サーバールームから。
レナたちがそろそろジーニアス大陸の港に辿りつこうとしていた。
──分析。
──たどり着くことができる。
──どれくらい?
──余裕を持って。
シロノアールの体力は”ゲージ”を見る限りまだまだ余裕があり、レナの周りにいるキサはもはやその冷風の力で海面を凍らせて道を作ることもできるし、クレハとイズミがシャボン玉のようになってレナを閉じ込め酸素が尽きる前にミディが丘に送ることもできるだろう。影蜘蛛は意外にも水上を渡って歩く技能を持っているらしい。水上調査にも乗り込めるよう訓練されている。
──分析の精度。99%。
キラは、赤の生地のサーバールームからモニターを眺めていた。
まばたきをした。
また、飽きずに眺めた。
まるでゲームの画面のように、それぞれの映像の上に、体力ゲージを並べている。
独自にキラが測定して作り上げたステータスの画面も、ついでに表示した。
(ラナシュに現状で認められているものは赤色で……まだ反映させることは難しい新しい情報は私の魔力を分けた銀色で……)
ステータス画面が彩られた。
レナたちのギルドカードには赤色のところしか表示されていない。
[逃亡者]の情報整理も完了した。
キラの口元は、先ほどまでルーカと話したときのにっこりと笑った形のまま固められていた。
表情をそのまま置き去りにして、頭の中だけで膨大な試算を行ったのだ。
だから、うしろから、マシュマロの小さな手がトンとキラの腰を叩いたとき、びっくりして飛び上がった。
「あなた、休憩しに行くように言ったはずですよね?」
「キラママが根を詰めるだろうから、早めに戻ってあげて、ってリリー先輩が言っていたぞ」
「リリーさん、私のことをよく気遣ってくれますね」
「それだけではなく真実だろうと言うこと。キラママは、”マスター・レナのこと”になると、どうにも自分のことが見えなくなるようである。今でもそう。普通に試算するだけならすぐに終わるはず、だが、あの人が悲しまないようにしたいから何とか未来を捻じ曲げられないか……って少し悪巧みをしている。そんな自分に疑問を感じてしまい、けれど、自分が揺らがないように表向きの体はそのままにしているんだ。ラナシュに自分が必要だと弁えてもいるから。ややこしいことをしているものだ。マロはよく観察するように言われているので」
「はいはいそうでしたね〜。……よく観察できていると思いますよ。認めたくはないですけどね。真実であることを間違いだと教えるのは、あなたの成長を阻害してしまいますから……今回ばかりは正解だと言ってあげましょう」
「今後ともよろしく」
「調子には乗らないように、すっかり生意気になってしまって」
「正しい反抗期である」
キラは口をとがらせてから、ようやく、生身の頬のあたりが少し引き攣っていたことに気づいた。
ぐにぐにと手のひらで揉んで、自分の顔の筋肉をほぐすキラの体は金属を溶かしたようなもので作られていたはずだけど、進化とともに魔人族になったという情報が強められ、今のキラは、まるでヒトのような肉体ということに変換される。ラナシュ仕様だ。
己が前よりも扱いにくくなっているのは、否めない。
これまでは、その定義をとんと外れた体の使い方が、レナの仲間ゆえの特権だったとも言えるのだが。
「それでキラママはどうしたいんだ?」
「そうですねー。この場合だとマスター・レナたちがあのクジラを助けてしまうか、ということを試算しておりました」
「いやだから。キラママはどうしたいんだ?」
「もしかして、思ったことをそのまま全部正しく言葉にしてくれという要求ですか。なんと難しいことでしょう。自分の気持ちを正しく言葉にするなんて。ふつう、おおよそのことを言葉にして、心の本当の有り様のほうは、生身のセンサーを使いあなたが察してくれるべきじゃありませんかね」
「マロに求めすぎである」
「それはそう。じゃ、そうですね。厳しい表現になってしまいますが……」
「キラママ、苦虫をかみつぶしたような顔してる」
「まあそりゃ、本心をそのままなんて誰にも知られたくないことでしょうよ。本来ならね。しかしマシュマロを正しく育てるためには教えてあげましょう……。
私が考えていた事は、マスターがこれ以上悲しまないようにして差し上げたい、と言うことです。それは私の気持ち。
しかしながら、目の前の障害をすべていっさい取り払ってあげたら、彼女は悲しまなくて済むのかといえば、遠い将来避けようがないくらい悲しい思いをすることになるでしょう。今少し悲しいのは、学習さえできたら、将来の悲しみを減らします。だから少しは障害を残しておかなくてはならないけれど、いやだな〜〜〜!! ぐあああ〜〜……泣くところもう見たくない……」
「大変そうだな」
「ええ。本当に。マシュマロにはまだない感覚でしょう」
