15話 決意
草原がミミネズミたちの骸によって埋め尽くされている。
その光景はそう形容したくなる惨状だった。
カティアの魔法で多くのミミネズミたちが撃ち落とされ墜落し、こうして骸を晒している。
だが草原へと落ちた全てのミミネズミが命を落としたわけではない。二度と動くことのない多くのミミネズミたちの中に、もがくように動く影がいくつもある。
生命力と運がそれなりに強い者たちは辛うじて生き残っていたのだ。
生き残った者たちも決して無事ではない。だがそれでも、まだなんとか動ける者たちは生存本能に突き動かされ、必死に逃げ出そうとしていた。
ミミネというリーダーに率いられて飛行戦術を使用してから、これまでほとんど一方的に人間を殺してきたミミネズミたち。
だがこの時、彼らはようやく思い出していた。人間たちの恐ろしさを。そして、自分たちこそ人間に一方的に狩られる存在なのだと。
恐ろしき人間たちから逃れようとも、傷だらけのその身体はひどく鈍い。いや、無傷だったとしてももともとミミネズミは地上での動きは遅い。
それでももがくように逃げようとするが、人間たちは決して彼らを見逃そうとはしなかった。
逃げるミミネズミの一匹へと近づき、得物を振るう。空を切る音とともにミミネズミの身体は両断された。
二つに分かれたミミネズミの身体はぴくぴくと痙攣して動かなくなった。
ミミネズミの命が失われると共に、死したミミネズミの魂がその命を奪った人間へと流れ込み経験値として取り込まれる。もっとも両者の位階の差が大きすぎるために、経験値を得ても何ら変化をもたらさなかったが。
「まったく、ミミネズミの数だけ止めを刺して回っていくっていうのはとんでもない作業だよな」
アーネストはぼやきながら、銅剣を軽く振るい付着した血糊を振り落とす。
地面に転がる無数のミミネズミたち。墜落でそのまま死んでいる者も多いが、それでもまだ生きて動いているミミネズミたちの姿があちこちで見て取れる。
ミミネズミたちを眺めながら先の長さを考えて溜息を吐く彼へ、姉の声が掛けられる。
「アーネスト、地上だけじゃなくて上にも気を配りなさい」
その言葉に反射的に視線を空へと向ける。そこには見計らったかのように彼らへ向けて降下してくるミミネズミたちの姿があった。カティアの魔法で取りこぼした者たちだ。
反射的にアーネストは銅剣を振るう。空中からアーネストに襲いかかろうとしていたミミネズミをその一撃で頭から二つに断ち切られた。
だが向かってくるのはその一匹だけではない。続いて次々とミミネズミたちが飛来してくる。アーネストは舌打ちしながらその場から飛び退こうとする。
「≪水盾≫!」
だがその必要はなかった。それよりも早くカティアの魔法が放たれたからだ。
彼女の意思に従った水の精霊によって、アーネストとミミネズミたちの間を巨大な水の塊が壁となって両者を遮るように生み出される。
ミミネズミたちは突如現れた水の壁を躱すことも出来ずに飛び込んでいってしまう。とはいえあくまで水。完全に飛行の勢いは殺され文字通りの濡れ鼠となったものの、無傷のまま地面へと落ちる。
そしてそれをすかさずアーネストが銅剣で突き刺し息の根を止めた。
辛くもミミネズミの襲撃を逃れたことに安堵の溜息を吐く。窮地と言うほどでもないが少々ヒヤリとしたのは確かだった。
「カティア、ありがとう。姉さんは――?」
アネリアはというとその場で手にした棍棒を数度振るっていた。特に気を入れている様子もなく無造作に何度か振るったようにしか見えない。だが彼女が棍棒を振るう度に鈍い音と共にミミネズミがミンチになって叩き落とされた。
姉の平然とした様子にアーネストは安堵と感嘆の混じった表情を浮かべた。アーネストにとっては少々ひやりとしたその襲撃も、どうやら彼女にしてみればなんということもないようだった。
「上空のミミネズミたちは私が注意しています。二人は地上のミミネズミたちに集中してください」
飛来してくるミミネズミを彼女の魔法で防げるのは今彼女が行った通りだ。上空を彼女に任せれば、自分たちは地上の相手のみに集中することができる。
カティアの提案に頷くと、二人は改めて地上のミミネズミたちへと向かっていった。
そこから先は一方的な殺戮だった。
あたりのあちこちに転がっているミミネズミたちから息のある者を探し、アーネストとアネリアが手にした得物で止めを刺していく。
時折上空から襲ってくる者はカティアの魔法で防ぎ、そして落下したミミネズミたちも二人が止めをさしていく。
先程アーネストが口にしたように、最早それはただの作業でしかなかった。
