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1話 始まりの草原

 冒険者、と呼ばれる職業がある。

 その名の通り冒険を生業とする者たちの総称である。

 彼らは己の腕一つを頼りに大陸中を駆け巡り、邪悪な魔物たちを打ち倒していく。

 魔族の王たる魔王を打ち倒す勇者の英雄譚を代表に、数多の冒険譚が彼らの冒険から生まれていた。

 そんな冒険者は多くの少年少女たちの憧れの的であった。


 そしてこの日、新たな冒険者となった一人の少年がいた。


「今日この時から僕、ウィルの伝説が始まるんだ!」


 少年――ウィルは、胸中の気持ちを吐き出すようにそう口にした。

 安物の銅剣を手に、ただこれからの冒険への希望を胸に、新米冒険者としての一歩を踏み出したのだ。


 ウィルが最初の冒険の場所として踏み入ったその場所は『始まりの草原(ファーストステップ)』と呼ばれる草原だ。大人しく弱々しい魔物しか存在しないため、危険度が極めて低い。その名が示すように初心者冒険者向きのフィールドである。

 危険度の低さだけではない。「草原」とはいうものの、あたり一面草地だけというわけではなく、少し先には小さな森や泉などもあり、多くの地形を経験することもできる。初心者冒険者が冒険のいろはを学ぶのにはちょうどいいのだ。この草原を最初の冒険の地として育ってきた冒険者たちも多い。

 そんな先人たちに続くべく、ウィルは緊張と興奮で逸る心を抑え、草原をゆっくりと進む。


 草原の真っ只中を突っ切るように作られた小さな道を歩く。道はあまり整備されておらず、若干歩きづらい。とはいえ膝丈ほどはある草の中を踏み入って進むよりは楽だろう。

 緊張と共に周囲を見渡しながら進んでいたウィルの足が止まる。視界に不自然に揺れる草を見つけたのだ。近づいて確かめたい衝動を咄嗟に堪え、姿を隠すように身を屈めながらその正体を探る。


 すぐに草の中に埋もれるように青い塊があることに気づいた。一抱えほどもあるその塊は意思を持つように動いており、その動きが草を揺らしていたのだ。


「あれは、スライム……!」

 

 初めて見つけた魔物の姿に少年の緊張は高まる。その魔物は少年の知識の中にあった。


 その魔物――スライムについて、冒険者たちの間ではこう評されている。いわく『最弱の魔物』と。

 この始まりの草原に生息する魔物は極めて弱く、襲われたとしても危険は極めて小さい。だがそんな魔物たちの中でも際立って弱い魔物こそがこのスライムである。

 青い半透明の饅頭型をした塊につぶらな目と口が付いたような外見の魔物である。その可愛らしい外見のために冒険者以外の人間達からも人気が高い。危険度の低さもあって彼らを愛玩動物として飼っている人もいるという。


 そのスライムが二匹、寄り添うようにしてウィルの視線の先にいる。

 スライムたちはまだこちらに気付いていない。ウィルはごくりと喉を鳴らす。


「二匹もいるけど、スライムが相手なら……!」


 初めての戦いを前にして、心臓がうるさいくらいの音を鳴らす。

 大きく息を吸い、心を落ち着かせる。やがて覚悟が決まったのか、身を隠す草の中から立ち上がり、銅剣を握る手に力を込める。


「やぁぁぁ!」

 

 銅剣を振りかぶり、雄叫びを上げながらスライムへと駆ける。

 上ずった雄叫びと、ばたばたとした足音でスライムたちがウィルの存在に気付く。だがスライムたちが慌てて逃げようとするのと、ウィルの持つ剣が振り下ろされるのはほとんど同時だった。

 振り下ろされた銅剣はその目標を外すこともなく、スライムの一匹を真っ二つに断ち切り、その勢いのまま地面まで叩いた。伝わるその衝撃に思わず剣から利き手を離し、手をぱたぱたと振って痛みを紛らわせる。

 

「よ、よしっ、あと一匹!」

 

 だが獲物はもう一匹いたことを思い出し、気を取り直してそちらへ意識を向ける。しかしそんなウィルの目に入ったのは一目散に逃げるもう一匹のスライムの姿だった。


「あっ、待て!」

 

 慌てて剣を握りなおし、逃げるスライムを追いかける。

 スライムはぴょんぴょんと飛び跳ねながら必死に逃げているが、その速度は決して速いとは言えない。人間ならばせいぜい早歩き程度だろうか。追いつくのは容易だった。

 そのままの勢いで斬りつけようかと思うが、速度が遅いとはいえ上下に飛び跳ねながら逃げるスライムを走りながら斬りつけるのは難しいのではないか。

 そう判断したウィルは更に速度を上げ、逃げるスライムの横をすり抜けるように駆け抜けてスライムの前に立ち塞がった。

 前方へと回り込まれたことに、スライムの表情に動揺が走ったのがウィルにも分かった。


「へへっ、未来の大冒険者から逃げようなんて甘い!」


 そう勝ち誇った笑みを浮かべる。だがそれは同時に大きな油断でもあった。

 逃げられないと悟ったのかスライムのつぶらな瞳に覚悟の意思が灯る。

 スライムは立ち塞がるウィルへと、そのまま向かってきたのだ。

 魔物の逃走を防ぐことばかりに意識を向けていたウィルはその行動に虚を付かれた。

 スライムは地面を大きく蹴り、高く飛び上がってウィルへと渾身の体当たりを放つ。 


「うっ、うわあっ!」


 間の抜けた声を上げながら慌てて剣を振るうも、意表を突かれて体勢を崩しながら振るった剣がそうそう当たるわけもなく、その刃は空中の目標から大きく逸れていた。

 

