21話 力の差
ライの閉ざされた意識がゆっくりと浮上していく。
失われた自身を取り戻したその感覚は、深い眠りからの目覚めに似ていた。
もっとも、その目覚めの気分は最悪だったが。
「ちっ……どうやらこっちが寝ている間にやってくれたようだな」
ライは苛立ちながら、そう吐き捨てた。
己が『自分』を喪失していた間の出来事について、漠然とだが把握することが出来る。夢の中の記憶のように朧気なところもあるが、それでも自身に起きたことは分かっていた。
「あいつらはこれまで俺が吸収しきることが出来なかった経験値か……人間の残り滓共が、好き勝手してくれたな」
かつてライが殺した人間たちの魂が、ライごと命を差し出そうとする。その前にライが蘇ったことで辛うじて避けることが出来たが、なかなかに業腹な行為であった。
『――どうして、またお前が目覚めることができたんだ』
そんなライの内側から、誰かの声が響いた。
自身の中に残っている人間たちの残滓たちの声だ。
もっともライの魂が蘇った以上、もはやその声たちにライを動かす力はない。
『――私たちの魂に耐えきれず、壊れて死んだはずなのに』
それは恨み言ともただの疑問とも取れる言葉だった。
そんな彼らをライは鼻で笑いながら答える。
「さあな、俺が知るわけがないだろう」
実際理由など彼は知らない。結果的に目覚めることは出来たものの、別に彼自身にその目算があったわけでもなんでもないのだ。彼にはその理由を説明することなど出来るはずがない。
それでもあえて何か答えるとするならば――
「もしかしたら貴様ら人間への憎悪が、俺を繋ぎ止めたのかもしれないな」
恨めしそうな人間たちを嘲笑うかのようにそう言った。
それが事実かどうかなどライには分からない。だが彼はそう思うこととした。
お前達への憎悪こそが俺を育て、そしてその執念こそが俺を生かしたのだと。
『そんな理由で生き残れるはずなんて……』
未だ恨みがましく響く声をライは鼻で笑う。
「死人の分際で俺の邪魔をするな。俺は必ず貴様ら人間どもを殺し尽くす。それを為すまで死んでたまるか」
そう高々と宣言する。騒がしかった声たちが、彼の意思に圧されて静まる。
だがそうして生まれた静寂の中、ぽつりと小さな呟きのような声が響く。
『――何故、私たちがこんなにも恨まれ、殺されなければならないの』
「……なんだと?」
その呟きを聞き咎めたライは、思わず意味を理解しかねたのか呆けたような呟きを漏らす。
だがそれも一瞬のことで、直後にライの魂の奥底から激しい憤怒が湧き上がってきた。
「よくもそんなふざけたことを言えたものだな。俺の仲間たちを殺して回った人間どものくせに」
かつて人間たちに襲撃を受けた時に生まれた憎悪をライは片時たりとも忘れたことはない。いや、時を重ねる毎に増すばかりだ。その相手――最早残滓に過ぎないが――に被害者面をされれば、激しく怒り狂うのも当然である。
だがそんな言葉では彼らは収まらなかった。彼らにも思うところはあるのだ。
故に、恨めし気な言葉が吐き出された。
『だって、お前の仲間を殺した人間は、僕たちとは関係ない』
同時に、周囲の空気もその言葉を同意するような色を帯びる。
ライというスライムの境遇――すなわち、人間によって殺されたスライムの群れの生き残りであることを彼らは察していた。彼らには漠然としたものだが、生前の記憶や知識を残していたからだ。それらを持ち寄ればそのくらいは察することができた。いや、そもそもライを通して
そして――ライをその境遇に追い込んだ人間たちが、その結果処罰されたこともまた、彼らの記憶にあった。
『群れの仲間たちが殺されて怨むのはわかる。だがその虐殺は人間の側でも禁じられている……つまり他の人間だったらお前が怨むような行為はしない。だったら実行犯はともかく他の人間まで憎むのはおかしい』
