3話 鍛錬の日々
朝の光が始まりの草原を優しく照らす。
陽光を浴びてスライム――ライの意識は睡眠から覚醒していった。
「ん……っ」
ライは僅かな微睡みの後、はっと目を開きすぐに周囲を見回す。意識がすぐに覚醒していく。
少なくとも見渡せる範囲に人間――敵の姿がないことを確認すると、安堵の溜息をつく。毎朝のことであるが、寝ている間に人間に接近されていたらと考えると警戒と不安は当然だ。
そしてこの日ライが寝床としていたこの場所も、そうした警戒から選んだものだった。
「ここはまあ割と安全だが、たまに寝惚けて落ちかねないのは困るな」
ライがすぐ脇を見ると、そこにはあるべき地面はない。地面は眼下の遙か先にあった。
ここは始まりの草原の外れの森。その中にある木の一本である。この木の枝の上こそがライの昨夜の寝床だった。
目覚めたライは一つ息を吐いて覚悟を決めると、木の枝から地面に向かって飛び降りる。
数秒間の浮遊感の後、着地の強い衝撃がライを襲う。
着地の衝撃が軽くなるように草の生い茂る箇所めがけて跳んだがそれでも強い衝撃だ。ライの身体が勢いと衝撃のままに跳ねて転がる。
だが決して耐えられない程ではない。そもそも毎朝のことだ。着地の衝撃と痛みにも慣れている。
そもそも全力での体当たりの際の反動の方が強い。これを耐えられない道理はない。
着地の衝撃から立ち直ると、ライは周囲を再度確認する。この隙に人間の襲撃でも受けたら洒落にならない。
周囲の安全を確認すると、気持ちを切り替え、これからの日課へと思考を向ける。
「さて、今日も一日やるとするか」
※ ※ ※
森の中を探るライへ、少女の軽やかな声がかけられる。
「おっはよー。ライって朝早いのね」
つい一日前に知り合った妖精の少女が、その背の透明な羽根を羽ばたかせながらやってくる。
「リースか、朝からなんの用だ?」
「いやー、せっかく知り合ったライのことをもっと知りたいと思ってね。ご一緒してもいい?」
そう言って笑いかけたリースは、ライの姿を見て首をかしげる。
「ねえ、ライ。袋なんか頭に乗っけてなにやってるの?」
その言葉通り、ライは今その頭の上に革製の袋を乗せていた。
だがそれに対する答えは簡潔だった。
「食料集めだ。付いてきたいというなら勝手にすればいい」
ふとライの視線が地面の一点に止まる。そこには近くの木から落ちたであろう小さな木の実があったのだ。
「ちょうど一つ見つけたな」
そう口にするが、ライはすぐに近づこうとはせず、周囲へと視線を走らせる。周囲の様子に異常がないことを確認すると、ようやく木の実の元へ向かっていった。
ライは頭に乗せた袋を下ろすと、木の実を咥えて袋の中へと放り込む。袋の口を紐を引いて閉める。スライムには手足がないから仕方がないのだがこれらの動作を口を使って器用に行う様にリースは感心していた。
「ライって器用ね」
「まあ慣れだ。この袋というやつの扱いには苦労したが、これがなければ物を運ぶことも出来ない」
「そういえばその袋ってどうしたの? まさか自分で作ったわけじゃないよね」
「以前人間が落としていったやつを拾った。数が少ないが、昨日殺した人間も新しい袋を持っていたのは幸いだった」
そう言っている内に新しい木の実を見つけたのか、再度ライは周囲の確認をはじめる。
「なんでいちいち木の実を見つけるたびにそんな警戒をしているの?」
ライの様子に対する疑問だが、ライはあっさりと答える。
「以前人間が木の実を撒いて、集まった魔物を殺していたのを見たことがある。警戒するのは当然だ」
「なるほど、すごいわねぇ……」
徹底した警戒を行うライにか、それともそのような魔物狩りの手法を取る人間にか若干呆れた様子を見せるリース。そんな彼女を尻目にライは木の実集めと人間への警戒に集中している。
その後もライが次々と木の実を拾い集めていき、袋がだんだんと膨れていく。
そんなライが一本の木の前で足を止めた。
「その木がどうしたの、ライ?」
「この木の上にまだ落ちていない実がある」
ライの視線を追って見上げると、確かにいくつもの大きな実が生っている。
ひょっとしてこれも欲しいのだろうか。
「あっ、もしかして空を飛べるあたしに取ってきて欲しいって事?」
「……いいのか?」
そう尋ねるライに、リースは得意げな、それでいてもったい付けるような笑みを浮かべる。
「えー、そんなにあたしに手伝って欲しいのー? いやー、どうしよっかなー」
「なら別にいい」
「ええっ!?」
あっさり引いたライに思わず驚きの声を上げる。
「ちょっとちょっと、そこはもっと頼み込むところじゃないの!? あたしがいないと木の上なんて諦めるしかないんだから」