 放物線を描きながら飛んできたスライムは、狙い過たずそのままウィルの胸部に衝突した。

 ウィルの胸に衝突の衝撃が走る。

 まるで突き飛ばされたような強い衝撃を受け、剣を空振ってバランスの崩れていた体はたやすく崩れ、地面に尻餅をつく。


 ――それだけだった。


 追い詰められたスライムの渾身の一撃。それは少年を転ばせる程度のことしか為すことはできなかったのだ。

 スライム相手に転ばされた事実による羞恥と怒りで顔を赤く染めた少年は、すぐさま起き上がった。


「この……っ!」


 自身の失態を誤魔化すように力いっぱい振るわれた剣は、今度は過たずスライムを両断した。


「あー、痛たたた……」


 魔物の一撃を受けた胸元をさする。しかしそう口にしながらも受けた一撃の痛みは既にほとんど引いていた。

 それでもそのような言葉が漏れたのは、失態による羞恥からであろう。


「はは、まさかスライムからいきなり一発くらうなんてなぁ」


 自分以外誰が見ているわけでもないが、それでも誤魔化すような笑みを浮かべて気分を入れ替える。


 その時、ウィルに奇妙な感覚が走った。


「……っ!?」


 その感覚を言葉で説明するのは難しい。例えるなら自分の中に別の何かが入り込んでくる感覚とでもいうだろうか。

 自分の肉体には変化がない。にも関わらず確かに自分の感覚は確かに自分の中に何かが入ってきていると訴えてきている。

 その奇妙な感覚に身悶える。


 だが、それも時間にすればほんの数秒程度のこと。ウィル自身にとってはもっと長く感じていたが、やがては落ち着き、深く息をついた。

 形容をするのも難しい今の感覚――生まれて初めてのものだったので戸惑ったが、それが一体何だったのかは察することができる。なぜなら冒険者であれば誰でも知識として『それ』を知っているからだ。


「今の感覚がそうなんだ……ちゃんと慣れるようにしないとな」

 

 気を取り直すように顔を上げたウィルの視線の先には、いつからいたのか新たな魔物の姿があった。


「……! またスライム!?」


 現れた新たな魔物もまたスライムであった。慌てて剣を構え、正面から見据える。

 スライムと視線が交錯する。


 先に述べたようにスライムは魔物でありながらも可愛らしい外見として有名である。そのつぶらな瞳は見た目の愛らしさを引き立てている。

 しかしながらそのスライムには愛らしさなんてカケラも感じさせない、鋭いを通り越して荒んだようなひどく悪い目つきをしていた。


 その双眸から放たれる強い感情の籠もった視線を受けた時、思わずウィルの動きが止まる。

  

 だがそれも数秒のこと。魔物の強い視線に怯んだことを自覚すると、羞恥と怒りで顔を赤くする。


「こ、このっ……!」


 生意気なスライムを倒そうと剣を構えて駆け出そうとする。

 だがいざ彼が動き出すよりも早く、スライムはその身を翻し、脱兎の如く駆け去って行く。

 その逃げっぷりに一歩踏み出そうとした体勢のままウィルは固まり、呆然と呟いた。


「一体何だったんだ……くそっ」



      ※      ※      ※



 草原の外れにある小さな森。草原で逃げ去ったスライムはそのまま森まで駆け続けていた。


 ――クソッ、クソッ、人間め……!


 人間への怒り、憎悪、そして逃げることしかできない自分の情けなさ。その心中をさまざまな負の感情にない交ぜにされながら木々を縫うように駆け抜ける。

 その行く先には周囲の木々より一回り大きな木。

 スライムは駆ける勢いのままにその木へ向けて地面を蹴る。

 スライムの青く半透明な肉体が回転しながら高く宙を舞い、そしてその全身を思い切り木の幹へと叩きつけた。


 激しい激突音と共に木が大きく揺れる。その音と揺れがスライムの一撃とその心中の感情の大きさを物語っていた。


 八つ当たりめいた一撃からしばらくしてその心中が落ち着いたのか、スライムは一つ溜息を吐くとその場を立ち去ろうとする。


「うっわー、すっごい一撃……」

「……!?」

 

 その時だった、頭上からそんな声が降ってきたのは。

 突然の声に動揺しつつもそれを押し殺し、頭上を見上げて声の主を探す。

 そこには一人の小さな少女がいた。近くの木の枝に腰掛けスライムのことを見下ろす少女は、スライムが自分を見つけたのを確認すると、無邪気な笑みを浮かべた。


「こんにちは、ちょっと変わったスライムさん」




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