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山道に覆い被さる木立の合間から見える空は抜けるように高く、大分に色づいた木の葉が木々を彩っている。季節は秋のようだ。
道すがらに見つけた薄紫色のアケビなどを食しながら道を下ってゆけば、思いのほか早くに山道が終わりを告げ、刈り取りの終わった黄色い田んぼの姿が目に入った。
谷あいに黄色く広がる土色の里の姿。
所々に小さな百姓家が見え、少ないながらも人の生活が感じられるが、そこに少々妙なものを見つけ出した。
道を塞ぐように置かれた柵。
そこには人の姿は見えないが、傍にはみすぼらしい小屋が一つある。人がいるならば、おそらくその中から眼を光らせている事だろう。
まあ、先ほど出会ったあのような男達から村を守る為なのだろうと考えながら、急ぐわけでもなく変わらぬ足取りでその柵へと向かって歩いてゆけば、案の定、柵に差し掛かるところで小屋の中から手に鍬や棒を持った百姓風の男達が三人程飛び出してくる。
男たちはその得物を漢に向けながらたどたどしい口ぶりで誰何の言葉を投げかける。
「や、やい! おんめぇ何処のモンだ! お、おらほが村に、な、何のようだ!」
向けられた得物には震えが走り、男達の緊張の色が伺える。
このような事には慣れてはおらず、また漢を恐れての事だろう。
その村の男達に右手の掌を向けながら漢は言った。
「あいや、ご用心めされるな。それがし怪しいものではござらぬ」
そこまで言ってから漢は少し考えた。
果たして自分の事を、どう説明すればよいのだろうか?
山中で裸同然で目覚めるも、自分がどうしてそのような格好で、そのような場所に、どうして存在していたのか。それをこの者達にどうやって説明すればよいのか…。
言葉が詰まった。
百姓風の一人の男が鋤を向けて言った。
「や、やい! 怪しいやつめ! 怪しくないなら、ど、何処の誰だか名を名乗りやがれ!」
「そうだ、そうだ!」
一人に呼応し、回りの百姓風の男達が囃しかける。その問いかけに困りながらも漢は嘘はいかんと正直に、
「それが喃~、名前が思い出せんのだ。どこの誰かもだ。お主等、儂が誰だか知らぬか?」
そう答えたのだが。
おそらく男達は馬鹿にされたと思ったのだろう。その手に握る得物からは先ほどとは違い、殺気が滲みだしている。
「おんめぇ、オラ達を舐めてっぺ! あよ!」
「名前も言えねぇ他所者がおらほの村に、何の用だ!」
言葉と同時に突き出される六尺棒、それを反射的に漢は掴んでしまった。
すると村人、
「おっ、やるつもりかい? こうみえてもオラは力は、うわっ!」
その言葉が最後まで語られることは無く、悲鳴とともに途切れた。男が引き抜こうと力を込めた拍子に、掴んだ棒を離したのだ。
男は後ろに派手に転ぶと一回転、尻餅をついた姿で今度は大げさに喚きだした。
「関所破りだー! お役人さまを呼べーー!!」
小屋の中にもう一人隠れていたのだろう。小屋の後ろからコンコンコンと半鐘代わりの木板が勢い良く音を響かせる。その音に呼応し遠くに見えている百姓屋からは何事かと村人が顔を覗かせていることから、確実に騒ぎを聞きつけすぐにも人が集まってくるだろう。
そのように状況を観察している間にも、もう一人の男が鋤を漢に小刻みに突き出し、威嚇してくるのだが、その突き出された鋤の柄をむんずと漢が掴んだならば、相手は鋤を引き戻す事もせずにそれを手放した。
顔は驚きの表情に眼をまん丸に見開き、瞬きもしない。まるで山中で熊と出会ったかのよう。
その顔に、漢が返すとばかりに鋤を差し出せば、村の男は何を勘違いしたものか慌てて後ろも見ずに逃げ出していく。
