エピローグ 次なる一歩
アネリアが目覚めると、そこは見知らぬ部屋だった。
ベッドに横たえられていた身体をゆっくりと起こす。
ここはどこなのか、何故自分は寝ていたのだろうか。そう考えていると後頭部がズキリと痛む。どこかにぶつけたのだろうか。
「あっ、アネリアさんが目を覚まされました! 支部長に知らせてください」
アネリアが起きたのに気付いて、部屋にいた人たちが慌ただしく動き出す。
(支部長……? もしかしてここはギルドの医務室?)
だが一体何故自分がそんなところに寝ていたのだろうか。疑問に思うが寝起きで鈍った頭では上手く答えが出ない。
そうこうしている内に、その答えを持っているであろう人物がやってきた。
「マルコスさん……」
彼女もよく知るイオの街の冒険者ギルド支部長のマルコスだ。
彼は目を覚ましたアネリアを見て、安堵の笑みを浮かべる。
「アネリアさん、目を醒ましたそうですね。お身体は大丈夫ですか?」
「その、私は一体……」
アネリアが混乱していることを察したのだろう。マルコスは頷いて説明をはじめる。
「皆さんがミミネズミの討伐に向かっていましたが、なかなか戻ってくる様子がなかったので、あなたたちもやられてしまったのではないかという話が出てきたのです」
ミミネズミの集団飛行は派手なため、場所にもよるが草原に入らずとも確認は可能だ。その姿が確認できたということは、アネリアたちのパーティーがミミネズミたちと戦闘を行ったことをイオの街からも察することが出来るということだ。
にも関わらず、なかなか帰ってこない。故に彼女たちも敗れたのではないかという憶測が流れたのだろう。
「一部の冒険者たちが確認してくると言い出して……抑えきることが出来ずに彼らが偵察に出てしまったのですが、結果的に幸いしました。彼らが気を失ったあなたを連れ帰ってきたのです」
もしも彼女たちが敗れたというのならば、彼女たちよりもランクの低い者たちはそれ以上に危険なのは間違いない。にも関わらずそれを制することが出来ないというのはギルド側に問題があるが、結果的には強敵に遭遇することもなく成果を持ち帰ってきたのである。
余談だが偵察に出た冒険者たちの勇気とも無謀とも取れる行動だが、彼らはギルドの受付で格上の冒険者に赤っ恥をかかされたことにより、一泡吹かせたいという思いからの行動だったらしい。
さて、支部長であるマルコスが直々にアネリアの元までやってきたのは、ただ知人である彼女の無事を喜ぶためだけではない。討伐に出た当事者である彼女に何があったのか聞くためである。
「それで一体何があったんですか? 報告によると草原には大量のミミネズミの死骸があったそうです。そこからするとミミネズミにやられたというわけではないようですが……」
その言葉と共にゆっくりと彼女の記憶が戻ってくる。
順調に進んでいったミミネズミの討伐。そしてそこに突如現れた――
「スライム……」
「えっ、スライム……ですか? もっと強い魔物とかじゃなくて?」
戸惑うマルコスだが、思考が徐々にはっきりとしてきたアネリアはそんな彼の様子に構っていられない。
彼女には確認しなければいけないことがある。
――それは彼女以外の仲間の安否。
マルコスに尋ねるべく口を開く。だがそこから声が出ない。唇が震える。
だがそれでも意を決して声を絞り出した。
「あっ、あの、アーネストとカティアは……?」
口に出した直後に激しい不安に襲われる。
気を失う以前に彼女も見た。だが戦闘中の僅かな時間だ、もしかしたら確認ミスかもしれない。あるいは己の記憶違いかもしれない。
聞かなければそんな僅かな望みに縋っていられた。
だがそれでも尋ねざるをえなかった。
だがそんな微かな希望も、悲痛な表情を浮かべて首を振るマルコスの姿に粉々に打ち砕かれた。
つまり見間違いや記憶違いなどではなく、二人は――
「あ、あぁぁぁあああっ――!」
気付けばアネリアは大きな叫びを上げていた。
最愛の弟と将来の義妹の死を改めて認識した絶望の慟哭を。
静かだった部屋に、ただ一人生き残ったアネリアの慟哭が響き続けた。
※ ※ ※
「ちっ、出来ればあの人間も殺しておきたかったんだがな」
そうぼやくのはライだ。
あれだけ強敵だったアネリア。そんな彼女がライの目の前で戦闘不能になって転がっていたのだ。きっちり止めを差しておきたいと思うのも当然だった。危険の排除と経験値の取得、両方の意味でだ。
「もう、ライったらまだ言ってるの?」
そんな未だ未練のあるライに、リースは呆れた様子を見せる。
そんな彼女の様子は以前の快活な少女のものに戻っていた。今はもう彼女の主が操っていないからだろう。
もっともその主は使い魔を通してライのことを見ていたと言っていた。今も操ってこそいないがライたちのことを観察しているのかもしれない。
「ご主人様が言ってたんでしょ。魂の崩壊から復活したばかりの状態なのに更に経験値を取得して魂に負担を掛けない方がいいって。それでライも納得していたじゃない」
