3話『ウェイグⅠ』
ウェイグ=ナハーグナは、元四天王である。
三年前までは高い地位を示していた肩書だが、今となっては悪評にも等しい。アヌビスは同じ肩書を背負う者だが、その境遇もやはり同じだった。
幸いなのは、アヌビスと違って社交性に長けているところだ。煙たがれることも少なくはないが、親しい友人も多くいる。街を歩けば度々挨拶を交わすし、店に入れば世間話が暫く続く。単純な話、ウェイグは人と接することが好きだった。
しかし、そんなウェイグも悩み事くらいはある。そして、そういった悩み事に関しては信頼の置ける相手にしか話せない。顔の広いウェイグでも、その数は少なかった。
ウェイグにとって、家族以外で最も付き合いの長い相手となれば、四天王の他三人に絞られる。その中で更に相談のしやすい相手となれば、アヌビスだった。ウェイグ程ではないが社交性もあり、何よりアヌビスは、真摯に人の話を聞いてくれる。
「おーい、アヌビス。ここだ!」
酒場の扉が開き、待ち人の姿を確認したウェイグは早々に声を上げた。既に席に座っているウェイグは足で対面の椅子を揺らし、アヌビスにそこへ座るよう促す。
アヌビスはその席に座り、まずはテーブルの上に置いてあるグラスへ目を向けた。
「酒場でこんなこと言うのもなんだけど、昼間から酒ってのはどうかと思うよ」
「これはこれで、乙なもんだぜ。アヌビスも頼むか?」
「僕はいい。遠慮しとく」
「残念だ」
豪快にグラスを傾けるウェイグを、アジナは無言で眺めた。
ウェイグが飲兵衛と化したのは、ここ最近である。本人は口にしないが、アヌビスは四天王の没落が原因ではないかと考えていた。
実際、それは当たっている。但し、今もそれが続いているかと言えば、そうではない。最初期こそウェイグは四天王没落の嘆きで酒に明け暮れていたが、気がつけばその習慣が癖になり、現在では立派な趣味となってしまったのだ。
そのため、今の酒は純粋に楽しんで飲んでいるものである。
「それで、用件は?」
「話が早い」
アヌビスも、ウェイグがただの話し相手を呼んだとは思っていない。こうした以心伝心ができる相手だからこそ、ウェイグはアヌビスを呼んだのだ。
「俺さ、思うんだ。このままじゃいけないって」
「長そうだね。五文字くらいで纏められる?」
「恋人欲しい」
「なるほど」
話を聞く奴なのだ。これでも。少なくとも、四天王の中では。
腕を組んで、アヌビスはニ、三回ほど頷いた。脳内では「相談事の方だったか」と安堵すると共に「いや、厄介事か?」と疑念を膨らませている。
「でもさ、ウェイグって結構、言い寄られているじゃないか」
「そんな言い寄られているか、俺?」
「あー、そこからかぁー……」
首を傾げるウェイグに対し、アヌビスは額に手をやる。
これがウェイグの、ある意味では元四天王としての象徴だった。
「基本的な話からしようか。あのさ、男性が女性から恋文を貰うってのは、普通は珍しいことなんだ。ウェイグ、ここまでは理解できる?」
「ああ、わかる」
「じゃあさ、君は今週、何枚の恋文を受け取った?」
「知らね。十枚ぐらいじゃね? 良く覚えてねぇわ」
「失礼過ぎるだろお前」
その整い過ぎた顔をぶん殴りたい。
アヌビスは堂々と悪態を吐いた。そのくらいしても、許されるだろうと判断したからだ。或いは、これを聞いている誰かさんの代弁をしたのかもしれない。
これこそが、ウェイグの持つ欠点だった。
ウェイグ=ナハーグナには"自覚"が欠けている。この男は自分という存在を、客観的に認識できないのだ。自分が誰に、どの程度の好意を注がれているのか。自分が周りと比べて、何に長けて何に劣っているのか。ウェイグはこれを、あまり理解できない。