その言葉に、他の声たちも続く。
『元はといえばそれは全部はぐれ者の人間のせいじゃないか。なんでそんな連中のせいで俺たちまで憎まれたあげく殺されなければならないんだ』
『たった数人の馬鹿のやったことのために巻き添えにされたなんて……』
『肝心の連中には手を出してないないくせに、全然関係のない人間を殺して復讐ぶらないでよね』
ライに殺された者たちの声が次々に上がっていく。
それを聞いて、ふと妖精の少女も同様のことを言っていたと思い出す。
ライは全ての人間を憎み、滅ぼすことを考えている。
だがそのきっかけとなった相手が、人間の中でも異端児だったなら、復讐を志すきっかけとなる出来事が人間の中でも罰せられる行為だったなら。
――果たしてそれを基準に人間全てを判断してもいいのだろうか。
そんな問いかけに対するライの返答は、端的な言葉だった。
「黙れ……! ふざけたことばかり言うな」
その言葉には馬鹿馬鹿しいと言わんばかりの嘲りと、全ての根底にある怒りが込められていた。
「お前達の言うとおり、俺の群れを襲ったあの人間たちは人間たちのルールも守らないはぐれ者の連中だったのかもしれない。それならばそんな連中を基準に人間を判断するなという言葉も分からないでもない」
ライはただ人間の憎悪と怒りを糧に生きてきた。そんなライが彼らの理屈に一定の理解を示していた。
だが、それは決して彼らに感化されてのことではない。
故に続く言葉は彼らに同意を示すものではなかった。
「……だが、お前達人間どもに殺されているのは俺の群れだけじゃない。この草原に住む大勢の同胞たちも、日々狩り殺され続けている。そしてそれをやっている連中までがはぐれ者のわけじゃない」
彼らの言葉によって表面上の動機が剥ぎ取られると共に、ライの憎しみの根深さが改めて曝け出される。
人間への憎悪が生まれたきっかけは間違いなくライの群れが襲われた事だ。だが同じ草原に住む魔物たちが人間に狩られているのを目の当たりにする日々こそが、ライの復讐の炎を大きくしていったのだ。
例外を基準に人間全てを憎むのは間違っているかもしれない。だが、例外以外の一般的な人間が行っている行為もまた憎むに値する。
「はぐれ者への憎しみを人間全体に向けるのは間違いだと言ったな……ならば逆に、お前達普通の人間たちへの憎しみならば人間全体に向けるのはなんらおかしくない」
結局の所、その規模の大小の差はあれ、人間は数多くの魔物を狩り殺しているのだ。だというのに無関係振るというのが業腹なのは当然だろう。
ライは内なる怒りと憎悪を吐き出すように言い放つ。
「俺たちを襲った人間たちも、それ以外の人間たちも――全て等しく敵だ!」
叩きつけるようなライの宣言によって、無関係を訴える彼らの声はぴたりと止んだ。
もっとも不満気な気配は残っている。理屈でライを納得させることはできないことは理解しただろうが、だからといって人間を殺させ続けることなど、かつて人間だった彼らには承服することなど出来ないのだろう。
だがライもこれ以上彼らに付き合うつもりはない。
ライも彼らに言いたいことが沢山合ったからこそ付き合ったが、別に己の理屈を真に理解させたいわけでもないのだ。
「別に貴様らに理解してもらおうなどとは思っていない。貴様らは黙って俺の糧になれ。俺が人間たちを滅ぼすためのな」
その通告のような宣言と共に、空気が変わった。
死して尚、ライに取り込まれることなく残り続けていた彼ら。だがライの宣言と共に次々と彼らがライの魂に呑み込まれて消えていく。
鬱陶しいくらいに声を上げていた彼らだったが、そのおかげでその存在はしっかりとライに認識されてしまっていた。ならばライにしてみればその彼らの残り滓を改めて食らうだけだ。
そしてそれはいざやってみれば、これまで経験値を得たときのようにあっさりと行うことができた。
