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プロローグ

 大陸において、古来より人と魔物は争いを続けてきた。

 魔物は人を襲い、人は魔物を狩る。

 何百年と続いてきた決して変わらない関係が、そこにはあった。

 故に、その日の出来事も長く続いた争いの一幕でしかなかったのだろう。



 スライムと呼ばれる魔物がいる。ゼリー状の肉体に円らな瞳がついたような外見の魔物である。魔物たちの中でも『最弱の魔物』と多くの人間たちから呼ばれる種族である。

 そんな呼び名に相応しく人を傷つけるような力すらろくに有していない。スライムたちも自身のそんな無力さを認識しているのか、元々そういう性向なのか、追い詰められでもしない限り争いを避ける性質の大人しい魔物であった。

 だが無害で大人しかろうとも所詮は魔物。敵である人間たちが敢えてわざわざ見逃すようなことをしたりはしない。そして人間たちにしてみればスライムなど単なる容易く狩れる獲物としてしか認識されていなかった。


 つまりその弱さ故にただ一方的に狩られるだけの存在。それがスライムであった。


 しかしながらそんなスライムたちにも、ついに安寧の地とも言える楽園が出来た。



 それは『始まりの草原』と呼ばれる地の奥深くにある一角。

 そこは敵である人の住む拠点からも比較的離れ、そして周囲を森や丘に囲まれた地形のおかげで上手い具合に人間たちの目に入りづらい土地であった。


 見つかりづらく、知られたとしてもたかがスライムを狩るのにわざわざそこまで行くのも面倒という絶妙な立地。もっと手近なところにもスライムや他の魔物たちもいるのだ。

 人間にとっての価値の薄さ故に幸いにもその地は見逃され続けた。その結果スライムたちの楽園が生まれたのだ。

 一方的に狩られるだけだった彼らにとっての安寧の地で、スライムたちは静かにのんびりと暮らすことができた。


 だがそうなったのは所詮はちょっとした偶然。

 単に見逃され続けたが故の平和であり、それが永遠に続く保証などまるでなかったのだ。



「へえ、噂に聞いていたけど、こんなところにスライムの群れがいるとは」

「スライムばっかり、こんなにうじゃうじゃいるのはなかなかの壮観だな」


 楽園で呑気に暮らすスライムたちを観察しながら呟いたのは、天敵である人間たちだった。

 彼らはニヤニヤとした笑いを浮かべながら軽口をたたき合う。

 その様子は、これからスライムたちに起こる事を――否、彼らが起こす事を思い浮かべて嘲笑うかのようだった。


 そんな彼らを見ながら、人間たちのリーダーも冷笑を浮かべ号令を出した。


「さて、それじゃあ狩りを始めるとしようか」


 リーダーのその言葉に仲間達も頷き、そして動き始めた。

 かくして楽園の終わりが始まった。 

 人間たちにとってはただの安全な狩りであり――スライムたちにとっては一方的な虐殺であるそれが。




      ※      ※      ※




 雄叫びを上げながら突撃してきた人間は、その手の得物を振るいスライムたちをなぎ払っていく。まるで草でも刈るかのような気軽さで、スライムたちの命が狩られていく。

 天敵である人間の襲撃。突然の出来事にスライムたちは大混乱に陥った。


 いくら数が多くても、スライムたちの力では人間を太刀打ちできない。故にスライムたちは一刻でも早く逃がれようと、襲撃者に背を向け一斉に逃げ出し始めた。

 だがぴょんぴょんと跳ねるように逃げるその動きは緩慢だ。彼らは逃げ足すらも速くない。それでもスライムたちにはそうやってゆっくりとでも逃げるしかないのだ。

 幸いに数は多く、相手の人間は一人であった。多くの仲間たちが屠られるであろうが、そうして狩られている間に一匹でも多く逃げるしかない。


 だが、そんな彼らに立ち塞がるように新たな人間が現れた。スライムたちはこちらへと追い立てられていたのだ。

 逃げようとした結果新手の元に飛び込んだスライムたちもまた、その剣の元に屠られる。


 再度反転しようとする者や、どちらへ進むべきか迷ってその場で動きが止まってしまう者。更にそれらが事態に気付くのに遅れた後続と激突する。

 スライムたちは再度混乱に陥った。


 混乱の中心から離れ、人間のいない側面から逃げようとそちらに向かうスライムたちもいた。だがそれらも遠くから放たれた矢によって次々と貫かれていった。それもまたスライムたちの混乱を助長する。


