4話 過去と教訓
『始まりの草原』に住むスライム、ライ。彼が初めて人間を殺した時のこと、そしてその後の顛末については彼にとって忘れられない記憶となっている。
それは彼がライという名前を得るよりもずっと前の出来事。
人間に深い憎悪を抱く彼は、その憎悪ゆえに人間を殺す機会を常にうかがっていた。
自身が人間よりも圧倒的に弱いことは分かっている。だからこそ彼は、その力を得るために鍛錬を行いながら機会をうかがい続けた。決して衝動のまま勝算もなく挑むことなく、溢れんばかりの憎悪を抑え続けた。
そうして、ついにその日が訪れた。
その日見つけた一人の人間。その人間はこれまで見た人間たちの中でも特に弱そうに見えた。
体格があまりよくなく身体能力も低そうに見える。だがそれ以上におそらく初めて訪れたであろう魔物の住む草原に対してやけに怯えているようだった。
鍛え続けた自分なら勝てるんじゃないか。そう思える相手を見て彼はその人間を襲撃することを決意した。たとえ弱そうな人間でも、魔物との戦いの経験を積めばその日の内に別人の様に化ける。それを知っているのでぐずぐずはしていられない。
そして泉のほとりで休憩していた人間に彼は襲撃を仕掛けた。
パニックに陥った人間は必死に逃げ回るが襲撃をかけた彼の方も必死だった。鍛錬こそ積んでいたが彼はこのときが初めての戦い。いざ襲撃をかけてみれば頭の中にあったものは全て吹き飛んでしまい、ただがむしゃらに人間に体当たりをすることしか出来なかった。
やがて逃げる人間の背に当たった体当たりによって人間は転倒する。倒れた人間の頭部目がけて彼は必死に自身の身体を叩きつけた。更にその場で跳び上がり、再びたたき込む。
――死ね、死ね、死ね、ニンゲン!
一心不乱に殺意と共に肉体を叩きつける。何度も、何度も、何度も。
いつしか人間はぴくりとも動かなくなっていたがそれにも気付かずに繰り返す。興奮と殺意と内心に隠れた怯えに自分を失っていた。自分の中に何かが入ってくる様な奇妙な感触ですら彼を止めることは出来ない。
「おっ、おい、大丈夫か!?」
そんな彼を止めたのは、そんな彼らにかけられた声だった。
言葉の意味は彼には分からなかったが、それが人間の声であることは分かる。
興奮状態にあった彼は人間の姿を認めると、続けて現れた人間へと襲いかかった。
どういうわけかやけに自分の身体が調子よく動いた――後から考えればこの時得た『経験値』の影響だったのだろう――が、相手は先程の相手のように決して弱くはなく、肝も相応に据わっていた。
結論から言うと彼はこの人間には勝てず逃げ去る羽目になった。相手は人間の死体の方が気になっていたらしく、追撃もなかった。
かくしてこの日、彼は生まれて初めての勝利と、敗北を味わうこととなった。
だがそこで話は終わらなかった。
その数日後、大勢の人間が大挙して草原に踏み入ったのである。
この大勢の人間によってしばらく始まりの草原が荒らされることとなるのだが、その人間たちが草原に住む他の魔物にはほとんど目もくれずスライムばかりを狙っているのを見て彼は直感した。
――この人間たちは、人間を殺した俺を狩りに来たのだ。
恐怖に襲われ、それから彼は必死に逃げ回り、息を潜めて隠れ続けた。どれほどの日数が経ったか、やがて大挙してきた人間たちはいなくなり、後に残ったのはいつも通りの草原と無数のスライムの死体だった。
この出来事はライの心に拭いがたい恐怖と、そして一つの教訓を残した。
――人間を殺せば、人間は報復にやってくる。
以来彼はその恐怖ゆえに決して人間を襲うことはせず、ただそれでも失われるわけではない憎悪ゆえにいつか人間を襲うべく己を鍛え続けた。
妖精の少女と出会い、全てを打開しうる『経験値』という存在を知るその日まで。