「別に最初からお前に期待していたわけじゃない。一人でも登るつもりだった」
「え?」
淡々としたライの様子に首をかしげる。ライには木の枝を掴む手足もなければ空を飛ぶ羽根もない。いったいどうやって木の上に登るというのだろうか。
そんなリースを尻目に、ライは軽い助走と共に目標となる木へと飛びついた。
当然それだけで枝には届くはずもなく、木の幹に激突する。
しかしそこで跳ね返ることもなく、ライの身体はまるで木の幹にへばりついたように張り付いていた。
「俺たちスライムは飛び跳ねるだけじゃなくて這って移動することもできる。やろうと思えばこんな風に垂直な木の幹でもな」
その言葉通りライは少しずつ這うように木の幹を登っていく。
「すっごーい、まるでナメクジみたい」
「……意味はよく分からないが馬鹿にしているだろ」
そうこう言っている内に樹上の木の実も取り終える。
最終的にライの袋に入りきらないほどの木の実を集めた。
「結構早く集め終わったわね」
終わった終わった、と言わんばかりに溜息を吐くリースへ、しかしライは否定の言葉を告げる。
「まだ終わっていない。これを置いたら二袋目にとりかかる」
「……へ?」
ぽかんとするリースを尻目にライは食料の詰まった袋を頭上に乗せたまま戻っていった。
早朝から始めた食料集めも、終わった頃には日が真上に昇っていた。
一息吐いたライは集めた木の実の一部を昼食として食べていた。飲み込んだ木の実がスライムの半透明の身体の外側からも見ることが出来る。体内に取り込まれた木の実はゆっくりと溶けてライの肉体と同化していく。
リースも自分用に集めた木の実を口に運ぶ。ちなみに彼女は自分の分の食料を集めはしたが、結局ライの食料集めに手を貸すことはなかった。彼女なりの線引きのようなものがあるらしい。
「結局あれから十往復近く木の実集めやったけど、ライって大食いなんだ」
集めた食料の量を思い浮かべる。ライやリースの身体の大きさを考えればまるで山のような量といっていいだろう。少なくとも一匹や二匹で到底食べきれる量でもない。
その集めた食料は既にここではなく別の場所に置いてきた。
「そんなわけがないだろう、俺が食べる量はあの中の一部だ。他は別に使い道がある」
「……?」
「さて、食事も終えたし始めるとするか」
最後の木の実を飲み込むとライは動きだす。慌ててリースも自分の食事を終わらせる。
「始めるって、何を?」
「決まっている」
リースの問いに対するライの答えは簡潔だった。
「鍛錬だ」
※ ※ ※
始まりの草原の外れには小さな森がある。
その森を抜けた先には何があるのか。そこには高く聳え立つ岩壁があった。
始まり草原の果て――さながら始まりの草原と他の地域との境目となるようなその場所に向かって、ライは森の中を駆けていた。
地を這うように低く、そして木々の間を抜けるように地面を蹴る度に方向を変えながらジグザグに駆ける。乱立する木々の間を縫うような素早い動きだった。
やがてライは森を抜け、その視界に岩壁が見えてくる。それでもライは速度を落とすことなく、いや障害物である木々がなくなったことで更に速度を上げる。
そして岩壁がライの射程に収まると、地面を思いっきり蹴って跳び上がる。空中をライは回転しながら舞い、そしてその身体を思い切り岩壁に叩きつけた。
乾いたような衝突音が激しく響く。
反動で地面に転がったライは、すぐに起きると周囲を確認してから激突した岩壁へと視線を向ける。だが相手は強固な岩壁。ライの体当たりに罅一つ入らずに変わらず聳え立っていた。
それでもライには手応えを感じていた。
「前よりも走る速度も体当たりの威力も間違いなく上がっている……これが『経験値』の力か」
離れながら様子を見ていたリースがライの元へ近づいてくる。
「今のって体当たりの特訓? こんなこといつもやってるんだ。いつからやってるの?」
「さて、別に数えていたわけじゃないから分からないな。ただ……あの時からずっとなのは間違いない」
「あの時?」
あの時――人間に対する復讐心を抱いた時からだ。
かつてライがスライムの小さな群れの一員だった頃。人間たちに群れの仲間たちを皆殺しにされたあの時。あの時にこそ自分は真の意味で生まれたのだから。
「ふーん……よく分からないけど、ずっとこうやって鍛えてたから人間を倒せるくらいに強かったんだ」
そんなライの背景を知らないリースだったが、彼女なりに納得したのか一人頷く。
「さて、次だな」
「あれっ、体当たりはもうやらないの?」
その疑問にライは若干ふらつくような様子を見せながら溜息を吐いた。
「全力での体当たりは反動がきつい。繰り返すと逆に自分が潰れるんじゃないかと不安に感じる。休憩や他の特訓を挟んで落ち着いたらまたやる」