彼らは抵抗しようとするも、所詮は魂の残滓に過ぎない。万全のライに適うわけもなく、次々とその内に呑み込まれていった。
『ああ……スライムなんかに殺されたあげく、このまま消えて無くなるなんて』
彼らに出来る最後のことは、せいぜいが断末魔の如き恨み言を残すだけであった。
邪魔な人間の残滓たちを全て食らい尽くし、この世界に存在する魂がライだけとなった時、ライの意識はゆっくりと外へと浮上していく。
自身の内に存在していた邪魔者達はもういない。むしろ己の魂を成長させる糧となってくれた。所詮残滓であったため経験値としては微量でしかないが。
あとは外側にいる邪魔者をなんとかするだけである。
※ ※ ※
アネリアは眼前のスライムの変化を察して愕然とした。
変化といっても外見に大きな変化があったわけではない。変化を感じたのはその瞳――そこに宿る意思だ。
アネリアはそのスライムの瞳の奥に、アーネストやカティアの意思を見た。死した彼らの意思が僅かなりとも残っている、と。それは改めて彼らの死を突きつけると共に、彼女に喜びを感じさせた。
だが、その瞳の奥からアネリアが見出した彼らの意思が、徐々に失われていったのだ。まるで、僅かながらに遺り続けていた彼らの意思が、それを食らったスライムの腹の中で消化されてしまったかのように。
「アーネスト……カティア……」
立ち直りかけたアネリアの心が再び折れそうになる。
いっそ全てを投げ出してうずくまったままずっと泣いていたい。
だがそんな気持ちを必死で堪えて前を見据える。彼女の視線の先には弟たちを殺したスライムがいる。
彼女の大事な人を殺し、魂を食らった仇の眼前でこれ以上はそんな姿を晒すわけにはいかない。
彼女は一度立ち上がったのだから、そうである以上嘆き悲しむならばその仇を殺してからだ。
アネリアの瞳に強い戦意が宿った。ようやくだが彼女は真に己を取り戻したのだ。
そんな彼女の様子を窺うライは、舌打ちしそうな忌々しそうな表情を浮かべていた。このまま相手が動けなければ楽だったのに、と。
(……まずいな)
ライは現在の状況を鑑みてそう思う。
三人もいた人間たちもようやく最後の一人となった。当初はあった数の不利はもう無い。
だがその代わりに一番の強敵であろう相手と近い距離で相対してしまっている。互いの距離は人間の足ならば数歩程度。これは非常に危険だ。
まずは距離を取りたいところだが、下手な動きを取ればその動きが隙になりかねない。そこを突かれては危険だ。
そのため大きな隙を晒さないように、後退りながら距離を取る。だがその速度はお世辞にも速いとはいえない。
相手は最後の一人とはいえ、それで優位に立ったというわけではない。彼女が強敵であるというのはこれまででライも感じていた。そんな相手に正面から相手して果たして勝てるのか。
できるならばこの場でしっかり殺して経験値としておきたいが、難しいようならば逃走も視野に入れねばならない。
戦うべきか、逃げるべきか――だがこの迷いは、この状況では少々悠長に過ぎた。
ライの決断よりも早く、アネリアが動いたのだ。
「……!」
気付けば、眼前にアネリアの姿が迫っていた。
この程度の距離など、いざ動くとなれば無いも同然だ。
その速度を乗せ、ライを殺さんとアネリアは鉄棍を薙ぐように振るう。
その速さにライは回避することもできない。声を上げるのが精一杯だ。断末魔の如き甲高い鳴き声がアネリアの耳に届く。
破裂音と共に、得物を通して目標を砕く感触がアネリアの手に届く。彼女の頬を飛び散る液体が濡らした。
「……?」
だが鉄棍を振り抜いた姿勢のままアネリアは訝しげに眉を寄せた。
得物から伝わる手応えが妙だったのだ。それに加えて経験値を得る際の感覚もない。格下を殺したところで経験値はほとんど得られないが、その感覚で相手を殺したことを知ることができる。
