16話 未熟
ライがこれから戦おうという人間たちは、彼がこれまで見た中で最も強い敵である。
故にこの初撃は絶対に失敗できない。相手と大きな戦力差がある現状、最初の奇襲で敵をある程度削れないようでは話にならない。
人間たちを観察しながら誰を狙うべきか検討する。出来れば最も強い相手を落としてしまいたい。
最も目に付くのはリーダーらしき女戦士だ。実力も見た限りでは他の二人より高いし、リーダーを落とすことが出来れば他の二人への動揺も望めるだろう。
そこまで考えたが、すぐにその考えを捨てる。何故なら彼女は未だに周囲への警戒を捨てていないからだ。
彼女はミミネズミとの接敵前も、ミミネズミよりも周囲からの奇襲を強く警戒していた。今はもうその時程ではないが、それでも彼女はミミネズミを狩りながらも周囲へと常に意識を向けている。おそらくだが彼女に奇襲を掛けても防がれる公算が高い。せっかくの奇襲の機会をそれで失うことは避けたい。
ならば狙うべきは残りの二人のどちらかだ。戦士と魔法使い、どちらがより危険であるか考え――その答えは眼前の惨状ですぐに出た。
――狙うは魔法使いだ。
ミミネたちを打ち落として見せた魔法もそうだし、他にどんな強力な魔法を使えるのか分からない。彼女に限らず魔法使いはどんな攻撃手段を持っているのか見ただけでは分かりづらいというのは厄介である。それにこれまで魔法使いにはなかなか苦しめられてきたということもある。
なんにせよ真っ先に排除してしまいたい。
標的を定めたライは隠れるのをやめ、ゆっくりと人間たちへと向かっていく。
これまでの戦いでも幾度も奇襲を行ってきた。その中で隠れながら近づいたり、遠間から全速で突進したりといったいろいろな襲撃を試してみたのだ。その結果、やはりこの方法が一番有効だとライは判断した。
堂々とライは人間たちへと近づいていく。何の変哲もないただの無力なスライムを装って。
しかしその瞳の奥に強い殺意を隠しながら。
※ ※ ※
『赤光の灯火』によるミミネズミ狩りも終局に差し掛かっていた。
そして今、あたりに転がるミミネズミたちに動くものはほとんどいない。
アネリアとアーネストの頑張りによって、ほとんどすべてのミミネズミに止めを刺し終えたのだ。
こちらを伺うように頭上を舞っていたミミネズミたちももういない。降下してきた者は全てカティアの魔法で防いだため被害はない。そして先程逆襲してきたミミネズミを殺してからはまだ宙に残ったミミネズミたちは全て反転して逃げ去ったのだ。おそらくそのミミネズミが群れの長かなにかで、その動揺が大きかったのだろう。
止めを刺し損ねて生き残りが死体の山の中に紛れ込んでいる可能性もあるため、死骸の処理も兼ねてミミネズミの死骸を集めて焼く手筈になっている。その後は逃げたミミネズミたちの巣を探ってその巣も潰さなければいけない。逃げ去ったミミネズミの方角から巣の場所の大体のあたりは付けられるが、それでも一仕事だ。仕事の量を考えてカティアは思わず溜息を漏らした。
とはいえ彼ら三人の中では彼女が一番役割が少ないのだ。ミミネズミたちに止めを刺して回るアーネストとアネリアを見やる。未だに彼らは忙しいが、一方で最早頭上の警戒する必要がない以上カティアの手が空いてしまっている。彼らと共に止めを刺す側に回るべきか。そう考えていた時、彼女はそれに気付いた。自分へ向かって近づいてくる一匹の魔物の姿に。
「……スライム?」
最弱の魔物の代名詞でもあるスライムがぴょんぴょんと地面を跳ねながらゆっくりとこちらに向かってくるのだ。
魔物にとって人間は襲ってくる敵である。そのため魔物から人間に向かってくるということはあまりない。向こうから攻撃を仕掛けてくる時は当然あるが、その割には向かってくる勢いはゆっくりとしたものであまり脅威を感じない。
とはいえ魔法使いであるカティアとしてはたとえスライムとはいえあまり魔物に近づかれるのは歓迎しない。ならばさっさと倒してしまうべきかと魔法を撃つ態勢に入る。
使うのは≪水弾≫でいい。水属性の基本的な攻撃魔法だが、スライム相手には十分だ。
魔力を引き出し水の精霊へ攻撃の指示を意味する呪文を発するためにカティアは口を開いた。
「あっ……!」
だが彼女の口から漏れたのは呪文ではなく、呻きにも似た小さな声だった。そして攻撃態勢に入ろうとしていたカティアの動きもまた止まった。
カティアの行動を阻んだのは、その攻撃対象であるスライムによるものではなかった。カティアの行動を誰かに妨害されたということではない。彼女が動きを止めたのは彼女自身の意思である。
彼女はいざ攻撃しようとする直前に、ある考えに思い至ってしまったのである。
(このスライム、もしかして倒したらいけないんじゃ……?)