※ ※ ※
「へえ、ライってミミネたちの群れで言葉――共通魔物語を教わったんだ」
ライたちが連れだって森の奥へと向かう中、ライとミミネズミの関係を教えてもらっていたリースは納得した様に呟く。
「ああ。頼み事なんかがあってコイツの群れに接触したんだが、そもそもコミュニケーションがろくに取れなくてな。だが見かねた向こうが教えてくれた」
だが、その言葉を聞きとがめたミミネズミがライへと苦言を呈する。
「ライ……『コイツ』じゃなくて『ミミネ』だよ」
ミミネズミ――ミミネがライへと訂正する。
ライは一つ溜息を吐いた。
「……その名前、気に入ったようだな」
「うん!」
ミミネもライと同様にこれまで名前を有していなかったのだ。初めて得た名前を相当お気に召したらしい。
「どうよ、いい名前でしょ!」
命名者であるリースが自慢げに胸を張る。
「それにしてもろくに意思疎通が出来ない中で、言語習得からはじめるとか凄いわねえ」
リースはその苦労を想像し、呆れたような溜息を吐く。
「言っただろう――『なにが必要になるか分からないから手当たり次第にやった』と。そして実際これがなかったらお前とも話すことができなかった」
そしてひいては『経験値』の存在も知ることが出来なかった。
ライの言葉にリースはひとしきり照れる。
「えへへ、お前と話すこの日のために共通魔物語を学んだ、だなんて照れること言うじゃない」
「そこまでは言ってないが」
リースの様子に呆れたような様子を見せながら、ライは話を戻す。
「なんにせよ、その時からミミネの群れとはつながりがあって、そして頼み事をいざ行うこの時がついに来たわけだ」
「頼み事――埋葬だっけ。一体誰の? 昨日冒険者にやられてたスライム?」
ライの同族がやられたというならば当然の発想だが、ライはそれを否定する。
「違う。昨日殺した人間だ」
森を抜け、岩壁が見えるところまで出てきた。先程体当たりの練習をしていた場所とは若干離れている。
そこには多くのミミネズミたちが動き回っていた。
ミミネズミたちの中心には大きな穴があった。人がゆうゆう一人入れるくらいの。ライとの話で、これが『墓穴』であることは察せられた。
ライはミミネの群れと接触したと言っていた。頼み事というのもミミネ一匹に対するものではなく、群れ全体への頼み事だったのだろう。たしかにこの大きな穴を掘るには、一匹や二匹では難しいだろう。
ミミネズミたちはライたちが来たことを確認すると、近くに積もっていた落ち葉の山に飛び込み、その中に隠してあったものを取り出す。
それは、顔面が潰れた人間――昨日ライが殺した人間の死体だった。
何十匹ものミミネズミが死体の下に潜り込み、その身体に乗せるように背負って死体を運び、そして穴の中へと放り込んだ。
「俺じゃあ穴を掘ることも、人間の死体を運ぶこともできない。だからどうしてもそれが出来る相手の力を借りる必要があった」
「たしかにスライムの身体ってそういうの向いてなさそうよね。それにしても自分で殺した相手をそこまでして埋葬してあげるなんて、変わってるわね」
殺した相手への手向けか何かかと好意的に受け取って微笑みかける。
だがリースはよく分かっていないが、ライの心には人間に対する根深い憎悪がある。そんな彼が人間のためにそんなことをするわけがない。あくまでこの行動は彼自身のためである。
「『人間を殺すと、人間は報復にやってくる』……以前人間を殺した時、俺はそのことを知った」
それこそがかつての失態の教訓。
ライにとっての苦い記憶。だがそれはしっかりと彼への教訓となっていた。
「だから俺は人間の死体を埋葬する――俺が人間を殺した事を知られないために」
埋めてしまえば、死体は発見されない。
