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六尺男  作者: 大家四葉
六尺男
8/67

1-2

 湖と遠くに対岸の景色を眺める高台の上、ススキに覆われたその荒地に漢は遠くを睨むと立ち尽くした。

 思い起こすのはここ数日の、この郷土を巡りし旅の光景。小田、藤沢、木田余、雫、いずれも城など姿かたちもなく、かろうじて雫にはその城跡に陣屋が、そして土浦だけに城が残るのみであった。

 残されていたものといえば精々土塁の跡と小さな祠のみ。おそらくはこの先、江戸崎城まで脚を伸ばしても同じようなものだろう。

 雲の切れ間から差し込んだ日が黄色く光の柱を立て、湖面を照らした。

 その湖面を進む一艘の舟に掛馬四郎は気付いた。

 竹竿を操る船頭の姿は女のもの、舟の中央に座るもう一人の女はそれよりも小さく、その二人の女の組み合わせに漢は覚えがあった。

 掛馬四郎は走った。

 左右から暗く木々の被さる坂を下り降り、黄色い田んぼの畦道を抜け、葦原に面した道を湖と平行にひた走る。高台より見つけた小舟は大分に先を進んでいる。なんとかそれを追い越し、二人に己を気付いてもらわなければならない。

 だが、自分でも信じられないくらいに漢の脚は軽かった。己はこんなに脚が早かったかと自分でも戸惑う速さで舟を追い越すと、葦原を挟んで大音声で叫び声を上げた。


「おおーーい」


 芦原よりいっせいにムクドリが飛び立つ。水辺の鴨も羽ばたきながら水面を駆け、沖へと逃げ出していった。

 その光景に小舟の二人もさすがに気付いたようだ。

 舟の中央に腰を下ろした娘こと珠が振り向き手を上げて応える。舟を操る歩が船を葦原につけようと向きを変えようとするが、それに掛馬四郎は腕で先を示すと先へと駆け出していく。

 道を駆け、途中で振りかえっては舟がきちんと付いてきているかを確めると再び先へと駆ける。

 そのような事を繰り返していると目的の場所が見えてきた。湖に流れ出す川である。


 川幅二間もない小川、その小川の辺で待っていれば、やがて二人の乗る小舟が葦原の沖から姿を現し、葦原を分け入り川を上ってきた。


「なんだって逃げるのさ! ああもう面倒ったらありゃしない」


 ご苦労、と声をかける前から女の愚痴が聞こえてきた。どうやら先程声を掛けた場所からここまで来させた事が余程に不満らしい。

 ちなみに此処まで駆けたのは足場の問題である。

 葦原は見かけに寄らずぬかるんでいるため、脚を泥中に取られる懸念があるのだ。舟を目の前にしながら一歩も進めぬ状態にでもなろうものならいい笑いもの、それを避けるためにここまで走ったのである。

 船を操る歩は岸辺に船を着ける間中、延々と文句を吐きつづけている。

 その言葉を無視して乗り移り、


「よし、出せ!」


 そう命じたならば、愚痴をいう口が一瞬閉じるものの、次の瞬間には、


「もうー! なんだってのさ!」


 と癇癪を起すとバチャバチャと人に水が掛かるのもお構いなしに、乱暴に竹竿を振るいはじめた。


 湖を岸と平行に小舟が進んでゆく。

 猪牙舟と呼ばれる小型の足早の舟である。こぎ手は歩、船の中央には珠が座り、その先、すぼまった舳先の少し後ろに腕を組み、掛馬四郎が先を睨んでいる。


「どうしたおあゆ? 船足が少し鈍っておるぞ」


 四郎は、ここでてっきり歩の「うるさい!」といった怒鳴り声が聞けると思っていたのだが、返される言葉も無く、竿の水音だけがパシャンと水面に響くばかり。振り返って後ろを見れば、歩は必死に竹竿を後ろに押し出し赤い顔をして舟を操っている。


「女手にはちときついようだの」


 舟は風裏の湖を過ぎ、西へと延びる川に入っていた。流れは緩く、西よりの風もそれほど強くは無いが、それでも逆流・逆風の妨げとなって船を押しとどめようとしていたのだ。


「どれ、代わってやろう」


 そう言い、中腰で船の後ろへ向かおうとすれば、


「あー、立たないで! 動かないで!! もうっ! 余計な事を、邪魔しないで!」


 と、歩の癇癪がまた始まった。それを聞き流しながら、四郎は船底に寝かしてあった櫂を手に取ると歩に言う。


「その竿を持つか寝かすかして、前に行け!」


 唇を噛み睨み返す歩の顔。だが、


「もう知らない!」


 歩はそう強い口調で言うと、竿を船底に挿しこみ、船首に向かうと怒ったように座り込む。


「素人が櫂なんて操れないんだから! 謝ったって、もう知らないわよ!!」


 船首から聞こえてくる愚痴の数々、だが四郎はそれに応えるでもなく船に櫂を据えるとグイッとそれに力を加えた。途端にグラリとくる船に、女達の悲鳴が水面に響き渡る。


「だから言ったじゃないの! 素人には無理…」


 後ろを振り向き、船べりに手を掛けそう言った歩の言葉が途切れた。舟が揺れたのも最初の頃だけ、その後、舟は格段に増した船足により安定を取り戻すと快速を持って川上へと水を切って進んだのだ。


