ここどこ?
「ここ…どこぉ?」
爽やかな風が吹き抜ける草原。
その片隅にはポツンと少女が立ちぼうけていた。
大きな黒い瞳の可愛らしい顔つき。
編み込んだ細めの三つ編みをたらし、セーラー服を着たごく一般的な女子高生である。
なぜ、そんな少女がこの壮大な自然のド真ん中にいるのか?
なんと、いつも通り学校に向かっている最中に、ここ異世界ラナシュに迷い込んでしまったのだった。
本人はもちろん気付いていないが。
キョロキョロ辺りを見渡して、スマホが圏外になっているのを確認したら、不安で涙がじわっと滲んでくる。
慌ててぬぐう。
(こんな大自然のど真ん中だもん……油断していてヘビや蜘蛛に噛まれでもしたらたまらない)
まあ本来なら、異世界なのでヘビなんかよりも魔物を警戒しなければならないのだが、泣き声を漏らさなかったのは良い判断だったと言えるだろう。
小高い丘の上に、壁と門が見える。小さく門番の姿も見える。中に街があるのかもしれない。
(……言葉は通じるかな?)
通じなくても身振り手振りでなんとかするしかない。
ここにずっといるわけにはいかないのだ。
レナは覚悟を決める。
すんっと鼻を鳴らすと、青々した草の生い茂る地を踏みしめて、街へ向かって行った。
***
異世界トリップした少女の名前は藤堂 レナ。
花も恥じらう17歳の女子高生。
幼くして両親を亡くし、8つ年上の兄と2人で切磋琢磨しながら、つつましく生活していた。
大人しい性格で、料理と節約が得意。
たどり着いた城壁前にはいかめしい洋風の顔つきの門番がいる。
(どう見ても日本人じゃない……!)
ビビってつい後ろに足を引いてしまうレナ。
しかし、おどおどしながらも何とか声をかけた。
「す、すみませんっ」
「……ん? なんだ、嬢ちゃん何処から来たんだ?
えらくこ綺麗な変わった格好してるな。
ここは小都市ダナツェラだ。
街を観光するなら歓迎するぜ。つっても、何もない田舎だけどなー」
「!!
良かった、言葉は通じたぁー……!
あの、初めまして。私、いつの間にかそこの草原に来ちゃってて。
この辺りの事、何も知らないんです……教えてもらえませんか…?」
レナが後ろを振り返りながら言う。
門番はやる気のなさそうな表情だ。頬をポリポリ掻くと、気だるげに街を指差す。
「あーー……悪いけど、そういうのはギルドで聞いてくれや。規約なんでね。
とりあえず中に入んな。身分証のギルドカードは持ってる?」
ギルド、と聞いてレナは目をパチパチさせた。
何だろう、そのファンタジーな名称の施設は?
(こんな回答をされるとは思わなかった……でも、とりあえずそこに行けば、色々と教えて貰えるんだよね?)
「丁寧にありがとうございます。
その"ギルド"に行ってお話聞いてみます。
あと、ギルドカード? は持っていないのですが……」
「そうかい?
じゃ、それもギルドで作って貰いな。
ほらこれ地図だぜ」
「わぁ。何から何まで、ありがとうございます!」
「いいってことよー」
レナは涙目でお礼を言って、パッと顔をほころばせると、立ち去る前に門番に向かって丁寧に頭を下げた。
その反応に門番もまんざらでもない様子で手を振る。
見送り、レナの姿が見えなくなったら、短距離通信魔道具を取り出し、ボソッと小さな声で呟いた。
「妙にこ綺麗なお嬢ちゃんが一人。
ギルドへ向かったぜ。
様子見しながらもてなしてやんな」
「あいよ! すぐ売れそうないい女ー?」
「まだガキだよ。胸つるぺた。
でも見なりは良いから、上手く利用できる道があるかもしれねぇ。
逃がすなよ」
あいよ!と返事を残して、魔道具の通信は途絶えた。
***
煤けた茶色のレンガ造りの建物がぽつぽつと並ぶ街、ダナツェラ。
街を歩いているのは、荒っぽい雰囲気の男たちが多い。
何やら剣や弓を担いだガタイのいい者たちばかり。服装もこれぞファンタジーな装いで、それを見たレナはとても混乱していた。
正直、ド場違いである。
「ギルド…」
ガチガチに緊張しながら、なんとかギルドまでたどり着くと、目つきの鋭い大男たちの溜まり場だったので、また半泣きになってしまった。
華奢な少女が珍しいためか、彼らはジロジロと無遠慮な視線でレナを見る。
(ひぃぃぃぃーーっ!?)