これからその情緒が育っていくとキラは植え付けているのだ。
「マロなら、全て作り替えて、快適な世界にしてやればいいのにと考えているけど、そうでは無いのだろうな」
「それは全くキレイな体の持ち主だけがやれることですね。失敗したことがほとんどなければ、自分と大好きな周りのものがそっくりそのまま残ると盲信できる。他の物さえ変わってしまえば全く快適だと妄想する。しかし、自分にも汚れたところがあり、自分が大切にしてきた人が全くの綺麗なままでなければ、美しく変えようとしてしまった時、私やその人自身ではなくなってしまうんですよね。別人になったら意味がないし、まるでシナリオ通りにを動くおもちゃみたいだ。面白いですかそれ?」
「ただ、あるだけだなあ」
「生きている感じがしないでしょ。まぁ、おいおい、ね」
キラはそこで一呼吸おいた。
「私はみなさんが知らないところでまあまあ手を汚しています。だからこそ悩みも多いのです。気分転換に、ピカピカキラキラまっさらなあなたに相談でもしてみましょうかね」
「どんとこい」
「私はマスター・レナを悲しませたくないわけです。この場合においてはクジラのゲージを見てください。ほとんど体力が残っておらず、情報もほぼなし、消えてしまう寸前ですよね。そのことに気づいてノアさんは硬い表情をしていますし、マスターは不穏な空気を感じつつも、周りを一生懸命励ましています。この場合、どうすれば丸く収まると思いますか?」
「丸投げ?」
「じゃあもう少し。どのぐらいがマスター・レナに障害を残しつつも、彼女が希望を持ち続けられそうですか?」
おそらくキラよりもマシュマロの方が真理に近い。
この世の理からラナシュが逸れつつある今、過去への執着がないほうが未来予測が正確だ。
キラはそれを認めつつあった。歯痒くも。だから急いでマシュマロを育てている。あまり急いでいる感じがしないのは、どうしても、レナが従魔を育てる姿が好きで、キラがそこから学んだ生き物だからだろうか。
「マロの考えは……。クジラが安らかな終わりを迎えられたならば、と回答する。しかしクジラが納得していようとも、レナ様は、世間と比べてクジラの人生が物足りなかったと憂うだろう、そこで、将来またこのクジラと出会い直すことができると説く。未来に施してやることができると夢を与える。可能性があると信じて行動してゆき、結果として、レナ様が成功するか、失敗しても、やるだけのことはやったと思うことができる。それがキラママの最適解」
キラは息を吐いた。
「同感です。もう一ついいですか。最近育ってきた正直な気持ちです。先に言っておきます、何を今更って。マスター・レナの未来を、ここまで私たちが操作してしまってもいいと思いますか? まるで操っているようではありませんか? 彼女たちは尊厳あるひとりであり、藤堂レナ様は私が何よりも尊敬する人なのに」
「マロは答えよう。操っていると思われたならば、操っているのだろうし、操ることをされていたかもしれないとして、それでも自分の意思で進みましたけど? と言えるならば、操るという命運の鎖など引きちぎっておられるのではないだろうか?
キラママの尊敬する人は、そんなに器が小さいのか」
「ばかでかいです。器の中にもうなんだって入れちゃうくらい懐が深い人ですよ。じゃあ……やっちゃおうかな」
「やっちゃえ」
「……ふふっ。私一人で考えたとしても、結局同じことをしたような気もしますけれど、その場合は心が重苦しく曇ってしまう未来だった気がします。マシュたんが背中を押してくれたことで、なんだか少し背負っていたものが軽くなりました。勝手に背負っていただけなんですけどねー☆」
「ネガティブを移されでもしたのか」
「どれだけ能天気な人格であっても、成長するとともに慎重になっていくものらしいです。大事なものをたくさん手に入れていればいるほど、それをなくさないために動くようになるモノですから。何なら自分より大事なものだってあるんです」
「ダラダラ喋っている間に早くレナ様に通信してあげなくてもいいのか」
「今やりますよっ。全くもうっ。やれって言われたらやる気がなくなっちゃうことだってあるんですからねっ。ぷんぷん」
「キラママがママなのか、バブなのか、分からなくなるような捨て台詞である」
「そこセリフで良くなかったですか? 捨て台詞なんて言わないでくださいよ。ひねくれてます」
「おかげさまで」
「ひねくれてる」
キラは苦笑し、空中に浮かんだ光のキーボードを演奏でもするように触っていった。
頭の中では、これまでのクジラの生態が膨大なデータとして流れている。
ノアが定期的に送ってくれたクジラのレポートも役に立った。シヴァガン王国のものとして、できるだけ主観を交えず正確に、海の生き物としての特徴を示していた。
方針と情報がまとまってから、キラはようやくレナと通信をつないだ。