自覚の欠如は、常識との齟齬を生みやすい。力加減を間違えたり、場の雰囲気を読まなかったりと、致命的な問題が起こりうる。そういった理由から、ウェイグもまた、この時代に生きづらいことは確実だった。
「ううむ……そう、なのか? イマイチ実感沸かねぇけど……取り敢えず、アヌビスより言い寄られていることは理解した」
「話を戻そう」
「あれ、これ本題じゃねぇの?」
所詮は自覚なき男。こいつに何を言っても、柳に風だ。アヌビスは、激しい怒りをどうにか胸中で抑えてみせた。テーブルの下では握り拳を作っている。
「覚えてないなら、本題にもしようがないだろ」
「ま、それもそうか。と言うか実際、あんまり興味無いしな」
「だろうね」
ここで、もし、仮に、万が一、話を盗み聴きしている輩がいれば、疑問に思っただろう。恋人を求めているウェイグが、言い寄って来る女に興味がないと告げたのだ。
しかしアヌビスは、首を傾げることなく頷いた。
次いで、ウェイグの真意を口にする。
「ウェイグはホモだからね」
「ホモだからな」
どこからか、飲み物の噴出する音がした。
ウェイグもアヌビスも、顔色を変えない。かつては同僚として、長い時を共に過ごした二人だ。この程度の情報ならとうの昔に共有している。
「その性癖が無ければなぁ、完璧なんだけどなぁ……」
「ん? 何か言ったか?」
「なんでもないよ」
目鼻立ちが整っている自覚もない。性癖が特殊である自覚もない。はっきり言って、ウェイグは恋愛との相性が悪いのだ。相手からどう思われているのか。それを理解できない者に、友情以上の絆を結ぶのは厳しいだろう。
「まぁ、すぐには難しいだろうね。そりゃ世界中を探せば、その内、いい相手が見つかると思うけどさ。やっぱり比較的、数が少ないことは事実だし」
「そうか……俺は別に、アヌビスでもいいんだけどな」
「止めろよ。僕、こう見えても意中の人くらいはいるんだから」
「え、マジで!?」
過敏な反応を示すウェイグに、アヌビスは割りと冗談抜きで危機感を覚えた。ウェイグは昔からこの手の冗談を口にするが、偶に本気と区別がつかなくなる。
「なんつーか、意外だな。アヌビスって、そういうの興味ないと思ってたから」
「あるよ。少なくとも人並みには」
「そうは見えないけどな。……で、どんな奴なんだ?」
「なんでウェイグに教えないといけないのさ」
「いいだろ。そういう話してんだから」
「まぁ、いいけどさ。そうだな……強いて言うなら、身近な人かな」
「身近って……ここ最近の身近ってなると、バイト関係か? 魔王城観光ツアーの」
「その辺はスルーさせてもらうよ。僕の話はここまでだ」
無理にでも話を断ち切るアヌビスに、ウェイグは微妙に不貞腐れた顔をする。
「しかし、お前もちゃんと考えてるんだな……」
アヌビスが店員から水入りのグラスを受け取ると同時に、ウェイグはテーブルに突っ伏した。そして紡がれる呟きを、アヌビスは喉を潤しながら聞き届ける。
「……あぁ、俺はなんであの時、勇気を出していなかったんだろう」
「またそれか」
聞き飽きた愚痴に、アヌビスは溜息を零す。
「いい加減、諦めなよ。あれから一度も見つからないんだろう」
「そうなんだよなー……全く、リンメルの野郎。本当にどこにいったんだ」
元四天王に、リンメルという男がいる。
中性的な顔立ちでありながらも、鋭い刃のような印象を受ける、非常に凛々しい魔族だ。あの独特な威圧感は、アヌビスも良く覚えている。
ウェイグは、昔からリンメルのことが好きだった。同僚としての意味ではなく、ましてや友情的な意味でもない。つまり、一人の男として、一人の男に惚れていたのだ。現役時代、アヌビスはウェイグからよくその相談を受けていた。
