人柱とつぶやき続ける女の子がいたんだ
その日、会社からの帰りの電車内は不思議と空いていて、ゆったりと席に座ることができた。
首のネクタイを緩めると、疲れのせいかうつらうつらとしはじめ夢うつつの中で、不意に声が聞こえてきた。
どうやら、声の主は向かいの席に座っていた童女のようだった。
となりには若い女性が座っていておそらく親子なのだろう。
それほど大きな声ではないため気にせずに、そのまま睡魔に身をゆだねようとした。
しかし、目をつむることで、電車内の音から童女の声だけが耳にはっきりと聞こえてきた。
「ひとばしらー、ひとばしらー」
ひとばしら? ああ、人柱か……。
どこかで聞いてきた単語を子供が繰り返し口にするのはままあることなので気にしないことにした。
しかし、人柱などという物騒な言葉は一体どこで聞いたのだろうか、母親が若いようだし一緒にみたドラマからでも聞いたのだろう。
「ひとばしらー、ひとばしらー」
童女は飽きる様子もなく同じ言葉を繰り返していた。
その不吉な言葉によってすっかり目が覚めてしまい、薄目を開けてこっそりと童女のほうに目を向けた。
童女は無表情をして、ただ口だけを動かしていた。
その異様な光景を不気味に感じながら母親の方をみた。
しかし、彼女は子供をたしなめることもなく、電車の窓の方にじっと目を向けていた。
やがて、彼女は自分にむけられている視線に気づいたのか、オレの方に目玉だけをギョロリと動かしてきた。
オレはその目を合わせるのが怖くなり、思わずそらし目をつぶって寝たフリをした。
降りる予定だった次の駅までの時間が永遠のように感じられた。
ガタンガタンという電車の音と童女の声だけが響き、手の平にじっとりと汗をかいていた。
やがて、目的の駅が近づいたことを報せるアナウンスが流れ、焦るままに扉の前に移動した。
扉の前に立っている間も背中に視線を感じ、扉が開いた瞬間逃げるように外に出た。
次の日、勤め先の会社のオフィスでパソコンを相手に作業をしていると、昼休みを告げるチャイムが鳴った。
「柊、飯にいかないか?」
デスク作業で疲れた首をもみほぐしていると、3つ年上の先輩が昼食に誘ってきた。
会社からでてすぐ近くにあるなじみの定食屋に入り、先輩と向かい合わせに座りながら注文を済ませた。
先輩と仕事のことや世間話をしていると、注文した料理がやってきた。
「そういえば、昨日帰りの電車で妙な女の子がいたんですよ」
昨日からあの親子連れのことでもやもやを感じていたので、ちょっとした日常の小ネタとして先輩に話すことにした。
「人柱とは変わった子だな、もしかしてそれ……、おまえにしか見えてないとかってやつなんじゃないのか」
「おどかさないでくださいよ」
先輩は茶化すように口元に笑みをため、オレも笑い返した。
「でも、なんだか疲れた顔してるけど、もしかして取り憑かれたとかってわけじゃないよな」
「ははっ、ちょっと寝不足なだけですよ」
昨日は寝つきが悪く夜明け前にうとうとしたと思ったら、目覚ましの音で目が覚めた。
会社にもどり午前中に取り掛かっていた仕事の続きに取り掛かろうとしたところで、係長に声をかけられた。
「すまないが、新しく導入するソフトの検証をしてくれないか?」
以前から使ってるソフトのバージョンアップをするという話を聞いていたが、導入に伴う互換性などのめんどくささから誰も手をつけようとしていなかった。
「いいですけど、今やってる案件が片付いてからでいいですか?」
「それが、部長からヴァージョンアップはまだなのかってせっつかれてしまってな。なるべく早めに頼むよ」
すまなそうな顔をしながら拝むように手を合わせてくる係長を見ながら、苦笑しながらうなずいた。
「すまないね、人柱をやらせてしまって」
係長の言葉にピクリと反応してしまった。