レナは震え上がった。
立ちぼうけていると、いやに明るい声の中年の女性に迎えられる。
ふっくらした身体にギルド員の制服をまとっている。
レナは、救いを見つけたように彼女を見つめた。
「いらっしゃーーい!
貴方が、門番の言ってた迷子の女の子だね。
よしよし、私が色々と教えてあげようね。
ホラ、あんたたち!
睨んでんじゃないよ、さっさと仕事してきなっ!」
やたら強気な発言だが、歴戦の傭兵ギルド員な彼女にはむかう愚か者はいない。
「べ、べつに睨んでなんか…あんたら政府の奴らばっかずりぃ」なんてブツブツ呟いて去って行く。
レナはホッと胸を撫で下ろした。
「すみません。ありがとうございます。門番さんから連絡があったんですね?」
「そうさね。かっわいいーお嬢ちゃんが迷子で困ってるってね!
安心しな。ギルドには初心者宿泊施設もあるし、職業指導もしてあげられるよ」
「助かりますーー…!」
職業指導、という事は働かなければいけないらしい。
(学生だったし、そこだけはちょっと不安要素なんだけど……でも、仕方ないよね……私には何もないもん……泊まる所まで用意してくれるのはとても助かるよ)
いきなり転移したレナは、このギルド員を頼るしかなかった。
カウンターの隅っこに移動して、レナは地理の説明を受ける。
ここは異世界ラナシュ(この名称は渡された冊子に書いてあった)
大きな二つの大陸があり、片方にはヒト族、片方には魔族が住んでいる。
あとは島がちらほらと。
魔族には細かな種別があり、魔物が人化した生粋の魔人族と、そこから派生して固有の種族となった樹人族、竜人族、獣人族、エルフ族、ドワーフ族、天使族など……それぞれが国を作っている。
ヒト族もいくつかの国を作り生活していた。
この街ダナツェラは、一王政のガララージュレ王国が治める領内。
傭兵業が盛んで、多数の傭兵や冒険者たちが集まっているそうだ。
そこまで聞いて、レナは遠い目になった。
(…………物語では読んだことがあるよ? でもね? ありえないよね? ……異世界トリップってやつなの? この状況?)
魔物、ファンタジーな異種族。
レナは白目を剥きそうになり、ギルド員の不審な視線に気づいて、恥ずかしそうに誤魔化し笑いした。
ここで別に恥じらう必要はないのだが、レナの脳はパニックなのだ。
(異世界トリップだなんて、そんな事が自分に起こるとか想像もしていなかったよ!?
私、猫を助けようとしてトラックに轢かれた訳でも、足元に魔法陣が現れたわけでもないのに。
うぅぅぅお願い、夢なら覚めてぇーーー!)
思い切りほっぺをぎゅむむ、と引っ張ってみるが、ジンジンとした痛さが、これが現実だと主張してくるばかりであった。
……ガックリと肩を落とすレナ。
「何やってるんだか?
じゃあ、次は職業診断さね!」
「お願いしまぁす……」
もう流されるしかできない。
レナの動揺やら奇行を総スルーのギルド員は、さすが荒くれ者の相手をしているだけあって心も逞しい。
部屋を移動して、何やら怪しい大きな水晶の置かれた魔道室へと連れて行かれた。
魔道。そう、この世界には魔法が存在していたのである!
