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六尺男  作者: 大家四葉
六尺男
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第零話 山中にて


 体に小さな響きが伝わってくる。

小さく、そして通常より細かなこの響きは人の脚の運び。短い間隔は女の着物の裾ゆえのものだろう。そして気になるのはその後に続く、二つの異なる響きだ。

 最初はか細かったその響きが徐々に力を増してゆく。軽快な響きが一つ、それに続く力強い響きが一つ。その二つの響きが徐々に先の細かな響きを飲み込んでゆく。

 おそらくもうまもなく先の響きを飲み込むはずであるが、問題は、その響きが徐々にここへと近づきつつある事である。



「ひゃっはあぁ~」


 山道に奇声が響き渡る。

 そしてその声から逃れようと山道を懸命に下り降りる女がいた。

 時折後ろを振り返り、自らに迫る危険との間合いを確かめつつ小走りに走る姿は旅姿のもの。百姓女のように着物の裾を捲り上げるような思い切りの良い真似も出来ず、ひたすらに小走りに脚を動かしつづける姿は野山に慣れぬ町育ち故の事か。

 だが、その羞恥心が女の運命を決める事となった。


「あばあぁ~、ここは通さねぇ~」

 

 突然に藪を突いて道の先から踊り出た小男が両手を大きく広げると、道を遮ったのだ。

 裾を腰に絡げたもろだしの両足、その間に覗く狸の引敷、袖なしの毛皮を纏ったその姿はどんなに良く見ても樵の姿。だが今の状況を考えるならば、山賊か物取りとしか見えぬものだった。

 日焼けの上に垢を重ねた汚らしい顔に浮かび上がる白い目玉が、ギロリといやらしい光を帯びて女を睨んだ。

 その姿に女は行き場を失い、苦し紛れに後ろへと振り返ればそこにも山道を駆け下りてくるもう一人の男の姿が。道を塞いだ小男よりも遥かに大きな入道頭の男が、上半身をもろだしに、裾をからげた着物から伸びた両足で地団駄を踏むように道に止まると退路を塞き止める。

 女は道の片側、見ただけで目がくらみそうな下に続く山の急斜面を見ると、一瞬戸惑いを覚えた気持ちを殺し、その斜面に飛び込もうとする。

 だが、その一瞬の迷いがアダとなった。先に道を塞いだ袖なしの山男が後ろから抱きつき、女の自由を奪ったのだ。


「あぁ~ひゃっひゃっひゃっひゃ、つーかまえた~。むぐ」


 女の腰にまるで虫のように抱きつき、そのような下品な言葉を発しながらその顔で女の尻をまさぐり、そして手を着物の中にまで差し込もうとする。


「嫌!」

 

女が苦し紛れに体をよじり、上半身を折り腰を突き出した。

その時である。


「あーー!」


 女を拘束しようとした小さな山男が振り回された拍子に脚を滑らせたものか、情けない声をあげながら道脇の急な斜面に消えたかとおもうと、ガサガサと斜面を転げ落ちてゆく!


「あ! あにじゃー」

 

 大男の注意が転げ落ちてゆく小男に向いた。

 好機! とばかりに逃げを打つ女の脚がもつれる。

 山道に崩れ落ちる体に一人残った大男がゆっくりと迫る。

 女を掴もうと差し出される両手、その手から逃れようと女は地面に腰を落としたまま後退るが、その大男の腕が女の着物の襟元を掴もうとしたその時!


「あっ!」


 女は角度を増した山道を、まるで盥のように、道に沿ってゴロゴロと転げ落ちていったのである。


 偶然の手助け、この機を逃すものかと女は立ち上がるや体の痛みも忘れて山道を下った。

 後ろからはドスドスと大男の足音が響いてくる。

 その不気味な音から逃れようと女は懸命に走った。

 そして目の前に現れた三又の道。それを見て女は思った!