見れば、残りの者達も慌ててそれぞれの方向へと逃げ出してゆく。
一人残った漢は考える。
『このままでは騒ぎに巻き込まれるのは確実。しかし、先に進まぬ限りは自分の手掛かりも掴めぬ』
「虎穴に入らずば虎児を得ず。落ち着いて話せば向こうも判ってくれよう」
漢は、意を決めると百姓達が逃げ去っていった先へと、慌てず堂々と歩んだのである。
漢が刈り取りの終わった田んぼを両脇に控えた小道を抜け、粗末な橋を渡り、ようやく先に見え出した名主のものと思しき屋敷を目指して歩んでいた時の事である。
道は少し坂になり、脇に屋敷の塀とその向かい、竹やぶとなった場所に差し掛かろうとした時、嫌な予感に脚を止めてみれば、やはりというか竹やぶと塀の向こうに人の気配を感じたのである。
そのままゆっくり百程も数を数える時を立ち止まったままにしていれば、やはり耐え切れなかったのだろう、竹やぶの中からはパキンと何かを踏み折る気配がし、塀の向こうからも「へクシュン」とクシャミの音と、直後に叱り声が小さく聞こえてくる。
漢がその待ち伏せる者達全てに聞こえる程の大音声で吼えた。
「物取りか賊かは知らんが、この身に金目の物は無いぞ!」
直後である。
「バカこくでねぇ! 物取りはおめぇのほうだべ!」
竹やぶの中から立ち上がった男がそう声をあげると、直後、脇に隠れた男がその立ち上がった男の尻を叩くのだが、もはや隠れている意味は無いと悟ったのか竹やぶの中からは複数の男の姿が立ち上がり、塀の向こうからも梯子を使ったものか、にょきりと男達が姿を現した。
「この山賊め!」
「山に帰れ!」
「人殺しめが!」
姿を現した男達が罵る言葉はおおむねこのようなものであった。どうやら漢を山賊か物取りと間違えているようである。
ならばと漢は胸を張って言った。
「しかと確かめてくれ! 山賊がこうして一人で出てくるはずなかろう!」
先ほどの誤解を解くため、漢は姿を現した男達に向き直り、よく顔姿を見せた。
その様子に男達も互いに顔を見合わせ、ヒソヒソと言葉を交わしはじめる。
この顔が山賊に見えるのかと、あるいは上手くいけば己の事を知る者がいるかもしれない。
そう思い、皆に顔を見せていたその時である。
「あ、あの顔です! 間違いありません、あたしを山の中で襲ったのは、アイツです!!」
そう甲高い女の声が響き渡った。
塀の上から上半身を覗かせ、漢を指差し感情的に騒ぎ立てるその女に漢は見覚えがあった。あの山中で賊から救った、あの女だ。
塀の上から投げつけられる石つぶてと、竹やぶの中から殺気だって溢れ出す百姓達から逃れる為、漢は走った!
先回りし待ち伏せた百姓達から逃れる為に田んぼのあぜ道に折れ曲がり、道を塞ぐ荷車を飛び越え、小川をバシャバシャと溯り山の谷沿いの道に再び出ると死に物狂いで山道を駆け上った。
しばらく登り、後ろをふりかえればあの百姓達の姿は無い。
先回りと待ち伏せを避けるため、道脇の山林の中に入り、姿勢を低くかがめ、注意深く森の中をに“の”ノ字を描くように道の後ろへと回り、用心深く道を窺うも人の気配は感じられない。
そのまましばらく身を潜め、山道を伺う。しかし追ってくる人の気配は感じられなかった。
ならばと漢は山中を用心しながら見晴らしの良い場所を探して進んだ。そうして見つけた場所から下界を眺めてみると、村の中に動きがあるのを見つけた。
刈り取りの終わった田んぼの中を動き回る人たちの姿がある。
彼らが用意しているものはおそらく篝火。あれで山の際を照らし出し、賊の侵入を防ぐつもりの様子。そしてなにより先程にはいなかった馬に乗った侍らしき姿と、その回りを固める徒歩の足軽達が見える。山狩りを行う程の数ではないが、村を守るためだけなら十分な力だろう。