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六尺男  作者: 大家四葉
江戸の浪人達
32/67

石淵と小寺 その二

 石淵と小寺の両名は訳が判らぬのか言葉も無く、唖然としてその姿を見送った。それに掛馬四郎、


「よかったのぅ、家賃が払えて」


 そう訊ねたならば、二人は我を取り戻すと、


「なにが起きたのですか!」

「いったい今の銭は!」


 と掛馬四郎に詰め寄った。

 それに四郎、変わらず笑みをたたえた顔で、


「うむ、お主たちの晦日の働きに対する給金だ。約束通り、額を減じて半分の百四十八文。囚屋とは縁を切ったので直接お主達に払いにきたのだが、大家のおかみに泣きつかれて喃」


 その言葉に石淵と小寺は先ほどまでの放心した様子など忘れたかのように詰め寄った。


「給金を払ってくれるというならば、まずはそれがしに払っていただかねば!」

「左様! しかも拙者の給金からも勝手に家賃を引くとは、これは横暴というもの!」


 だが掛馬四郎はその必死の形相に変わらぬ笑みを湛えて答えるのだ。


「はて、大家は親も同然だと聞いたのだが。もうひとつ、居候しておいて店子の危機に家賃を半分持たぬとは虫がいい話だのぅ。追い出されれば行くあてもなかろうに。石淵、友は選んだ方がいいのではないかな?」


 すると掛馬四郎は床に並んだ一文銭を二人に差し示した。


「残りはお主たちのものだ、公平に分けるがよい」


 差し示された銭は三十二文。

 石淵、小寺の両名は、その床に並んだ銭をじっと黙って見つめていたが、どちらからともなくその銭に飛びつくと、ひいふうみい、と数を数え始めた。

 互いに十六枚の銭を取り分け、各々の懐に銭を仕舞うと二人は再び団子を睨み、次いで互いの顔を見合うと頷きあった。


「まずは一つずつということで」

「それでかまわぬ、残り一つは後に」


 二人はそれぞれ団子を一つ頬張った。

 石淵が白い玉を、小寺が薄桃の玉を口に入れ、両者とも少しでも長くそれを味わいたいとでもいうかのように幾度も幾度も団子を噛み締め続ける。

 そしてついにはゴクリと団子を飲み干すと“はあぁ”と力なくため息をつきながら皿にひとつきり残った団子にその視線を向けたのである。

 その姿に掛馬四郎が呆れて訊ねた。


「お主たち、なにをしみったれた事をやっておるのだ」


 途端に二人は猛反発。


「しみったれたとはなんたる暴言!」

「貴殿は食うに困ってはおらぬからそんな言葉を吐けるのだ!!」


 そう言うと体の痛みにも負けぬと二人は這うようにして掛馬四郎に詰め寄ってゆく。それに掛馬四郎、


「お主たち、蓄えは無いのか?」


 そう真顔で尋ねるのだが。

 石淵は怒っているとも自慢しているとも見える顔で応えるのである。


「蓄えなどあるはずがない! 汗水流して僅かな銭を稼いでも銭は右から左へと流れていく。この懐に三日と持ったためしは無い!」

「おかしい喃、同じ長屋に住む他の者達はお主等とは違い、質素なれども暮らしていけているようだが…、何が違うのだ?」


 真顔で疑問を投げかける掛馬四郎に、今度は小寺が神妙な顔をして答えた。


「十両あれば一年暮らせるとも言いますが、その十両を稼ぐのが我等浪人には難しい。我等浪人達が日銭を稼ぐといっても職が限られます。武士の身分をかなぐりすてる訳にもいかず、出来ることと言えば口入屋を通じた力仕事ぐらいなもの。しかも僅かな給金の中からピンハネをされる…。皆が貴殿のように金回りの良い商家の用心棒の仕事に就けるわけではないのです」

