4話『リンメルⅠ』
リンメル=アスタルテには、誰にも言えない秘密があった。
過去形である。現在は秘密ではない。可能であれば未来永劫、誰の手にも届かない何処かへ投げ捨ててやりたいが、長い月日を経て、漸く人に話す覚悟ができた。
リンメルは、擬態魔法の使い手である。
驚くべきはその効果範囲であり、彼は戦場で、自分のみならず、ありとあらゆる対象を擬態させていた。味方全員を山の木々に擬態させ、待ち伏せを行ったこともある。アヌビスが作成した破城槌を商人の馬車に擬態させ、真っ昼間から敵城に奇襲を掛けたこともある。こと厄介さにおいて、リンメルに適う者はいなかっただろう。
勿論、リンメルは自身の擬態も怠らなかった。敵味方の一兵卒に紛れ込むことで、予想外の立ち回りをしてみせた。その成果もあってか、リンメルが人類の前で本来の姿を晒したのは、終戦の少し前。魔王城が人類軍に包囲された時が、初めてである。
勇者と魔王が婚約する直前、遂にリンメルは人類に対し、真の姿を示した。
灰色の長髪を背中で結んだ、華奢な体躯の男性だった。側頭部から生える角は、根本から後頭部に向かうよう曲線を描いている。透き通るような色白の頬に、無駄な肉はない。流れるような鼻梁に、細く整えられた柳眉。あまりに美しい容貌だった。
斯くして、リンメルの素顔は種族の垣根を超えて、知られることになった。
鋭い眦は獰猛な獣を彷彿とさせるが、そこには理知が含まれている。刃のような佇まいからは、凡人とは一線を画する、才気溢れる雰囲気が醸し出されている。顔に関しても、美形と名高いウェイグを相手にして、勝るとも劣らずの逸品だ。
リンメルは、四天王の二大美男として世界中から注目を浴びていた。
だが――それこそが、リンメルの秘密だった。
彼は、彼ではない。彼女なのだ。
端的に述べれば、リンメル=アスタルテは、女なのだ。
「どうして。どうして、こうなったのでしょうか……」
リンメルは、男装の麗人だった。
ついでに言ってしまえば、彼女は決して聡明というわけでもない。寧ろ、おっちょこちょいに分類される人種である。刃のような佇まいは寡黙な振る舞いが元であり、そして寡黙なのは単に口下手なだけだ。視線が鋭いのは自然なものではなく、単に周りに危険がないか常に警戒していただけである。切れ長の瞳? 見間違いだ。眼科に行け。
そもそも、リンメルが男装を始めた理由も、彼女の不注意が生んだ結果だった。
凡そ十年前のこと。リンメルは四天王として魔王城に招かれたはいいものの、男子更衣室と女子更衣室を間違えてしまった。そして、それをアヌビスに見られてしまったのだ。その時、咄嗟に男に擬態して、事態を誤魔化したのが運の尽きである。自業自得でもあるが。
幼少期から擬態魔法の才能に長けていたリンメルは、何か失敗する度に物事を取り繕う癖があった。多少の失敗は、魔法で誤魔化すことができる。リンメルはその癖を見事に発揮してしてしまい、結果として男装の擬態を施したのだ。
以来、リンメルの性別は男で通っている。
リンメルは今、人々で賑わう魔王領の城下町にいた。
露店に売られている変装道具を見つめつつ、彼女は嘆息する。ノートカードに記された商品名は、「リンメル変装道具一式」となっていた。
顔に装着するための仮面を見る。見れば見るほど中性的だ。しかし、これが女性の顔であるとは誰も考えていないだろう。リンメルは女性だが、この変装道具を用いる者は全員、男に成りきろうとするのだ。その事実に、強い悲しみが湧き上がる。
「し、しかし……それも今日で、終わりです……!」
リンメルは決意したのだ。今日こそは、自分が女だと明かそうと。
その覚悟が出来上がるまで、実に三年もの月日を要した。
リンメル=アスタルテには"勇気"が欠けている。
或いは、人一倍の臆病だ。なまじ擬態魔法の才能に長けていたせいか、リンメルは真っ直ぐに立ち向かうという行為を苦手としている。
