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六尺男  作者: 大家四葉
六尺男
3/67

0-3

 周囲の状況を確かめようと、漢は薄暗くなりつつある山中を尾根を目指して進んだ。

 赤く色づき始めた木漏れ日が差す小径こみちを進み、途中、視界の開けた場所より山の木々の向こうに見える山の影が刺し始めた山間の村の姿を眺めてみれば、家々からは煙が立ち昇り夕餉の用意なのだと判る。

 そして山中からも立ち上る一筋の煙が。

 光の加減でここからは良く見えないが、炭焼き小屋か、あるいは山寺でもあるのだろう。

 

『上手くいけば、今宵は暖かい火の傍で食事にありつけるかもしれない』


 そう考えると漢は山々の形を覚え、おおよその地形を頭に描くと山中に伸びる煙を目指し、再び小径こみちを歩き始める。


 とっぷりと暮れた山中の暗い山道を歩くのは難儀と思われたが、東の空から日没と共に現れた月が、思いのほか明るく小径を照らしてくれる。青い光、薄い陰を浮かべるほどの月明かりに思いのほか足取りは速く進むと目当ての、山中に橙色の輝きを放つ建物へと辿り着くことが出来た。

 そこは古びた山寺であった。

 苔むした石塔が道脇に斜めに埋もれかけ、道には掃き清められもせずに落ち葉が積もっている。

 そのガサガサと騒がしい音を奏でる小径を途中で外れると、薄闇に鈍く浮かび上がる古寺目指して漢は木々の間をゆっくりと進んでいく。


 十分に時間をかけて近よると、暗がりの中から明かりの方を伺った。

 宿坊らしき小さな建物、そこから漏れ出す明かり、そして中からもれ聞こえる複数の男の声。五名、六名、いやそれ以上、酒に酔って大言を吐き自慢話に花を咲かせ、時折聞こえる勝った、負けた、などという言葉は賭け事をしている証だろう。

 その騒がしい中から誰かを呼ぶ声がした。

 その声に応える声は聞こえなかったが、程なくしてまだ子どもといってよい背格好の娘が廊下に現れたかとおもうと明かりの燈った部屋の障子を開けた。

 開けた障子の向こうには複数の粗野な男の姿が見える。そして直後の男の怒鳴り声。

 娘はぱたぱたと廊下を元来た方へと消えていった。


 姿が見えなくなったのを確かめると、漢は静かに、宿坊の廊下からは見えない側から気配を殺して床下に忍ぶと、静かに耳を傾けた。

 断片的に漏れ聞こえてくる言葉から察するに、この古寺に屯する男達は無頼の輩と一言で形容できる者達であった。

 酒に酔い、大きくなった気持ちが喋らすのだろう、これまでの数々の男達の手柄話。先日攫ったあの女は女衒に売るには惜しかっただの、あそこの村はしけていただの、次は何処其処を襲うといった男達の会話からそれは容易に知れるのだが、その男達の自慢話とでも言える会話の中に幾つか興味深いものがあった。

 一つは今まさに進められている誘拐話。

 どうやら人質と交換に身代金をせびるつもりのようだ。

 そしてもう一つ。

 あの昼間の二人組みは、この者達の仲間のようだ。しかも二人組みの一方、あの小柄な男が本当に男達の頭分だというのだから二度驚きである。

その帰らぬ二人の事について話題がのぼるが男達の、


「どうせ女遊びに夢中なのだろうよ」


 との言葉に一同おおいに笑い声をあげ、それきり話題にものぼらなくなった事から、普段から昼間のような不埒な事をしていたのだろう。

 今は鬼の居ぬ間になんとやら、羽目を外しているといったところのようだ。


 そうして忍ぶこと四半刻も過ぎた頃だろうか。

 引き戸の擦れる音、それに続く微かな人の足音に漢がそちらの方へと注意を向ければ、薄闇の中、先程の娘が明かりも持たずに境内の奥、暗がりの中へと向かって行くのが判った。

 漢は娘に気付かれぬよう静かにその後をつけて行った。

 半町程も進んだ事だろうか、月明かりに浮かぶ灰色の石壁の傍、そこに娘が屈みこんだ。石壁には格子がはめ込まれ、そしてそこから伸びる手に、娘が何か包みを、竹筒が共に差し出された事から弁当なのだろう。おそらくあれが男達の言葉に有った人質、石室に閉じ込められているのだ。