 

『記憶が確かなら、この道を右に折れれば里へと通じるはず、里に出さえすれば!』


 女は喜び勇んで道を折れ進み、そして自らを呪った。

 道を下った遠く先に、先ほど山の斜面を転げ落ちていったハズの袖なしの小男を見つけたからだ。

しかも気付かれなければまだやり過ごすこともできただろうが、あろうことか小男は女に気付くと山道を駆け上り始めたではないか。

 女は懸命に来た道を戻り、三又を駆け抜けた。視界を掠めて自分を追ってきた大男の姿が横に見えた。

 どうしてあの時もう一方の道を選ばなかったのだと後悔しながら、女は残されたもう一方の道をひたすらに駆け登った。


 女は息も絶え絶えになりながら山道を登ると、やがて道は消え、山中にぽっかりと開けた場所に辿り着いた。一面広く広がるそこには足元を隠す雑草の他にも背丈の高い萱が所々に群生し、自然の迷路となっている。


『あそこに隠れられれば』

 

 そう思いつき、後ろを振り返って女は自らの考えの甘さに嫌悪した。

 自分を追ってきた二人の男がニタニタと嫌らしい笑みを浮かべながら、今来た道の先から姿を現したのである。

 最早駆けずにゆっくりと歩いてくる様は既に獲物は追い詰めたと言わんばかりの余裕の現われか。

男達は逃げ道を塞ぐべく、油断無く間合いを取りつつ女に近付いてゆく。


 山男達から逃れようと女は広場を再び駆けるも慌てて立ち止まった。自らの進もうとしたその先、藪に視界を妨げられ気付かなかったが先は崖となっている。

 落ちたならば命を失いかねない高さに慌てて引き返そうとするも、男たちがそれを見越していたかのように遠巻きに立ちふさがる。

 苦し紛れに女は横へと走った。すると女は何かに躓き、ドサリと藪へ崩れ落ちた。


 それを見た男達の口から言葉が零れ出た。


「ひゃーはっはっはっは、も~う逃げられないぞ~」

「ぐへへへへ…たまらんなぁ、おんなだ、おんなだ、生きのいいおんなだ…」

 

 男たちが知性と理性を失った言葉を吐き、藪の中に崩れ落ちた女に近づき欲望の期待を胸に飛びかかろうとしたその時である!

 男達は各々自分の眼を疑い立ち止まった。

 藪の中からのそりと起き上がったその体。それは女に非ず。優に六尺はあろうかという筋骨隆々たる漢の体だったからだ。


「き、きつねかたぬきにばかされたんだべか…」

 

 女を追っていた山男の片方、もろ肌を脱いだ大男、入道頭がそうつぶやいた。


「馬鹿! んなわけあるめぇ!!」


 もう一人の袖なしの毛皮を来た小男がそう声をあげ、入道頭を飛び上がりざまに引っ叩くと、目の前に現れた得体の知れぬ巨漢に向き直った。

 いま小男が引っ叩いた少し頭の足りない弟よりもさらに大きな体つき。無理やり取って付けたような筋肉が載る太い腕、分厚い胸板、それと対照的な細い腹回り。そしてその重厚な上半身を支える鍛えぬかれた太ももは小柄な女の腰回りほどもあるだろうか。

 まるで獅子のようなという表現が似合いそうなその体には、山男の一方と似た入道頭が乗り、その顔には何故か奇妙な笑みが浮かべられている。

 そして身に付けているものといえば浅葱色の褌一丁のみである。

 山男たちはその姿を見て迷った。その一方の小男は考える。


『鍛えぬかれたその体は出家した武士か? いやいや、昨今の武士にこのような鍛えぬかれた体を持つ者などいようはずがねぇ。ならば山の民、鋸ひとつで大木を切り倒す樵の衆か。だが、樵が寸鉄を帯びぬ姿で山に入るものだろうか?』