ミミネズミ殲滅の依頼を受ける際の話を思い出す。
冒険者ギルドは依頼に関係のない魔物を狩ることに対して明らかに渋い顔をしていた。始まりの草原の魔物を彼ら『赤光の灯火』が狩っても経験値は取得できない。始まりの草原の秩序を崩壊させるミミネズミたちの殲滅こそ依頼されていたが、それ以外の魔物を狩ることを許可されていないのだ。
それに連鎖して、数年前にスライムが多数狩られたという話も思い出される。
その件から時間が経っているとはいえ、それでもスライムの個体数は大きく減少しているだろう。ならば尚更スライムは狩って欲しくないはずだ。
スライムを無意味に狩ったせいで罰則を与えられたという話が更に彼女の行動を鈍らせる。
冒険者ギルドがその話をしたのは彼女たちが暴走しないようにという牽制の意味もあったのかもしれないが、それがこの時誤った方向に大きく影響していた。
もちろんこのスライムがミミネズミたちの仲間、事前の打ち合わせでも出た名有りの魔物だとでもいうのならば話は別だが、現時点でそのスライムは呑気にぴょんぴょんと近づいてきているだけだ。無関係なスライムを狩ってしまい、冒険者ギルドに何らかの罰則を課せられるようなことがあっては困る。
だが彼女が迷っている間にもスライムは近づいてくる。
「っ、≪水弾≫……!」
これ以上は近づかれたくないと、カティアは呪文を発する。
その意思に応じた精霊が彼女の突き出した掌に水球を生み出し、そのまま撃ち出した。
放たれた水弾は彼女の思い描いた軌道を一直線に突き進み、そして着弾した。
――スライムの数歩手前の地面に。
地面を小さく抉った水弾はあたりに水飛沫をまき散らす。スライムはその水飛沫を大きく浴びたが、当然ながら傷一つ付いていない。ただの威嚇射撃である。
だがその威嚇射撃に効果はあった。近づいてきていたスライムは驚いたのか動きを止めたのだ。その場であたふたとしているように見えるその仕草に思わず笑みが漏れてしまう。
とはいえ出来れば今の威嚇射撃でこの場から逃げて欲しかった。あるいは威嚇射撃を受けてもなお向かってくるようならば攻撃しても多少言い訳は立つ。混乱したのかその場から離れようともしないスライムに、カティアはひどく困っていた。
そして彼女はこの場の判断を、頼りになる人物に委ねることにした。
「アネリアさん、このスライムなんですけど……」
アネリアの方へと振り返り、スライムへの対処を尋ねようとする。アネリアもその声でカティアへと向き直った。
――この瞬間、カティアの意識と視界から、警戒していたはずのスライムが外れていた。
長丁場となったミミネズミ狩りによる精神的疲労、そして格下のスライム相手という若干の油断。警戒していたつもりでもどこかに気の緩みがあったのかもしれない。だがそんなものは冒険者として言い訳にもならないだろう。
そして完全に弱者を装い距離を詰めていたスライムはその隙を見逃さなかった。
威嚇射撃に驚いて混乱しているという擬態を即座に解き、ライはカティアへと向けて駆け出した。
「!? カティア、前!」
アネリアがライの突進に気付いて慌てて警告の声を上げる。カティアが「え?」と視線を戻すと、ようやく自分へと向かってくるスライムに気付いた。
ライの期待よりも早く気付かれたが、それでも十分だ。ライは速度を乗せて思いっきり地面を蹴り、カティアの頭部目がけて体当たりを放った。
カティアは目を見開いた。地面から伸び上がるように頭部目がけて飛んでくる青い塊に、思わず息を呑む。魔法で防ぐ暇も無い。