声をかけるのは少しためらった。
クジラが今、まさに体の上部を光の粒のようにして消えかけてしまっており、その冷たい機械的な残りの部分にしゃがみ込みながら、レナが悲しそうに声をかけているところだったからだ。
「あと、もう少し、頑張って」
レナはその言葉を選んでいた。
クジラの目当ては、ノアとレナパーティを港まで送ってあげることだったから。
クジラが初めて自分で抱いた意思を、達成させてあげようと、みんなに断りを入れて、少々無茶な緑魔法をレナは送り続けていた。
「あと、もう少し」
陸はもうすぐ前に見えている。
泳ぎきるまでがクジラの、生きた意味になるだろう。
それが誰にも分かっていた。
キサも、ミディも、目の前で雄大な生物が死んでいくのを見るのは初めてのことで、少し怯えを見せていた。
クレハとイズミは自分と同等か、それ以上のものが死んでいく姿をしょっちゅう見ていた過去がある。それ故、静かに、これまでの反抗期の不安定が嘘のように、仲間たちの手を握ってあげながらレナの様子を見守っていた。
ノアがレナの隣に移動した。
これからレナが悲しみにくれた時、ノアのせいだと言ってあげるために。クジラの尾をさらに早く動かしてやれるよう、蜘蛛糸を操る無茶をする。もともと弱かったノアの薄く細い指先には血が流れていた。
<──少し支援の手を緩めてください──>
キラが全員に聞こえるように音を通達した。
<大丈夫! あと少しみなさんが気合いを解いても、そのクジラは、陸に着くくらいの体力があります。ようやく計算ができました。お待たせしてしまい申し訳ございません>
「キラ……! きっと、ずっとこっちを見てたよね。このクジラ、私たちを運ぶために、すごく頑張ってくれていたよ。恐ろしい海の異変から逃れるために頑張り過ぎちゃったくらい」
<ええ。もちろん理解しております。マスター・レナ>
「うん」
<このクジラはいったん消えてしまうことが避けられません>
「……うん」
<しかし、助けたい気持ちがありますよね>
「うんっ」
レナの瞳から、ひとつぶの涙がポロリとこぼれた。
きっとレナが頑張りすぎていたぶんの反動だ。
キラはゆっくりと話した。
<マスター・レナ。これからクジラが消えてしまっても、クジラに乗って、海を渡っていたことを覚え続けていることです。
あなたの記憶に残しておくこと。
それはおそらくクジラが消えてしまってからはとても困難になるでしょう。”なかったこと”になってしまうから、どんどん記憶から薄れていくはずです。しかし、陸に着いたら大急ぎで”また”今回の旅のことをメモして、後で読み返して、それを毎日……こんなことを書いたっけと思っても、きっとあなたは消さずに一応置いておくはずです。1日1日、忘れてしまっていたとしても、大事に生きた日であったことを疑うような人ではありませんから。
その記録を胸の宝箱にしまっておいてください。
いつか時が来たら、私が、きっとクジラの情報を解凍できるようにしておきます。その日まで生きましょうね>
「わかった……!」
キラは、モニター越しにレナの揺れる三つ編みを眺める。
この世界に来てから不便なこともあっただろうが、髪を短く切り揃えてしまうような事をレナはしなかった。高校の制服も通学カバンも今は使わなくてもマジックリュックに保管してある。
過酷な自然に放り出されても、生活していくことを諦めなかったことが強くキラの印象に残っている。
レナはこれからも生活をきっと続けてゆける人だ。
キラたちは、その人生の旅路を守る──。
上部カメラから映していたレナの後頭部のあたりに、振り返った彼女の微笑みが浮かんだ。微笑みを浮かべたまま、上方をくるりくるりと何度か角度を変えて眺めているのだ。
おそらく、キラにありがとうという気持ちで、笑顔を向けたかったのだ。
大事にされていると感じる。
もともと機械であったこの心でも暖かさを感じることができる。そして魔人族となり肉体もある今のことだ。
もともと機械が混ざっていたクジラであっても、おそらく将来、温かさを感じることができる心を持ち、肉体に血が通う魔力を帯びた生命体となることはできるだろう。
その日がきちんとくるように、レナの寿命が尽きる前に。
情報処理をしておくことがキラのこれからしばらくの課題である。
「キラさん、もし聴こえていたら教えてください。クジラの事はこのノアが直々にシヴァガン王国に報告するつもりです。しかし、確固たる証拠が、私たちみんなの記憶から消えてしまうと言う事は、報告は不発に終わる可能性があると思いますか? 港の人たちも忘れてしまうのですから……信じてもらえなかったり……証拠不足とされたり……。それは悔しくて……。ノアにも何かできる事は無いでしょうか? 私はレナさんのように毎日手帳を読み直すということができるかはわからないのですが、アドバイスを……!」