元から誤解は解きたかった。しかし、勇気が足りず、十年も男として過ごしてしまった。そして、その年月が更にリンメルから勇気を奪っていった。終戦後、リンメルが姿を消したのは、自らの正体を明かすための勇気を育むためである。
ここ三年、リンメルは実家に帰り、癖の矯正を試みていた。
擬態魔法の使用を制限することで、何かを取り繕おうとする自分を抑える訓練だ。三年もの間、ずっと訓練は続けてきたが、結果がどうかはわからない。けれど、やれることはやったと、リンメルは胸を張って言える。家族は心配そうな目をしていたが。
「ま、まぁ、何も、皆にバラすわけじゃありませんし? あ、あくまであの三人に、言うだけですから。こ、怖がる必要は、ありません……!」
城下町でブツブツと呟くリンメルを、街中の人々は怪訝な目で見ていた。久しぶりに人目のつく場所に出たこともあり、リンメルは過呼吸気味だ。
幾ら努力したところで、リンメルの勇気は、まだ欠けている。
彼女は先に、自分以外の元四天王たちに、正体を明かすことにした。
今日は仮面舞踏会だ。この日ならば、リンメルの本来の姿も、円滑に披露することができる。リンメルの脳内では既に、都合の良い結末までの道程が描かれていた。まず、女としての姿を保ったまま、仮面舞踏会でアヌビスたち三人の元四天王と再会する。そして、頃合いを見て、自分が変装していない旨を伝えるのだ。その時になって、漸く彼らはリンメルの本当の性別を知ることになる。かれこれ三年も連絡を取り合っていないが、元は戦場を共にした仲間だ。心が広いに違いない。三人の笑顔に囲まれている自分を想像して、リンメルは多少、冷静さを取り戻した。
元四天王であるリンメルが今、そう認識されていないのは、既に彼女が女性としての容姿を披露しているからだ。男装しているリンメルならばともかく、本来の姿である今のリンメルを、既知である者はこの街にはいないだろう。
その姿は、絶世の美女である。現在は少々、過呼吸気味であることに加え、虚言を吐いているようにも見えるし、目もグルグルと回っているので誰も近寄らないが、これが落ち着いていたら、色に飢えた男が群がるのは確実だ。
三年もの月日を経て、彼女は完全に女としての自分を取り戻していた。
これについては本人も満足している。
だが、事はそう簡単でもない。
「問題は……」
リンメルには、もうひとつの覚悟があった。
彼女は今日、自身の真の性別を知らせるためだけに、この街に顔を出したのではない。それどころか、この問題は性別を知らせること以上に重要なものである。
「ウ、ウェイグに、どう思われるか……です」
頬を赤らめ、リンメルは想い人を浮かべる。
四天王という地位に属してから、今の今まで密かに抱き続けていた恋心であった。
リンメルは、かつての同僚であるウェイグ=ナハーグナに惚れている。そして、その恋心を成就するのが、目下、彼女の最大の目的だった。と言うか、この恋心がなければ性別を明かそうと考えることもなかった。
仮面舞踏会という祭事を、ウェイグが見逃す筈がない。彼は非常に活発な性格で、祭事があるのなら、全力でそれを楽しみにいく男だとリンメルは記憶している。
昔から、変わった物事が好きな男だった。きっと告白するにしても、そういうシチュエーションが好ましいと思うだろう。仮面舞踏会は、うってつけの機会だ。
後は、どのようにウェイグと再会するかである。
「あら? これは……」
頭を悩ませるリンメルは、また新たな商品に目を引かれた。
リンメルが手に取ったそれは、元四天王のアヌビスに変装するための道具だった。黒い髪に、三年前と変わらない灰色の外套。一目見て、アヌビスのものだと理解できる。
しかし、それにしても、これは些か精巧過ぎだ。
「あの、すみません」
「はいはい。おぉ、こりゃまた美しいお客さんだ」
「ええと、その、ちょっとお尋ねしたいことがあるのですが……」
リンメルはそう言いながら、売り出されているアヌビスの変装道具を指さす。
