。
「よし――先に強そうな方からだ」
そしてライは気づかれないよう距離を保ちながら彼らの後をつける。
彼らの警戒が緩んだと感じたら仕掛けるつもりだ。
奇襲の方法もいろいろ考えるが、ここは堂々と姿を現して襲撃をかけるという方法をとることにする。
奇襲とは思えないかもしれないが、いろいろ試した結果これが一番効果があると実感していた。
ライは獲物たちの後をつけながら、ただ機会を待ち続けた。
※ ※ ※
泉を出立してからおよそ一刻程が過ぎただろうか。とうとうディルクが音を上げた。
「ああもう、やってられっか! 警戒しても何にもないし、疲れるだけじゃないか!」
そう喚く相棒の姿に、意外と持ったなと内心で思うヘイズ。
苦笑しながら苛立ちを隠さないディルクをなだめる。
「分かってるのは未帰還ってだけで、どんな危険があるかもわからない状態だからな。ちょっと警戒したくらいでどうこうって問題でもないさ」
「だったらあんなこと言って無駄に警戒させるなよ」
そう文句を言うディルクに、指を立てながら訳知り顔で言う。
「『優れた冒険者とは単に戦闘で強い者ではなく、危険を事前に察知し未然に回避する者のことだ』――探索中の警戒っていうのは必要になるんだから、そのための練習だと思えばいい」
ディルクは恨めしそうにヘイズを見ながらも、慣れない警戒で疲れたのもあってそれ以上は何も言わなかった。
完全に緊張が解けていた二人だったが、草むらから葉擦れの音が聞こえると、再度緊張を走らせ音の方向を見る。
だがそこにあったものを見て二人から力が抜けた。
「なんだ、スライムか……」
最弱の魔物を前にして、呆れたような溜息をつく。まったく、自分たちはなにを恐れていたというのか。
噂話を聞いてから不必要なほどに緊張していたらしい。
スライムがぴょんぴょんと近づく。
ディルクはやれやれと言いたげな表情で剣を抜き、迎え撃とうとする。
短時間に緊張と弛緩を繰り返した結果、彼は完全に油断しきっていた。そもそも警戒というのはし続けなければ意味がないというのに、それを分かっていなかった。これこそが彼の命取りであった。
突如スライムが低く、前方へと思い切り跳んだ。えっ、と驚く間もなく、短距離の助走で勢いづいたスライムの身体は、ディルクの頭部目掛けて思い切り跳びあがった。
ディルクは顔面に激しい衝撃とともに浮遊感を感じた。何が起こったのかもわからないうちに全身に衝撃が走る。倒れたのだと自覚するまで、数秒がかかった。わけがわからないが起き上がらなければ、と思いつつも、どういうわけか身体が動かなかった。
ヘイズもまた動けない。目の前の光景が理解できず、完全に硬直していた。それゆえに相棒の危機にも関わらず、動き出すのが遅れてしまっていた。
スライムはその場で真上に再び跳び上がり、倒れたままのディルクの顔面にとどめの一撃を放つ。
ディルクはその衝撃でびくりと跳ねるように痙攣した。
「ディルク!」
ようやく硬直の解けたヘイズが相棒の名を叫ぶが、倒れたまま力の抜けきったその身体からは既に生命を感じなかった。
相棒の生命を奪ったスライムを睨みつけるが、その時交錯した視線に思わず怯んでしまう。
そのスライムの視線に込められた意思は明確だった――次の獲物として狙われているのだ。
気圧されて思わず一歩引いてしまうのとスライムがヘイズへと向かってくるのは同時だった。
「ひっ、あ、ああ、えっと、ふ、≪炎盾≫!」
咄嗟にかざした手から炎が巻き起こる。
炎は壁になり、スライムとヘイズの間を遮る。
スライムは驚いたのか、思わず止まろうとするが、速度の乗った状態から簡単に止まれるわけがない。
かわすように横に逃げようとするも、かわしきれずに炎の壁の端にスライムの身体がかすめた。
ピィッ! という甲高い鳴き声とともにスライムが地面をごろごろと転がる。あたりにゴムが焼けるような異臭が漂う。