草原の端にあるこの場所までは滅多に人間も立ち入ることはない。ましてやわざわざ地面を掘り返したりもしないだろう。
ライの埋葬行為に感心した様子を見せていたリースの微笑がわずかに引きつる。
「それって埋葬じゃなくて死体遺棄や証拠隠滅っていうんじゃ……」
そんな彼らを尻目に埋葬は進んでいく。
ミミネズミたちが墓穴の半ばほどまで土を埋めた時、森の中から一匹のミミネズミが慌てた様にやってきた。
そのミミネズミはミミネの元にやってくると、チュウチュウと何かを語りかけている。共通魔物語ではなく、ミミネズミ同士でのみ通じる鳴き声での会話だ。おそらくこのミミネズミは共通魔物語を使えないのだろう。
そのミミネズミの伝えた内容を聞いたミミネもまた慌てた様子だった。
「どっ、どうしようライ! 今森の中に人間が一人入ってきたって!」
それを聞いてライも緊張した様子を見せる。もしもその人間が偶然にでもこの場所に来てしまえばこの場に集まったミミネズミたちは殲滅されるだろうし、埋葬途中の人間の死体も発見される。
ライは即座に決断する。
「ミミネは他の皆を連れて隠れてくれ……だがそれは念のためだ」
ライはその瞳に緊張と、そして僅かな自信を宿しながら宣言する。
「俺がその人間を殺す」
※ ※ ※
再度森に入ってミミネに教わった方向へ向かうと、そこに彼らの言っていた人間の男を発見した。
男は森の中で見つけた魔物を片手剣を振るって屠っていく。
多くの人間たちは草原に敷かれた道を中心に行動するため、道から若干離れたこの森は人間が立ち入る数が少ない。結果魔物の数も比較的多く、草原に慣れてきた人間にとって狙い目の狩り場であった。この男もその類いだろう。
それを察してライは人間に対して怒りを感じつつ、同時に安堵もする。この人間が死体の埋葬のことを察してやってきたというわけではなかったからだ。既に知られていたとすれば最悪の事態だったところだ。もちろんばれないように注意していたつもりだったが、どこかで目撃されていないという保証はないのだから。
――なんにせよ、この人間を逃がすつもりはない。ここで始末し、その経験値を手に入れる。
一気に決めるとばかりにライは男に向かって駆ける。その動きによる葉擦れの音で男は高速で迫るライに気付く。だが遅い。大地を蹴って、その頭部を目がけて体当たりを放つ。
「うわっ!」
だが驚きのためか男は体勢を崩し、尻餅をつく。狙った頭部は体当たりが当たる寸前に沈み、ライの身体は空を切った。
「な、なんだ……スライム!?」
尋常でない速度で迫ったスライムに驚く男に、今度こそはとばかりに再びライは迫る。慌てて男は背中を探り、背負っていたものを手にする。
再び頭部へと放たれた体当たりは、その頭部に届く前に、甲高い激突音と共にライへと堅い感触を伝えた。
反動で跳ね返されたライは、自分の体当たりを防いだものを確認する。
それは男が顔の前に掲げた円盾だった。
「びびった……ちゃんと盾持ってきておいてよかったぜ」
雑魚魔物相手の狩りには不要と思いつつも背負っていた円盾がちゃんと役目を果たし、男は笑みを浮かべる。左手が衝突の衝撃に若干痺れたものの、それ以上の影響はなかった。
ライは顔が僅かに歪む。
鍛錬を重ねた結果彼の体当たりは驚異的な威力を発揮する。だがそれはあくまで通常のスライムと比べた話だ。決してあらゆる相手を屠るわけでも、防具の守りをも打ち砕く程というわけではない。
どの程度の威力か例えるのならば、せいぜいがちょっとした鈍器程度である。人間の頭部にまともに当たれば衝撃で大きく揺らし、当たり所によっては命を奪うだろう。だがそれ以外の場所に当たってもいくらかの負傷がせいぜいだろう。だからこそライは体当たりを頭部へと狙っているのだ。ましてや盾の守りを貫くようなことはない。
