向島外れ・荒れ寺
【 向島外れ・荒れ寺 】
向島外れの荒れ寺に集まった浪人達は危機を迎えていた。
食料も無く、薪炭も無く、信用も無くしてただ寺に悶々としたのである。
囲炉裏間に掻巻に包まる海老名はやつれた顔をして火の気の無い囲炉裏を見つめていた。
その右、小寺は筵に簀巻きのように包まり壁を向いて寝転がっている。
左にあるはずの明賢の姿は無い。
明賢は今は外に出て食用となる草花を探している。
ここ数日の三人の食事といえば僅かに明賢が探し出してきた彼岸花の根を水に晒して毒抜きしたもののみ。
米はとうに食い尽くしている。
米をもたらす新たな宿泊客はない。
明賢のように植物の知識も無い二人の浪人は、なるべく腹を空かさぬようにと寝て暮らしている。
日の光が障子を透かすと明るく囲炉裏間を照らす。
光に照らされ、幾分温かみを増した部屋の空気が二人を眠りに誘う。
グゴゴと海老名の鼾が部屋に響いた。
筵に包まる小寺は少しも動かず、死んだように静かである。
障子を明るく照らす日の光、その上の影が勢力を増す。
ハッと海老名が目を覚ますと部屋を伺う。
その傍ら、小寺は死んだように静かである。
「腹が空いたのぅ」
海老名がボソリ小さく呟く。
すると筵に包まる小寺がモゾリ向きを変えると海老名を黙って睨んだ。
「判った、口にせぬ、空腹のクの字も口にせんぞ」
海老名はそれきり黙ると天井を見つめた。
海老名が見つめる天井は酔ってもないのに緩やかに回ってみせる。
それを見まいと海老名は目を瞑ったが、空腹が海老名を眠らせてはくれなかった。
障子戸を照らす光が再び広さを増してゆく。
やや赤みを帯びた光が囲炉裏間壁を照らす。
ピィヒョロロと鳶の鳴く声が聞こえる。
悶々とする二人の浪人は向き合わぬように壁を見つめている。
すると二人の浪人に、床を通じて気配が伝わってくる。
ガタゴトと戸を開ける響き。
それに明賢の帰りを感じた海老名は一言声を発した。
「小寺…」
「嫌です」
小寺は一言返すも動かなかった。
それに海老名は怒りを覚えて体を起し言う。
「小寺、行け!」
だが小寺は動かない。
すると勝手場の辺りから明賢の声が聞こえた。
「おぉい、獲物を捌くから刀を貸してくれぇ」
二人の浪人はガバッと起きると勝手場へと急いだ。
どこにそんな力が残っていたのかと思う程に素早く二人は勝手場に姿を現し、そして声を失った。
僧・明賢が手に下げていたものは狸の死骸。
海老名はそれを見て、流石に明賢に問い掛けた。
「お主、一応坊主の」
だが言葉を途中で遮るようにして明賢が言う。
「これより当山名物、猩々供養を始める。これはれっきとした供養ゆえ誤解なきよう」
すると明賢が手を差し出した。
しかしそれに二人の浪人が刀を差し出さぬのを見ると明賢、
「刀を。当山には包丁が無いゆえ、刃物をお貸しくだされ」
その言葉に二人は始めて気付いた。
「そういえば、刃物で切ったものを口に入れてはいないぞ」
彼らが今まで食べてきたものは米、雑穀、味噌。野草の類は手で千切り、彼岸花の根は石で磨り潰していた。だがこれが問題だった。
「包丁は無いのですか?」
小寺がたまらず訊ねたならば、それに明賢。
「使わなんだらいつのまにかさび鉄になっておったわ。だから早ぅその刀を貸せ」
すると小寺が顔を赤らめた。
「拙者の大小は共に竹光…」
そう言い小寺は黙って海老名を見た。
すると海老名、刀から小柄を引き抜き明賢に差し出した。
「なんじゃ、二人とも武士を捨てたのか」
「御仏の教えを忘れた者が何を言うか!」
だが明賢、海老名の言葉に笑っている。
「供養じゃ供養じゃ、二人は薪を用意してくれ。生では腹に虫が涌くでな」
「しかし、この辺りにもう薪は何処にも…」
小寺がそう明賢の顔を見ながら疑問を口にした。
近くの森や林からは焚き木は取り尽くしていた。
もちろんあの一件があってからは百姓達から薪をせしめる事も出来なくなっていた。
