表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/10

5話『ヘラⅠ』

 薄闇の中、石畳を叩く足音が響いた。

 光源は彼女が手に持つ燭台のみ。生臭い苔の匂いが鼻孔に届き、時折吹き抜ける風は肌を冷やす。同時に、埃の混じった空気が、彼女の長髪に絡みついた。

 纏わり付く不快感を拭うべく、ヘラ=アストラノースは手櫛で髪をといた。

 舞踏会を前にして、人々は賑わっている。だがそれも、ここには届かない。ここは城下町の真下に位置する、地下通路だった。細い道が延々と続く中、目印になるものは一切なし。揺らめく灯火が示す風向のみを頼りに、ヘラは目的の部屋へと進んだ。

 一寸の光が、奥から差し込む。眼前には、幽々たるこの空間には似付かわしくない荘厳な扉があった。ヘラは、二度のノックをした後に、それを押す。


「相変わらず、汚い空気ね。ここは」

「開口一番に悪態か。お前の方も、相変わらずのようだな」


 人類と魔族の戦争が終結し、三年もの月日が経過した。

 魔王サタン=ウォリアッシェンと、勇者シオン=ベイルは婚約後、即座に結婚。まだ子は産んでいないものの、両者の間柄は極めて良好だと世間は噂する。

 しかし、そこに至るまでには様々な取り決めと、数多の遷移があった。

 戦争終結後、勇者シオンが真っ先に行ったのは、居城の開放だった。点在する砦は今もなお建材だが、今の世に平和を示すために、彼は敢えて最重要施設を解き放つことにしたのだ。魔王領とは真逆に存在する大国、アリアリスト王国の、王城である。

 対し、魔王サタンもその意見に同調した。彼女もまた、かつての根城である魔王城を開放することで、魔族全体に平和を示している。現代では、観光地として一般人の出入りを許しているほどだ。アリアリスト王国の王城も、似たようなものなのだろう。


 だが、魔王サタンは、心の底では魔王城の開放を好ましく思っていなかった。

 サタンには、戦争が終えた今でも、成さねばならないことがある。そしてそれは秘密裏に行う必要のあるものであり、サタンにとっては非常に重要な案件でもあった。

 魔王城を失ったことで、サタンは第二の根城を……即ち、本件の作戦会議場を新たに生み出す必要があった。無論、国民は誰もが魔王城の不在を良しとしている。そんな世情の中で、後継となる居城を作って良い筈がない。第二の根城は、国民は勿論、伴侶である勇者シオンにさえ知らされることなく、密かに作られていった。

 この地下空間は、そういう場所・・・・・・である。


「では、早速。本題に入らせてもらおうか」


 地下空間の主――魔王サタンは、玉座からヘラを見下ろした。

 口元で描く弧は、とても民草に見せられるものではない。暴虐非道を繰り返し、その上で一切の罪悪感を覚えない。そんな、悪鬼にのみ浮かべることのできる笑みだ。


「ヘラ=アストラノース。貴様には、私の"汚点"を消してもらう」


 遂に、この時が来た。

 ヘラは湧き上がる動揺を、己の内側に隠す。

 元四天王ヘラ=アストラノースには、秘密がある。同時期、リンメル=アスタルテが自らの秘密を打ち明ける覚悟を持つ一方で、ヘラはこれを誰かに打ち明けるつもりは毛頭なかった。かつての同僚は勿論、誰に対しても口を開くつもりはない。


