3-7
向島外れの古寺に狛犬一家は再び集まり、囲炉裏を囲んだ。
一同の顔は皆暗く沈み、呆然としながら囲炉裏の炎を見つめつづけている。
その雰囲気に耐え切れなくなったのか、辰牡の蛙助が蛙のように這いつくばり言うのである。
「申しわけありません!! まさかこんな事になろうとは!」
それを見る捨梧朗は黙ったまま。
蛙助も動くに動けず、そのままでいると、
「棟梁、こりゃあその道の者に頼んだ方がいいんじゃねぇですかい」
炎を見つめたままの金五がそう呟いた。
「金五、心当たりがあるのか」
棟梁の捨梧朗が金五にそう訊ねると、金五は、
「へい、お一方。しかし金がかかりやす」
そう蛙助を見ながら言うのである。
蛙助の顔に汗が走った。
「蛙助、いくら残っている」
まるで油を搾り取られるガマであった。
顔に汗を浮かび上がらせた蛙助が答える。
「は、八両程残っておりやす。今ここに」
そう言うと、蛙助は自分の懐から財布を取り出し、その中から小判七枚と、一分金二枚、一朱金八枚を取り出すと、うやうやしく差し出したのである。
「二十五両が八両か。蛙助、五両だけ返しな、あとは自分で取っておけ。で、金五、幾ら掛かる?」
金五は少し蛙助を睨みつけたかと思うと、答えたのだ。
「百両は必要かと」
「百両!」
一家の皆から声が漏れた。しかし、それでも金五は言うのだ。
「ハンパモンじゃ殺れねぇと踏みました。あの浪人者を殺るにはどうしてもあの人の手を借りないと」
「いったい誰に声を掛けるんだ」
「金子宮門」
「げぇ、首切り宮門」
蛙助が思わず声に出した。
首切り宮門、その異名のとおり、首を切り名が知れた浪人者である。
かつて、ある香具師が用心棒を募ったときの話である。
金子宮門の目の前に佐伯十蔵という剣術使いが座ると、けしかけたのだ。
「おまえにこれができるか!」
直後、佐伯は目にも止まらぬ早業で刀を一閃すると、何事もなかったようにカチリと刀を鞘に収めた。
何事が起きたのかと一家の者が見守る中、ひぃっ、と男の悲鳴が一つ起きた。
佐伯のすぐ横で飲んでいた男の三合とっくりが揺れ始めたかとおもうと、筋のように中の酒を滴らせ、やがてゴトリと首を落としたのだ。
佐伯はしてやったりと、金子を見ながら床に座った。
すると金子が膝立ちになり、近くにあった蝋燭立てを手に取ると、それを佐伯の目の前にトンッと置いた。
「よく見ておれ」
金子は刀を居合に構えた。
その姿を見て一同の者が静まり返る。
緊張の間、そして電光の如くに金子の刀が閃いたかと思うと、何時の間に収められたものか、チンと、鯉口の重なる音が。
皆が蝋燭の炎を見守った。変らずゆらめき続ける蝋燭の炎。その時!
炎を見つめていた佐伯の顔が笑ったかと思うと途端にグルリと白眼を剥き、首から血飛沫を吹き上げる。
そうして首の皮一枚を残してゴロリと前に落ちたのである。
蝋燭は佐伯の血飛沫に消されても、そのままの姿を保っていたと言う。
パチリと囲炉裏の炎が爆ぜた。
その炎に促されたのか黙り込んでいた一同に聞こえるか聞こえないかの声で捨五朗が呟いた。
「金が足りねぇ…」
捨五朗はそう呟くと、がくりと首を項垂れ力もない。
だがそこへ金五が言うのである。
「棟梁、五十両程ならあっしが都合つけられやす」
それを聞いた途端に、
「なに! それならワシの金を加えれば八十両だ。残り二十両をなんとかすれば」
捨五朗の頭の中には後悔があった。
蛙助に渡した二十五両が残っていればと、あんな役立たずの浪人など使わず端から金子宮門に声をかけていればと今更ながらに悔やむが後の祭りだ。だが、
「十五両ならなんとか」
八汐の忠次までもがそう言いだすにおよんで皆の視線が蛙助に集まった。
「わ、わかりましたよ。五両、都合つけりゃいいんですね」
そう言った蛙助の言葉はどこかひねた風であった。
闇討ちの夜の翌々日、掛馬四郎はあの惨劇の場所近くで妙な男を見つけた。
この師走の寒空の下、堀に浮かぶ男が一人。
男はざぶんと水に潜っては然程もせずに水面に浮かび上がり、しばらく息を整えたかと思うとまた水に沈んでゆく。
そういった事をしばらく繰り返していたのだが、そのまま姿が見えなくなった。
『拙い!』
と、掛馬四郎は男が潜っていた辺りに着物を脱ぎながら駆けつけると、まず足から水温を確めるように水に入っていく。
身を切るような冷たさを感じながらも次に胸にバチャバチャと水を掛け、
「エィッ!」