だが即座にスライムは起き上がると、そのまま勢いよく走り去っていった。
どうやら逃げたらしい。
「た、助かった……?」
ヘイズは呟き、スライムの走り去った方を呆然と見続けていた。
だがすぐにディルクのことを思い出し、近づく。だがやはりそこにはもはや動くことのない変わり果てた姿の相棒の姿があった。
「ディルク……すまない」
もっと早く動ければディルクは死ななかったかもしれない。ただ後悔の念だけが湧いてくる。
ヘイズは死体の傍らで、静かに涙を流した。
※ ※ ※
「くそっ、なんだったんだ、あの炎は」
ライはその顔を歪めて毒づく。
強そうな人間を狩るまでは順調だった。だが、もう一人を襲った際に突如湧き上がった炎によってライは決して小さくないダメージを受けていた。
体の一部が焦げたような匂いを発しながら今も激痛を訴えている。ぎりぎりで回避したおかげでかすめただけで済んだ。あのまま炎の中に突っ込んでいたらどうなっていたかは明らかだった。
「いやー、手ひどくやられたわねー」
どこかから見ていたのだろう、そう言いながらリースがやってくる。近づいてくる途中で、ライから発せられる異臭に顔を歪めた。
「先に倒すなら魔法使いの方だったかもしれないわね。まあ一目見て分かるってわけでもないかもしれないけど」
「……魔法使い?」
聞き返すライに一瞬リースはきょとんとするが、すぐにその意味を察して苦笑する。
「あー、もしかして『魔法』の存在から知らないのかしら」
なんといって説明するべきか悩むが、実際に見せるのが一番手っ取り早いかと判断して、少女は小さな手を掲げる。
「――≪火生≫」
すると彼女の手のひらから小さな炎が生み出される。
つい先程の焼かれた記憶がよみがえり、思わず後ずさってしまう
「まあこんな感じで火を生み出したり操ったりする技……みたいなものかしら。さっきの人間もあたしと同じで火属性の魔法使いだったみたいね」
「火を操る……」
ということは他にも火を使った様々な戦闘方法を有していたのだろうか。
肉体的な強度が低そうだったので優先度を落として後に狙ったのだが、リースの言う通り先に狙うべきだったかもしれない。
「そういえば、武器で直接攻撃しない、妙な技を使う人間も時折いたな」
これまで観察してきた人間の中にも魔法使いはいくらかいたのだろう。
しかしどのようなものかよく分からなかったので保留にしていたのだ。魔法について欠片も知らない者が遠くからそれを見たところでそうそう何かが分かりはしない。
魔法について知っている知り合いもリースが初めてだったのでそれも仕方が無かったのかもしれないが、そのツケがこの時になってやってきた形だ。
「まあ魔法について教えて欲しいんならじっくり説明するけど、どうする?」
「それは興味があるが、今は残念だがそんな場合じゃない」
彼女の申し出はありがたいが、今はそんな時間はない。
「ヤツが人間たちの拠点へと帰還する前に殺さなければならない」
それができなければ、人間にライの存在が知れ渡り、かつてのように報復に大勢の人間がやってくる。
それは絶対に避けなければならない。
「だがそれにはまずあの人間の火の魔法をなんとかしないといけない」
動き回ってかわすという手もあるかもしれないが、かわしきれなければそこで終わる。それはあくまで最後の手段だ。
必死に思考を巡らせる。自分がこれまで鍛えてきた技、自分の中にある知識、なにか役に立つものはないのか。無いなら無いで何か対応策は思いつかないのか。
どれほど考え込んだだろうか――そしてようやく一つの手段に思いつく。
ライは顔を上げ、リースを見つめる。
「リース、頼みがある」
「ライがそう言うのは珍しいわね……まあこの状況で何を言ってくるかは大体察しがつくけど」
顔をしかめるリースへ、ライは頼みを口にする。
「あの人間を倒すのに力を貸してほしい」