 漢は闇に潜み、道を帰る娘をやり過ごすとしばし時を待ち、格子のはまった石室に近づいた。月明かりに照らされ、格子模様の影を映す中には握り飯をがっつく男が一人。


「オゥッ」


 そう一声掛けたならば、男はビクリとすると奥の壁際へとへばり付いた。

 酷く怯えた様子が見える。

 来いと手を振れども男は少しでも身を遠ざけようとするかのように、奥の壁にぴたりと背中を着け、首を振るばかり。

 おそらくあの男達が戯れに男を弄んだのだろうが恐怖に話も出来ぬようではどうにもならない。


「某を良くご覧あれ、あの者達の仲間には御座らぬ。勘違い無き様」


 そう伝えてみれば、今度は打って変わって格子にしがみ付くと喚きだした。


「助けてくれ、お礼なら幾らでも弾むから、あたしをここから逃がしておくれ!」


 どうやらまだ心は常軌を保っている様子。その顔に、漢は口元に指を一本立てて見せ、静かにするように促すと尋ねた。


「心配致すな、あの者達は身代金と交換にそなたを引き渡すつもりのようだ。金さえ渡せばそなたも放されよう」

 

 だが、閉じ込められた男はその言葉を聞いても大人しくなるどころか、かえって慌てたように、いや今度はすがるように漢に救いを求める。


「か、金を払ったからって…、あたしが生きて返される保証なんてどこにもありはしないんです! 最悪、金だけ奪って殺されることも…。いや、そうに違いない。あたしは連中の顔を見ている、そんなあたしをあいつらが放って置く訳が…。どうか、どうかお願いします、後生ですからどうかお救い下さい…」


 格子から突き出された腕が合わされ、漢を拝んだ。月明かりに照らされた顔には光るものが流れている。


「交渉事が通じぬと申すか。しかし、そのような事を仕出かせば討伐は必定。いずれはこの地を治める領主の命により討たれようものだが…」


 しかし、石室の中に閉じ込められた男の口から語られたそれは、漢の考えを正反対に否定するものだった。


「お役人がなんの役に立つもんですか! 威張るばかりの役立たず、今までにも討伐だと言って大げさに大勢で山に入ったものの何の成果も上げられないんですから! おかげで私はこのありさま、私の命も風前の灯火、あぁ…」


 男の気落ちは相当なもの、だが、男を哀れに思い助け出そうにも男の足には鎖が巻かれ、鎖の先は穴の奥に詰まれた大石の下に隠れている。むろんこの男の膂力では動かすことさえできないだろう。

さて、どうしたものか…。

 漢が考えながら元来た道を戻ろうとすれば、石室の中より呼び止めの声が響く。


「ちょ、ちょっと、行かないで! 嘘でしょ、置いていかないで、後生だから。待って! 待たないと大声を出しますよ!! おっ――」


 大声を出そうとする間際、漢はクルリと向き直り、変わらぬ速さでまた格子に歩み寄ると男もそれ以上声を上げることなく漢を見上げる。

 漢はそのまま格子の前を通り過ぎる。

 囚われの男から投げかけられる声にも、変わらぬ様子で通り過ぎるとまたもクルリと向きをかえ、今度は格子の前を通り過ぎずに立ち止まると牢内の男を見つめた。

 格子の中、男は黙って漢を見つめた。

 絶望と希望が渦巻く複雑な眼差し。その眼が縋るように漢を見つめるのだが、見つめ返す漢の眼差しに何かを悟ったものか、いつしか男は力なくその首を項垂れていった。

 その意気地を無くした男に漢が言う。


「お主、生きてここから出たいのであれば、策が無いでもないが…どうする?」


 力なく項垂れていた男の首が持ち上がり、漢を見上げた。

 見上げてしばし信じられぬと見つめる男の顔。その口が開くと、今度はどうでもその策を受け取らんと、必死の形相で漢に頼み込む。


「頼む! いや、頼みます!! どうすればここから出られるのですか? お礼なら必ず、千両、いやニ千両でもかならず払いますから!」


 その騒がしく喚く口を漢はまたも指一本で封じると言う。


「耳を貸せ」


 格子に顔をめり込ませるようにした男の耳に、ボソボソと漢は己の策を語り聞かせた。



 木々の騒めきと虫達の奏でる声を掻き消し、闇に男の声が響き渡った。

 幾ら待てども鳴り止まぬその声に、遂には古寺に居座る男達の一人が様子を見るため岩室に来ると、しばしの間閉じ込められた男より話を聞き、そして大慌てで寺へと戻っていった。

