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六尺男  作者: 大家四葉
六尺男
9/67

1-3

 部屋を移り、そこに膳と少々の酒が用意される。

 脇に歩を控えさせた宗衛門が己の杯に酒を注がせ、歩に四郎にも酒を注げと命じて歩がへそを曲げた。


「おあゆは宗衛門殿の脇に控えておればよい、某は手酌で結構」

「昼間、なにかありましたかな?」


 宗衛門が四郎を見、そして歩を見れば、歩はプイと横を向いて黙ったままだ。


「なあに、ちと舟の手ほどきを。ひさしぶりに櫂を漕いだので、面白う御座った! あの小舟、なかなかに船脚が速く、いい舟に御座るなあ」

「猪牙舟ですか? たしかに早いでしょうが、遠出には少々」

「さよう、荒れた霞ヶ浦で使うには心もとない。なまじ波に強いからといって、遠くに行き過ぎれば取り返しのつかないことにもなろう。今日は偶々西風だから良いが、南西の風が吹かぬ昼八つまでにしなさい。遅くとも昼九つ過ぎるまでには、川に逃げ込むよう」


 そうなのか? と宗衛門が歩を見れば、歩はワナワナと震えると脇に主人が控えているにも構わず席を立ち、立ったまま障子を開けるや飛び出し、バンッと勢いよく障子を後ろ手に閉め行ってしまった。

 唖然としてそれを見つめる宗衛門。すると四郎。


「お歩を怒らせてしまったかな、これはすまなんだ」

「掛馬様は、舟にお詳しいようで」

「うむ」


 掛馬四郎はうなずくと己の事を語りだす。

 生まれた館の前に広がる霞ヶ浦、幼い頃、そこで邑の百姓の倅達に混じって水遊びをしたこと。

 それより少し大きくなってからは遊びに代わり、そこで諸芸を仕込まれたこと。

 水練、天候術、操船術、水上での剣術、弓術、槍術、それらを祖父、父親、叔父、親戚達に仕込まれ、兄弟達とともに学んでいった事を語った。


「夏はいいがのぅ、冬でもやるのだよ。『戦は冬にも行われる、厭うことは許さぬ!』と怒られながらな、これがもう寒くて寒くて」


 そう言うと、四郎は本当に身震いするかのようにしてみせると宗衛門がこれに笑った。

 その笑顔の宗衛門に、四郎が表情を暗くして訊ねる。


「おぬしは儂の言うことを信じるのか? 大法螺吹きの大嘘つきとは思わぬのか」


 だが、宗衛門は真顔で答えたのである。


「正直掛馬様のおっしゃる昔の話が本当なのかなど、あたしには判りません。それに確める術もありませんし。ただ言える事は、あたしにとって貴方様は危険を顧みず、あたしを助けてくれた命の恩人だということです。その貴方がたとえ大法螺吹きの大嘘つきであったとしても、あたしは貴方を信用致します」

「正直だの」


 四郎が短く応えた。


「ええ、それに掛馬様といると、退屈しませんから。ハラハラのし通しです」


 その言葉に互いに笑いあうと四郎は膳の肴に箸を伸ばした。小鮒の甘露煮、それを口に入れ、眼を丸くすると訊ねる。


「これまた甘い! いや、しかし美味い!! 大分に三温糖を使っているとみえる。いや、この料理に関しては驚きの連続よ、昼間も鰻を食したが、あれも美味いのなんの」

「掛馬様は鰻をお気に入りですか」

「うむ、鰻もそうだが蕎麦にも驚いた! 蕎麦が細く切り分けられている!」

「細い蕎麦が珍しい?」

「さよう! 蕎麦といえば練ったものだったのじゃが、あんな手立てがあろうとは思いもよらなんだ。あの汁は宗衛門、お主が造りよる醤油が元だな? あれも実に美味い!」

「あたしが造ったと言う訳ではありませんが、醤油ならうちでも造っております、ほらそこに使われている肴にも」

「うむ、今の時代は料理については大した発展ぶりだ!」


 掛馬四郎は、料理については余程に心に衝撃を受けたのか、ここ数日土地を巡りながら食した物についての感想をしばらく語り続けた。

 それを聞きながら宗衛門も、その新鮮な体験の根拠に眼から鱗が落ちる思いをしながら聞き入っている。


「そうですか、それはよう御座いました。ところで何か掛馬のお家の手掛かりなどは…」


 宗衛門は不用意に口を滑らせてから後悔した。

 掛馬を名乗る者を聞いたことがない事など判っていたはず。ましてや掛馬四郎の言う通り、彼が二百年以上も前の戦国の世から神隠しに遭ったというのなら、彼の家族などこの世には一人としていないはずなのだ。

