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2話 最初の一歩

 始まりの草原、その奥にある小さな森。

 その森の木の枝の上から少女はスライムを見下ろしていた。。


「今の一撃、なかなか凄かったわね! これができるんだったらさっきは逃げないで立ち向かってもよかったんじゃない?」


 草色の髪を後ろで結い上げた幼い顔つきの少女。彼女は友好的な笑顔を浮かべてスライムへと語りかけている。


「あ、さっきっていうのはあのルーキーっぽい冒険者と向き合っていた時の事ね。遠くからちょっと見ていたのよ」


 対してスライムの方は突如声をかけてきた少女へ警戒と緊張を隠さない様子で見上げている。


「なんだかあなたって動きからして他のスライムとは違うよね。目つきが悪いせいかな、なんかおっかない雰囲気出してるし。あっ、もし気にしてたらごめんね」


 少女は一方的にスライムへとまくしたてるようにしゃべり続けるが、スライムは睨み付けるような目で見据えるだけだ。やがて少女の表情に困惑が浮かんでくる。


「っておーい、反応ないとさみしいんだけど」


 そこで少女ははたと気付く。


「ってよく考えたらスライムが人語を理解するわけないじゃない。そもそも人語どころか魔物共通語ですら解する頭はなさそうだし……何やってるんだろ、あたし。もしかして長い一人旅で寂しいのかなぁ」


 一人で盛り上がり一人で落ち込む少女。そんな少女を警戒するようにスライムはじりじりと下がりながら口を開いた。


「――おまえは、何なんだ」


 聞こえた声に少女は一瞬きょとんとして、それから会話できないと思われていたスライムの言葉だと理解して、花開くようにその表情が明るく輝いた。


「わわっ、今のって魔物共通語? すっごーい、スライムなのにちゃんと使えるんだ」


 こほん、と一つ咳払いすると、少女は気持ちを切り替え、改めてスライムに語りかける。しかしそれはこれまで使っていた人語によるものではない。


「はじめまして、スライムさん。あたしはリース。見聞を広めるために大陸を旅しているの」


 リースと名乗った少女の挨拶はスライムにも理解できる言葉――スライムが使用したものと同じ『魔物共通語』と呼ばれる一部の魔物たちの間で使用される言語によるものだった。


「人間が俺になんの用だ」


 目の前の少女が自分にも理解できる言葉で話しかけてきたことに驚きながら、スライムは警戒心もあらわに問いかける。

 しかしながらその問いに対して少女から返ってきたのはなぜか面食らったような反応だった。

 少女は木の枝から飛び降りる。少女の身長を遙かに超える高さであったが、宙を舞うように降下し、衝撃を感じさせない軽やかな着地を披露する。

 スライムと同じ目線の高さまで降り立った少女の頬は、何か不満そうに膨れていた。


「ちょっとぉ、あたしのどこが人間に見えるって言うのよ!」


 唇をとがらせ、そう文句を付けてくる。どうやら少女は人間呼ばわりされたことが不満なようだが、だとするとこの少女は人間ではないのだろうか。スライムは内心疑問に思いつつ改めて少女を観察する。


 とはいえそもそもスライム自身も人間をここまで近くから観察したことはないし、人間は個体差も大きい。少女と人間との差異に気付いても、それが単なる個体差なのか、人間以外の種族としての差異なのかは判断はつきかねるのだが。