彼女に出来たのは身をよじりながら反射的に頭部をかばうようにために腕を掲げるだけだった。
「きゃぁっ!」
カティアの悲鳴と共にライは激突の衝撃を感じながら弾き飛ばされる。即座に体勢を立て直し、カティアへと視線を向けて自身の一撃の結果を確認する。結果如何で彼の行動は大きく変わってくるのだから。
未だ経験値は流れ込んでこない。確かに激突の感触があったはずだが、それでも彼の一撃は相手を死に至らしめることができなかったということだ。
ライの考え通りカティアは確かに生きていた。だが、決して無事ではなかった。うずくまり、痛みに耐えるように震えている。
「あ、ああっ……! う、腕が……」
彼女の右腕は、途中で変な方向に曲がっていた。
ライの体当たりは頭部をかばった彼女の右腕に激突し、その腕をへし折ったのだ。
頭部をかばった彼女の反射的な行動は確かに彼女の命を救った。だが、それで助かったかというと別の話であった。
折れた腕の激痛は耐えかねるのか腕を押さえたままうずくまり、ろくに動くことも出来ない。強く閉じられた目からは涙が零れている。
そしてそんな彼女は襲撃者にしてみれば格好の獲物以外の何物でもない。
(このまま止めを刺す……!)
追撃せんと、ライは再度地面を蹴ろうとする。
「カティア!」
だがそれよりも早く、二人の間に割って入る人物があった。アネリアだ。
アネリアは背中に負傷したカティアをかばい、ライを見据える。
ライはその視線に射竦められたように動きを止め、後方へと地面を蹴って距離を取った。
もしもそのまま突っ込んでいたら、彼女によって即座に殺される。そうなる予感があった。
ライの判断は間違っていない。だが、千載一遇のチャンスを逃してしまったのも事実だった。
「カティア、痛みで大変かもしれないけど、すぐに≪治癒≫を」
「は、はい……」
アネリアはライを見据えながらも攻撃しては来ない。後ろにかばうカティアを守ることを重視しているのだ。
格上の人間たちの中でも一際強敵であろう彼女が攻めかかってこないのは幸いだったが、だからといってこの状況はよろしくない。
奇襲と仲間の負傷によって、人間側は現在混乱しているといっていい状態だ。だが時間が経てばすぐにそれも収まるだろう。
地力では明らかに相手が上なのだ。ならば相手が立て直すよりも早く行動しなければならない。だが安易な行動は逆に死を招くことになるだろう。
ほんの一瞬の膠着状態。だが、その場にいるのは彼らだけではなかった。
最後の一人が、その膠着をぶち壊す。
「貴様ぁっ!」
怒りの叫びと共に向かってきたのはアーネストだ。
手にした銅剣を渾身の力で叩きつける。
その一撃は横っ飛びにライに回避され、銅剣は地面を打つ。銅剣が砕ける程の力で打ち付けられた地面は大きく抉れ、躱すことが出来なければライをの肉体を四散させていただろう。
用を為さなくなった銅剣を放り捨て、アーネストはライを睨み付けた。アーネストは瞳に激しい怒りを宿していた。恋人を傷つけられたのだ、それも当然であろう。冷静さを欠くほどの激しい怒りが、もともと感情的なところのあるアーネストを支配していた。
アネリアとアーネスト、二人の強敵の視線を受け止め、そしてライは判断した。
――ここは“逃走”するしかない。
即座に二人に背を向けると、その場から全力で駆け出した。
だが、それを許さない相手もいる。
「逃がすか!」