だが、終戦後、リンメルは姿を消した。
それ以来、音信不通である。アヌビスもウェイグも、そしてもう一人の元同僚も、何度かリンメルを捜索したが、望んだ結果が出たことはなかった。特にウェイグは誰よりも力を注いでいたが、それでも一切の手掛かりを掴めなかったのだ。
「……既に、この国を出たのかもしれないね」
「いや、それはない。あいつは……愛国心の塊だった。例え人類と手を結んだ今の国でも、あいつは変わらず愛しているだろう。だから絶対、この国のどこかにいる」
「自信あるね。根拠は?」
「ねぇよ。だが、あいつを誰よりも見ていたのは俺だ。確信は持てないが、予想するとなると俺が一番正しいに違いない」
「そうだね。僕は君と違って、彼を舐め回すような目で見てないから」
「ちょっと待て。俺、そんなに露骨だったか?」
「うん。気づいていないの、本人だけなんじゃない?」
「ならいいや」
「いや駄目だろ」
何やらウェイグが格好良いことを言った気もするが、そんなことはアヌビスが許さない。しかし残念ながら、ウェイグに堪えた様子はなかった。
だが、今の応酬で得たものもある。
結局のところ、ウェイグはリンメルを諦めきれていないのだ。である以上、どれだけ恋人が欲しいと吐いたところで、その想いの行き先は決まっている。本人は苦悩しているようだが、現状、それを宥める術はない。
「そう言えば、今日は仮面舞踏会だね」
話の接ぎ穂を失ったところで、アヌビスが新たな話題を提供する。
ウェイグもそれに乗った。
「アヌビスは変装するのか?」
「僕が? しないよ。面倒臭い」
「だろうな。一応、変装はしなくとも参加は可能なんだっけか」
「うん。特にこれといった規制はなかったはず。立食コーナーもあるみたいだし、そっちに行くつもりだよ」
「食い意地張ってんなぁ」
「張らざるを得ないよ。最近、モヤシしか食べてないんだ」
「あぁ、俺も似たようなもんだ」
二人揃って溜息を吐く。意図せずして暗い話題となってしまった。
元四天王の食卓は、相変わらず寂しいようだ。
「あ、閃いた」
そこで、アヌビスが掌に拳を落とす。
「どうせなら、仮面舞踏会で相手を探すのはどうだろう?」
取り敢えずの次善策である。
どうせウェイグはリンメルにしか目がない。だが、本人にその"自覚"はないのだ。ともすれば、どうやって本人にそれを知ってもらうかが重要となる。
欠点だって、緩和することは可能だ。現にウェイグの欠点は、アヌビスと出会った当初と比べれば、かなりマシになってきている。これも偏に周囲の働きのお陰なのだが、ウェイグがそれを理解するには、まだ当分の時間を要するだろう。
「馬鹿言え、化けた奴なんざ信用できるか。博打もいいところだ」
「いや、そうじゃなくてさ。君が変装するんだよ」
「俺が?」
疑問を発すウェイグに、アヌビスは自信満々に首を縦に振った。
「そもそもウェイグに出会いが少ないのは、ウェイグが男だからだ。世の中の半数近くは、色恋沙汰の相手となれば、異性を想定するだろ? ならまずは、ウェイグがその理想に合わせないと。――つまり、女装するんだ」
「……女装か。悪くないな」
「あ、悪くないんだ。結構適当だったんだけど」
一応、言い包めるための台詞を三つくらい用意していたアヌビスだが、無駄になったことでお蔵入りする。まさかそんな簡単に罷り通るとは思わなかった。
若干、アヌビスの暇潰しが含まれていないこともない。
「何度か、考えたことはあるからな。今までは機会がなくて流していたが、確かに、仮面舞踏会となれば丁度いい。流石だな、アヌビス。つまり、異性としての魅力と同性としての魅力を綯い交ぜにすることで、相手を混乱させるんだろ? そして、眼を回している隙に、あの手この手で勢いに乗せる。……なるほど、実にお前らしい案だ」