彼らが振るう武器はあっという間に消耗して使い物にならなくなっていくが、彼らはすぐにそんな武器を放り捨てて背負っていた新しい得物へと持ち変える。二人が手にしているのはあらかじめイオでたくさん用意した安物の銅剣と棍棒だ。いくら使い潰したところで惜しくもない。荷物が軽くなって嬉しいくらいだ。
そしてそれはこのミミネズミ殲滅の依頼に対する彼らの十分な準備を表していた。
優れた能力を持つ者たちによって十分な準備の元に行われた作戦。
それに対して成功した作戦を繰り返すだけだったミミネズミたちには、彼らの能力差や準備をひっくり返すだけのものを持っていなかった。
その結果としてミミネズミたちはただろくな抵抗も出来ずに狩られ続けるだけだった。
※ ※ ※
その光景を見るライの心を、焦燥感と、そして諦観が支配していた。
ライにとってミミネズミたちは同盟者である。できることならば彼らを助けたかった。
だが躊躇しまごついている間にミミネズミたちはほぼ壊滅状態となり、今更割って入ったところで手遅れだろう。無理に行ったとしてもミミネズミの死体の中にスライムの死体が一つ混じるだけである。
――そもそも今回の自分は戦いに参加する予定はなかったんだ。助けられなかったとしても仕方がないことだ。
心の内にそんな言い訳めいた想いがよぎる。
それが自身の諦念から生まれた弱気だというのもわかっていた。
だがそれを自覚して尚動くことができない。捨て身になってでもミミネたちを助けるような行動を取れない。
ただ彼らが人間たちに虐殺される様を見ていることしか出来なかった。
かつてのことを思い出す。ライが自分の群れを人間たちに襲われた時のことを。
圧倒的な強者である人間たちが、笑いながら自分の仲間たちを屠っていく光景。
なんら力を持たない弱者であった自分は、必死に隠れてやり過ごすことしか出来なかった。
……今も同じだ。ライはあの時よりもずっと強くなった。しかし眼下の人間たちはそのライよりも強いだろう。結局その強弱関係は変わらない。ライに出来ることと言えばミミネズミたちが全滅するのをただ眺めていることしか出来ない。
忸怩たる思いで眺めているライの視界の中で、人間たちによるミミネズミの虐殺は続いていく。
もともとミミネズミたちは地上での動きが遅い。それに加えて魔法と墜落のダメージで、ろくに逃げることも出来なかった。必死に逃げようともがくも、そんな彼らを人間たちは手にした武器で作業のように次々と屠っていく。
ミミネズミたちの数こそ多いので時間こそかかるだろうが、このまま人間たちに殲滅されるのは確定的だった。
だがその時、一匹のミミネズミが飛び出した。そのミミネズミは逃げようとはせず、逆に襲いかかる人間へと向かっていったのだ。
そのミミネズミはライのよく知る相手であった。
ライの口から、思わずその名前が零れた。
「あれは、ミミネ……!」
※ ※ ※
人間へと向かっていくミミネだったが、その身体は満身創痍――いや、半死半生といっていい程の状態だった。
魔法を全身に食らい、その上墜落して高空から地面へと叩きつけられたのだ。その状態も当然である。
滑空のために大きく広げていた耳は水弾に貫かれていくつもの穴が空いていた。水弾を食らった時点では小さな穴だったが、その状態で風を受け続けたためその穴は亀裂のように広がっている。左耳にいたっては半ばからちぎれて無くなってしまっていた。
水弾に貫かれたのは耳だけではなく身体もだ。水弾といっても一発一発は水滴程度の大きさだったため傷そのものの大きさはあまり大きくはないが、決して浅いものではない。幸いにも心臓のような急所からは外れて即死は免れたが、今も全身の傷口から流れ続ける血の量がその傷の深さを物語っている。
そして墜落のダメージ。墜落時にミミネが穴の開いた耳で必死に制動したことによって、片耳を失うことにこそなったものの墜落死を免れることが出来た。だが到底無傷とはいかず、落下の衝撃で骨がいくつか折れてしまっていた。おかげで四つ足で立つだけでも激痛が走る。
だがそれ程の傷を負ってなお、ミミネは人間へと立ち向かう。
肉体には動くのも困難な程のダメージ。一歩一歩踏み出すごとに全身に激痛が走る。
いっそ動きを止めてうずくまってしまいたい。
あるいは痛みを耐えながらでも動くことができるのだから、恐ろしい人間たちに立ち向かわずに背を向けて逃げだしてしまいたい。
そう思いながらも、ミミネは人間たちへ向かう足を止めることはなかった。
その理由は一つ。
――ライならきっと、このくらいで戦いをやめたりはしない……!