「これ、随分と凝った造りに見えますが……製作者はどなたで?」
「あー、そりゃちょっと特別でね。信じられないかもしれないが、それはアヌビス様本人が作ったものだよ。丁度、少し前にね」
「あぁ……アヌビスなら、やりそうです」
あの男はあの男で、悪戯好きなところがあった。
ウェイグのように騒ぎこそしないが、面白そうなことを思いつけば、率先してそれを実行する。そして、結果を陰で眺めながらクスクスと笑うのである。
実に陰険な奴だ。
「でも、腕は衰えていないようですね……」
どうやら彼も、逞しく生き延びているようだ。
リンメルは家族という味方がいたが、アヌビスにはそれがないと聞いている。詳しい理由は知らないが、彼は四天王になるまでは孤児院に預けられていたらしい。
リンメルはアヌビスの変装道具に手を伸ばした。
しかし、それを手に取ってみようとしたところ――別の手と、触れ合う。
「あっ」
「え?」
伸ばした手を引っ込めながら、リンメルは自分の触れた、別の手の持ち主を見た。
金髪碧眼の、細身の青年だった。外見の特徴から、種族は人間だろう。彼は同じくリンメルに視線を寄越しており、そしてその美貌を見るやいなや、頬を紅潮させる。
動揺した様子を見せる青年は、慌ただしい動作でリンメルに頭を下げた。
「あ、えぇと、すみません。これ、譲りますので」
「いえいえ。少し興味があっただけですので、結構ですよ」
「そう、ですか……?」
「はい」
他人の慌ただしい姿を見ると、対照的に自分は落ち着きを取り戻せる。
リンメルは謝罪する青年に、優しく微笑みかけた。こんな表情、四天王として過ごしていた頃には浮かべたことがない。
心に余裕を得たリンメルは、青年に質問した。
「アヌビス……様が、好きなのですか?」
「はい。好き、というか……憧れています」
ああ見えて、アヌビスは錬金術士として、かなりの腕を持っている。弛まぬ鍛錬の賜物だろう。彼の実力に関しては、リンメルも一級品だと認めていた。
アヌビスは廃れ行く錬金術に嘆いているが、一部ではまだまだ需要がある。特に、小さな製造業を切り盛りしている者からすれば、機材購入のコストを大幅に削減できるため、喉から手が出るほど欲しい技術だ。
目の前の青年も、そういった人種なのかもしれない。
「それで、お兄さん。購入するのかい?」
「あ、はい。ええと……」
店主に購入を促された青年が、最後の確認としてリンメルに目配せする。
「大丈夫ですよ」
「ありがとうございます。それじゃあこれ、購入で」
「はいよ。名刺はどうする?」
「それもお願いします。名前はハルキス=ペイリスタで」
「ハルキス=ペイリスタね。すぐ作るから、ちょっと待ってな」
店主と青年の会話を背に、リンメルは再び歩き出す。
青年は存分に仮面舞踏会を楽しむつもりらしいが、リンメルだってその予定だ。多少落ち着きを取り戻したリンメルは、ふと名案を思いついた。
「そうだ、アヌビスさんに相談しましょう」
相談の相手として定評のあるアヌビスなら、こういう時もきっと頼りになる。
リンメルは喉に手をあて、自身の声色を調整した。ここで性別を明かすことは簡単だが、通話越しだとうまく伝わらないかもしれない。それに、どうせ明かすならば最初は想い人がいい。……なんて、臆病風を吹かせながら、スマートフォンを操作する。
『……もしもし?』
緊張に震える指でアヌビスを呼び出すと、応答はすぐにあった。
リンメルは、かつての声色と、かつての口調を思い出す。
「アヌビスか? 私だ、リンメルだ」
『……え、本当にリンメル?』
「そうだ。久しぶりだな」
アヌビスの息を呑む気配と共に、スピーカーの向こうからは、男の雄叫びらしいものが聞こえた。リンメルは僅かに首を傾げる。
「なんだ、騒がしいな」
『あぁ、ごめん。今ちょっと酒場にいるから』
「酒場? こんな真っ昼間からか。……まぁ良い」