「かなり飛躍している気がするけど、もうそれでいいや」
ウェイグが満足そうで何よりである。
アヌビスも暇潰しができて満足だった。
「……と、そうだ。お礼と言っちゃなんだが、一つ、注意を促しとくぜ」
「注意?」
「ああ」
どうやら、真面目な話らしい。
声色を潜めるウェイグに、アヌビスも姿勢を正し、話を聞く体勢を取った。
「仮面舞踏会に、毎年裏があることは知ってるな?」
「まぁ、そりゃあね」
仮面舞踏会には裏がある。こうして聞けば物騒かもしれないが、冷静に考えれば当然だ。なにせ、仮面舞踏会では変装――即ち、他人への成り済まし行為が、公的に許可されている。そして、それを無理矢理見破る行為が、公的に禁止されている。
要するに、犯罪に対するリスクが減少するのだ。暗殺や誘拐、詐欺など、様々な危険行為が仮面舞踏会では容易く行える。指名手配犯も変装すれば街を闊歩できるし、摘発されたとしても、変装によっては警備の隙を突くことができる。
今回は規模が大きいため、騎士や警備隊の増員は確実にあるだろう。だが、仮面舞踏会を何度も経験している魔族は知っている。そんなもの、意味はないのだと。
私怨が原因であるならば、まだマシだ。個人的な恨みさえ晴らせば、後は無抵抗で捕まってくれる可能性が高い。だが、これが組織間のいざこざであればどうだ。特に、騎士や警備隊を管轄する、上流階級のいざこざであればどうなるか。
警備なんて意味はない。一種の無法地帯だ。
「今は世間も安定していないからな、要人の参加者は、既に何人か護衛を雇っているらしい。斯く言う俺も、その伝から偶々知った情報だ」
「誰か護衛するの?」
「いや、断った」
「なんだ」
「けど情報は貰ったぜ。やっぱり、今年も何かあるそうだ」
「曖昧だなぁ。しつこいようだけど、根拠……というか、確信はあるの?」
「依頼主の関係者が、今回の舞踏会を警備する騎士と顔見知りらしくてな。そいつが騎士に、警備の配置について聞いたところ、違和感があったらしい。一応、具体的な配置も教えてもらったが、俺にはよくわからなかった」
「ウェイグがわからないなら、僕にもわからないだろうね」
戦争時、四天王は「ただ暴れているだけでいい」の指示を受けるのみだったので、警備の方法についてはアヌビスも詳しくなかった。
ウェイグが腕を組み直すことで、堅苦しい空気が霧散する。
それを見計らい、アヌビスは苦笑しながら口を開いた。
「ま、気には留めておくよ」
「楽観してんなぁ。案外、アヌビスも狙われるかもしれないぞ」
「まさか。僕が狙われる理由なんてどこにもない」
グラスの中の水を飲み干し、一拍置いたところでアヌビスは続けた。
「所詮は、その日暮らしの四天王だよ」
食卓にモヤシしか並べることのできないアヌビスたちを、誰が狙おうか。
私怨は数多く受けている気がするが、四天王としての実力が衰えたわけではない。下手な刺客ならば、無傷で返り討ちにできるだろう。
「言うなよ。悲しくなる」
「その内、時間が解決してくれればいんだけれどね。お互い頑張ろう」
「そうだな。……なぁ、この後どうする?」
「女装するんだろ? 手伝うよ――」
面白そうだし――そう、アヌビスが続けようとした時、唐突に震動音が聞こえた。
アヌビスは音の発信源である胸元に手を伸ばし、スマートフォンを取る。
そして、画面に記された名称に、目を見開いた。
「……ウェイグ。奇跡だ。奇跡が起きた」
頭上に疑問符を浮かべるウェイグを他所に、アヌビスは端末を耳に近づける。
スピーカー越しに聞いたその声は、実に三年ぶりのものだった。