「まあ、確かにそうなんだがな……」
ライが魂の崩壊から復活することが出来た理由は分からない。ライ自身にも、リースの主にも。ならば再度経験値を得ることで、再び魂が崩壊する危険もありうる。
特にリースの主は、ライが魂の崩壊から蘇ったことに興味を示していた。そんな興味を持った相手をわざわざ助けたというのに、再び魂の崩壊が起こりでもしたらせっかく助けた意味が無い。
「そもそもあの人間を倒したのはご主人様なんだから、その生殺与奪はご主人様が決めるべきじゃない」
「……確かにな。俺だけじゃ上手くいったとしても逃げる事が出来たかどうかだ。助けが入っても入らなくても生き残る相手についてどうこう言えないか」
そう言って諦めの感情の込められた溜息を吐いた。正直未練が無いわけではないが、これ以上どうこう言っても仕方が無い。助けられなければどうしようもなかったことも事実だ。諦めることこそ肝要だ。
「それに生かして返したら報復されるからきっちり殺さなきゃって話だけど、この始まりの草原から出ていくんだから報復ももう関係ないじゃない」
そう、ライは彼の生まれ故郷である始まりの草原を立ち去ろうとしていた。
理由としては経験値が稼げないからだ。Fランクフィールドにやってくるような人間をいくら殺しても最早経験値を得られない。ライの位階に見合ったフィールドへ移った方がいいだろう。
そしてライが狙われているというのもある。このまま始まりの草原に居ては、ライを狩るべく次々と強力な人間達が襲撃してくるだろう。
つまり今後やってくるのはろくに経験値も得られないFランクか、ライを始末するべく対策を練ってやってくる格上の強敵だけだ。
このままこの草原に居座る意味はない。
そしてライがこの草原から旅立つのに、もう一つの理由がある。
「まさかライがご主人様に招待されるなんてね。こんなこと滅多にないんだから」
それがリースの主からの招待である。
あの後、ゾーラと名乗ったリースの主は、ライを自らの住処に招待すると言ったのだ。魂の崩壊からの復活がそれほどに興味を引いたのだろう。
草原から出ることを考えなければいけなかったライにとっては渡りに船だった。そもそもどこに行くべきかという案すらなかったのだから。
「それじゃあ行っきましょー。ご主人様のところまであたしが案内するわ」
どうやらそういう指示を受けているらしいリースが腕を突き上げそう言った。その声は嬉しそうに弾んでいた。
「随分と機嫌がいいんだな」
「えへへ……いやー、久しぶりの故郷だからね」
目的地はリースの主の下であると同時に、彼女にとっての故郷であるらしい。ライの案内ついでに帰郷出来ることがそれほどに嬉しいようだ。
「故郷、か……」
その言葉にライはふと振り返った。
そこにはこれから立ち去る始まりの草原――ライの生まれ故郷が広がっている。
この草原は最早ライの復讐の上での価値がない。
故にライがこの故郷へと帰ってくることはないだろう。少なくとも、ライが復讐を遂げるまでは。
そのことを自覚すると、ライの心に寂寥めいた思いが湧き上がってくる。
とはいえ、ライには別に愉快な思い出があるわけではない。
復讐の原因となった出来事。復讐を為すために鍛え続けた日々。そして復讐のために戦い続けたこと。そればかりだ。
ただ復讐のことだけを考えて生きてきたのだから仕方がないともいえる。
だがたとえそうだったとしても、いざ故郷を捨てるとなればそのような感傷に浸ってしまうのも仕方が無い。辛く、そして苦しいことばかりでも、そうやって生まれてきたときから過ごしてきた地なのだから。
そしてもう一つ――この故郷での友、ミミネの存在が思い起こされた。
ライと同じく人間への戦いへ身を投じ、そしてその半ばで果てた友。
彼の死に対して思うところはある。ここに共にいないことに対して残念にも思う。
だが復讐の道を歩むライには、その思いに囚われて歩みを止めるわけにはいかない。
ライに出来ることがあるとすれば、ただ戦い続けることだけだろう。
死の瞬間まで人間に向かい続けたミミネのように。
「ライ、どうしたのー?」
草原を眺めながらじっと動かないライに気付いたリースが訝しげな声を上げる。
その呼びかけで我に返ったライは、様々な思いを振り切るように草原に背を向けた。
「いや……なんでもない」
そうしてライは先導するリースの後を追い、故郷の草原を後にした。
――人間を滅亡させる。
所詮は一介のスライムでしかないライの歩む復讐の道のりは、果てしなく長く険しい。
それでもこの始まりの草原で、ライはその最初の一歩を踏み出した。
そしてどれほど困難であっても、その道を突き進む覚悟も持っている。
ライはその瞳に強い意志を宿しながら、新たな一歩を踏み出した。
第一章 始まりの草原編 完
次章 魔女の森編に続く