 掛馬四郎は少し静かになると答えた。


「うむ、どうやら我が一族は滅んだらしい。郁文館といったか、真新しい学問所があってのぅ、そこでも訊ねたのだが過去の文献に記述がある以外は皆目判らぬらしい。もちろん掛馬を名乗る者もおらず、館跡は藪になっておったよ」

「掛馬様、きっとどこかに伝わっておいでですよ! 我が家も名を変え、身分を変え、今に伝わっております。きっと、掛馬様の御子孫も…」

「うむ、気を使わせたようだの。心配致すな、北条、豊臣、皆滅んだのだ。小田は領土を失い一家臣として越前に行ったそうな。佐竹も北の出羽に大分に領土を減らされ転封されたと聞いた。ましてやそれより遥かに小さい我が一族が滅んだとて、なんの不思議があろうか。あの日、仕える主を失い城に篭ったあの時に、すでに運命は決しておったのだ。あの日…」


 そこまで言って、掛馬四郎は考え込んだ。


「掛馬様?」


 酷く何かを考え込む様子、そしていきなり、


「宗衛門!!」

「は、はい!」


 いきなりの大声に驚いた宗衛門の両肩を掴んで四郎は言うのである。


「あるぞ、あるぞ! 我が身の証が!! お主の商売に足りるか判らぬが、おそらくあのまま眠っているはずだ!!」


 落ち着きを取り戻した掛馬四郎は、思い出すように天井を見上げると語り始めた。


 天正元年、秋の事。

 土浦城主・信太和泉守は菅谷左衛門尉の計略により謀殺され、土浦城は城主不在のまま急遽守りを固める事態となった。

 もっとも城主を失った城など哀れなもの、城に詰めていた侍達は早くも見切りをつけると城を抜け、落ち延びる者が出始める始末。譜代の家臣達が城に篭るも菅谷・沼尻両将が城門に押し寄せる頃には、わずかな城兵が城に篭るのみとなっていた。

 残された者達による必死の抵抗、城門に押し寄せる敵兵を数度に渡り退けるものの、もはや守るにも限界が見えていた。

 そのような時、掛馬四郎他数名の者達が集められ、密命が下されたのである。


「夜陰に乗じて城を落ち延びる兵に扮し城を脱出、城の軍資金を隠すように」


 菅谷・沼尻の目的はこの城と既に知れている。佐竹の手によって落とされた小田城の代わりにと、防備に優れたこの土浦の城を小田天庵が望んだのだ。

 それを配下の小名から、謀殺という手段で奪い取るのは非道なれど、その非道の行いを実力で跳ね除ける事が出来ない限りはこれに従うよりない。しかし、ただ素直に従うのも口惜しい。ならばと、後の再起の為に城内に残された軍資金全てを持ち出そうというのだ。


「某と岩田殿で明日、城の明渡しを条件に城に篭った兵達の助命を願い出る。お主は今宵中にやるべき事を果たすがよい。なに、銭など落ちた者たちに盗まれたとでも言えばよいのだ、後を頼んだぞ」



 掛馬四郎は、そこまでを語ると膳に乗った酒杯を手に取り、グイと中身を飲み干した。


「それで、どうなされたのですか?」


 と、身を乗り出して宗衛門が訊ねた。


「うむ、手分けして幾艘かの舟に軍資金を満載に積み込んでな、夜陰に乗じて城の掘割から漕ぎ出し、城を抜け出たのよ。あそこの掘割は、霞ヶ浦に通じておるのでな」

「それを、掛馬様が隠したと…」

「うむ」


 四郎は宗衛門の目を真っ直ぐに見つめて頷き言う。


「一、二の仕掛けは必要だろうが…、そこに本当に残っているならば引き上げも出来るだろうよ」


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