「某を誰だと思っておる? 源平の世ではないのだ、この程度の舟も操れねば船戦も仕掛けられまい」

「また夢みたいな事を…」


 歩はそう呟きながら前へ向き直った。そのまま座り続け、背中を見せる歩はそのまま静かに水面を見つめている。



 四半刻ほど川を上り、はたやの船着場に小舟は到着した。

 曇り空のため、はやくも薄暗くなりつつある船着場に歩が舟先からトンと飛び移ると素早く縄を舫う。櫂を引き上げ、船底に寝かし、四郎が桟橋に足を掛けた途端、ギシリ、と嫌な音が響いた。

 四郎は乗せかけた足を戻し、船から直接地面に飛び移ると土手を登った。

 娘達の一人は既に土手の上に居る。騒がしくこそ無いものの四郎は大分に嫌われているらしい。

 醤油の香りの漂うはたや(・・・)の敷地に入れば、老職人の正三しょうぞうが一行を迎えた。

 規模の割には人気の無い敷地。まだ薄明るい今時分なら、本来ならば威勢のいい職人達の声が聞こえるのが普通なのだろうが、今のはたやにはそのような声は無い。

 あの日、山から宗衛門が戻った日、宗衛門は驚愕すべき事態に直面したのだ。

 自分の開放を歓喜で向かえるはずの番頭・手代・使用人たち。だがその姿は無く、わずかに残った譜代の使用人からおそるおそるに訊ねられたのだ。


「番頭の政吉さんは、一緒ではないのですか?」


 番頭、政吉は、大八車に宗衛門を開放するための身代金を積み、手代数名を引き連れ店を出てから行方知れずという。

 残された手代、使用人の中にも番頭の取った本当の働きを知り、それに習った不届きな働きをするもの数名。

 異変を察した、数代に渡ってこの地に住み、この店に世話になったわずかな使用人達で、なんとか店を支えていたのである。



「お待ちしておりましたよ~、掛馬様、ささ、あちらへ」


 宗衛門は待ちかねていたようで、掛馬四郎の顔を見るなり喜びの色を隠さずにそう言うと、彼を奥の座敷へと自ら案内する。その途中、廊下をドシドシと歩きながら四郎は宗衛門に尋ねる。


