1話『アヌビスⅠ』
一応、群像劇を意識して書いてみました。
『勇者よ、私と結婚してくれないか』
『魔王よ、こちらこそよろしく頼む』
人類と魔族の戦争は、こうして終焉を迎えた。
長期に渡る、苛烈な争いだった。命と、尊厳と、そして愛する誰かを賭した戦い。そこには一切の慈悲もなく、大陸は瞬く間に屍山血河に埋もれていった。帰る場所を失くした者もいるだろう。世界の理不尽さに絶望し、自ら命を絶った者もいるだろう。人類も魔族も、この戦争に終わりが訪れるとは毛頭信じていなかった。
だが、幕は下ろされた。
人類の最終兵器である勇者シオン=ベイルと、魔族の親玉である魔王サタン=ウォリアッシェンの婚約によって。長きに渡る戦争は、誰もが予期せぬ形で終わったのだ。
戦争は、開幕は唐突であったが、終幕も唐突だった。両者は婚約を交わした直後、あろうことか全てを敵に回す覚悟を表明したのだ。即ち、勇者は魔王を護るためならば人類の敵に回っても良い脅迫し、魔王は魔族に同様のことを成した。これには、両軍とも頭を悩ませる他ない。なにせ、どちらも想定しうる最高の戦力だ。戦争の鍵が二つ、このような形で結託してしまったとなれば、絶望するしかない。……いや、状況は絶望どころではなかった。あまりに予想外過ぎて、戦意すら喪失してしまったのだ。
一組の男女が誓う愛により、世界は程なくして、平和を取り戻した。
そして現代。時は、終戦から三年後を迎えようとしていた――。
「それでは次は、勇者様と魔王様が、婚約を交わされた場所へと案内します」
『はーい!!』
アヌビスという魔族がいた。
黒い髪を肩まで伸ばした、猫背の男だ。身長は高いが、体格は細め。曲がりくねった前髪の合間からは、昏い色の双眸が覗いている。そして左右の側頭部からは、魔族の象徴とも言える角が生えていた。白色の捩れた角は、髪の色と相まって良く目立つ。
彼は今、魔王城と呼ばれる観光地で、ツアーのガイドを行っていた。厳密にはバイトである。時給にして僅か八百ゴルドの、安いバイトである。
「足元にお気をつけ下さーい」
階段を上る際、こう言ってやらないと子供たちが転んでしまう。アヌビスは手慣れた所作でツアーの参加者を誘導し、目的の部屋へと向かった。
魔王城の最奥にある部屋――通称『王の間』。
三年前までは、魔族軍の幹部にしか踏み入ることを許されなかった空間である。とは言え、荘厳な扉はここ最近だと常に開放されており、繊細な模様が拵えられた絨毯も、今では巨大な銅像によって隠れている。そもそも謁見する相手が不在だ。
「あちらが、終戦を記念して作られた銅像です。勇者様と魔王様が、手を取り合っている構図ですね。皆様どうぞ、お近くでご覧下さい。あぁ、触るのは駄目ですよ」
勇者がその男らしく、逞しい両腕で、魔王の嫋やかな四肢を抱える像だった。
お触り禁止の旨を伝えるが、子供たちに理解した様子はない。しかし先日、この日のツアーのために警備員を増強したのだ。子供たちの世話を彼らに一任……もとい、丸投げしたアヌビスは、代わりに大人たちの質問に応えることにした。
「婚約は、どのように交わされたのですか?」
「それはもう、本当に唐突でしたよ。我々と人類軍が睨み合っている最中に、突然、二人が婚約を口にしたのです。あの時は誰もが呆気にとられましたね」
「その時のお二人の様子は?」
「二人とも、断られるとは微塵も思っていませんでしたね。後から知りましたが、どうも勇者様と魔王様は、以前から手紙で内密なやり取りをしていたそうです」
事前に上司から配布された資料。そして、自らの記憶を頼りに、アヌビスは流麗に応えていく。具体性の伴う説明に、質問者は満足気に頷いていた。
「ねぇねぇ、お兄さん!」
その時、銅像に釘付けだった子供たちが帰って来た。
アヌビスは落ち着いた動作で、大人たちから子供たちへ対応を移す。
ツアーの参加者は老若男女様々。それに加え、人類魔族も様々だった。角の生えた子もいれば、耳の長い子もいる。当然、何も生えていない子供も存在する。終戦に伴ない種族間の差別が禁じられたこの時代、彼らは新たな平和の象徴でもあった。
「――お兄さん、お仕事見つかったの?」
だが、平和の象徴と言えど、子供は子供。時に彼らは牙を剥く。
アヌビスは瞳を細めた。遠くを眺めるその姿に、大人たちは焦燥を露わにする。だが良く見れば、誰もが笑いを堪えていることは明白だった。
「お、お兄さんは、前からこの仕事に就いていたよ……?」
「えー、うっそだー! だって私、この前テレビでお兄さんが、仕事無いって言いながら泣いてたの見たもん!」
「おぉ、おぉぉ……」
あ、それ俺も見たー! 私もー! なんて声が響く中、アヌビスは猛烈に帰宅したい気分になっていた。しかし今は仕事。そう、仕事の最中である。