アヌビスはあまり酒を飲む習慣を持っていなかったような気がするが、三年もの月日が経てば、誰だって変わるだろう。今は、そんなことを気にしている場合ではない。
リンメルは声を潜め、告げた。
「実はな、少し相談に乗って欲しいことがあるんだ」
『三年ぶりの会話で、いきなり相談かぁ……』
「す、すまない」
『いいよ。リンメルのことだから、色々とあったんだろ』
「ま、まぁな。助かるよ、アヌビス」
あぁ、やはり、かつての仲間だ。
三年前に築いた交友関係は、確かに今も残っている。久しぶりにそれを実感したリンメルは感動を覚え、口元で小さく弧を描いた。
「それで、相談なんだが、……で、できれば、誰にも聞かれたくないんだ」
『ふむ。じゃあ、続きは直接聞こうか』
「あ、いや、待て! で、できればこのまま、通話で相談したい」
会話は問題ないが、まだ自分の姿を見られるには抵抗がある。あからさまに動揺するリンメルだが、アヌビスは少しだけ時間を置くだけで、すぐに返答した。
『わかった、ちょっと待って。……うん、もう大丈夫。連れとは離れたから』
「すまないな。それで、本題なんだが――」
騒々しさの混ざっていないアヌビスの声に、リンメルは安堵する。後は、本題を話すだけだ。話す内容は決まっているが、これが一番難しい。いっそ自分の想いを打ち明けた上で協力を頼めばことは早いのだが、それには自分の性別を明かす必要もある。
リンメルにとって、本番はあくまでウェイグとの対話だ。
思い違いをして、余計な徒労を感じる暇はない。
「――ウェイグと、二人で話がしたいんだ」
『ウェイグと?』
「あ、あぁ。今日の仮面舞踏会で、どうしても直接、会いたい……」
『うーん、まぁ内容は理解した。ちなみに、自分でウェイグには頼めないの?』
「それはちょっと、難しい」
『理由は?』
「……言わなくては、駄目か」
『そりゃあね。ウェイグに話をするのは僕なんだし、だとしたら僕にも責任がある。リンメルを信じていないわけじゃないけど、あまり怪しいことには協力できないよ』
「そうだな。確かに、アヌビスの言う通りだ」
こういうところで几帳面だから、アヌビスは相談役に最適なのだ。
それを利用している以上、折れるべきはリンメルである。とは言え、彼女とてここで全てを語る度胸はない。だから、曖昧に、しかし真実のみを告げることにした。
「大事な話があるんだ。後で、アヌビスやヘラにも、話したいと思う。今まで……その、私が秘密にしてきたことについてだ」
『うん』
「だが、聞いてくれ。私はそれを、ウェイグに一番初めに聞いて欲しいんだ。その理由は言えない。強いていうならば、私の我儘だ。そして、それをアヌビスに頼んでいるのは……単に私の度胸が足りないからだ」
友情よりも恋心を優先する己の我儘を、許してもらいたい。
そして、度胸がない。けれど精一杯な自らの行いを、認めて欲しい。
リンメルは誠意を込めて、丁寧に言葉を吐き出した。あっという間に喉が乾く。額に脂汗が浮かぶ。三年間、必死に育んできた"勇気"が、ゆっくりと剥がれ落ちようとしていた。それでもどうにか、震える声で、想いを言い切った。
『……わかったよ。協力する』
「ほ、本当か!?」
『うん。根負けって言えば、大袈裟だけど。リンメルがそこまで真剣に頼み事をしてきたのって、今までになかっただろ? 正直な話、少し意外だったよ』
「私もこの三年間、無駄に過ごしたわけじゃないのさ」
ふふん、と得意気に笑むリンメル。
もしも目の前にアヌビスがいれば、悟るだろう。そんなに成長していない。
『ただ、待ち合わせ場所が舞踏会の会場となれば、ちょっと問題がある。リンメルも知っているだろ? 舞踏会で、第三者の正体を勝手にバラすのはマナー違反だ』
「そう言えば、そのような規則があったな」
『案外、運営も厳しいからね。僕、今生活が厳しいし。これが来年にまで改善されるとも限らないからさ、目をつけられて、出禁とかくらったら洒落にならないんだ』