 もう一方の大男も彼なりに考える。


『わからぬ、わからぬ…』


 目の前の漢は、二人の常識で測れぬ存在であった。


「あ、あにじゃ~。て、てんぐさまだべか~」


 そう言って大男こと出来の悪い弟が兄の小男を急かす。

 目の前の奇妙な漢は相変わらずその顔に笑みをたたえ、二人を向いている。

 まさか本当に山の物の怪などということはあるまいと、兄者と呼ばれた小男はスイと漢に踏み出すと、なけなしの勇気を振り絞り大声を張り上げた。


「俺はこの辺の山を占める頭だ! おめぇ、女を見なかったか?」


 まるで意に介さぬとばかりの笑顔を漢は浮かべているが、その顔が横を向いたかと思うと藪を指差した。その指し示す先、萱の生い茂る先の少し窪んだ辺りに少しだけ覗いて見覚えのある女の着物の端が見える。


「こんの馬鹿助が!」


 小男は、そう言ってまたもパシンと弟の頭を叩くと薄ら笑いを浮かべて女に近寄っていく。

 藪の先、そこは少し斜面になっている。女はそこを転げていったのだ。

 小男は心の内に己に言い聞かせる。


『草丈が高ぇ、その為に少し目測が狂ったのだろう。ただそれだけの事でしかねえ。漢が現れたのも偶然、乞食坊主が昼寝をしていただけだ、偶然に過ぎねえ』


 そして声を張り上げた。


「この飯炊き女は俺達のところの女じゃ。やいっ! 女を連れて帰るぞ!!」


 小男が弟にそう怒鳴りつけた時である。

 今まで笑みを浮かべ、黙って見ているだけであった漢が何を思ったか、その身に付けた浅葱色の褌を解くとそれを二人の兄貴分、袖なしの毛皮を来た小男に差し出したのである。


「あ、あにじゃ~、三にんですっぺか~」

「こんの馬鹿!」


 弟分が再び頭を叩かれ、兄貴分が漢に振り向いた時、その顔は先ほどのものから変わっていた。もはや相手と交渉事に及ぶ時のへつらい顔ではなく、本来の、本能じみた獣の顔に戻っていた。


「おめぇも人が悪いなぁ、ヤリたいなら最初ッからそう言やいいのに…」


そう言うと弟に目配せをし、女を担ぎ上げようとしていた弟を下がらせると漢を手招きする。

漢が差し出す褌を“いらぬ”と手を振り断ると、小男は女を指して言う。


「見ての通りの上玉だ! 俺達が楽しんだ後、アンタにもヤラしてやるが一回楽しんだならそれでお終ぇだ。まさか売っ払った銭まで欲しいたぁ言わねぇだろうな?」


 垢で汚れた顔に浮かぶ眼が、下から睨み付けると漢はそれに首を横に振る。


「ダメだぁ~? そうか…よし判った! おめぇ、ひん剥いてええぞ、先に楽しむがええ。それなら文句もあるめえ」

「あ、あにじゃ~!」


 楽しみを先に奪われたと嘆く弟を兄者こと小男は眼で制すと、また嫌な笑みを浮かべて漢の顔を見、あごで女を指す。

 その意味するところを悟った漢が女に進むとその傍らに跪いた。


「あ、…」


 不満を兄にぶつけようとして、弟が途中で口を噤んだ。漢の背後に忍び寄る兄が背中に挿した短刀をそっと引き抜いたからである。そして兄こと小男は漢の背後に静かに近づき、そして迷いも無く一気に! 短刀をその背に突き立てようとするが…。


「うっ、く、くそ…てめぇ!」


 うめき声を上げたのは、体ごと突きこんでいった小男の方であった。

 小男は短刀を両手で支え、体ごと漢の背中に圧し掛かっていった。

 だが漢はその突き出された短刀を、支える手ごと握り締めると万力の如き力で男を押さえたのである。

 まるで背中を掻くがごとくに差し出された一本の腕、その腕が小男の腕を絞り上げると、小男は苦痛にうめきながらその身を海老反らせていく。


「あ、あにじゃー!」


 脇に控えていた愚鈍な弟が声を張り上げ両手で漢に掴みかかる!