「力仕事では生きてはいけぬのか? 日銭を三百文、毎日は働けずとも一年にすれば結構な額ではないか」

「三百文? とんでもない! そんなに貰えるはずが…」


 言いかけた小寺の口が止った。しきりに何かを考える風、すると小寺、


「先ほど受け取った銭は十六文、大家が引いたのが一人あたま雑煮の三十二文と家賃百文という事は!」

「うむ、はたやはお主たちを雇うのに元々は一人頭三百文の銭を用意していたという事だ。急な事ゆえ額を多くしたとも言っておったがのぅ。そこから賭けの約束に従い半分の百四十八文、某に託された銭は通し銭三本ゆえその額となる。間違いなかろう?」※1

「どういうことだ?」


 そう不思議そうな顔をする石淵には小寺が話を説明した。要は口入屋であるあの囚屋が相場より多くの仲介料をくすねていたということである。


「依頼した銭が三百文なら我等の懐に二百七十文の銭が入るはず、なのにあの囚屋が我等に示した日銭は二百文。要は百文もの銭を、ピンハネどころか三割以上の銭を自らの懐に隠したということですよ!」

「なんだってぇぇ!!」


 石淵は大いに驚き、体が固まる程であった。

 石淵の口からはブツブツと言葉が漏れる。その言葉を注意深く聞き取ってみれば、


「百文あれば蕎麦どころか定食に飯をお代りして四回は食える。いや! それが今まで何度も……」


 と、頭の中で己が今まで得たはずの銭がどうたらと皮算用の最中。

 それほどにこの石淵にとっては百文の銭は大きいということである。

 それが幾度も積み重なったとなれば石淵にとってはとんでもない事であった。

 すると石淵は矢庭に立ち上がろうとして床に転んだ。しかし転んでも己の太刀に這い進みそれを掴むと、


「許さん! 囚屋のヤツをぶった切ってやる!!」


 そう語気を荒くするのだが、後ろから縋りつくようにして小寺がそれを止めに掛かった。


「石淵どの! 気持ちは判るが短気はいかん!! 囚屋の用心棒達に斬られておしまいだ!」


 だが止める小寺に石淵は、


「男は負けると判っていても、戦わねばならん時がある!」


 と逸る気持ちを抑える事が出来ぬようである。


「石淵どの、犬死にはイカン!」

「ええい、放してくれ、それがしこのままでは腹の虫が収まらぬ!!」


 だがその時、“ぐううぅぅ”と、一際大きく石淵の腹の虫が鳴いたのである。

 父祖伝来の家宝の太刀を握った石淵も、途端にヘナヘナと力を落とすと床にへたり込んだ。


「だ、だめだ、腹が減って戦もできぬ…」


 石淵は力を落とし俯いた。

 その様子を小寺が心配そうに伺った。

 その哀れな二人に掛馬四郎が問い掛けた。


「どうだ石淵、飯でも食わぬか? ついでに酒でもやって温まりたいが、どこか正月でも開いている店は知らぬか?」


 思いもかけぬ掛馬四郎の誘いに一瞬石淵の眼が輝きを増すが、石淵は欲望を断ち切るが如くに瞼を閉じて歯を食いしばるとブルブルと首を振った。

 石淵の心の中に昨年の辛い思い出が首を擡げたのだ。

 己が豪勢な飯で悪党に釣られたという記憶。

 だが、“ぐううぅぅ…”と一際高く腹の虫が鳴くと石淵の本当の思いを代弁するのだ。


『武士は食わねど高楊枝…、しかし!』


 苦痛に歪むかのように瞑っていた石淵の眼がぱっと開いた!