 薄く白い肌、胸部が薄く膨らんだ肉体に手足がそれぞれ一対。彼の知る人間の雌個体と大きな差異はない。

 頭部の右側でくくった草色の髪と同じ色の瞳。髪色の差異はあるがこれはただの個体差だろう。

 体格は大分小柄であるが個体差といえば納得する。

 大きな差異といえば、目の前に降り立ったことであらわになった、背中から生えた透明な羽根だろうか。そういえばこのような羽根を有した人間をこれまで見たことはない。


「そうよ、この人間にはない羽根! あたしと人間との明らかな体格差を個体差ですませようとしていても、さすがにこれには気付いたわね」


 小柄な――スライムと同程度のサイズの少女は胸を張り、自慢げに告げる。


「人間なんかとは一緒にしないでよね、あたしはれっきとした妖精族なんだから」


 どうやら彼女は妖精族なる種族らしい。スライムの住む草原ではこれまで見たことがなかったため寡聞にして知らなかった。

 外見こそ人間に近いが人間ではないらしい。ならば、あと知るべき事は一つだ。


「お前は、人間の味方か?」


 スライムは問いかけながら緊張に体を強ばらせる。もしも彼女が人間の味方だというのならば、即座に戦うか逃げるかしなくてはならない。

 だがそんな彼の警戒心に気付いているのかいないのか、少女はさらりと答える。


「うーん、人間の敵ってわけじゃないけど、別に味方でもないわよ」


 その答えにひとまず安心したスライムは大きく息を吐いた。

 スライムの警戒心が大分和らいだのを見て取ったリースは笑顔を浮かべながら詰め寄る。


「それよりも、あなたさっきの一撃すごかったね!」


 リースはどこか興奮したようにスライムへと話しかける。


「他のスライムの体当たりよりも、あなたのはそれよりずっと凄い! あれならこの辺の人間くらいなら通用しそうだし」


 彼女のその言葉には賞賛が込められているようだった。

 自身の一撃が人間にも通用する――それはスライム自身もおそらくそうだろうという認識はあった。しかし彼はそれを実行するには意思がたりなかった。


「確かに俺は人間と十分に戦える力を持っているかもしれない。だが……それが何になるんだ」


 人間と戦いたくないというわけではない。この草原にやってきては同胞を狩り殺して去って行く人間たちに対しての怒りも憎悪も強く持っている。

 だが、彼はそれでも動けない。

 人間の数は多い。仮に一人や二人殺すことが出来たところで何も変わらない。溜飲は下がるかもしれないが、それだけだ。

 そして弱者である己はいずれは抵抗虚しく人間たちに狩り殺されるだろう。


 憎悪のままに暴れて、人間に狩り殺される最期の時まで一人でも多くの人間を傷つけるというのもいいだろう。だが――それは彼の望むところとは少し異なるのだ。


 そんなスライムを尻目に、リースは彼の言葉を受けて腕を組んで考え込んでいる。


「うーん、人間と戦う意味かぁ……確かに言われてみれば難しいかも。せいぜい経験値が手に入るくらいだし、あえて戦う理由なんてないのかな? わざわざ人間相手にするよりも平穏に生きたいって魔物もいるわよね……」


 ぶつぶつと呟くリース。独り言なのだろうその言葉に、スライムはふと気になる言葉があるのに気がついた。


「なあ――『経験値』ってなんだ?」


 その言葉にリースはきょとんとした表情を見せる。まるで「知らないの?」とでも言いたげだ。

 だがこのスライムはこの草原で生まれ育った低位の魔物。妖精族の存在すら知らなかったように基礎的な知識の多くに欠落があるのだとすぐに納得する。

 リースはそんなスライムへと訳知り顔で説明する。


「それじゃあ教えてあげる。いい、経験値っていうのはね――」


 彼女の説明は端的なものだったが、その意味を理解するにつれ、スライムの表情に喜色が浮かび上がっていった。



      ※      ※      ※



 新米冒険者のウィルは一匹の魔物と対峙していた。

 丸っこい肉体に小さな足を生やした体。そしてその頭頂部からは草を生やして草原の中に擬態するという特徴を持つ魔物。

 その動く姿が遠目に草が歩いているように見えることから『アルキグサ』と名付けられた魔物である。

 アルキグサは頭上に生やした長い草をしならせ、鞭のように振るう。

 もし振るわれた草を素肌の露出した部位で受けてしまえば、草の一撃はその肌を鋭く裂くだろう。

 だがウィルは慌てることなく手にした銅剣を振るう。

 横薙ぎの一閃は鞭のように振るわれた草を容易く断ち切った。

 そして頭上が軽くなったことに戸惑うアルキグサを返す刃で真っ二つにした。

 二つに分かれた魔物がどさりと倒れ伏すと共に、ウィルを奇妙な感覚を襲う。


「……!」


 この感覚はあまり気持ちがいいものではないが、ウィルは顔を僅かにむず痒そうに歪めるのみでそれ以上は表に出さなかった。

 魔物を倒す度にこの現象は発生する。初めて彼がこの感覚を経験したのは今朝、草原に出たばかりで遭遇したスライムを倒した時のことだったが、既にほとんど慣れていた。それはこの一日で少年がそれだけの数の魔物を殺したということの証左でもあった。