よく知る一匹のスライムのことを思う。
ミミネにとってライはそれなりに長い付き合いの友である。だがしかし、だからといってミミネがライの理解者だったかというとそういうわけではない。
ライが日々よくわからない訓練を延々としているのは知っていた。何をしているのかとミミネも聞いたことはあったが、人間を倒すために鍛えているのだという。
ミミネはそれを聞いて――何言ってるんだろう、と思った。
ミミネたちミミネズミにとっても人間は自分たちを脅かす敵である。だが、だからといって倒そうなどと思わない。何故なら、倒せるわけなどないのだから。
始まりの草原に住む魔物たちは弱い。人間と戦えばまず間違いなく敗れて死ぬ。故に戦うのはただの自殺行為だ。
始まりの草原の魔物たちにとって人間というのは、いわば天災のようなものなのだ。天災と呼ぶには少々頻繁に訪れるが、生き延びるには逃げ回ってやり過ごすしかない。
だからミミネはライの訓練を内心冷ややかな目で見ていた。人間を倒すという無茶な目的もそうだし、延々と木にぶつかることで実際に強くなるのかどうかも分からない。
とはいえ彼は自分の群れの仲間というわけでもない。別に好きにすればいい。
そんな風に思っていた――彼が実際に人間を倒してみせるまで。
人間を倒すなんてことができるはずがない。そんな考えをライは行動で否定してみせた。それも一度や二度ではない。それは決して偶然などによるものではなく、ライの努力が結実したものだった。
いつしかミミネの心には、ライに対する尊敬のようなものが芽生えていた。
そんな中ミミネはライの目的を知った。ライは、全ての人間を滅ぼすために戦っているのだという。ライとリースの会話を盗み聞きする形でそのことを知ったミミネは衝撃を受けた。
ミミネにとって人間を殺すという行為は自分たちを脅かす外敵の排除程度の認識しか持っていなかった。だがライの目指すのはそんなものよりも遥かな先にあるのだ。自分のような底辺の魔物が想像すらしなかった地点を。
それを知った時、ライはミミネにとって強い憧れの存在となった。自分たちはおろか人間よりもずっと強さを持ち、さらにとんでもない野望を持つ存在。
だがリースによるとそんなライでも人間を滅ぼすにはまるで足りないらしい。ライ程には頭の良くないミミネにはそのあたりの理由がよくわからなかったが、それでも心配してはいない。人間を倒すというできるはずがないことをやってのけたライだ。どんなに難しいことでもいつかきっと実現して見せるだろう。そんな風にミミネは思っている。
そして思ったのだ。それがライにとって困難な道ならば、自分もその一助になりたい、と。だからこそミミネは群れの仲間を率いて人間を襲って経験値稼ぎを始めたのだ。
そしてミミネはこうも思っていた。ライと同じ道を歩むことで、憧れているライのように自分もなれるのでは、と。
「ボクも、ライみたいになるんだ……!」
ミミネが脳裏に思い描くのは人間に立ち向かう友。自分がこうなりたいと憧れる相手の姿。
だからこそミミネはこの状況でも退かない。
目指す先に背を向けるわけにはいかないのだから。
地面に擦れて、もともと大きく破れていた右耳もついに千切れた。血が噴き出るがそれでも構わず人間へと迫る。もともと満身創痍だ。むしろ片耳だけよりもいっそ両耳とも欠損した方がバランスが取れる。地上での移動に邪魔だった大きな耳がなくなって動きやすくなったくらいだ。
「アーネスト! 右!」
アネリアからの焦燥混じりの警告に、アーネストは横合いから迫るミミネの存在に気づく。
慌てて向き直るが、ミミネは既に十分なほどに近づいていた。
ミミネは地面を大きく蹴り、人間へと向かって跳びかかった。
人の背丈を超える程の高さまで届く跳躍。ライを真似て行っていた鍛錬、その成果がこの時発揮されていた。
まさか鈍重なミミネズミが跳躍するとは思わなかったのだろう。アーネストの反応がわずかに遅れた。そしてそれは致命的な隙であった。
アーネストは躱すべきか叩き落すべきか更に一瞬迷い、そして放物線を描いて迫るミミネズミの姿に慌てて手にした得物を振るった。しかしそんな半端な状態で振るった攻撃は目標から僅かにそれて空を切った。
「うわっ……!」
ミミネズミが胸元に飛び込んだ衝撃でバランスの崩れていたアーネストは尻餅をついてしまう。
ミミネはそれに構わず即座に首元まで這い上がり、首筋に齧歯を突き立てた。
――首筋を噛み切れば人間は死ぬ……!