<前提として、ノアさんは生き物としての感性が鋭いからこそ、そのものが存在したと言うことを信じられなくなるでしょう。たとえ報告書に書かれていたとしても。その上でのアドバイスを試算します……>
キラは慎重に言葉を探した。
ちょうど、少し前にした会話がヒントになった。
<しかしそれでも、報告書に書いたこと、グレンツェ・ミレー港ギルドに残されていた記録、そのようなものを”言葉のままに一旦信じることにしておく”。感性が働かなくても一旦そのまま心に留める。難しいですけれどね。言葉の通りに、その通りの出来事が本当にあったのかもしれないと。自分の感性だけでなく、他人が記した記録を信じることにするんです。そうしてみて>
「努力します」
どのように……と、ノアは考える。
自分の生活習慣と、影蜘蛛としての習性、そのあたりを組み合わせて何とか可能にできないものかと。
キラが求めたことが将来クジラを再生することにつながるならば、その仕組みをノア自身は完全に把握することができなくても、まずはキラが信じるに値する人物だと言う事は、これまでの生活を通してノアが信じると決めた。己の感性だけが全てではなく、意志としてだ。
陸に、クジラがたどりつく。
レナたちが速やかにクジラから降りる。
もう半分も残っていなかった。内側がくぼむようにえぐれて、そこにレナたちがさっきまで入っていた。運ぶことをクジラはやり遂げてくれた。
クーイズがレナのことを肩車するように持ち上げる。ノアは近くにいた影蜘蛛が足元を支えてくれた。背が高くなった。
なんとな残っているクジラの口元。二人は少しだけ撫でてあげることができた。
「「また、きっと将来に」」
口元はすぐさま光に包まれて消えてしまい、そのまま立っていたレナたちは、首を傾げた。
(どうしてこんなことしてたんだっけ?)
レナとノアが目を合わせて、彼女らを支えていたクーイズとイラがなんとなくペコリとお辞儀をした。
<すぐにそこから降りて下さい! レポートとメモ帳を手に取って、海のほうに近づいて、記憶に残っているものを、絵でも文でもいいから記して。早く!>
キラの指示に、二人は弾かれたように行動を始める。
描き上げたクジラの絵は、レナのものは可愛らしく、ノアのものはリアルすぎて少々グロテスクだけれど生物の教科書のように部位が正確だった。
そしてそれを2人は胸に抱いた。
キラほっと一息ついた。トントントン、マシュマロがキラの肩に乗っかり、弾むようにして肩を叩いてあげている。
「キラママ、どうして場所を変えさせたんだ?」
「どうやら記憶から消えてしまうのは、”現在から昔にさかのぼる”ように消えてしまうようです。新しいものは不安定で、古いものほどこの世界に少しは根付いているからでしょう。世の消去運動が追いついてしまう前に、こちらからミレージュエ大陸の冒険者ギルドに速報を入れて、海洋プランクトンを倒したのはクジラの呑み込みであるという事、確かにあのクジラということを、職員たちの証言として書類に残しておいてもらいました。その際にアイマー・ミンミン氏の名前を借りても構いません。そこまでしたほうがいいでしょうね」
「ギルドへの通信はどうやったのだ?」
「水晶玉に直送です。あちらではモスラさんが有名人ですから、我々パーティの動き方が規格外であろうとも受け入れてもらう体制が整っていました。やってくれているみたいですよ。ゴースト騒ぎを収めた英雄でもあるのですしね」
キラは口元を押さえた。
「今のはマロがオフにしておいた。キラママは、”マスター・レナ”を称える時は口が滑るから」
「感謝します。マスター・レナをあまりえらくしてしまいたくありませんからね。個人のわがままなんですけど」
「愚痴として聞き流しておきました」
「本当に成長しすぎじゃないですか」
▽キラはマシュマロをモチモチとした。
▽癒された。
「さて。たくさん頑張ったマスターたちにおいしいものを差し入れでもしたいですね。キッチンには……今は、ジレさんとアグリスタさんがいたはずです。彼らに軽食を作ってもらいましょう。たまには素人男子が作る素朴なクッキーとかも、マスターは可愛いねって喜ぶような気がします」
「わかる。未熟で不器用なのは可愛げだ」
「マ、マニアック」
▽一仕事終えた2人はサーバールームを出ていった。
▽こちらもお疲れ様。
▽【ふしぎなメモ帳】を手に入れた!
▽だいじに保管しておきましょう。
読んでくださってありがとうございました!
悲しみと希望と。
世の中が変わっていってしまっても、やれることをやって、未来の希望がイメージできるといいですよね。。
要るから書いたけれど、しんどいな><
次回からまた切り替えますね。
今週もお疲れ様でした。
よい週末を₍˄·͈༝·͈˄₎◞ ̑̑