だれもさわったことのないソフトを試させることを“人柱”と呼ぶことはままあったが、このときばかりはその言葉に特別な感情を抱いてしまった。
眉根を寄せたオレを見て、不機嫌にさせたとおもってしまったのか、係長はすまなそうな顔をしながらそそくさと離れていった。
仕事が終わった解放感にひたりながら、帰路につくべく電車に乗っていた。
住んでいるアパートまでの最寄駅までは、電車で30分ほどかかるためヒマをつぶすためにスマホを取り出した。
ニュースサイトを巡回していると、とある記事が目に入った。
『地震で倒壊の恐れがあるビルの撤去を開始』
昨日も帰りの電車内で同じ記事を読んでいたが、睡魔に負けて途中で読むのをやめていたページだった。
この前おきた大地震によって、多くの建物が倒壊した。
テレビで被害状況の映像を見たが、おもちゃのようにたくさんの建物が破壊されていた。
以前、大学生だったときに住んでいた地域だったが就職によって離れた後に起きたことで、被害にあった人には悪いがホッと安心した覚えがあった。
そういえば、アルバイトであの辺のビルの施工に携わったことがあったなと思い出した。
「……ひとばしらー、ひとばしらー」
昔を思い出していると、耳に女の子の声が入ってきた。
それは先日みたあの奇妙な童女とその母親だった。
格好もあのときと同じで、ゾクリとした悪寒が背中を這い上がってきた。
相変わらず子供は無表情のまま、“人柱”という単語を間延びした口調で繰り返していた。
その場にいることが耐え切れなくなり、立ち上がって別の車両に移った。
移動中も、女の子の声と、母親の無機質な視線がオレの背中に降りかかっていた。
家に帰ると、不安を紛らわせるようにビールをあおった。
酔いもいい感じに回ってきたころ、ふと調べたいことを思いついてパソコンの前に座った。
キーボードをカタカタと叩いて『人柱』と検索キーワードを入力した。
すると、過去に行われてきた様々な人柱の事例が出てきた。
家屋の下に人を埋めたり、橋の橋脚に縛り付けたり、ひどいものでは城の石垣の下に生きたまま埋めて下敷きにしたなどというものもあった。
どちらにしろ現代で人柱なんていうものはなく、電車にいた女の子がどこで見聞きしたかというのはわかりそうもなかった。
次の日、出社していつものようにデスクにすわってキーボードを叩いていると先輩が声をかけてきた。
「おい、大丈夫か、おまえ?」
先輩は心配するようにオレの顔をのぞきこんでいた。
「なんかこの前から眠れなくて……、ちょっと顔洗ってきますね」
誤魔化すように愛想笑いを浮かべて席を立つと、トイレに向かった。
洗面台の前にたつと、そこには疲れた顔をして目の下に浅黒いクマをつくった男が立っていた。
「くそっ」
気分をかえるために、ばしゃばしゃと派手に水しぶきを散らしながら顔を洗った。
仕事が終わり、帰りの電車に乗るとオレは恐々と車内を見回した。
例の親子が乗っていないことを確認し、ホッとため息をつきながら重い体をどさりとシートに降ろした。
落ち着きを取り戻すと、いつものようにスマホを取り出してニュースサイトを開いた。
昨日の倒壊した建物に関するニュースが載っていて、気になって続きを読んでいった。
瓦礫を除去し作業を続ける中、様々なゴミが出てきてその処理が問題となっていると書かれていた。
―――だいじょうぶだ、ゼッタイみつからないハズだ
何故か、そんな言葉が胸に浮かんできて、ひどい焦燥感と不安を感じていた。
正体不明の感情をもてあまし、落ち着けようとうつむいて顔を手で覆った。
「……ひとばしらー、ひとばしらー」
耳に入ってきた声に反応して、オレははじかれたように顔を上げた。
そこには、また、あの親子が座っていた。
「う、あ、ああ……」
オレは恐慌状態寸前になり転がるように別車両に駆け出した。