 スライム、ミミネズミ、アルキグサ、その他種々の始まりの草原に住む魔物たち。それらと戦い殺し続けたことによって、今朝草原に初めて立ち入ったときはまるで覚束ない足取りだった少年は、僅か一日で自信に満ちたいっぱしの顔つきになっていた。


「あっ、もうこんな時間か」


 気付けば日は大きく傾き、草原を赤く染めていた。


「今日は十分戦ったし、暗くなる前に帰るか」


 剣を収め、街へと帰路につく。その表情には本日の成果に対する満足感が浮かんでいた。

 歩きながら今日一日の戦いを反芻し――、そして一つの出来事を思い出し、顔をしかめた。


「今ならあの時のスライムが出ても、逃がしたりはしないのになぁ」


 今朝遭遇し、思わず逃がしてしまったスライムを思い出す。

 他のスライムよりも早い動きで一目散に逃げられてはどうしようもないというのはある。

 しかしスライム相手に怯んだ末に逃走を許したのは少なからず彼の自尊心を傷つけていた。

 ふとカサリと草を揺らす音が耳に届く。ウィルは即座に剣を構え臨戦態勢に移る。

 その先には一匹のスライムの姿があった。


「スライム……もしかしてあの時の!?」


 睨み付けるようなスライムの双眸。その目つきの悪さが特徴的なスライムは、今朝逃げられたあのスライムのものではないだろうか。

 しかしウィルは今度はその視線に気圧されることなくしっかりと見据える。


「今度は逃がさない……!」


 一方でスライムの方も今度は逃げるつもりはないのか、その目に敵意を宿しながらウィルへと向かってきた。

 ぴょんぴょんと飛びはねながら迫ってくるスライム。その動きそのものはこれまでのスライムと変わらない。

 今日一日でウィルはスライムとの戦いの要領を掴んでいた。

 剣を構え、自分は動かずにじっとスライムを見据える。ゆっくりと迫るスライムとの間合いと跳躍のリズムを計る。


 ――今だ!


 そしてついにウィルが飛びかかろうと足を踏み出した瞬間――眼前のスライムが突如として加速した。


「!?」


 思わずウィルは踏み出した足を止めてしまうが、その間にもスライムは迫る。これまでと違って、低く地面を這うように跳び、瞬く間にウィルの足元へと達していた。そこからまるで地面が破裂したのかと思うほどの衝撃と共にスライムは跳ぶ。


「ぐぼぇっ!?」


 スライム渾身の体当たりが腹部に突き刺さり、ウィルは思わず膝をつく。ゴホゴホッ、と激しく咳き込む音が響く。

 ゆっくり近づいて油断を誘いながら、ある程度の間合いになったら加速して急襲する。スライムの行ったことは単純であった。以前スライムが逃げた時の速度を考えれば、警戒してしかるべきであった。ウィルの一日の戦いの慣れが悪い方向に出たというのもあっただろう。

 地面に転がって悶絶したいが、それでも腹部の激痛に必死に耐えながら地に手を付けて顔を上げる。その瞳は衝撃と苦痛で零れた涙で滲んでいた。

 スライムは先程の素早い速度そのままに遠ざかっていく。逃げるのか、と一瞬安堵しかけたところで、スライムがまっすぐ逃げている訳ではないと気付く。

 スライムは去っているわけではなく、弧を描くように旋回し、そして戻ってきているのだ。その行動の意味を察して固まった。


 ――あのスライムは、助走を取っているのだ。


 ウィルは逃げなければ、と思うものの体がいうことをきかない。

 今日初めて冒険者として実戦に出た少年に、初めて訪れた危機。それによって生まれた恐怖と先程の一撃のダメージが少年の体を縛っていた。

 硬直する少年をよそに、敵はスライムとは思えない速度で駆け、そして少年の眼前まで迫ると地面を蹴り、飛び上がった。

 半透明の青い塊が自身へ向かって飛んでくるその光景をウィルはどこか他人事のように呆然と見ているしかなかった。


 直後、破裂音と共に少年の顔面に激しい衝撃が走る。その衝撃によってウィルの意識が吹き飛ばされ、そして永遠に戻ってくることはなかった。


 かくして新米冒険者ウィル少年の冒険はこの瞬間に終わりを告げたのである。

 