「む? 生活が苦しいことと、舞踏会に参加できないことに、何か関係があるのか?」
『いや、あの、なんていうか……舞踏会って、結構な量の食事が出てくるだろ。それをタッパーに沢山詰め込んで持ち帰れば、三日分くらい食費が浮くからさ……』
「……経験談か。過去に、それをやったのかお前は……」
『まぁ、去年と一昨年の二回ほど……』
「なんていうことだ……」
今度はアヌビスがしどろもどろになって、訳を話す。彼の苦しい生活の一端を理解したリンメルは、元同僚として、情けない気分になった。
「わかった。なら、報酬を出す」
『報酬?』
「以前、アヌビスが欲しがっていたものだ」
リンメルの提案に、アヌビスは少し考え込んでいるようだった。
『あぁ、勇者の心臓か』
「ば、馬鹿! このご時世にそれを軽々と口にするな!」
『聞かれてないから、大丈夫だよ』
人類と魔族との戦争で現れた勇者は、何もシオン=ベイルだけではない。リンメルが所持している心臓は、シオンとは別の勇者のものである。
戦争時、疲弊した魔族軍は、部下の戦果に対する報酬をあまり用意できなかった。一般の騎士や兵士ならば、適当に地位を向上させれば良いが、リンメルやアヌビスたち四天王は、既に高い地位にいる。そういった者共に対しては尚更な問題であり、最終的に匙を投げた軍は、取り敢えず価値のありそうなものを四天王に与えていった。討ち取られた戦士長の遺品だったり、霊峰にのみ生えるという雑草だったり、本当に様々だ。勇者の心臓は、そうした珍妙な報酬たちの一つに過ぎない。
「私としても、処理に困っていたからな。下手に捨てれば問題になるし、埋葬してやろうとも思ったが、祟られそうで怖い。お前さえ良ければ、喜んで差し出そう」
『勿体無いなぁ。置物にするとか、色々あるじゃん』
「お前と一緒にするな」
『冗談だよ』
疑わしい。アヌビスの冗談は、冗談に聞こえないから厄介だ。
『ともあれ、報酬はそれで良いよ。なにせアレは、錬金術士としては最高峰と言っても過言ではないくらいの触媒だからね。寧ろ、お釣りが来るくらいだ』
「それは良かった。……しかし、お前は一体、何を錬金するつもりなんだ?」
『何を、か。そうだなぁ。自分を、かな』
「自分?」
何を言っているのかわからない。
リンメルは正直に疑問を発す。
『そう。新しい自分を作るんだ。ほら、あるだろう? 今の自分に嫌気が差して、生まれ変わりたくなるとか。それを実現するんだ、錬金術で』
「自分に嫌気、か……その気持ちはわかる。だが、自分は作るものではない。生まれ変わると言うのだから、素直に自分から変化すればいいんだ」
『変化ねぇ。なるほど、擬態魔法の使い手らしい回答だ』
「そういうお前も、実に錬金術士らしい考えだと私は思うよ」
『褒められていると解釈しよう』
「褒めてはいない。だが、媚は売っている。今晩の件、頼むぞ」
『はいはい、任しといて。報酬についてだけど、僕が今、利用している宿屋に預けて欲しい。ラッピングは厳重にね。住所はメールで送るよ』
「あぁ、わかった」
通話が切れ、アヌビスの声が聞こえなくなる。
再び到来した城下町の喧騒に、リンメルは小さく溜息を混ぜた。
「……凄く、緊張しました……」
後は、手筈通りに報酬を用意して、アヌビスの指示に従うだけである。彼が運営に目を付けられないためにも、なるべく慎重に行動せねばならない。
時間はまだまだ余裕がある。
どうやって時間を潰すか、悩むリンメルは、唐突に立ちくらみを感じた。
「少し、休みましょうか……」
想像以上に気を張っていたらしい。
心が訴える疲労感に、リンメルは暫しの休息を取ることにした。
だが、その前に――。
「――ねぇ、あんた」
横合いから投げ掛けられた声が、自分に向いたものだとリンメルは悟る。そして、振り返った先にある一人の女性の姿に、彼女は絶句した。
リンメルの苦悩は、もう少しだけ続くようだった。
次話、少し遅れます