隣の車両にいた背広姿の中年男が、突然駆け込んできたオレをギョッとした顔つきで見ていた。
少しでも離れようと前の車両へ向かって車内を走っていると、次の駅にたどりついたのか、電車がとまり扉が開いた。
まだ目的の駅ではなかったが、とにかく少しでもあの電車に乗っていることに耐えられず、ホームに飛び出した。
そして、むかいに止まっていた車両に駆け込んだ。
同時に、扉が閉まり、窓越しに向かいの車両を見るとあの親子はシートに座っていた。
逃げ出せたことでホッとしたオレはふらつく足取りで、近くのシートに座り込んだ。
カタンカタンと軽快な音を立てながら電車が走り出し、あの場所から一刻でも早く遠のいてくれと目をつぶりながら祈った。
どれぐらい時間がたっだろうか、いつのまにか寝ていたようで車掌に起こされた。
どうやら終点のようで、オレは慌てて立ち上がりホームに出た。
ホームの周囲は暗闇につつまれていて、ホームに置かれた時計を見ると0時近くになっていた。
「ここは……」
そこは、かつて自分がすんでいた地域の駅だった。
地震の中でもかろうじて難を逃れたようで、ここまでは電車が通っているようだった。
しかし、さきほど乗ってきた電車が終電のようで帰るための電車はなさそうだった。
ため息をつきながら、駅から町にでたが、そこは瓦礫しかなく泊まれそううなホテルもなさそうだった。
仕方がなく、ここはタクシーでも拾って帰ることにしようとした。
駅前のタクシー乗り場に向かおうとしたところで、その視線の先にソレがいた。
「……なんで、なんでいるんだよ」
タクシー乗り場の前にはあの親子が立っていた。その二人だけが周囲の景色から浮いているように見え、異様に感じた。
オレは後ずさり、そして恐怖のままに駆け出した。
駅から離れ、ただがむしゃらに足を前に前へと動かした。
はぁはぁと息がきれ、汗が首筋を伝い、ワイシャツをぬらした。
首元の息苦しさにたえきれなくなり、むしるようにネクタイを抜き取って投げ捨てた。
どれだけ走っただろうか、いつのまにか見知らぬ場所に来ていた。
いや、ちがう、この場所は知っている。
たしか、ここはオレが工事のアルバイトに来ていた場所だった。
当時の風景を思い出そうとするが、目の前にあるのは瓦礫の山だった。
ふと、倒壊したビルの基礎部分に目がいった。
そうだ、オレがこの場所を工事したんだった。不慣れな工事用の機械を初めて使い、現場のおっさんに怒鳴られたりしたもんだった。
当時の苦労を思い出し、自分の足跡をみようと近づいた。
そして、深夜で外灯もない場所で、白い塊が見えた。
「ひっ」
そこには人骨が散らばっていた。
子供ぐらいの大きさの頭蓋骨と、もうひとつ大人サイズのものがあった。
「あ、あ、あ、あああ……」
人間の死そのものを見せられて恐怖で唇がわなないた。
「……ひとばしらー、ひとばしらー」
誰もいない瓦礫の町で、その声は背後から聞こえてきた。
体が硬直して、ごくりと生唾を飲み込んだ。
後ろにいることがわかっているが、恐怖で振り向くことが出来なかった。
目をぎゅっとつぶりながら固まっていると、耳に冷たい吐息が当てられたのを感じた。
「っっっっ!?????」
そして、オレは振り向いてしまった。
瓦礫の山を背景に暗闇の中で、ぼんやりと滲みように二人の人間がたっていた。
この場所で、正面からその顔を見たことでフラッシュバックのようにあの場面が頭に流れ込んできた。
「し、仕方がなかったんだ!! おまえが、オレを脅すから!!」
母親の方に向かって吠えていた。
大学生だったとき、オレはとある女と関係を持っていた。
その女は子持ちのバツいちの女で、同年代の女にはない落ち着いた雰囲気が好みだった。
そのときはただの遊びのつもりで、相手も若い男と割り切った付き合いをしているとばかり思っていた。