「掛馬殿の奢りにござるか?」


 掛馬四郎は頷くと、


「当たり前だ。お主、禄に銭も持ってなかろう!」


 石淵は刀を立て、杖代わりにして立ち上がるとその刀を腰に挿し、掛馬四郎に向かうと胸を張って応えた。


「案内仕る」


 石淵の心に在るのは掛馬四郎への信頼ではない。

 だが疑いでもない。

 たとえ餌で誘われようとも己が物事をしっかりと見極めたならば問題は無いという自信であり挑戦であるが、空腹に負けた事を覆い隠す方便であることは間違いなかった。



 石淵鉄太郎が案内した店はどこにでもある古びた一膳飯屋。

 甘塩っぱくも香ばしい匂いが通りにまでも漂い、この店が商い中であることを伝えている。


「ほう、正月でもやっているのだな」


 掛馬四郎が感心したように店を眺めれば、石淵鉄太郎は笑顔で暖簾を潜って行く。


「親爺! 納豆汁定食」


 石淵は暖簾を潜るなり店の親爺にそう告げた。

 だが帰ってきた言葉は冷たいもの。


「石淵さん、悪いけど付け(・・)では飯は出せないよ」


 石淵の顔は、ばつが悪いとばかりに固まった。

 しかしその後、小寺に続いて掛馬四郎の巨体が店に入ると親爺の顔も驚きに固まったのだ。


「石淵、お主の貧乏暮らしはこの辺りに鳴り響いておるようだのぅ。親爺、この金でこの二人に腹いっぱい飯を食わせてやってくれ。それと酒だ、熱いのをたのむ」


 掛馬四郎は驚きに固まる店の親爺を呼び寄せるとその掌に小粒を握らせた。

 すると途端に店の親爺も、


「へい、判りやした! 注文は他に何にいたしやしょう」


 と愛想さえ良くなったのである。

 ほどなくして三人が座る座敷には所狭しと料理が並べられた。

 石淵の目の前には納豆汁定食、小寺の前には煮魚定食が運ばれ、その他にも小鉢に盛られた酢ダコやコハダといった海のもの、あるいは甘く煮た豆料理、根野菜の煮物、漬物などが並び、石淵と小寺の両名はそれらをオカズに大盛りに盛られた飯に親の仇とばかりに齧り付いている。

 掛馬四郎はといえば、二人の食べっぷりを微笑みで見つめ、マグロのヌタを肴に酒をチビリチビリとやっている。

 そこへ店の親爺が香ばしい香りをあげる焼き立ての魚を二皿と、大皿に盛られた薄桃色も鮮やかな刺身を運んできた。


「今朝河岸で仕入れてきたマグロの腹身です」

「ほうこれは見事、だが良くあったものだな。親爺、銭が足らぬようなら後から出すから、どんどん食わせてやってくれ」


 それに店の親爺は、笑顔で応えた。


「旦那、ウチで出す品々は一皿四から八文が相場。酒とっくりなら十二文、一番高い定食でも三十二文だ。その特注のネコマタギも安いから仕入れてきたってもんで、金一朱ならお釣りがきますぜ」