アーネストもまた即座に駆け出し、逃げたスライムを追いかけだしたのだ。
だが、その行動に驚いた者もいた。
「なっ、アーネスト、待ちなさい!」
アネリアは制止の言葉を掛けるが、アーネストは一顧だにせず逃げるスライムを追いかける。
アネリアも弟を追いかけようかと足を踏み出しかけるが、彼女の後ろにいる者を思い出して動きを止める。
そこには負傷しているカティアがいるのだ。必死に魔法で治癒をしている彼女は完全な無防備だ。この状態の彼女を一人にしてはおけない。
そうこうしているうちにアーネストたちの姿は見えなくなっていた。彼らの駆けていった方向と、背後のカティアを幾度も見比べるが、やがて諦めたように肩を落とし、その場に留まる事を選択した。
「アーネスト、無茶はしないでよ……」
この場を離れられない彼女はそう祈るように呟くことしか出来なかった。
※ ※ ※
冒険者パーティー『赤光の灯火』。一人前であるDランク以上の冒険者で結成された新進気鋭の冒険者パーティーである。彼らのランクは決して飾りではなく、冒険者として少なくともランク相応のスペックは有している。
しかしだからといってそのランクだけでその冒険者たちの能力を計れるわけではないのだ。事実、彼らにはいくつもの欠点があった。
例えばアーネストとカティアはDランクに到達するまで、アネリアの指示した狩り場で有利に戦える魔物とばかり相手にしてきた。そのおかげで彼らは二人組という少人数でありながら比較的安全に、大きな失敗もすることなくDランクまで経験値を稼ぐことが出来た。
しかしそれは言い換えれば、何らかの失態を犯しても致命的な事態になり難い低ランクの戦いで、失敗する機会を逸してきたということでもある。
Eランク以下の低ランクフィールドでは失態時のリスクは小さい。言わば安全に危険と遭遇できる機会がある。その経験を積まずにDランクまで上がってしまったのだ。
これまでトントン拍子で来た彼らにとって今回が初めての失態であり危機であったと言える。
メンバーが姉弟とその恋人という実質全員身内という構成は、ただのパーティーメンバーにはない強い絆があった。しかしそれは必ずしも良いこととは限らない。絆の強さゆえに判断を誤るというのも、往々にしてあることだった。
実質的なリーダーはもっとも経験豊富なアネリアだ。しかし将来を鑑みて、パーティーリーダーの座に現時点では未熟なアーネストが座っている。アーネストが事実上のリーダーであるアネリアの指示に従わなかったのは、彼が冷静さを欠いただけではなく、この指揮権のねじれもあったのだろう。
そして二人に比べれば経験豊富なアネリアも、二人とパーティーを組むために一年程冒険を離れていたブランクがあった。彼女の判断能力も鈍っていたのは間違いない。
彼らの欠点を一言で言うならば”経験不足”である。ランクを上げるための経験値こそ十分だったが、経験はまるで不足していた。それゆえの失態である。
逆にいえばこのまま経験を積めば一廉の冒険者パーティーとなる素養は十分にあった。
アーネストとカティアがいくらかの修羅場をくぐり、アネリアのブランクもなくなり、アーネストもリーダーとして相応しく成長する。仲間としてだけではなく家族としても強い絆で結ばれた優れたパーティー。
――だが、それも現時点ではただのランク不相応で未熟な欠陥パーティーである。
そして百戦錬磨の名有りのスライムを相手に、今そのツケを払うことになろうとしていた。