 寺の唯一光を放つ部屋、そこから漏れ聞こえる男達の騒がしい議論の声がする。だが、その騒がしさも殺気立った山男達が寺から駆け出してゆくと、寺は元の静けさを取り戻した。


 夜の闇へと駆け出していった仲間達を見送る男が居た。

 月代の伸びきった浪人風の男が一人。縁側より闇に見えなくなった己よりも大分にむさくるしい仲間達を見送ると、部屋の中で膳を片付けている娘に言う。


「おう、酒は残しておけ! 鍋はいいから片付けろ! おぅ、串を倒すなよ!!」


 浪人者はそのままそこを動かず娘の頼りない仕事を心配そうに見守っている。囲炉裏には己の刺した雉肉の串が鍋を囲むように三日月形に並んでいたのだ。

 娘がなんとか重い鉄鍋を運び終えると、男は囲炉裏の傍にどっかと腰を下ろし、己の昼間の成果である雉肉の串を炎近くに差しなおした。


「ふん、丁度よかったわい。連中に食わせるにはもったいなさすぎる」

 

 浪人風の男は一人そう愚痴を漏らした。

 今、囲炉裏に炙っている串はこの男が昼間に弓で仕留めた山鳥。自慢の弓の腕が鈍るからと、練習がてらに猟師の真似事をしてみたのだが意外と難しく、それこそあの礼儀を知らぬ山猿達からは、


「旦那、お侍でようござんしたねぇ」


 などと嫌味を言われるに至ったものだが、そんな連中もいざ獲物を仕留めてみせればコロリと態度を変える。


「今夜は雉鍋ですかね、こりゃ結構」

 

 などと当然とばかりに分け前に預かるものと考えている。

 勝手なものだ。と浪人は心の中で思うのだが、もちろんそれを表には出さなかった。

 結局苦労して仕留めた獲物は連中の手により鍋と串焼きに変わったのだが、連中がその肝心の串焼きに与れなくなったのは、この浪人者からすればそれこそ天罰、いい気味といったところだろう。


「もう少しかかるか…」


 そう言うと、傍にあったとっくりを手に取り、湯のみに酒を注ぐ。

 トクトクと子気味よい音を奏でる酒をなみなみと注ぎ、それを一息に胃の腑に流し込み、目を細めて、ぶはぁ、と息をついた。


「うむ、腹の隅まで染み渡るわい」


 再び酒を手酌で注ぎ、串の向きを返しながら、その中から大丈夫そうな一本を抜き取ると男はふうふうと息を吹きかけ、被りつこうとする、が。

 ガタりっ、ゴトゴト。

 出来の悪い引き戸を引く音が聞こえた。

 

『連中、何か忘れ物をしたとみえる』


 男は齧り付こうとした串を再び囲炉裏の灰に刺すと、立ち上がり、土間へと向かう。

 アレは何処かと居間に来られては都合が悪いのだ。行きがけの駄賃とばかりに楽しみを奪われてはたまらない。


「おぅ、忘れ物か?」


 そう言って明かりで土間を照らすものの、そこには人の姿もない。ただ入り口の立て付けの悪い戸が開け放たれてあり、暗い外の闇を見せているだけである。

 おかしいなと、浪人者が戸口を潜ったそのときである。

 ゴキョリ!

 そう嫌な音がし、何かが浪人者の後頭部を打った!