と気合を入れると、目星をつけた辺りへと潜ってゆく。
水深がそれほど深くなかった事もあり、男はすぐに見つかった。
そのまま岸に運び上げ、水を吐かすと男は運良く意識を取り戻した。
すると開口一番。
「き、きさまは、かか、掛馬!」
「なに? お主、某を存じておるのか?」
寒さに凍え、がちがちと歯を鳴らす男は立ち上がろうとするのだが、冷え切った体が言う事を聞かずにその場にへたり込む。
それでもなんとか気力を振り絞り、震える口を動かすと言うのである。
「いい、一昨夜のこ、事、忘れた、か」
それで四郎にもピンときたのである。あの夜、闇討ちを図った浪人者の一人を堀に叩き落している。おそらくはその浪人者。
「おお! その方は一昨夜の」
「そそ、そうだ。覚悟を…」
そこまで言って、男が口篭もった。
男の手は、無意識の内に左腰へと回されているが、そこに腰の物が無い事に気付くと、気落ちしたようにまたへなへなと崩れ落ちてゆく。
近くの百姓屋に訳を話して火を分けて貰うと、四郎は一昨夜の燃え残りで火を起した。
その焚き火の前には歯をガチガチ鳴らして青ざめる一人の男が膝を抱えるようにして火にあたっている。
四郎もその火に手を翳し、褌を乾かしながら男に訊ねる。
「お主、誰に頼まれた」
男は黙して語らず。ただじっと目の前の焚き火を見つめている。
「なら話を変えよう、何を探しておる」
それに男はぼそりと答えた。
「武士の魂…」
武士の魂。
その言葉を聞いて、四郎は考え込んだ。
『武士の魂とは、いったい何であろうか? 先祖伝来の土地か? いや、そんな物は落としようが無い。ならば馬か、いや落とすからにはもっと小さな物で貴重なものといえば茶器か! いや、浪人でも持てるものを考えねば』
四郎は頭を散々に捻るが結局判らず、
「済まぬが教えてくれぬか、武士の魂とは、いったい何ぞや」
目の前の浪人は、最初はきょとんとした眼で四郎を見上げると、次は馬鹿にでもされているのかと感じたのか、
「武士の魂といえば刀、刀に決まっている! からかっているのか!」
そう喚きだした。
「刀が武士の魂だと? ではお主はその魂を無くしたのか。ならどうして生きている?」
それを聞いた途端、浪人、石淵が頭を項垂れた。
力を無くし、気力を無くして微かに呟く。
「もうだめだ…。先祖伝来の刀を、ご先祖さまに申しわけがたたない…」
四郎には理解出来ないことだが、この浪人が無くした刀は当人にとっては余程に大事なものであるらしい。
するとそこへ、
「おや掛馬の旦那、この寒空に水練ですかい」
と声を掛ける者が。
四郎が声に振り返ればそこには知った顔。
「おお、八助か。火にあたってゆけ」
八助、浅井武蔵の手下で四郎とは江戸はたや襲撃の一件からの知り合いである。
その八助は、それじゃあ、と言うと、手をさすりながら火にあたり始める。
「ところでなんだってこの寒空に褌姿でいなさるんで? まさか本当に水練でも」
八助が四郎にそう尋ねると、四郎はあっけらかんと答える。
「うむ、実はこの者は一昨夜、儂に闇討ちを仕掛けた者でな」
その言葉に、男と八助がぎょっとした。
「だ、旦那、それじゃあここでこんな事してる場合じゃ」
そう言いながら八助は男を押さえに掛かろうと、男も慌てて立ち上がろうとするのだが、四郎がその立ち上がろうとする男の頭を押さえると、男に訊ねるのだ。
「もう一度聞く、話す気にはならんのか」
脇で睨み付ける八助の顔、それと対照的な笑みを浮かべた漢の顔がそう迫ると、男はか細い声で諦めたように語りだしたのである。
男の名は石淵鉄太郎。
男が語るには一昨夜の闇討ちは仇討ちだと言う。
家に仕えた中間が親戚一同に代わり、あっぱれ見事に仇の首を上げるはずが、己の不甲斐なさの為に失敗したと、本懐成らずと悔しがった。
だが、それを聞いていた八助が訝しいと、声をあげた。
「仇討ちなら闇討ちなどしねぇで堂々立ち合えばいいんじゃねぇですか」
鉄太郎が答えた。
「己は武士ではないからと、お上の許しが降りないからと、そう申していた」
それもおかしいと八助が言う。
お上の許しがおりなくとも、親類一同が諦めた敵討ちを家臣が、あるいは武士の身分にない手下が行っても、お上はそれを罰する事はない。
むしろよくやった、これぞ忠義と誉められるはずだと、そう言うのだ。
そして鉄太郎に尋ねた。
「その掛馬の旦那に討たれたっていうお侍はいったい何処のご家中のお侍ですか」
この言葉に鉄太郎はハッとした。