それがないということは、殺し損ねたということだ。
舌打ちをしたアネリアは辺りを見回すと、十数メートル程先で転がる仇敵の姿を見つけた。
自身の一撃が殺し損ねた挙げ句、己の手によってその距離まで弾き飛ばされたのだと理解して、アネリアは顔を歪めた。
(危なかった)
先の一撃をなんとか逃れたライは、弾き飛ばされた勢いのまま転がる体勢を立て直しながら安堵の溜息を吐く。
もしもまともに食らっていたら、ライの肉体は耐えきれずに四散していたかもしれない。それを防いだのはライの咄嗟の行動だった。
≪水纏≫――水の防御魔法である。共通魔物語の分からないアネリアには発動のための呪文が、ただの断末魔の悲鳴にしか聞こえなかっただろう。
それはただ水を纏うだけのシンプルな防御魔法である。
しかしながら鉄棍の一撃から身を守るにあたって、それは大きな役目を果たしてくれた。
ライの肉体を打ち砕こうとした鉄棍は、ライが周囲に纏った水の護りを打ち砕くだけに留め、その衝撃を著しく減衰させた。
衝突の際の威力を失った一撃を受けても致命的なことにはならない。水の護りを貫くも破壊力を喪失した棍の一撃を利用して、その勢いのまま遠くまで弾き飛ばされたのだ。
とはいえ危なかったのは事実だ。先の一撃に対して呪文のための一言を叫ぶのが精一杯で、それ以外にろくに反応が出来なかった。その呪文もあと少し遅ければ、纏った水ではなくライの肉体が粉砕されていただろう。
また打撃も防いだとはいえ、これがもしも横薙ぎではなくて振り下ろしの一撃だった場合、衝撃をいなすことは出来てもそのまま地面と鉄棍で圧し潰されていただろう。
生き残ることが出来たのは運が大きい。
だがその恩恵は大きい。おかげで欲しかった距離を稼ぐことが出来た。これだけ距離が空けば、距離を詰めて追撃するにも若干の時間がかかる。
そしてライは、一つの決心をする。
(……これは無理だな)
今の攻防ではっきりと分かった。彼女――アネリアに対して、ライはまるで歯が立たない。
このまま挑んだところでまず死ぬだけである。
ならば逃げるしかない。
ライのその判断は間違っていない。ライとアネリアでは位階も実力も大きな隔たりがある。
まず勝てないというのならば、そんな相手と戦わずに逃げるべきだ。
――もっとも、そんな相手が容易く敵を逃がしてくれるわけがない。
「≪燎原の檻≫」
アネリアが呟くように口にしたその呪文と共に、その手の内小さな火球が生まれる。そして彼女はそれを軽く放り投げた。
火球はライの頭上を越え、その背後の地面に着弾する。
直後、ライの後方で激しく炎が燃え上がった。
炎は一瞬で燃え広がり、ライを包むような半円形の炎の壁を形成する。
まるで、ライの後方を遮断するように。
(逃げ道を塞がれた……!)
愕然とする。これでは逃げる事はできない。魔法で水を纏って突っ切るということも考えたが、逃走を防ぐための魔法がそんなことで簡単に突破は出来ないだろう。
実際炎の壁の火力は、半端な水では防ぐことは出来そうもない。
周囲は突破するのも難しそうな炎の壁が取り囲み、そして唯一炎の壁に閉ざされていない前方には倒すことが困難な強敵が立ちはだかっている。
(しかもこいつ、魔法まで使えるのか……)
不利な材料が新たに出てきて、ライの顔が歪む。
逃げ道を失い途方に暮れるライに向かって、アネリアはゆっくりと接近してくる。
右手に得物を携え、そして空いた左手には火精の力が高まっていく。
(……まずい!)
相手が自分へと攻撃用の魔法を使おうとしていることをライは察する。
まだ互いに距離はある。その魔法攻撃を回避することはおそらく可能だろう。
だがそれを防ぐためのライの行動によって隙が生まれれば、そこに追撃をかけてくるはずだ。
そして、その追撃までは防げない……!