アヌビスは社会人だ。責務を投げ出し、勝手な行動を取るわけにはいかない。
「みんなー! アヌビスさん、お仕事見つかったんだってー!」
「おめでとー!」
「おめでとう、お兄さん!」
「お仕事見つかっておめでとう!」
「ありが、とう、ございます……」
アヌビスは泣いた。心の中で。
流石に拙いと思ったのか、子供たちの口を親が塞ぐ。逃げまわる子供たちを追いかけようとする親御さんたちは、同時に内側から込み上げる笑いとも格闘していた。時折アヌビスに背を向けているが、あれは子供を追うためではないだろう。
「す、すみません、アヌビス様。子供たちが勝手に……」
「……いえ、もう慣れていますので。あと、様を付ける必要はありませんよ」
「し、しかし……」
アヌビスに謝罪した魔族の女性は、視線を落とし、暫し逡巡した。
「四天王のアヌビス様に、あまり、無礼を働くのは……」
懐かしい響きだな、とアヌビスは思った。
四天王――それはかつて、魔王サタンを最も近い位置で守護する、四人の魔族を表す言葉だった。その名を聞いて、慄かない者はいない。その名を口にして、破顔する者などいない。戦争時、魔王が親玉であれば、四天王はその側近であった。
だが、終戦後、四天王の存在は無価値と化した。
魔王軍にも司令塔はいる。彼らは戦争時に培った兵法を書物に纏めることで財産を獲得し、今では軍事評論家として生きている。武に長けた者は、国の治安維持に貢献する騎士や警備隊の練兵を担うことで毎日を過ごしている。文に長けた者は、次は人を殺すことではなく、国を発展させるためにその脳を働かせている。
彼らは平和となった世界にも、適応できる能力があった。
しかし、四天王にはなかった。
何故か。答えは単純だ。成人として、未熟だからである。
四天王は、魔族の中でも特に強い者が選出された。逆に言えば、強さ以外は何も求められなかったのだ。常識に疎かろうが、性格に難があろうが問題ない。ただ腕っ節があるというだけで、四天王は成立し、そして当時は尊敬されていた。
現代の価値観から四天王を述べれば、ただ才に恵まれているだけの問題児が、集まっただけの組織である。そして、当事者であるアヌビスはそれを肯定した。
アヌビスが四天王の地位に就いたのは十歳の時だ。それから凡そ十年の時を四天王として過ごしたが、その間、自らの行いを叱責されたことはない。そんな環境で成長が望める筈もなく、結果としてアヌビスには、致命的な欠点が生まれた。
四天王は、必ず何かしら欠けているものがある。
それが現代において、この上なく問題なのだ。通常ならば矯正されたであろうその問題も、今となっては深く根付いてしまった。最早、どうすることもできない。
「今の僕は、ただの社会不適合者です。残念な話ですが」
「そう、ですか……」
落胆するツアー参加者に、アヌビスは言葉を考える。腐っても元四天王だ。かつては魔王の次に崇拝されていたのだから、その名残りも多少はある。
だが、今はそんなこと関係ない。なにせ仕事だ。
四天王は腐っていても、社会人としては新鮮でありたいとアヌビスは願う。
「とは言え、マスコミの対応だけは未だに慣れませんね」
「あぁ……人類側の、えぇと、メディア? でしたっけ。アヌビスさんたち四天王の方々は、今でも引っ張りだこですものね」
「ポジティブに、人気者とでも捉えておきます」
微笑する女性に、アヌビスもまた笑みを浮かべた。
ツアーを先導する者として、参加者たちを笑顔にするのは最大の義務である。
「おぉーい、アヌビス君」
「あれ、藤沢さん?」
ガイド歴、十七年。"子供諭し"の異名を持つ、藤沢さんがアヌビスを手招きした。過去に何度か世話になったが、仕事中に声を掛けてくるとは珍しい。僅かに首を傾げつつ、アヌビスは藤沢さんの元へ寄る。
「アヌビス君、今日は午前のみだったよね?」
「はい。すみません、どうしても外せない予定があって」
「いやぁ、責めるつもりはないよ。それより今、ちょっと観光用の車が故障しちゃってね。修理の都合で次のツアーが予定よりも遅れそうなんだ。ただ、どう考えても午前中に直るとは思えないし、アヌビス君、今の案内が終わったらもう帰って良いよ」
「い、いいんですか? 他に何かあるなら、手伝いますけど」
「いいよいいよ。ま、その分、給料は安くなるけどね」
藤沢さんは、お客様だけでなく営業側まで笑顔にする力を持っていた。
流石はベテランだ。アヌビスも見習いたいと思う。一礼した後に見る藤沢さんの後ろ姿は、とても大きく見えた。
2016/5/7 加筆修正。
勇者が男で、魔王が女であることの描写を忘れていました。
ちょっと遠回しな表現で描写を加えています。