 スライムたちは圧倒的な数の群れであったが、混乱の内にほとんどが逃げることも出来ずに、あっという間に人間たちにその命を刈り取られていく。


 スライムたちの楽園だった地に、今はスライムたちの悲鳴のような鳴き声と、そして虐殺者である人間の哄笑が響く。


「ははっ、楽勝楽勝!」


「ろくな反撃もない上に逃げ足おせーな。このまま全滅させちまおうぜ」


「おいおい、どんだけ狩る気だよ……そう言うからには逃がすんじゃねーぞ!」


 彼らは笑う。表情に喜悦を滲ませて。

 ろくに抵抗する力もない弱者の命を奪うことが、心底楽しくて仕方が無いというように。

 そしてその楽しさのままに、数多のスライムを狩り続けた。





 やがて日が落ちた頃、人間たちはようやくその手を止めた。彼らの表情には達成感と疲労が見える。

 それも当然だろう。数多くいたこの地のスライム達、その悉くと言っていいほどの数を狩り尽くしたのだから。


「こんなところか。キツかったが中々楽しかったな」


 辺りを見回せば、彼らの戦果を示すかのように無数のスライムの屍が転がっている。

 そして、その地で動く者は彼ら人間たちだけとなっていた。


「いやー、疲れた。全滅させるとかちょっとノリで言うもんじゃねーな。数が多すぎてちょっとダレた」


「よく考えたらスライムなんてこれだけ狩っても得られる物なんてろくにないよな」


「おいおい、今更それを言うか。だいたいこんな娯楽(・・)に稼ぎを期待する方が間違っている」


 人間たちは一仕事終えたとばかりに朗らかに笑いながら無数の死体を背にして去って行った。


 ほんの数刻前までスライムたちの楽園であったその地は、死屍累々とスライム達の死骸が転がるスライムたちの地獄へと変貌していた。

 何一つ動く者もなく、そこにあるのはただ物言わぬ屍のみ。



 だがそれからどれほど経っただろうか。襲撃者たちが去って一時間や二時間程度ではない。数日近くが経過し、ようやく動き出すものがあった。


 スライム達の死体が積み重なるように固まっていた一角。その死体の中から一匹のスライムが這い出てきたのだ。


 天敵たる人間たちの襲撃の中、同族たちの死体の中に隠れ、運良くやり過ごすことが出来たスライムがいたのだ。

 襲撃者たちが去ってなお、数日もの間隠れ続けていたその事実に、あの襲撃によってこのスライムがどれほどの恐怖を刻み込まれたかが察せられる。


 同族の死体の中で数日もの間息を潜めて隠れ続ける、それがどれほど過酷な体験だったのだろうか。それを示すかのように、スライムのその瞳だが、僅か数日でひどく荒んだものに様変わりしていた。


 つぶらで可愛らしいと評されることもあるスライムの瞳だが、その荒んだ目つきはまるで異なる魔物なのではと思わせる程の印象を見る者に与えるだろう。




 死体の中から抜け出したそのスライムは、襲撃者が既にいないことを改めて確認すると深い安堵の籠もった溜息を吐く。

 だが危機を逃れた実感で長く続いた緊張が弛緩していくとともに、その奥底から堰を切ったように感情が溢れていく。

 何日もの間彼を仲間の死体の中で過ごさせたのは彼の恐怖と生存本能であった。しかしそれらの表層的な衝動に覆い隠され、熟成されてきた濃厚な感情。



 ――それは怒りと憎悪だ。



 荒みきった瞳にそれらの黒い感情を宿したスライムは叫ぶように甲高い鳴き声を上げた。




 もっとも最早襲撃者たちはこの地を立ち去って久しい。今更いくら怒ろうが憎もうが遅い。安全になってからそういう感情を抱いたところで単なる負け犬の遠吠えに過ぎない。


 それでも、魂の奥底から湧き出るような憎悪に囚われた彼は誓う。



 ――いつか必ず、ニンゲンたちを皆殺しにしてやる。



      ※      ※      ※



 人と魔物は遙か昔から命を奪い合う関係にある。

 人は魔物を狩り、魔物もまた人を襲う。

 故にこの日遭った出来事も、そんな彼らの歴史の中ではありふれた争いの一幕に過ぎない出来事だったのかもしれない。たとえ、当事者達にとってはどれほど大きな出来事だったとしても。


 客観的にこの日起こった出来事を要約してしまえば単純だ。


 大きめの魔物の群れが一つ壊滅した。

 そして、その生き残りの一匹が復讐を決意した。



 それだけの、よくある話であった――この日の時点では。



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