どうすればいいか必死に考えるライだったが、当然相手がそれを待ってくれる訳がない。答えが見つかるより早く、アネリアの魔法が放たれた。
「≪火球≫」
アネリアの掌から炎の玉が放たれる。人の頭程の大きさの火球は、標的であるライへ向かって一直線に迫る。
躱さねば、とライは避けようとするが、その動きが止まった。
火球を放ったアネリアが、そんなライの動きをじっと観察している。どう動いても、すぐに対応してライを仕留めることが出来るように。
そんなアネリアの視線に射竦められたように、ライは動くことが出来なかった。
しかしライが動かなかったところで、迫る危険も待ってくれるなんてことはない。
ライは自らを焼き尽くすであろう炎が迫る様を、ただその場で見ているだけしか出来なかった。
「――≪大気の防壁≫」
突然、何かにぶつかったかのように空中で火球が爆発する。
火球は激しい爆発を起こし、その熱量が周囲を焼き払う。
だがその爆発と爆風は、どういうわけかライの元には届かなかった。
――まるでライの前に見えない壁があり、それが火球とその爆風の全て遮ったかのように。
目の前で起こった予想外の出来事に、思わずライは呆然と佇んでしまう。
ライだけではなくアネリアもまた驚きに目を見開いているのを見るに、彼女が企図したことでもないのだろう。
ならば一体誰の手によるものなのか。
その時ようやくライはその場にもう一人の人物が存在することに気が付いた。だがこれまで気付かなかったのも仕方ない。何故ならその人物は彼らの頭上、遙か上空にいたのだから。
「リース……?」
ずっと上空からライの戦いを観察していた妖精の少女が、驚くライの前までゆっくりと降下してくる。
「本当なら手を貸すつもりはなかったが、気が変わった。助けてやろう―― ≪風の吐息≫
」
そう言って彼女は右手を掲げる。彼女の周囲に精霊の力が集い、激しい暴風が巻き起こる。
風圧で地面に圧し潰されるのでは、とライが錯覚するような暴風が巻き起こったのは僅かな時間だった。だが一瞬の後、暴風が収まったとき、ライの周囲を取り囲むような炎の檻が消え失せていた。
今の魔法の暴風によって、炎が全て吹き飛ばされたのだ。後に残るのはただの燃え跡だけである。
今目の前で起きた事に、ライは驚きを隠せない。
ライにしてみれば対応が無理だと判断した敵の魔法を、彼女はなんでもないように消し飛ばしてしまったのだから。
加えて彼女の様子がライの知るリースの雰囲気とはまるで違うことなども、ライの混乱を深めるのに一役買っていた。
そしてもう一人、アネリアもまた乱入者の出現による状況の変化に混乱していた。だがその混乱もすぐに怒りに塗りつぶされる。
大切な仲間が二人殺されているのだ。このまま手を拱いて仇敵に逃げられでもしたらたまらない。
得物を握る手に力を込め、敵に向けて一歩踏み出す。
「貴様っ、邪魔を――」
「邪魔はお前だ」
アネリアに向けた人差し指を、地面に向けてくいっと振る。
直後何かが激突するような鈍い音が響き、アネリアは地面に顔から倒れ込んだ。
そして彼女は、倒れたまま動かなかった。
「えっ……? 一体何が……」
「空気の固まりで後頭部を打ち据えただけだ。大した魔法でもない」
これまでにない強敵。自分では逃げるしかない、いや逃げる事すらできない程の相手。
そんなアネリアが、なんだか分からないまま一瞬で倒された。
リースが強いとは聞いていたが、まさかこれほどまでに圧倒的だとは。ライは呆然としたまま動くことも出来ない。
そんなライを、妖精の少女がじっと見つめる。正面からライを目を見る。その瞳の奥、魂の奥底までのぞき込むように。
「ふむ、やはり本当に魂の崩壊から蘇ったようだな。実に興味深い」
そうくつくつと笑う少女を見て、ライの心に不安がわき上がってくる。
目の前の少女の姿はライのよく知る友人のものだ。だがその実まるで別人のようにも見える。
不安に突き動かされるように、ライは誰何する。
「お前は、リースなのか?」
その問いに少女はわずかにきょとんとした表情を浮かべると、再び笑いながら答えた。
「この肉体はお前のよく知るリースの物だ。ただそれを動かしている私は、察しの通りリースではない」
その言葉にライは即座に身構える。言葉の意味はよく分からないが、リースではないというのならば味方である保証はない。
アネリアを一蹴した強さを見るにどうこうできるとは思えないが、だからといって無抵抗にいるわけにはいかない。
だがそんなライの様子を見て、リースの姿をした何者かは笑いを深めるだけだった。
「そう構えなくてもいい、ライ。君のことはリースから聞いているし、リースの眼を通して何度か見てもいた。だからこそ魂の崩壊についての助言と警告もした。もっともその助言は不要だったようだが」
魂の崩壊についての助言――それを与えた相手と聞いて、ライは少女の正体に思い至る。
「もしかしてリースの言っていた『ご主人様』とやらか」
その言葉に、彼女は満足げに頷いて見せる。
「その通りだ。では改めて自己紹介といこうか」
そしてリースは別人の笑顔を浮かべながら名乗り上げた。
「私の名はゾーラ。リースの主であり、人間たちからは"森の魔女"などと呼ばれている」