 ヘラは、四天王でありながら、四天王とは別の使命を受け持っていた。

 使命を与えたのは、目の前にいる主君、魔王サタン。そしてその使命とは――魔王サタンの隠し子を、監視することである。

 サタンは、シオンよりも先に、他の男と交わっていた経歴を持つ。

 それを知っているのは、魔族の中でも本当に極一部のみだ。元四天王の中でも、ヘラしか知らない。これは、魔族が担う最重要機密と位置づけされている。


 予てより、サタンは生まれてきた子に愛情を注ぐつもりはなかった。彼女が愛していたのは、あくまで夫のみだ。だが、その態度が夫の反感を買った。

 その後、どうなったかは誰にも知らされていない。

 だが、結果としてサタンは子を捨て夫を失い、独り身となって帰って来た。

 不審がる者もいただろう。しかし、当時は戦乱の真っ只中だ。魔族軍の上層部も、そして一兵卒も、魔王サタンさえ戻って来れば、他はどうでも良かった。

 けれど時代の遷移が、魔王サタンの子を重要なものとした。

 現代のこの世界は、勇者と魔王の愛が成し遂げた平和の上で成り立っている。魔王サタンの隠し子ともなれば、訪れた平和を瓦解させかねない。

 勇者シオンは、サタンが子を成していることを知らないだろう。サタンもそれを知らせていない。二人は、唯一無二の愛を育んでいることになっている。

 シオンに愛想を尽かされたら、魔王は終わりだ。

 魔王が終われば、平和も終わる。魔族も、人類も、再び戦火に包まれる。

 だからこそ、彼女は秘密裏に、自らの"汚点"を始末する必要があった。


 その"汚点"は、今も健在だった。

 存在を認められなくとも、魔王の血を受け継ぐ者だ。孤児院に捨てられ、満足な教養を得られなかったにも関わらず、持ち前の能力で成り上がってきた。

 汚点の名は、アヌビス。

 アヌビス=ウォリアッシェン・・・・・・・・と言う。


「どうした、不服か?」


 瞳を沈ませたヘラに、サタンは問うた。

 元四天王であるヘラにとって、アヌビスはかつての仲間だ。今も、決して仲が悪いわけではない。ウェイグ程ではないが、偶に直接、会話もしている。

 だが、ヘラは返答する。


「いいえ、問題ないわ」

「それでこそ、私の配下だ」


 手短な意思表明を、魔王サタンは評価する。その瞳は、臣下に心を求めていない。ただ自分にとって、都合が良いか悪いか。それだけが、サタンの持つ基準である。

 ヘラ=アストラノースは、四天王である以前に、アヌビスの監視役だ。四天王が発足した日から、戦争が終結し、そして平和となった今日この日に至るまで、その役を担っていた。余計な行動や、魔族軍、ひいてはサタンにとっての不都合な真似をしないように。最悪の場合、殺しても構わないとまで魔王から命令を受けている。

 ヘラの四天王としての日々は、その命令の下で成立していた。

 彼女が口にした結論は、当然かもしれない。


「ふむ。では、貴様にはこれをくれてやろう」


 魔王は、どこからか取り出した銀色の指輪を、眼下のヘラに向けて投げた。


「これは?」

「東の大陸で流布している、感応石というやつだ。特定の魔力を感知すると、淡い光を灯す。今、その石には、私の魔力が注ぎ込まれている。この意味はわかるな?」

「ええ。つまり、この石でアヌビスを探せってことでしょ? なにせ魔王様と、魔王様の血を継ぐアヌビスは、魔力の波長が同じ――」

「――それ以上は言うな、虫酸が走る。お前はただ、頷いていればいい」


 そう命令されれば、ヘラは頷くしかない。

 ヘラは一切、口を開かない人形となった。それが面白いのか、魔王サタンは玉座の上でケタケタと笑う。アヌビスが悪戯を成功させた時の笑みと、同じだった。


「決行は舞踏会が開催してからだ。細かなタイミングは貴様の判断に任せるが、変装だけは指定のものにしろ。今回は偵察隊から数人の協力者を用意する。変装道具や目標の位置情報などについては、その者から聞いておけ」


 言われた通り、ヘラは首を縦に振るだけで反応を示す。


「用件は以上だ。いいか、必ず殺せ」


 頷くヘラに、サタンは再び笑い声を上げた。

 ヘラの態度が気に入ったのではない。魔王サタンは、この時を迎えたことに幸福を感じていた。目の上の瘤も、存続が許されるのは今日までだ。

 アヌビスを殺す――この地下空間の存在意義が、今夜、果たされようとしている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