      ※      ※      ※



 倒れ伏し、動かなくなった人間をスライムは見下ろす。

 彼ら魔物たちの住処たる草原に侵入し、無邪気に狩り殺していた憎き冒険者はもはやただの屍である。

 だが、スライムの自身の内から湧き上がる怒りと憎悪が収まることはなかった。

 そもそも人間は目の前の一人だけではない。この怒りも憎悪もあらゆるすべての人間に向けられたものだ。この少年一人を殺したところでこの感情が収まるわけがない。

  最早用はないとばかりに人間の死体から意識を外した時にそれは起こった。


「……!」


 スライムは突如としての自身に奇妙な感覚を感じたのだ。


 それはまるで、自分の中に何かがずるりと入り込むような感覚。

 その感覚に耐えながらあたりを見回してもその感覚を与えてくる相手は見つからない。この現象はあくまで彼の内側のみに起こっているのだ。

 彼の中へと入り込んだそれは自身を塗りつぶそうとするように広がり――やがてその勢いをなくして自分の中に溶けていく。

 この感覚は彼にとってこれまでも数度だが覚えがあった。その時はこれがなんなのか知る術はなかったが、今ならば分かる。


「これが――経験値か」


「そうよ」


 一人呟くスライムに答えたのは頭上で一部始終を眺めていたリースだ。

 その背中の羽を羽ばたかせ、ゆっくりと降下しながら講釈するように続ける。


「相手を殺すことによって得られる力――その力を『経験値』と呼んでいるの。君も今経験値を手に入れた分強くなってるわ」


 リースはスライムの攻撃によって潰された人間の顔面を見て「うわー」と若干呆れたような色の息を漏らした。

 スライムはそんなリースに構わず、経験値を手に入れ強くなった、その事実に笑みを浮かべた。


「つまり――人間どもを殺せば殺すほど強くなれるのか」


 これまで彼は人間を憎みながらもその人間と戦うことを避けていた。

 それは命を賭けて戦ったとしても得られるものがほとんどないと思っていたからだ。もっともそれだけではなく、その裏には自分たちを狩り殺す人間への恐れなどもあっただろう。

 だが今、彼はそれらを凌駕する『理由』を得た。


「人間を殺して、殺して――誰よりも強くなってやる」


 そう静かに決意を口にするスライムを、リースはじっと見つめていた。


「ふーん……」


 やがてリースの口許に悪戯っ子を思わせる無邪気な笑みが浮かんだ。


「ねえスライムさん。あたし、しばらくこの草原に留まることに決めたんだ」


「……? 確か旅をしているとか言っていた気がするけどいいのか」


「まあそうなんだけど、それでもしばらくここに留まってもいいかな、って。ちょっといろいろ面白そうだし」


 そうあっさり言ってのけると、スライムに問いかける。


「それでいつまでもスライムさん呼ばわりじゃ不便だからお名前を教えてくれない?」


 少女のこの発言、それは彼女がこのスライムに強い興味を持った証である。

 だが、その問いにスライムは困ったような表情を浮かべる。


「名前は――ない」


「え?」


「特に必要も付けてくれる相手もなかったからな」


 彼は共通魔物語という言語こそ習得しているが、この草原にそれを使って意思疎通するような相手はほとんどいない。せいぜい数匹程度だ。これまでも名前がないことに不便すら感じなかった。いやそもそも「魔物の個体ごとの名前」という存在自体がこの始まりの草原に存在するのだろうか。

 だがリースにしてみればそれでは困る。むう、と少し唸った後、いいことを思いついたと声を上げる。


「それじゃああたしがあなたの名前を付けてあげる!」


 満面の笑みを浮かべてそう宣言すると、しばしリースは目を閉じ黙考する。やがてよい名前を思いついたのか、カッと目を見開くと、スライムをビシリと指さす。


「決めた! あなたの名前は――『ライ』。スライムのライよ!」


 そう、リースは宣言する。そのネーミングに自信があるのか、誇らしげに胸を張る。

 元々自身の名前に頓着していなかったので否はない。

 スライム――ライも自身に付けられた名前を受け入れた。



 この日、ライと名付けられた一匹のスライムにもたらされた出会い。

 彼にとってそれは運命と言えるものだった。


 彼の胸に抱いていた、溢れんばかりの人間への憎悪。

 自身の裡に溜め込むばかりだったそれが、ついに行き場を見つけたのだから。


 憎き人間たちを殺し、人間たちよりも遥かに強くなるために。

 彼の運命は動き出したのだった。



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