 掛馬四郎はさっそく刺身に箸を伸ばした。

 醤油皿に漬けた途端にパッと脂が表面に拡がった。

 その脂の乗った刺身を口に入れた顔は莞爾と緩み、酒を含んでまた莞爾となる。

 その様子を眺める石淵、小寺の二人の顔は、今まで休むことなく働いていた箸を休め、“信じがたい”と驚きの眼差しでその光景を見つめている。


「か、掛馬様はそのようなものが好物なのですか?」

「おう、石淵。お主も遠慮なくやってくれ、足りなければまた頼むから喃」


 然も不思議そうに訊ねる石淵に四郎はそう応えるが、石淵といえば刺身には手もつけようとせず、運ばれてきたセイゴの塩焼きを目の前に置くと、


「それがしはこちらの方が好みでして…」


 と嫌がるそぶりさえ見せる。

 一方の小寺もアイナメの塩焼きを手元に引き寄せると石淵同様、


「拙者、白身魚が好きでありまして」


 と刺身には箸をつける素振りはみられなかった。

 しかしそんな二人の様子を気にすることなく掛馬四郎は上機嫌。


「よい店を教えてもらった! おい、二人とも食うだけではなく飲め! 魚を食った時には酒も飲まんとダメだぞ」


 と笑顔で刺身に箸を伸ばしつづけるのである。



 石淵が三杯の丼飯を、小寺が二杯の丼飯を平らげると卓上の皿はあらかた空となった。

 石淵は膨れた腹をさすりながら楊枝を咥え、小寺も大きな腹に手を当てながら、行儀悪く足を投げ出している。

 その様子を見て掛馬四郎、


「満足したか」


 と二人に尋ねれば、二人はこれに、


「うぃぃ、食った食った。これで三日は生き長らえる」

「もう食えない」


 とそれぞれながらも返事を返す

 掛馬四郎はそれを微笑みで見つめると二人に訊ねた。


「のぅ石淵に小寺、お主ら浪人暮らしはもう長いのか?」


 それには石淵苦笑い、


「長いも何も、それがし幼少の頃から既に浪人暮らしにござる」


 と自嘲的に答える。


「小寺はどうなんだ?」


 今度は小寺にそう尋ねれば、小寺はそれに当時を思い起こしたのか、すこし懐かしむ風。


「拙者はさる武家の若党を…、いえ若党といえども実質用人の仕事を務めておりましたが、思うところあって職を辞しました。あれからもう、十年にもなりましょうか」

「仕官はせぬのか?」


 すると石淵、もう諦めたとでもいわんばかりに、


「無理にござる。それがしを仕官させてくれる武家など何処にも」


 と笑うのだ。すると小寺、


「掛馬様はどこかあてが?」


 そう言ってから、はっと掛馬四郎の頭に気がつくとばつの悪そうな顔をしてみせる。

 だが、その様子に気付いた掛馬四郎は寛容であった。


「よいよい、気にするでない。しかし我等も生きていかねばならぬが、石淵に小寺、お主らは何か夢はあるのか? 確か石淵、お主の父は剣術指南役であったと聞くが、お主も剣の道を進むのか?」


 するといままでにこやかな顔をしていた石淵の顔がキュッと引き締まると真顔になった。

 胃の物に少し気持ち悪そうにしながらも胸の思いを語り始める。


「それがし、もちろん剣の道を目指しておりました。父より受け継ぎしこの刀にかけ、いつか、かならず父のように剣術指南役を拝命すると…。しかし恥ずかしながら日々の暮らしに追われ、このようなその日暮らしの毎日を送る有様…」


 だが途中からは言葉も力を失い、暗く俯いた顔からはそれ以上は語られなくなった。

 その暗い顔に掛馬四郎がとっくりを差し出す。

 石淵は酒を受けると何かを忘れたいとばかりにグイと一息に酒を呷った。


「小寺、お主はどうなのだ? やはり目指したものもあったのだろう?」


 話を振られた小寺は黙っていた。だが、ほろ酔いの心は沈黙を許さなかったのか、思うところを語り始める。


「拙者にも夢がありました。然る旗本家に仕えておりました拙者は用人見習として立派に職を務めていたと自負しておりました。しかし…」


 小寺の言葉が止った。何か思いつめた表情、目つきが一瞬険しくなる。そして小さく「フッ」と笑うと再び語りだした。


「拙者、職を辞して後、新たな夢を求めました。手習指南所を開き、子供達に読み書きを教えたのです」

「ほう、立派なものだのぅ」


 だが、感心する掛馬四郎の言葉とは裏腹に、小寺の語る話は暗いものであった。


「世の為になる仕事だと勉学を教えました。しかし、しかしそれで得られたものはといえば、月謝代わりの野菜と雑穀。それでも拙者は貧しさに耐え、食うものも食わずに勉学を教えました。そんなことをしていれば当然ですが家賃を払う事も出来ません。ならばと働きに出れば今度は教えることもままならず、そのうち門弟も一人消え二人消え、やがては全てが消え去りました」

「つらい話よのぅ」


 掛馬四郎はそう一言呟き、二人にとっくりを差し出した。

 二人は酒を受けるとグイとそれを飲み干した。

 干した杯にさらに酒を注ぎ足すと、


「しかし二人とも、まだ終わった訳ではあるまい? 諦めきった訳では無いのだろう?」


 そう確かめるように問い掛けるのだが、それには二人とも目の光を強くすると答えるのである。


「もちろん! もちろんそれがし今でも…」

「拙者とて機会さえあれば立派に! 立派に……」

「立派になんじゃ? 恥ずかしくて言えぬことではあるまい? 男が志を語るに何を臆する事がある。石淵、そうであろう? お主は今でも槍一筋の働きを求めているのだろう? 違うか?」