 浪人者は戸口に倒れ付し、そのまま動かない。

 その動かなくなった体がズルリ、ズルリと戸口の向こうに引きずられてゆくと、やがて闇に消えた。

 ふたたび鳴きだす虫の声。

 戸口はそのまま閉ざされず、ぽっかりと闇を映し続けた。




 漢は浪人者を打ち倒すとそのまましばらく闇に身を潜め、戸口を窺っていたが、宿坊に人の動きがみられないと判断すると動きを再開した。

 まず、先程打ちのめした浪人者を縛り上げようと、褌を外そうとして驚いた。


「なんだ! このゆるふんは!!」


 浪人者の下帯は六尺にあらず。尻から回した布切れ一枚を、こしまわりで締めた一本の紐に通しただけの、俗に言う“越中”だったのである。

 こんなものでは到底手足を縛る用には使えない。短すぎるのだ。

 漢はそれを浪人者の顔面に、猿ぐつわと目隠しの用を成すように巻きつけると、浪人者の着物の帯で手足を後ろに縛り、そのまま藪の中に放っておくと己の身形を整えた。

 もっとも整えるといっても浪人者を昏倒させるために使った武器、石を包んだ己の六尺を解き、再び己の体に身につけ、浪人者から奪った脇差を褌に挿しただけである。

 その姿で漢は用心深く宿坊に近づき、中を窺うと戸口の中へと忍んでいく。

 宿坊の中は漢の目論見どおり空、居残り組みはあの浪人者、そして下女だけのようだ。その下女も男達を恐れてか、勝手場に閉じこもり様子を窺いに来る気配も無い。

 そして囲炉裏の回りには、芳しい香りをたてる肉の刺さった串が数本刺さっている。漢はこれ幸いとばかりに串に齧り付くと、傍にあった酒とっくりに口をつけた。


「うむっ、美味い!」


 あっというまに串を平らげ、酒で口をすすぐと続きとばかりに宿坊の中を捜して回った。

 見つかったものは、賊達のものと思われる少々の衣服と日用品。弓一張り、太刀・脇差等が数振りあるが、これはみなナマクラばかりであった。

 漢はその中から必要なものを選りすぐると、次は娘のいると思われる勝手場へと向かった。


「おぅ! 居るか?」


 勝手場の戸口をピシャリと開け、ほの暗い光に照らされるゴチャゴチャとした勝手場を覗けば、その奥から、先の柱の横影から顔を出した娘の顔が見える。

 その娘の顔だが、漢を見ても驚いた様子も無く、ただじっと黙って何かを待つ様子は賊の仲間と間違えてのことだろうか。


「儂が誰か、判るか?」


 試しにそのように訪ねてみたものの、娘は頭を横に振るばかり。


「賊の一味では無いことは判るな?」


 と、そう訪ねてみたところ、首を縦に振ったことから一応の頭はある様子。


「おまえは一味の仲間なのか?」


 娘は首を横に振った。


「ならば逃げるがいい。一味は東の麓の村へ向かった。おそらく待ち構えた村の衆と出くわすだろう。麓には侍も待ち構えているならば無事では済むまい。逃げる良い機会だ」


 だが、それにも娘は首を横に振る。


「訳があるのか? 言えぬ訳か?」


 首を縦に振る娘、その娘に漢は頼んでみた。


「もし、儂が再びここに戻らなんだら。そして一味の者もここに戻らなんだら、あの牢に繋がれた男を助けてやってはくれまいか? 人手が必要なら里の者に手助けを求めても良い。方法は任せる」


 娘はその言葉にも首を縦に振った。

 なにやら複雑な事情がありそうだが、それは後回し。漢は手に抱えた道具を勝手場の外に下ろすと娘に訊ねた。

 

「竈の墨を貰うが良いな?」


 娘は、それにもコクリとうなずいてみせた。



 ほんのりと赤い残り火を燈す竈の中に水を掛けると、その中、黒い墨を掻きだし、それを掌に取ると体に擦り付ける。頭、両腕、尻、両足、そして背中に手の届く範囲で擦り付けていると、娘が同じように手を黒く汚し、それを背中に擦り付けてくる。


「かたじけない。だが、もうよいぞ」


 本当は背中はあの賊一味が残した袖なしの毛皮で隠す予定だった為、色を付ける必要は無かったのだが、娘の事を思いそう礼を言ったならば、無表情な娘の顔が幾分微笑んだようにも見えた。

 猪の毛皮の袖なしを纏い、腰回りにも同じく猪の毛皮を巻くと宿坊で見つけた縄を腰に巻いた。そして賊の一味が貯めていた武器の中から脇差を一振り、一番切れ味の鋭いものを腰に挿すと残りの太刀や鉈・縄といった道具を無造作に背負い篭に入れ担ぐ。

 漢はチラとだけ娘を見た。

 驚いたことに、いや、本当は驚くにはあたらないのだろう、娘は漢をお辞儀して見送った。漢はそれにコクリ小さく頷くと、夜の闇へと消えていったのである。


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