女と会うときは外だったが、あるときから女がしきりに家に招くようになった。
家に着くと、小さい女の子がいたことに驚いたが、女の娘だと知り適当に相手してやると、女の子はオレに懐いてきた。
子供は嫌いではなく、懐かれることに悪い気はしなかった。
そして、あの日、就職が決まってこの地を離れることをあの女に告げにいった。
そうすると、女は就職を祝ってくれたが、当然のような顔をしてオレについてくるといってきた。
ふざけるなと思った。
オレにとっては、女はただの遊びで大学卒業までのつきあいのつもりだった。
オレが別れるというと、女は泣いて縋ってきた。
うっとうしくなり振り払うと、女は急に表情をなくして台所に向かうとその手には包丁が握られていた。
「馬鹿なことはよせ!!」
オレは鈍く光る切っ先に恐怖を感じながら、女から包丁を奪いとろうとした。
そして、もみ合っているうちに、いつのまにか包丁は女の胸につき立っていた。
肺に穴が開いたのか、女の口からは酸素を欲するように荒い息を繰り返していた。
「おかーさん、どうしたのー?」
そこに、さきほどまで寝室で寝ていた娘が寝ぼけ眼をこすりながら出てきた。
娘は、包丁をさされて胸を真っ赤に染めた母親と、その前にいるオレを目を見開きながら見ていた。
そのときのオレは、殺人現場を目撃されたという恐怖しかなかった。
気がつくと、苦しげに顔をゆがめて舌をつきだした女の子の死体と、血だらけになった女の死体が転がっていた。
「どうしたらいい……」
こんなことで人生を棒に振りたくないという思いから、オレは必死に頭を動かした。
そして、思い出した。
バイト先の工事現場は、ビルの基礎工事の最中であるということを……。
オレは女の子の死体を黒いビニール袋に入れ、女をキャリーバックに積めて深夜の町を歩いた。
途中、人に会うんじゃないかとヒヤヒヤしながら、工事現場にたどり着くと、二人を入れる穴を無我夢中になって堀り進めた。
そこは、コンクリートを流し込む予定の場所で、上にはビルが建てられて二度と掘り返される心配のない場所だった。
そして、穴が十分な深さになると、二人の死体を持ち上げた。ぐにゃぐにゃした感触が気持ち悪く、穴の中に乱暴に投げ捨てた。
生気のない顔がうらめしそうににらんでいるように感じ、急いで上から土をかぶせた。
「……そうだ、これは人柱なんだよ。これでビルがしっかり建つさ」
オレの口元は歪み、妙な笑いがこみ上げてきた。
「ははっ、あはははははははっ!!」
必死に忘れようとしていた記憶がよみがえり、どうすればいいかわからず何故か笑いがこみ上げてきた。
狂ったような笑い声が暗闇の中に響くが、応える人間はいなかった。
「……ひとばしらー、ひとばしらー」
あいかわらず童女は同じ言葉と繰り返し、その横に立つ女はオレをジッと見ているだけだった。
「くそっ、消えろっ!! 消えろぉっ!!」
近くに落ちていた折れ曲がった鉄パイプを拾い上げて、親子の幻影に向かってぶんぶんと振り回した。
鉄パイプは空をきるだけでなんの手ごたえもなかった。
そして、勢いあまって鉄パイプが近くの崩れかけたビルにぶつかりガツッという音を立て、手がじーんとしびれた。
瓦礫がくずれて、ガラガラとこぶし大のコンクリート片が足元に転がってきた。
瓦礫を避けた次の瞬間、決定的な崩落音を出してビルが完全に崩れてこちら側に倒れてきた。
オレの頭上に巨大なコンクリートの塊が降ってくるのが、スローモーションのように見えた。
ズシンと音を立てて倒壊して、あたりにもうもうと土ぼこりが舞った。
「ひとばしらー、ひとばしらー」
ビルの下敷きになった男の方を向きながら、童女が同じ言葉を繰り返していた。
とあるひとから聞いた実体験を元に小説にしてみました。うゆっ