これまでの経験で得たその知識。ミミネは人間の命を奪うべく歯に力を籠める。
ミミネの齧歯がアーネストの首筋に食い込み――そしてその半ばほどで止まった。
ミミネは驚きに僅かに動きが止まる。これまでの人間ならばこれで噛み切れたはずだ。だがどういうわけかこの人間の首筋はミミネの歯を通さないような感触だ。
ミミネは知らないが、アーネストはDランクとこれまでミミネが殺してきた人間よりもずっと位階の高い戦士である。
経験値の取得によって得た位階の高さは身体能力にも如実に影響する。特に肉体を駆使する戦士はその成長が著しい。
それは運動能力だけではなく、肉体の頑強さもである。首筋という急所であっても低位の魔物であるミミネ程度では容易に破れないほどに。
そんな事情はミミネは知らないが、それでも容易に噛みちぎれないことはミミネも理解した。もっとも所詮は急所だ、絶対に破れないというわけではない。もっと力を込め時間をかければ噛みちぎれる感触はあった。
そしてミミネは全力で歯に力を込めようとして――次の瞬間衝撃と共に吹き飛ばされた。
ミミネの身体は宙を舞い、そして草原の地面へと落ちる。傷だらけの身体が更なる悲鳴を上げるが、それでも必死に起き上がる。
「アーネスト、大丈夫!?」
アーネストの傍には血相を変えたアネリアがいた。
弟へミミネズミが襲いかかろうとしているのを見てすぐに彼の元へと走り、そして首筋を噛み切ろうとしていたミミネを叩き落としたのだ。
「ああくそっ、いってぇ……」
ミミネに噛みつかれて赤く痣になった首筋をさすりながらアーネストは起き上がる。その顔もまた怒りと姉の前で無様を晒して助けられたという羞恥で赤く染まっている。
倒れ込んだ時に一度落とした得物を再び手に取り、自身が醜態を晒すことになった原因であるミミネズミを睨み付け、そちらへ向かっていく。
最大のチャンスを失ったことをミミネは理解したが、それでもミミネは諦めるつもりはない。全身から訴えてくる激痛と出血で意識が遠くなりかけながらも、ミミネは必死に敵に向かって足を踏み出し。
真上から振り下ろされた一撃でその肉体を完全に破壊された。
※ ※ ※
アーネストが振り下ろした一撃によってミミネは壮絶な死を遂げた。
ライはミミネの最期をその目に焼き付けていた。
ライの心中にさまざまな感情がよぎる。
友であるミミネが憎き人間によって殺された。その事実に対する怒りはある。だがこの時ライの中でもっとも大きな感情は別の物だった。
それは――ミミネへの敬意。
死んでもおかしくない程の重傷でありながらも人間へと立ち向かい、最期の一瞬まで決して退くことの無かったその姿。
それはライへと大きな衝撃を与えた。
もしも自分が同じ状況だったらきっと戦うことよりも生き残ることを優先していただろう。彼の目的は目の前の一戦一戦に勝利することそのものではない。最終的に人間たちを滅ぼすことなのだ。そのためならば、いずれ目的を果たすための逃亡をも厭わない。
だからこそ今回はライは戦いに参加しなかったし救援に入ることもなかった。戦いに敗れて道半ばに死ぬ危険もそうだし、戦いに勝っても魂の崩壊とやらで死ぬようでは意味が無い。ライのその判断は決して間違っていない。
しかしライはミミネの戦いを見て、そんな小利口な考えと行動を取ったことに対して酷い羞恥を感じていた。最早ライの中からこのままあの人間たちをやり過ごすなどという考えは、どこかへと消え失せてしまっていた。
このまま隠れてやり過ごせば、ミミネズミたちを殲滅し終えた人間たちは去って行くだろう。
だが今回死ななかったとしても、そんな調子で彼の目的である人間を滅ぼすことなど出来るのだろうか。
戦えば死のリスクがある。だがそれを避けてばかりではいつまでたっても彼の望みには届かないだろう。
そしてこれまでだって何度も敗北による死の危機はあった。魂の崩壊とやらも同じで、勝っても死ぬ可能性があると言うだけだ。ならばその死を今回も乗り越えよう。勝った上で魂の崩壊もせず、生き残ればいい。
ライはそう己に言い聞かせると、戦いの決意を固めた。
それはミミネの死に様に感化されてのものだった。感情により自身の方針を翻すという、あまり褒められたものではない決定。
今さら人間たちを殺しても、ミミネが生き返るわけでもない。ミミネズミの残りはまだいるが、救援としては遅きに失している。
だが今、群れのリーダーであったミミネを倒したことで若干だが人間たちに緩みが生じていると感じていた。今ならば奇襲ができるかもしれない。
これはミミネが命と引き換えに作ったチャンスともいえる。
ミミネを助けることは出来なかった。ならばせめて、そのチャンスを無駄にしないことで、友に報いるべきだ。
ライは決意と共に、人間たちの元へと向かっていった。