「某に火急の用があると見たが、なにか事が起きたのか?」


 背後から掛けられた言葉に、宗衛門は辺りを見回すと、


「誰が聞いているかも判りませんから、ささ、その事は奥で」


 と警戒の色を強めて言う。


「うむ」


 二人は一番奥の間に入った。

 その部屋に入っても宗衛門は首を出して周囲を伺うと、後からついてきた歩を障子の外に控えさせる用心深さである。

 部屋の中央に掛馬四郎が腰を下ろし訊ねる。


「大分に警戒を強めているが、それほどの事なのか?」

「はい、はたや存亡の危機に御座います」


 宗衛門はそう応えると、傍らの鍵の掛かった棚を開けようと、懐から取り出した鍵でガチャガチャとやり始める。


「人集めは順調か?」

「そちらはなんとか。残った手代を番頭に昇格させましたし、醤油蔵の方は引退した古株の職人を呼び戻しました。新しい職人もじき育つでしょうから」

「うむ、それでよい、譜代は大事にせんとな。なにやら負け戦の後の軍勢を思い起こさせるが、まあ大丈夫であろう。ところで某を呼んだ訳があるはずだな?」


 宗衛門は棚から取り出した書状を黙って差し出した。

 それを受け取り、包紙を開いた掛馬四郎の顔に緊張が漲る。

 包紙の中から取り出した灰色の、包紙よりも遥かに低質な紙を、裏と表を蝋燭の炎に照らし見ると少し考え、宗衛門に訊ねた。


「宗衛門、これを炎に炙ってみたか?」

「えぇ! 炙り出しだったのですか?」


 途端に慌てて宗衛門はその灰色の紙を受け取ると、震える手で蝋燭の火にそれを炙る。


「焦がすなよ、慎重にな」

「はい…」


 遠火でさっと炙り、紙面を確めると、より炎に近づけて二度、三度と素早く炎を撫でるが…。


「どうじゃ?」


 紙の裏表を食い入るように見つめて宗衛門が答えた。


「いえ、なにも。何も浮き出てきません!」


 四郎が差し出した手に宗衛門は紙を渡した、四郎もそれを繁々と見つめるが、ふう~、とため息をつくと宗衛門に紙を返した。


「どうにも判らん。てっきり何かの秘密が、なんらかの符丁で記されていると思ったのだが…」

「あのぅ、これはおたまが申していたのですが…」


 肩を落とす四郎に、宗衛門が恐る恐るに述べる。


「おたまが申すには、これは浅草紙、すなわち雪隠で使う落とし紙ですから、『自分の尻は、自分で拭け』と、そういった意味が隠されているのではないかと…」


 その言葉を聞いた掛馬四郎は目を丸くすると、次には腹を抱えて笑い出した。



「大分に出来たお人のようだのぅ」


 一息つき、笑顔でそう応える掛馬四郎に、たまらず宗衛門は大声を張り上げた。


「何が出来たお人なもんですか! こっちが大分に困っているというのに、手助けもせず知らんぷりとは!! これでも親ですか、鬼ですよ金の亡者ですよ、あの人は!!」


 感情が高ぶり、己を曝け出してそう悪態をつく宗衛門に四郎が言う。


「儂にはいいが、その姿を下の者に見せてはいかんぞ。まあお主の成長を思っての事だろう、違うか?」

「傍目にはそう映るのかもしれませんが違います! あの人がそんな事を考えるはずがない。息子を作ったのはタダで番頭が手に入るからだと豪語する人ですよ! 跡取は自分の金を掠め取る盗人と同じとまで言う人です! そんな訳ありません!!」

「なんじゃ、商人まで御家騒動か…」


 四郎はそうあきれて言うと、足を崩した。


「それで、この儂にどうしろと言うのだ? まさかこの間の盗賊の金を取り返して来いなどとは言わぬだろうなぁ?」


 盗賊の金、あの山中の石室に隠されていたことも判らず宗衛門が寝食を共にしていた金である。もちろんあの後、役人に引き渡されており最早あるはずのない金である。


「そんな事は言いませんよ。もはやお上の懐に入った金、それにネコババするのは無理でした。でも、妙な話を聞いたのですよ。あの古寺近辺を、役人の手の者が未だに何かを探しているらしいのです。これは、ひょっとしたら」

「まだ隠された金が残っていると、そう言うのか?」

「はい、ひょっとしたらですが。なにかあの時、お聞きになられた事はないかと…」

「無いな」


 掛馬四郎は即答して答えた。そして漢の知る事、あの時一味の話を床下から聞き、あの奇妙な暴漢兄弟が金の隠し場所を一味に隠していた事を語った。


「某が打ち据えた悪党一味は既に打ち首になったと聞く。もはや真実を聞き出すことは出来ぬだろうし、仮にそのようなものがあったとしても役人達の目が光る場所では持ち出すことは出来ぬだろうよ。そんな定かでない金を頼る程にお主は追い詰められておるのか? 番頭達に根こそぎ店の金を盗まれたといっても、蔵には出荷を待つ品も眠っておろう、それを売ればよいではないか」


 だがそれを聞く宗衛門は肩を落として語る。


「何をするにも金は要るのです。物を売るにも、仕入れるにも…。その僅かな種銭を借りるのにも苦労する有様。担保を取られ高い利子を吹っかけられる、足元を見て、これ幸いとばかりに……。ならばと付き合いのある組仲間に頼み込んでも渋い顔、いや、この店が潰れればいいと思っているのでしょう。同業が減れば、その分自分達の儲けが増えるからと…。そうさせない為に親父、いえ大旦那に僅かばかりの援助を頼んだのに、情けない限りです」


 そう語り終え、暗く落ち込む様子の宗衛門を眺めて四郎、


「金策か…、とにかくなんとかせねばなるまいな。ところでおたまはいるか?」


 もちろんこれに宗衛門もすぐさま、


「おたまですか、もちろん。おーい、おたま! おたまを呼んでくれないかね」


 手をパンパンと叩きながらそう呼べば、しばらくして障子の外に、


「珠…です」


 と、小さく珠の声が聞こえた。

 頷く四郎。宗衛門が、


「おたま、入っておいで」


 するとスッと障子が開き、女中姿のおたまが部屋に入ると主人の斜め前に腰をおろして言うのである。


「あれが全てです、ご主人様の身代金を持った使いは現れませんでした」

「賢い娘だのぅ」


 四郎の呟きに、目の前の宗衛門ががくりと肩を落とした。


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