(あああああーー!!)
レナがまた頭を抱える。
(異世界サンは、未知の領域が多すぎる!!)
そんなレナの視界が真っ黒に覆われた。
「…よく来たね。
さあー、あんたの魂の奥底まで覗き見てやろう、ヒィッひっひっヒィィ」
「ひえーーっ!!?」
さっそうと現れた黒ずくめの老婆が、歯を剥き出しにして不気味に笑う!
「もう、オババは新人を驚かすのが好きなんだから、程々にね」
「性分さね」
「こ、困りますよ……!?」
「ヒィィッひひッひっヒィ!
こりゃ、また反応の良いお嬢ちゃんだあぁ」
検査前にドッと疲れさせられたが、いつもの余興だったらしい。
レナは重いため息を吐く。
お遊びを終えると、怪しいオババは不気味な声で呪文を唱えだして、それに合わせて水晶がピカピカと光りだした。
その水晶越しにレナを視たオババは、カッ!と喉を鳴らしてから、愉快そうに告げる。
「ーー視えた!
あんたの適性職業はぁ~、『魔物使い(モンスターテイマー)』だよ。
ヒト族にしては珍しい、黒魔法の適性があるね。あと緑魔法も。
でもなれる職業はこれのみさね!」
「モンスターテイマー……」
レナがポカンと繰り返す。
適性職業というのは、料理人とか掃除人とかだと思っていたのだ。だってひ弱な日本人なのだから。
「え。なに、魔物と進んで関わるの?」
自分で声に出して確認して、レナがぶんぶんと頭を振る。現実逃避したい!
ギルド員は眉を顰めている。
「あちゃー!また、随分と難しい職業に当たっちゃったねぇ……。
魔物使いはレア職ではあるんだけどね、使いこなすのが中々難しい職業なのさ」
「そ、そうでしょうね!? 私、どうすれば……」
「ま、頑張るしか無いねー。
応援はするよ?魔法の使い方も教えてあげるからさ。
……だから、ささっと魔物を捕まえてきな! ね!」
言い方は軽い。だが強制的だ。ギルド員の目が笑っていない、手助けはするけど、働かざる者食うべからずらしい。
レナはぐっと否定の言葉を飲み込む。
平和な人生を歩んできた異世界日本の少女レナにとって、とても厳しいスタートとなった。
頷くしか、生きる道は無いのだ。
レナは叫ぶように言った。
「が、頑張りますーー……!」
ーーーこうして、後にこの世界の魔物という魔物から「従えて!」とラブコールを贈られる、トンデモ魔物使いは誕生した。
一見、何の変哲もないただのか弱そうな少女レナ。
だが、彼女は、けして優しくはない世界を生き抜いて行くために、誰よりも飴(愛情)と鞭(文字通り鞭)を華麗に使いこなしていく。
たくましく異世界を旅していくうちに、ドSと称される程になる(本人は激しく否定している)。
愛情深さにホレ込んだ者も、縛って!叩いて!とディープな嗜好に目覚めた者もいたようだ。
そして特筆すべきは、世にも稀な特殊体質。
彼女にテイムされた魔物は皆、恐るべき速さでレア種へクラスチェンジを果たし、種として弱かった者達が、それぞれ最強への道を歩んで行った。
厳しい競争を勝ち抜き従魔の座を手に入れた魔物たちは、レナにのみ跪き、しだいに世界中に彼女の名は知られていく事となる。
「ギルドカード:ランクG
名前:藤堂 レナ
職業:魔物使い(モンスターテイマー)LV.1
装備:セーラー服・革靴・鞄
適性:黒魔法・緑魔法
体力:15
知力:50
素早さ:12
魔力:50
運:測定不能
スキル:[従魔契約]
ギフト:(?)」
「私、ただ平穏に暮らして行きたいだけなんだけどなぁ……」
本人たちはのんびり旅をしているだけのつもりのようです。