 しかし、漢が不意に小男を掴むその手を離し、するりと身を躱すと、弟者の手は漢を掴まずに拘束を急に解き放たれた兄の体をその胸に抱きとめると、その勢いを殺せず先に開いた崖へと突き進んでゆく。


「ば、馬鹿ぁ! と、とまれ!!」

「あ、あ、あ、あああぁぁぁーにいーじゃあー…」


 小さな兄を胸に抱いた弟は、崖の端でなんとかその重く傾く体を留めようとブンブンと腕を振り回し足掻くものの、滑り、崩れ始めた足元は二人を崖下へと引きずり落としたのである。



 悲鳴を残して崖下へと滑り落ちた二人を、漢が上から覗き込む。

 崖は急とはいえ、絶壁ではない。あの二人の山賊も崖下遥か下に動かないものの、その姿を見せている。運が良ければ助かる事もあろうかと、その小さくなった姿を上から見つめていれば、


「きゃああぁぁぁーーー!!」


 そう後ろより耳を劈く悲鳴があがった。

 漢が振り向けば、地面に倒れ伏していた女が今は後ろも振り向かずに広場の先へと脱兎の勢いで駆け去ってゆく。

 その姿を見て漢は思った。


『あの勢いと元気があれば心配はいらないだろう。じき、自力で里へと辿り着くはずだ』


 そのまま後姿を見送っていると漢はふと大変な事に気付いた。


 『ところで此処は何処だ? 見たところ山中の開けた場所のようだが、どうしてこんな所に、いや! それどころではない!』


 漢は自分が何故、このような格好で、この場所にいるのか、そしてなにより自分が誰なのかを思い出せなかった。

 周囲の光景、そして崖から先に見る山々とその下に広がる里の光景、それはどこかで見たような風景であるのだが、それが何処なのかを思い出せなかった。

 己自身にその眼を移せば、身に付けた物といえば浅葱色の褌が一丁のみ。それも今は身に付けてはおらず、股間は涼しい山の風を受けている。

 急ぎ褌を締めなおすその体は鍛え上げられた分厚い胸板とそれと対照的な細く締まった腰回り、それを支える太い太ももと引き締まったくるぶし。かなりの鍛錬を積んだと思える体は戦う漢のものに見える。だが…。

 手で触れて疑ったこの禿げ上がった頭は坊主の証か? 出家した侍が自分の本当の姿なのだろうか?

 ならばと経文を頭に思い描こうとするが、あいにくそれもうろ覚えの般若心経が頭に浮かんだだけでそれ以上は行き詰まってしまった。

 どうやら僧侶としての修行は積んではいないようである。


 崖から見える光景を前に、広場の大石に腰を掛け、漢は考える。

 山賊の背中からの不意打ちを事も無げに躱せたということは、やはり己にはそれなりに武術の心得があるのだろう。体をよくよく観察して見つけた薄く跡を残す傷跡も、おそらくは刀傷のようだ。

それがこれほどまでに綺麗に塞がっているのは奇妙な感じがするが、傷を受けたのがだいぶ前ならそれも考えられる話である。

おそらくは子供のころの古い傷跡、それがどうしてこうも数があるのかも不思議ではあるが、よほど厳しく鍛えられたのならそれも頷ける話だ。

 そうなると疑問はこの頭だ。経文を禄に知らないことから僧侶でも無し。

 ひょっとするならば髷を切られ、仕方なしに入道頭にでもしたのだろうか?

ザラつきもせず、ツルリとした頭は剃った髭に例えてみるならばまだ一日も経っていない伸び具合。即ち距離にするならば一日にも満たぬ範囲内。

 ならばこの山道を越えた向こう側か、あるいは目の前の里に降りればあるいはなんらかの答えが得られそうだ。

 漢はそう結論すると、すっくと立ち上がるや山道を下った。身に何も付けぬ褌一丁の姿ではあるが、この体を見れば知っている者がいれば声を掛けてくるはず。そうなれば自分が何者であるかが判るはず、そう考えたのだ。



まだなろうを知らなかった頃に偶然書いたなろう系テンプレ(笑)小説です。ちょこちょこと手を加えながら連載していこうかと。

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