「あー、なるほど」
リースはライの答えに苦笑しつつも、同時に内心で感心していた。
自分で思いついたのか、それとももしかしたら誰からか教わったかもしれないが、自身を鍛えるという発想に至りそして結果を出している。それもただがむしゃらに鍛えているわけでもなく自身の身体と相談しながら休養などもしっかり行っているようだ。
ライに対する興味を深めながらリースは森の中へ戻るライを追いかけていった。
「それで次は何をやるの?」
「次は木登りを行う」
森に入ったライはあたりをしきりに見回したかと思うと、あたりの木の一本に目を付けて近づいていった。
「この木がちょうどいいかな」
そんなライに対してリースは首をかしげる。
「木登りって、さっきのナメクジ登り?」
「その呼び方で通すのか……? あれとは別の登り方だ」
ライはちょっと嫌そうな顔をするが、リースはまるで意に介していないようなので諦めて続ける。
「あの登り方なら確実に登れるが、時間がかかる。もっと素早く登っていざという時に樹上に退避できるようにしたい」
ライの木登りの様子を思い出す。ナメクジのように木の幹をゆっくりと這いながら登っているあの最中は、敵にとっては狙い目と言っていいかもしれない。あの時は周囲の安全を確認した上で行っていたのだが、いざという時はそうも言っていられない。隙をさらすのは短い時間の方がいいと考えるのは当然だろう。
「だけど別の登り方ってどうやるの?」
ライの言い様だとあのナメクジ登りを鍛えて素早く登るというわけではないようだ。だが手足を持たないスライムの身体は木登りに向いているとは到底思えない。
首をひねるリースを尻目に、ライは目標の木から軽く距離を取る。
「こうする」
ライは木に向かって駆け出した。先程の全力体当たりの助走と比べると大分落ちるがなかなかの速度が乗っている。そしてそのまま地面を蹴って木に向かって高く跳び上がった。
ひときわ高く跳び上がるライ。しかしそれだけで木に登れるわけがない。ライの身体は木の幹へと激突する。
だがそれで終わりではない。激突の衝撃を利用して、再度別の方向へと跳び上がったのだ。そこから跳んだ先にあるのはその隣の木だった。
隣の木の幹に激突し、そしてそこから更に跳び上がった。元の木へと再度跳んでいく。その先は一度目よりも高い位置だった。
「うそっ、三角跳びってやつ……?」
ライは二つの木の間を跳び続けて徐々に木を登り続けている。
だがそれは最後まで成功しなかった。跳び移る際にほんの僅かに方向がずれたのだ。その時は僅かといってもよかったが、そこから更に跳び移ろうとした際には決定的にずれた。二つの木の間を跳ねていたライは明後日の方向に跳び、そのまま落下した。
「むう、失敗した……」
「すっごーい! まさかあんな方法で木登りできるなんて!」
三角跳びの疲労と失敗の落胆でぐったりしているライをよそに、リースは本気で興奮したのか拍手までする。
「失敗を褒められても馬鹿にされてるようにしか思えないんだが」
「そんなことないよ! 失敗は残念だったけど、あの三角跳び凄かったし、途中まで成功してたじゃない」
「あれは三角跳びっていうのか――一応たまになら成功するんだが、確実に成功しないようじゃいざという時に使えないからな。もっと特訓する必要がある」
ライはそう言って溜息を吐いた。
先程の体当たりの特訓と立て続けだったこともあり休憩をとることにする。
「ライっていつもこんな特訓してるの?」
休むライに空中から降下して近づいてきたリースは尋ねた。
「必要に感じた特訓をやっている。たいていさっきのような体当たりの特訓と、動きの速さと体力をつけるために走り回ったりするのが中心だ。その合間に木登り――三角跳びのような特訓もやっている」
「なるほど、基礎訓練を中心にしつつ、そういったちょっと特殊な技も訓練してるのね」
「……正直何が必要になるのか分からないからな。思いついたことは手当たり次第にやっている」
ふむふむと頷くリースに対し、ライは疲れたような溜息を吐く。
誰かの指導の下に行っている鍛錬ではない。ノウハウなんてものも当然ながらない。努力しているのは間違いないが、それが徒労に終わる可能性も十分にあった。そんな中手探りで行う鍛錬というのは精神的にも相当疲れるのだろう。
「それでその鍛錬の結果が昨日の戦いってわけね。すごいわね……本当に」
「……褒め言葉は素直に受け取っておこう」
少女の褒め言葉にライは笑みを返した。
ちょっとくすぐったい気持ちもあるが、自身のやってきた成果を褒められるのは悪くない気分だ。
「特訓以外には人間の観察と地形の確認のために見回りをするくらいか」