がむしゃらに体当たりをしたところで盾によって防がれるだろう。そしていずれは疲労と反動で動きが鈍ったところを始末される。そんな未来がありありと予測できた。
あの人間を倒すには、まずあの盾をなんとかしなければいけない。だが取り回しの良さそうなあの円盾をかいくぐるのは正面からでは難しいだろう。
ライは決意すると三度人間へと向かっていった。男はそれを見て再度盾を前方へと掲げる。
ライは地面を蹴って跳ぶ。男はその軌道に盾をかざして防――ごうとした時、その体当たりの軌道が自身の頭上を越えていることに気付く。明らかに外れている攻撃をわざわざ盾で防ぐ必要はない。その体当たりを見送り、そして振り向こうとし――
「がっ――!?」
後頭部に強い衝撃を受けて倒れた。
その手から剣と盾が落ちる。慌てて拾おうと手を伸ばすが、それよりも早く跳んできたライの身体が盾を弾き飛ばす。
「あっ、盾が……!」
強力な体当たりを防いだ盾が手元になくなったことで、男の心に弱気が満ちていく。目の前に立ち塞がる様に睨み付けるスライムの目を直視して、思わず「ひっ」と情けない声が漏れる。
男はこの恐ろしいスライムから逃れるために、背を向けて一目散に逃げ出した。たとえ後ろから一撃を受けるとしても、それを覚悟して、とにかく必死で逃げるのだ――
だが、男の視界に青い流線が走った。空中を走る青い塊が、男を一瞬で追い越したと思うと、前方の木に激突し、そしてそこから跳ね返って男の腹に直撃した。
不意の一撃というのは実際よりも大きなダメージを与える。後方からの一撃を覚悟していた男は、予想外の前方からの一撃に思わず崩れ落ちた。
(こいつ、木の幹を蹴って……)
男はスライムの行動の意味を察した。このスライムは体当たりを男に直接当てず、木にぶつけ、そこから再度跳ぶことで予想外の方向から攻撃したのだ。
――三角跳びである。
木登りに使うには何度も繰り返して登っていくためにまだまだ完成には遠いが、一回だけの方向転換に使うには十分だ。
盾をかわすために背後から攻撃したのもこれである。男の後方の木に向かって跳び、そこから後頭部を目がけて再度跳んだのだ。全力での体当たりよりも大分威力が落ちるが十分だった。
ライは男にとどめの体当たりを放つ。盾を失い、膝をついた男に防ぐ手段はなかった。
経験値が流れ込む感覚を受け止めるライへと少女の声が届く。
「ライ、終わったみたいね」
リースが背後にミミネズミたちを引き連れながらやってくる。
ミミネズミたちは新しい人間の死体を再度背負い、先程の埋葬場所へと運んでいく。
「お墓を完全に埋め終えた後ではなくてよかったわね。おかげで同じお墓に埋葬できるわ」
「新しい穴を掘る必要がないのは助かるな。それに今度は墓穴からの距離も近いし、運ぶのも楽だろうな」
そう言ったところで、ライは何か思いついたのか興奮した表情を浮かべた。
「そうだ! 死体を穴に運ぶのではなく、穴の中で人間を殺すのはどうだろうか」
首をかしげるリースへ説明する。
「隠した穴に人間を誘導し、落としたところを殺すんだ。狭い穴ならろくに動けないだろうし、深い穴ならそれだけで怪我を負わせることもできる。そうなればとどめを刺すだけだ。そしてあとは穴を埋めるだけで埋葬もできるから死体を運ぶ手間も不要だ」
リースはライの案をしばし反芻し、そして首を傾げながら思った事を口にした。
「それって要は落とし穴じゃない」
難なく答えたリースの言葉にライは固まる。
「……すごい思いつきだと思ったが、その反応だと有名な物なのか」
「まあとても基本的な罠よね」
「そうか」
ライはうなずき、そして呟いた。
「基本、か……」
ライのどこか落胆の色を帯びた声が小さく森の中に響いた。