しかしそれに明賢、悩むでもなく答える。
「川に行けばよい、流木が幾らでも転がっているわい」
「おぉ!」
二人の浪人が声を上げた。
どうして今まで気付かなかったのかと顔を喜びに変えるとさっそく外へと飛び出していく。
この後三人は珍しく手分けして各々その務めを行った。
明賢は猩々供養と称して狸の死骸を解体し、海老名と小寺は中川に向かうと二人手分けして上流下流へと薪となる流木を探し歩いた。
一刻後、両手で抱えるようにして流木を運ぶ小寺の姿があった。
小寺は細身の流木、板切れなどを下緒で縛ると胸に抱えて歩いて行く。
その小寺の進む前にも人影がある。
人影こと海老名は二本の細身の倒木をソリにして、その上に白く乾いた切り株を結わえて道を引いてゆく。
その海老名に追いついた小寺は何も言わずに海老名のソリを眺めた。
すると海老名が小寺を見て笑ったのだ、
「なんだ、いい若い者がそれっぽっちしか運べぬのか」
だが小寺も海老名に顔を向けると笑って言う。
「ナタも鋸も無いのに、こんなものをどうするつもりですか」
海老名は黙るとグッと目に力を入れ小寺を見た。それに小寺は笑ってさっさと先へと行ってしまう。
「ま、待て!」
海老名が後ろよりそう声を掛けても待つものでは無かった。
夕刻。
荒れ寺の上にカラスの群れが舞い踊る。
まるで気が狂ったかのようにギャアギャアと。
その下本堂の中では海老名が一人、木を削っていた。
海老名は黙々と木を削る。
黙々と木を削る海老名の顔には囲炉裏間にはない笑みが浮んでいる。
久しぶりに体を動かし、体が思いのほかに早く回復していると手ごたえを感じ、また久しく忘れていた働く喜びに笑みを浮かべているのだ。
その笑みが苦みばしった。
胸の悪くなる匂い、その異様な匂いに海老名は「うっ」と喉にこみ上げてくるものを覚えた。
『狸汁の匂いか、凄まじい匂いだが本当に食えるのか?』
海老名は止めた手を再び動かし始める。
作業に没頭することで匂いを忘れようとするかのように海老名は黙々と枝の又に切れ目をつけ、力を込めては枝を折り、ぐりんぼうずの棒を作り上げていく。
手作業も辛くなるほど暗くなった頃、宿坊より海老名を呼ぶ声があがった。
それに海老名は作業を切り上げると辺りを軽く片付け宿坊へと向う。
宿坊に向かうにつれ臭気が濃くなってゆく。
海老名は手ぬぐいで鼻を押えると宿坊へと上がった。
そのままの姿で囲炉裏間に脚を踏み入れると中には興奮した様子で鍋を見つめる二人の姿がある。
「おう、来たか。ではさっそく始めようぞ」
明賢はそう言うと一度鍋に向かって合掌し、木蓋を取る。
もわり立ち上がる湯気に合わせ一気に匂いが強く濃くなる。
海老名はとうとう鼻を摘んだ。
しかし明賢と小寺は気にする風でもなく鍋を覗き込むと狸汁を椀によそる。
海老名が険しい目をして鍋を覗いた。
鍋には一杯に白っぽい生牡蠣色の汁が満ち、その所々に脂身を震わす肌色の肉が浮んで見える。
海老名は何もせずしばしそれを見つめた。
しかし横から明賢が、
「うむ、まあいけるではないか!」
と声をあげたのを切欠に、おたまに手を伸ばすと鍋の中を探ったのである。
鍋底をおたまが擦ると異様な感覚が手に伝わった。
底を掬ったおたまの中身を椀によそろうとして海老名の手が止った。
おたまに掬われたものは狸の頭骨、黙ってそれを見つめる海老名に横の明賢から声がかかる。
「おう、底には骨が沈んでおるから、まずは上から掬え」
海老名は掬った頭蓋骨を鍋に戻すと、汁の上澄みを掬い、ふよふよと白い姿を震わす脂身を椀によそる。
おたまを鍋に戻せば早くも明賢が代わりをよそる。
それを海老名はうんざりした眼で見るものの、意を決し鼻を摘むとズズズと汁を啜った。それを見ていた明賢、
「味付けは塩だけだが味噌とショウガで匂いを消せばもっと美味くなるぞ」
笑みを浮かべそう声を掛けるのだが、一口汁を啜った海老名の顔はなんとも形容しがたい妙な表情であった。