「人間の観察は分かるけど……地形の確認?」
よく分からなかったらしい少女に解説をする。
「身を隠せるような丈の長い草の位置とか地面の固さとか、そういったものはあっという間に変化する。だからよく確認している。いつも森の中に籠もっているつもりもないしな」
「はー、いろいろやってるのねぇ……」
どこか呆然としているリースに頷く。鍛えているが、それだけでは足りないのだ。
「おかげで人間の動きもなんとなく分かってきた。人間は草の生えていない道の上が好きらしい。弱そうな人間はあまりそこから離れない。休憩場所も道の近くにある泉のあたりだ。さんざん道の上を歩き回って、一周するか途中で引き返すかして帰っていく。道から出るのは俺たち魔物を見つけて戦う時くらいだ」
始まりの草原には、草原をぐるりと巡り一周するような道がある。当然ながら冒険者たちは始まりの草原ではこの道を利用していく。
もちろん、道の周りしか探索しないようではその行動範囲は大きく制限される。
「だが強そうな人間は道から外れて草原に踏み入って魔物を狩っていく。この森にもよく入ってくるな。あとは弱そうな連中と違って一日で帰らないことも多い」
「弱そうな人間と強そうな人間……新人とそれなりに慣れてきた冒険者かしら? たしかに新人なら慣れない内は歩きやすい道があるのにわざわざそこから外れようとはしないかもしれないわね」
リースはライの言葉に納得したように頷く。
鍛錬もそうだが、独りでよくこれだけやれるものだ。
「とはいえ、今日はこの森からあまり離れるわけにはいかないから見回りには行けないがな」
「離れるわけにはいかないって、どうして?」
「待っている相手がいる」
その言葉にリースは目をぱちくりとさせた。
てっきりライは完全な一匹狼かと思っていたのだが、まさかわざわざ会うような相手がいるとは思わなかった。
そこで今更ながら気付く。ライは共通魔物語という言語をマスターしている。それは即ち、その言語を使用してコミュニケーションを取る相手がいるということだ。
「おーい、お待たせ―」
そんな折り、彼らの元にそんな声が届いた。ライと同じく共通魔物語によるものだ。
「ちょうど来たようだな」
リースはライと共に声の相手を確認する。そこには自分たちの元へと向かって来る一匹のネズミがいた。
一見やや大きめなただのネズミのようだが、その外見には大きな差異があった。その頭部から生えている巨大な耳である。まるで身体ほどに大きな耳を有しており、ネズミはその耳を地面に引きずるように歩いていた。
「あの耳……ミミネズミね」
ミミネズミ――その名の通り巨大な耳が特徴のネズミの魔物である。鋭い齧歯を有しており、この始まりの草原の中では比較的高い殺傷力を有している魔物だ。
しかしながらその巨大な耳のせいで動きが鈍く、魔物でも何でもないただのネズミの方が強いとすら噂されている、ある意味で始まりの草原にふさわしい弱小の魔物である。
ミミネズミは耳を引きずりながらもゆっくりとライの元へやってくると、ライへと語りかけた。
「やあ、頼まれてたことの準備は済んだよ」
「わかった、助かる。礼はいつもの場所に置いておいた」
「ありがとー。食料はいくらあっても困らないし、食料集めの最中に人間に狙われたりして大変だしね」
その会話で、朝から大量に集めた食料が、このミミネズミへの「頼み事」の対価だといういことが察することが出来た。
リースはライの横に来ると、その顔をちょんちょんとつつきながら尋ねる。
「このミミネズミがあなたの待っていた相手?」
「なにこれ、ちっちゃい人間!?」
ミミネズミから驚愕の声が上がる。どうやら彼も妖精族を見たことがないらしい。そんな彼へとリースは微笑みかける。
「はじめまして、ミミネズミさん。あたしはリース、旅の妖精よ。ライのお友達なの」
友達だったのか、と僅かに疑問に思ったが、ライは特に何も口にしなかった。一方でミミネズミの方もその顔に疑問が浮かんでいた。
「……ライ? なにそれ?」
一瞬なにに戸惑っているのかと思ったが、ライはすぐにその疑問の意味を理解し、説明する。
「俺の名前だ、彼女が付けた。だから俺のことはライと呼んでくれ」
きょとんとした様子のミミネズミを尻目にライは二人を促す。
「さて、詳しい話は道々しよう。さっさと行くぞ」
「あ、ごめんごめん。それじゃあ行こう……えっと、ライ!」
ライとミミネズミは連れだってどこかへと向かっていく。
リースも慌ててその後ろについて行く。
「それでライ、これからなにしに行くの?」
「そういえばまだ説明していなかったか」
ライは足を止めリースの方を見ると、簡潔に答えた。
「――埋葬だ」