 尻すぼみとなった二人に掛馬四郎が発破をかけた。

 すると二人も燻る武士としての夢と誇りがそうさせたのだろう、再び思いを語りだす。


「もちろんそれがし剣の道を諦めた訳ではござらん! しかし、日々の暮らしに追われる今の某の境遇では、剣の道を切り開く事もできない…」

「拙者とて今一度武家に仕えたならば、書と算術を駆使したならば立派に務めを行う自信があります! しかし、昨今の情勢では若党どころか足軽の口さえも探して見つかるものではありませぬ…」


 それを聞き掛馬四郎、ふぅ、と一つため息をついた。


「のう石淵、お主の求める夢は剣の道だな? 今まで誰かに師事して剣の教えを受けた事はあるのか? 剣士同士向かい合い、互いの剣を確かめ合った事はあるのか? 小寺よ、主は算術が得意であるか。ならばいっそ武士を捨て商人として身を立てるというのはどうだ? 某の知る商人たちは、皆一国一城の夢を追って日々の仕事に励んでおるぞ」

「掛馬殿は判っておられない!!」


 と、石淵、小寺両名から強く声があがった。


「道場に師事したからといって、仕官できると思ったら大間違いです!! やつらは剣の腕で身を立てるんじゃない! 道場の序列は家柄とツテ、たとえ自分の腕が相手より上であっても、相手が由緒正しい家柄ならば相手はどんどん上に行き、こちらはますます置いていかれてしまう。素性も知れぬ貧乏浪人ではたとえ腕があっても出世の糸口さえ掴む事はできやしない!」

「才を生かすために武士の身分を捨て商人になれだなどと、それでは本末転倒にござる。武士と生まれたからには身分ある主に仕え、己の才覚を生かし役立て立身出世を望むのが侍の生きかた。話になりません!」


 怒りの声を上げる両名。

 しかし、それを聞く掛馬四郎は微かに微笑んだのだ。


「なるほど某は判っておらぬようだ喃。ならばそれを知ってみたいのだが、まずは石淵、お主、某を案内してはくれぬか? お主が学んだ道場でかまわん、そこで実際の有り様を見てみたいのだが、どうだ?」


 するとこの突然の申し出に石淵は驚きの顔を見せた。

 いや顔にはひきつりさえ浮ぶと、嫌ででもあるかのように言うのである。


「ど、道場に案内せよと? しかし、それがしもうあの道場とは」

「なんだ、怖いのか? まさかお主、その道場から尻尾を巻いて逃げ出したのではあるまいな?」

「ば、馬鹿を申すな!」


 石淵は膝立ちとなってそう怒鳴り返すが、対する掛馬四郎はその顔に笑みさえ浮かんでいる。


「ならばきまりだな、明日、案内せい。案内するならば明日の飯も奢ってやろう。どうだ?」


 石淵は即答しなかった。

 だが目を瞑ると必死に何かを考える様。それに掛馬四郎は、


「今夜一晩しっかり己の考えを決めるがいい。明日また参る」


 そう言い残すと席を立ったのである。


「親爺、勘定は足りたか!」

「へい、丁度二百文で、いま釣りを」

「おぅ、つりがあるのか。ずいぶんと安いな、しかし美味かったぞ」

「へい、ありがとうございやす!」


 暖簾を潜る掛馬四郎の背中を店の親爺が見送る。

 その姿を眺めながら石淵鉄太郎は思った。


『やはり人の奢りは軽軽しくうけるものではない』


 後悔先に立たずであった。


 ※1(実ははたや(・・・)は銭を用意していなかった。大旦那秀衛門は本気で支払わずに済んで良かったと考えていたのだがこれに掛馬四郎が意見を出したのである。“「『おそれながら』と、囚屋がお上に働きかけたならば厄介となる。そうさせぬ為には、あの浪人達にきっちり割り引いた給金を払えば名目を失うと考えるがどうだ?」“囚屋の予期せぬ反撃を封じ込める為、そうはたや秀衛門に働きかけたのだが、この意見を秀衛門が「確かに。ただより高いものは無いとも申します」と認めたのは、それだけあの囚屋を警戒しての事だろう。以上余談ではあるが、浪人・石淵と小寺には知りようのない話である)




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