今になり気付いたが、確かに何処の家中の者か聞いてはいなかった。
『仇討ちの言葉に浮かれ、そんな大事な事も忘れているとは…』
その鉄太郎の心の変化を読んだように八助が語りかける。
「何か心に引っかかるものがあるでしょう、それはお調べの場で聞かせてもらいますぜ」
もはや鉄太郎には逆らう意思は無い。
八助が縄を取り出し、後ろに回ろうとして四郎が言う。
「待て、着物ぐらい着せてやれ。柔フン一丁では寒かろう」
狛犬の捨梧朗は背中に冷たいものを感じながら士の返事を待っていた。
金子宮門、総髪を両肩に垂らした一見優男にも見える風貌。
しかしその眼を見た途端、捨梧朗は理解したのだ。目の前には居たくない、いや、居てはいけない士だと。
仲介役の金五とともに金百両を持参しお願いする身は緊張に固まり、これが凄腕の士が身に纏う氣の圧力なのだと、捨梧朗は死の恐れを抱いたまま待ちつづけた。
「よかろう、掛馬四郎、近日中に仕留めてみせよう」
にやりと笑った薄い唇がそう述べた時、捨梧朗はぞくりと身が震えるのを覚えた。
「お引き受け頂き、有難く存じます。段取りについては後ほど」
「いらぬ」
薄い唇が短く答えた。
それに捨梧朗は言葉を失うと、士が語った。
「掛馬四郎、禿頭の浪人、身の丈六尺五寸、これで十分。あとはこちらで勝手に行う」
「ははっ」
捨梧朗は頭を下げる事しか出来なかった。
身が竦みあがり、なにも出来なかったのだ。
江戸外れ、砂村近郊。
「身の丈六尺の禿頭の漢を知らぬか」
唐突にそう訊ねられた砂村の百姓・鯛平は声に振り向いて戦慄した。
見つめられただけで身震いする冷たい眼差し。
その眼に射すくめられながらもかろうじて鯛平は先を指差し、
「あ、あ、あそあそ…」
と声にならない声で答えると、士はなにも言わずにその指し示された漢の元へと歩を進めた。
『あの漢か』
金子宮門が目指す先には、禿頭を隠そうともしない半纏姿の漢がいた。
噂通りの巨漢、だが、話と違い漢は侍の姿をしてはいなかった。
半纏を締めた帯に後ろ挿しに脇差が見えるが太刀の類は帯びてはいない。
その手に持つ物は網、投げ網である。
それで漁師の真似事とばかりに堀に網を投げては引くを繰り返している。
金子の脳裏に迷いが生じた。
『身の丈六尺を超える大漢、しかも禿頭、侍、このような者の噂など聞いた事も無く、ならばすぐに判ると踏んでいたが、もしも人違いであったなら恥を晒す。己はこれまで約束を違わぬ事を誇りとしてきた。たとえそれが血生臭い人斬りでも、いや、人斬りだからこそ確実な死を求められ、それゆえ尊ばれてきたのだ』
だが、その自信が今揺らいでいる。
禿頭の大漢。
もし、還俗した僧侶が網を打っているだけだとしたならば…。
しばし考え、金子宮門は結論を下した。
『人違いであろうと本物であろうと共に斬ってしまえばよい』
士は漢に間合いを詰めてゆく。
迷わず殺す覚悟でどんどんと近づいてゆけば漢が振り向いた。
禿頭の下には笑みが浮かんでいる。
手には相変わらず網を持ち、背中から脇差を抜き放つはずの右腕は、網を支えるように網の下にある。
間合いを詰める金子宮門が何も言わずに刀を抜いた。
対する漢も笑みを浮かべたまま、体を捻ると投網を投げる。
網は広くは広がらずに横一文字に士に向かうが、金子の剣が電光の煌きとなってその網を走る!!
このとき金子の脳裏には、投網とその重しが四分五裂する様が浮かんでいた。
だが、左右に裂け広がる投網の重しの中からギラリ姿を現した一振りの刀身、それが金子が見たこの世の最後の光となったのである。
掛馬四郎は竹竿に模した仕込み槍に元の竹鞘を被せると、地面に痙攣して横たわる総髪の侍の首から半ばに食い込んだ刀身を剥がし、その刃に見入った。
刃には目の前に横たわる侍が放った時に付いたものであろう微かな刃こぼれが生じているが、それとて小さなもの。研ぎ直しをせずとも済む微細な傷である。
刀身に錆びなど生じていない事からも、これがあの四郎を襲った浪人、石淵鉄太郎のものである事はほぼ間違いなかった。
だが、困った事になったと思った。
「浅井のやつめ、また腰を抜かさねばよいが」
浅井の言葉によれば、人死にが出すぎとの事。
確かにそうだろう、先だっての侍二人に今日の一人、宗衛門が聞いたならば、震え上がって外出もままならないはずだ。
このところ立て続けの事件に、いいかげん決着をつけねばならぬと四郎は考えていた。




